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第1部 第1章
4 試練の森-1
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突然、長い釣竿の針に首根っこを強引に引っ張られたようで意識が戻った。というか強引に戻された。雪はパチリと目を開ける。地下数百メートルに落ちたかと思えば、気がついたら水の中だった。場面展開の早さに頭がついていかない。泡ぶくが口から漏れる。
(えっ?なになになにっ!!)
夢にしてはかなりリアルティが高すぎる。VFX?かと見間違うほど動きが俊敏で快活過ぎる。今の私には辛過ぎる苦行だ。夢はよく欲望の表れとかいうけど、私はこんなこと望んでない。予算かけすぎじゃない?
今までこんな夢見たことがない!
雪は必死にもがくが腕も足も固まったみたいに重たくて思うように動かせない。
息が保たない。
苦しくて口内が膨れ上がり、ブハァと口を開けてしまった。勢いよく体内に侵食して来る水に何の対抗策もなくてなすがままだ。目も開けていられない。沈んで行く体はストッパーがきかない。また落ちて行く感覚になる。ジェットコースターが落下していく時の浮遊感。固定されたバーを握りしめるも、力は込めるけれどちっとも安心できない。焦燥する気持ちだけが騒ぐ。
無理、やめて!
意識が朦朧として来た。
夢にしてはリアルすぎる!!
(私がいったい何をしたと言うの!夢なら覚めてよ!!)
雪は硬く目を閉じ強く念じた。
そしてまた場面は変わった。ホーホーとフクロウの鳴き声のする夜の森の中にいた。
「は」
今度はちゃんと地に足は付いているが、全身はびしょ濡れだった。ぐっしょりと濡れた髪の毛とブラウスがぴったりと肌に吸い付いていた。濡れた布が全身を覆っていて重く息苦しい。地上にいても体を拘束されているようだった。スカートの下のストッキングに、毛穴を全て封じ込まれて神経さえ機能が停止してしまったかのようだ。かろうじて息をつくことはできる。息を整えるのさえ全身運動だ。喉はゼイゼイ鳴るだけで言葉が出ない。
(何でこんな目に!!)
心の中で叫ぶしかなかった。このリアルな夢に翻弄されっぱなしだ。無言の攻撃になす術がない。
フワァ
視界の端で何かが動いている気配がした。雪は顔を上げ、その方向を見た。森の木の間を縫ってフワフワと白い雲のようなものが浮遊していた。日が落ちた後の森の中は黒一色でしかなく、白いものはよく見えた。
(あれってもしかして人魂?火の玉?)
肝試しやお化け屋敷で見る青白い炎。お化け屋敷のはさすがに模造品だけれど、あれは本物?
外で見るのはいやにリアルでおどろおどろしい。見た目は作り物にそっくりだというのに。プツ、プツ、プツと小さな粒が生まれてきたのがわかった。鳥肌がつま先から順に背中の方まで全身に広がった。ざあっと。
特に霊感があるわけではないけれど、よくないものだと身体中から信号を送ってくる。
逃げなきゃと瞬時に思った。
雪は手をつきながら立ち上がる。一歩、二歩と後ろ向きのまま後ずさる。恐怖を感じながらも、あの人魂から目を離せない。なぜなら背中を向けたら一気に襲われそうで踵が返せないからだ。
(私が、何を、したと、)
これ以上の言葉が見つからず、叫びたくて仕方がない。
ヒューヒューと空気だけが口から漏れる。体が震えて来た。恐怖からか寒さからか。眼前に漂う青白い炎が雪を囲んだ。
「オマエハダレダ」
ホラー映画のゴーストみたいに人魂はグニャリと型が歪み、大きな目玉が出て来た。一つ目だけでもその存在感は半端ない。ボイスチェンジャーで作ったようなくぐもった声で雪を睨みつけた。
声を封じられていて答えるに答えられない。それに答えていいものだろうか。こういう類のものとは関わらない方がいいに決まっている。
子どもの頃、山の中の小さな祠の扉を勝手に開けておばあちゃんにしこたま怒られたことがある。そこはこの地を治める土地神様のお家で何百年とご先祖様が奉っていたのだ。この罰当たりめ!と物置部屋に閉じ込められた。神様の祟りがあったかどうかは覚えてないけれど、なんとなく山の雰囲気が変わった気がしたのを覚えている。神様だって「こういう類」だ。種別は違えど迂闊に声を聞いたり、こちらから声をかけるなど絶対にできない。
大人達が風向きが変わったとか霧が濃くなってきたとか、ひそひそ話しをしていたような気がする。
確かにその時も不思議な感覚がしていたが、田舎の山の神様は悪さをするよう方々ではないから安心しろと言われた。悪さをしたのは私の方だ。もう二度とやるなよ!とおばあちゃんに念書を書かされた。
懐かしいな。こんな時にそんな事を思い出すなんてどうかしてる。走馬灯?
ふふふ、可笑しい。
私どうかしちゃったのかしら?
恐怖で感覚が麻痺していた。不意に溢れた笑みに夢か現か判断がつかない。
「オマエハダレダ」
繰り返される同じ質問。ダレダダレダダレダ。
そうね、私は誰だっけ?
声は出せないから唇だけを動かしてみせた。読み取れるかどうかはわからない。それに本当に自分の名前かさえ怪しくなって来た。そんなに問われると私自身わからなくなってくる。自信がなくなる。
私は誰なのか。本当の私は何者なのか。
(答えるな!!)
突然ドンッと大きな振動と共に頭の中で言葉が弾けた。
雪はハッとして辺りを見回した。空を突くような言葉に目を覚ませられた気がした。打ち上げ花火でも上げたかのように空が一瞬だけ明るくなった。
一つ目が眩しそうに瞼を閉じた。青白い炎が回りの炎を飲み込み始め、みるみるうちに巨大になっていく。
(走れ!森を抜けろ!)
(奴等の問いかけに答えるな!戻れなくなるぞ!)
何?誰の声?
雪は震える体を抱えながら、声の主を頼りに森の中を走り始めた。森は下草が伸び切っていて道という道はなかった。倒木や木の根が無数に転がっていて雪はそれらに蹴つまずきながら走った。スーツは小石や枝にひっかけては破れた。極め付けは素足だ。ストッキングはとうの昔に破れて使い物にならない。
血が滲んでいる足は動かしているのもやっとだ。腕も顔もボロボロだ。
小枝に引っかかり、誕生日プレゼントに渉にもらったネックレスが落ちた。ひと粒石のジルコニア。胸元で小さく光る模造ダイヤ。就職したらもっといいの買ってやる!と息巻いてた恋人からの贈り物。大事に首から下げていたけれど、雪はそれを拾えなかった。おそらく落ちたのも気づいていない。ただもう走るのに必死で、振り返る余裕がなかったのだ。
すぐ真後ろまで目玉が迫って来ていた。目玉だけなのにやけにリアルな息遣いや鼻息を感じた。鼻を突くような獣の匂い。子どもの頃に襲われた野犬のそれに良く似ていた。太ももを噛まれて何十針も縫ったのだ。それ以来大の犬嫌いになり、子犬さえ触れない。
「マッテマッテ」
「アソボウヨ」
「オイテイカナイデ」
「カエッテキテ」
「マッテルカラネ」
目玉の声音が変わった。子どもから大人もいるみたいだ。
雪の動きが止まる。聞き覚えのある声ばかりだからだ。田舎にいる家族と弟妹たち。仕事が忙しくてなかなか帰省できずにいた。もう二年帰っていない。
「ユキチャン」
「ユキチャン」
「ユキチャン」
籠の中のオウムみたいに何度も名を呼ばれた。雪は完全に歩みを止めて声の方を見た。目玉が段々弟妹たちに見えて来た。幼い弟妹たち。生意気でヤンチャなところもあるけれど、可愛くて大事に思っていた。あどけない表情に手が伸びる…
「触るな!走れ!」
雪は伸ばしかけた手とは逆の腕を掴まれた。突然、森の中から来た大男に。でもすぐにさっきの頭の中でした声の主だとわかった。
引き離される雪と弟妹たち。目玉はギョロリと雪と男を睨みつけた。そして先ほどより更に大きな目玉となり、森全体を覆い尽くした。木々の間からギョロギョロと無数の目玉が2人を見ている。雪は恐怖感に足が竦んでしまい、もう一歩も動けずにいた。
「気をしっかり持て!」
男は雪の両肩を揺らし反応を伺うが、返事がない。仕方ないと吐き捨てて雪の体を肩に担ぎ、走り出した。
雪はもうほとんど意識のない状態だった為されるがまま男に担がれた。離されてしまった弟妹たちの泣き顔だけが瞼に映し出されていた。
「ディル!援護してくれ」
「ぼくは高いよ」
「…早くしろ」
はいはい冗談が通じない男は煙たがれるよ~
ディルは軽口を囀った。自信満々な笑みだ。シャドウと雪を先に行かせ、目玉達の前に立ちふさがった。
「未練の塊を消し去るのは少々心が痛むが…仕方ないよね」
ちりちりと音を立てて、ディルの体が発光した。白く大きく森全体に光が行き届いた。木々の間から光が漏れる。夜の闇も覆すほどの光だ。ギョロ目達が叫び出した。目玉が潰されたのだ。
ギャアアアアアアアアと断末魔が森中を駆け巡った。
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