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第3章
12 ばかにしないで
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水の宿に客がぎゅうぎゅうに押し寄せたのはいつぶりだろうか。幸せの絶頂を噛み締めるのも束の間、ナユタとキアは疲弊感でいっぱいになった。
雨で泥濘んだ足跡がフロア中に蔓延した。まるでスタンプだ。
寒いだ、疲れただ、泥だらけだのと悪態をつく客や、呂律が回らない酔っ払い客。お腹が空いたのか眠いのか泣き出す赤子達。退屈だと駄々をこね、親の静止を振り切ってフロア中を駆け回る子ども達。
ギャアギャアガヤガヤととにかくうるさい。
ついには、二階で休んでいたナノハが降りてきた。こんな状態ではおちおち寝てられないわと腕まくりをしてエプロンをつけた。顔色はまだ晴れていない。近所の人にも応援を頼み、皆、満身創痍で客にむかった。
客は口々に、儀式のことを話題にしていた。手伝いに来ていた近所の人も、なんとか愛想笑いで誤魔化しにいくが、これはもう隠しきれないほどだ。
「あなたなら何を望む?」
「えっ?」
満席の席に、キアがお茶のおかわりを一人一人に注ぎにいく。不意に本をたくさん抱えていた長身痩躯の女性に話しかけられた。名前はシルヴィという。白皙の細い指には、似合わないゴツゴツした鈍色の指輪がたくさんはめられていた。
ティーカップには、湯気をまとったお茶が静かに鎮座した。飴色のお茶は、ふんわりと桃のような甘い果実の香りが付いている。ナノハの自慢作だ。
「今夜の儀式で蛇神は願いを叶えてくれるんでしょう。あなたは何を望むの?」
「…ほ、本濡れてないですか?このタオル使ってくださいね」
キアは内心どきりとしながらも、質問とは全く違う答えを出して、そそくさとその場を去った。
「もう!秘密主義なんだから」
去り際にかけられた言葉がチクリと背中に刺さった。
キッチンに入りナユタに助けを求めた。
ナユタは追加のスープの具材を切っていた。今度は葉物をたくさん使う塩味のスープだ。
ナノハは熟成させておいた肉を厚めに切り、スパイスをかけながら焼いていた。その隣では、子ども達用に甘い焼き菓子を同時進行で作っていた。
「さっきナユタさんが言っていた方がいらしてますね」
キッチンの入り口のカーテンの隙間から、窓際の席に座る女性を見た。
先ほどキアに話しかけていた人だ。どうやら常連客らしい。長い髪には特徴的な髪飾り。赤や紫色の数珠を編み込んでいた。毛先のうねりは湿度のせいだろうか。
「ああ、シルヴィさんね。何か言ってた?」
ナユタは手を止めずに答えた。
「…今日の儀式のことを知ってました。蛇神が願いを叶えてくれるから何を望むのかって」
キアにとっても初耳だ。
「またそんなこと言ってるのか!まいったなあ」
ナユタは顎を突き出して、見るからに辟易した顔になった。
「キハラはそういうことするんですか?」
「願いを叶えるなんてしないよ。するタイプじゃないでしょ」
あいつは今も昔も個人主義だよ。キアまでそんなこと言わないでよと表情は硬いままだ。
「…他のお客様も儀式目当てみたいですけど、どうしてそんな話になったんですか?」
「なんだかねぇ…」
悪質なチラシを鵜呑みにして来た客が大半だろうが、シルヴィは様子が違うらしい。
聞けば、シルヴィの生まれた村にも主神がいたそうだ。何百年も先祖代々受け継がれてきた由緒正しい主神だ。だが、近年には信仰が廃れ、継ぎ主不足になり、住人が減り、廃れていってしまった。
たまたまこの村の主神の話を聞いて、かつて崇めていた自分の村の神を思い出した。
「で、この村で起きたことを自分の村で起きたことのようにすり替えて言いふらしているみたいなんだ。願い事を叶えてくれたり、不老不死になれたり、自分の身を捧げると眷属になれるとか、ね」
「それは詐欺では」
だいたい、キハラはそれらのどれも叶えたりはしない。
「それを聞いた人が自分の村に移り住んで来ることを見越してるみたいなんだよね」
うまくいってるかどうかは知らないけど。
ナユタは辟易しながら呟く。
「エピソードの付け足しにって毎年来てるわよ」
悪びれもなく、あることないこと吹聴する。勘弁して欲しいわとナノハも心苦しいと頭を抱えていた。
「ちゃんと見に来てるところは真面目だと捉えることもできるけど、嘘は困りますね」
嘘は嘘らしく、裏どりでもしているのだろうか。
「まったくだね。余計なことを言って、他の人も焚き付けてしまわないかヒヤヒヤするよ」
たとえ嘘がバレても自分の責任ではないから、軽い気持ちで何とでもなると思っているだろう。
「身勝手な人ですね」
許せない。と、キアはムッとした。
「単純に花を愛でに来たって人は何人くらいいるのかな」
ナユタは悲しげに鍋をかき混ぜた。小皿に掬って味を見る。
「…悲しいですね」
そんな考えはしてほしくない。雨に打たれながらも懸命に花を咲かせてる木々に、キアは目を移した。
そもそも今日は花祭りだ。見頃の花を無視して何をしているのか。あることないこと出鱈目な話に夢中になる前に、花を見てほしい。
ぽとんとヒラユナの花が落ちた。雨のせいだろう。枝が下向きに垂れ下がっていた。青白い薄い花びらが渦を巻いている。蔓が右巻きと左巻きで種類が違うというが、キアにはまだ区別がつかない。花びらは一枚ずつ剥がして占いをするという。
「ああ!昔よくやったな。待ち人が来る、来ないってね」
「待ち人?」
「うん。門所からここまで来るのに時間がかかるだろう?だからその間にやるんだよ」
お客が来るか、来ないか。うちはしょっちゅう閑古鳥が鳴いていたから時間つぶしだよとナユタとナノハはやけくそに笑った。特に意味はないよと付け足されたが、キアには深く心に残った。
「まったく。最後の最後になんて客の入りなのかしら!うれしいやら、悲しいやら、どっちかしらね!今までのお客に大盤振る舞いしていたから、蔵がまっさらじゃない!次の買い出しは大変だわねー」
ヲリは空になった蔵を呆れた目で見つめた。
しかも自分たちの食料にまで手がつけられていた。いくらなんでもやり過ぎじゃない?と顔をしかめた。
「前回仕入れたのがもうすぐ着く。そんなカッカするな」
二日後に仕入れが入る。それまで節約レシピで乗り切らねばならない。
ムジは若干弱腰で、ヲリの方を見ずに答えた。確かに空になった貯蔵庫は殺風景で心許ない。
「それはアナタが一人で片付けておいてくださいませね」
ヲリはじろりとムジを睨む。
「…お、おう」
妻は夫の無駄遣いには容赦ない。
儀式を覗き見しようとする観光客が紛れてると知ってからは、宿屋の人間は躍起になっていた。どの人物かアタリがつかないまま、来る客来る客もてなしていたら、あっという間に食料や酒の底が見えた。当たり前だ。
「あのお嬢さんも、もう少し観察していてくれたら誰だかわかったのにねぇ」
全体の八割は親子連れだ。その中から一家族を探すのは容易ではない。父母と男児二人。よくある組み合わせだ。名前とか服装とか髪型とか。目に着く特徴でもあればまだ探しようがある。しかし、気が付いたのはそれだけだ。キアもパニックになっていた。
今日は、噂を聞きつけた不届き者がどんどん来ている。だからこそ、アタリがついていれば、こんなに無駄遣いなしないで済んだ。ヲリは帳簿を見ながら低く唸った。
「おい、そう責めるな。あの娘も気にしてるんだから」
「あら?私は責めてなんていませんよ」
ヲリは帳簿を閉じて引き出しにしまった。もてなす仕事でも無駄なことはしたくないだけだ。
「ただ、こちとら商売人ですからね。無駄事ばかりじゃ割りに合わないんですよ。コケにされてるばかりじゃ我慢ならないでしょう?」
しかも、大事な主神を侮辱しようとしている奴らだ。これ以上、気を遣う理由がどこにあるというのか。
「何をする気だ?」
「祭の最終日ですもの。派手にいきましょうよ」
ヲリは元芸妓だ。血が騒ぎだした。
キアを含め、村の若者達を着飾って舞台に上げる。適当に踊らせて、キアだと気付いた客がいたら、それが儀式を盗み見しようと企む客だと断定するという。
「そう簡単に行くかよ」
ムジは乗り気ではなかった。むしろ反対だ。
儀式を控えているキアに、余計な負荷をかけさせたくなかった。
ムジをよそに、派手好きなヲリは本性を剥き出した。おあずけを食らってばかりじゃ割りに合わない。
「何事もやってみなきゃわからなくてよ。さあ、みんな手分けして、広場のテーブルを片付けて舞台を作りましょう!」
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