大人のためのファンタジア

深水 酉

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第3章

8 憂鬱な雨

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 朝、目を覚ましてから雨の音を聞くと、「ああ」と自然にこぼしてしまう。
 希望と落胆が同時に出る。暑かった日々の小休止ととるか、仕事に行くのがより一層面倒ととるか。
 どちらにせよ、ため息が出ても家は出なくてはならない。肌寒いと少し気が楽になる。ベッド脇の椅子に掛けてあった薄手のカーディガンに腕を通す。
 ケトルに水を入れて沸騰するまでの間に、顔を洗って髪を梳かす。沸いたお湯をマグカップに移して、時間が許す限り、ゆっくりと飲むのが日課だ。
 鏡に写る疲れた顔と毛先のうねりに、「ハア」とため息をついてしまうのは仕方がない。
 何にも付けないで焼いたトーストとツナが入ったミニロールパンをお皿に乗せて食卓につく。トーストは流行りのちょっとお高い店のやつだ。軽く焼くとバターの香りが引き立つ。
 朝のニュース番組をちらり。音声だけを拾ってツナパンを齧る。ツナの塩味とパンの甘さがちょうどいい。マグカップのお湯をひとくち。うん。まだ熱い。
 昨日の出来事を復習して、今日の予定を予習する。ニュースも仕事も同じだ。
 空いた食器を片付けて、お気に入りのアーティストの曲をかける。アタマとカラダを起こす。
 嫌だ嫌だと世間を非難して、自分を蹴落として、悩んで泣いて、悩んで。自分はひとりじゃないと、光がさして、仲間が助けてくれる。今日の私はどうなるだろう。歌みたいに誰かに助けられたらいいね。私も誰かを助けてあげられたらいいね。
 ストッキングを履いて、ブラウスとスカートを着て歯磨き。顔を洗って軽くメイク。ジャケット。腕時計。ハンカチとティッシュ。いつものバッグ。口紅とファンデーションとマスカラしか入ってないポーチ。A4のファイルと手帳。小さな石のネックレス。
 「これは今日はいいや」
 雨だからいつもと違うことをしたくなった。
 どうせブラウスの中に隠れて見えやしないのだ。
 貰った人にも会うわけじゃない。
 綺麗に着飾りたいと願う反面、めんどくささが表に出てしまう。
 今日が雨だから。寒いから。自分には似合わないとか。タイプじゃないとか。それっぽい理由をつけて諦めてしまう。願うばかりで何もしなければ綺麗になれるわけないのにね。
 マグカップに残ったお湯を飲み干す。ちょうどいい温度になってお腹の辺りがぽかぽかと温まる。ここでワンクッションして、手足の先まで染み渡って行くのがわかる。
 「はああ」
 温かいため息はいいよね。カラダがぽかぽかする。
 でも、マグカップの縁についた口紅を見つけて急下降。
 ほら、そういうところだって。詰めの甘さ。違う意味のため息が出るよ。


 ふっと目を開いた。窓の外からしんしんと降る雨音に呼び起こされた。連日の急務に体がついていけなくて、夜はぐっすり眠ってしまう。
 朝も起きるのは辛いのに、今日はすぐに目を覚ますことができた。しかもいつも起きる時間より早い。
 キアはゆっくりと寝台から体を起こして、カーテンを開けた。
 「雨だ…」
 それも結構な本降りだ。雨粒が窓にいくつも体当たりしていた。水量がすごい。地面に大きな水溜りができていた。
 今日は花祭りの最終日だというのに、こんな雨なら中止だろうか。宿屋の周りの木々や花々が、たっぷりと雨露を含んで重そうに頭を垂れていた。
 それに新月の儀式もある。人がいなければ、ゆっくりとキハラに会えるだろうか。接近禁止令が出てから三日目。ずっと我慢してきたのだ。
 「早く会いたいな」
 好きな人を待つそれと良く似ている。恋焦がれている。
 キハラを想うと気持ちが上向きなる。ギュッと張り詰めていた気持ちがほろっと解けて行くのだ。
 たまに、「重い」だの「うっとおしい」だのといった辛辣な御言葉も貰うのだが、それでさえも嬉しいのだ。
 「早く会いたい」
 今日は雨が続けばいいと思った。
 キアは、寝間着から平服に着替えた。髪の毛を一つに結ぶ。長いから輪に通すまでがやりにくい。キハラの湖と同じ色をした髪の毛はもう、腰の辺りまで伸びていた。
 そろそろ切りたいなと思っていた。落ち着いたらナノハに頼もうかと考えている。
 「おはようございます」
 厨房に声をかける。ナユタが朝食の準備をしていた。
 「おはよう。早いじゃないか」
 ナユタは普段から早起きだ。ナノハよりも一時間は早く起きて料理の仕込みを始めていた。
 「雨音で目が覚めてしまって」
 私も手伝いますと言い、手を洗って芋の皮むきを始めた。
 「ああ。今日はよく降ってるな」
 「今日は花祭りの最終日ですよね。こういう日でもやるんですか?」
 「もちろん。今日まで祭りをやると宣伝もしてるからね。雨だから中止というのも不誠実だろ」
 雨露に濡れた花が好きだと言う人もいるんだよと教えてくれた。
 「そうですね」
 普段とは違う表情かおが見えるのも楽しみの一つだという。
 「じゃあ。お客様が帰った後に儀式を始めるんですね」
 「…ん?…ああ!そうか!今日は新月か!!」
 「…忘れてました?」
 「ああ。すっかり」
 ナユタは皮を剥いていた芋を床に落とした。
 「ここのところ忙しかったから、すっかり忘れてたよ」
 儀式を覗こうとする家族のことで、村中騒動が起きていても、根底の儀式を執り行う方を忘れてしまっていた。
 「ああ。そうだね。儀式儀式」
 ナユタは落とした芋を洗い、ザルに置いた。流れのまま窓の外を見る。先ほどより強い雨足になっていた。
 「こういう日ほどアイツは機嫌が悪いから気をつけなね」
 「えっ」
 「こんなにもたくさん雨が降ると土が泥濘むだろう。足跡がくっきり付くし、ぐちゃぐちゃで見た目も悪い。自分が飛び回る時に体に泥が付くのも嫌みたいだし」
 「…ああ。それは誰でも嫌ですね」
 「まあ。心配していた覗き客も今のところ動きはないし、心配しないでいいんじゃないか」
 「…そうだといいんですけどね」
 一度聞いてしまった不穏な言葉はそう簡単には拭えないものだ。キアは俯きがちになる。
 自分に降りかかるだけのことなら、そう心配もいらないのだけど、対象がキハラだと思うと気が気じゃない。
 「キハラを怒らせたくないんです」
 負担をかけたくない。負担になりたくない。
 「新月の儀式は、ヤツの鬱憤払いみたいなもんだからなぁ」
 キハラは、旅人の足跡や感情の良し悪しで森の中をベタベタにされるのが我慢できないのだ。
 月明かりがない新月の夜に、住処から抜け出し、森中の跡を消して回るのだ。
 「今日の時点でだいぶ怒っているだろうよ」
 ナユタはあっけらかんと笑った。
 「笑い事じゃないですよ!」
 キアは唇を尖らせた。
 「ハハハ。大丈夫大丈夫。気にしない気にしない。ゆっくりいこうよ」
 ナユタはキアを宥めるように笑い、肩の力を抜くように諭した。
 賽の目に切った芋を鍋に移し、他の野菜と炒め合わせた。表面に少し焼き目がついたら水を入れ、スープの素となる香辛料を入れ、塩胡椒。沸騰するまでコトコト煮る。野菜が煮えたらミルクを入れる。
 木の実や干した果実を練り込んだパンを焼く。少し厚めに切った肉を塩胡椒をして焼く。
 「今日は客足も少なそうだから、ゆっくり食事をとろう。雨のせいで肌寒いだろう。後で足湯を用意してあげるよ」
 ナユタはゆっくりと鍋をかき混ぜた。
 二階からナノハの声がした。気怠そうな声だ。
 雨のせいで寒気がするという。起き上がるのも辛いと言う。連日の疲れも溜まっているせいで無理もない。
 「早速足湯の出番かな」
 ナユタはキアに鍋の番を代わってもらい、足湯の準備を始めた。
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