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第2章
16 合永絵麻(5) 追憶
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「私、変なのかな」
「何がだ」
「お母さんのことを大事に思っているはずなのに、言葉にするとなんだか雑というか粗暴になる。どうでもいいみたいな感じに聞こえる」
「…どうでもいいとは聞こえないが、昔の記憶を辿っているなら尚更、その時々で温度差は変わるんじゃないか。同じ思い出でも感情の入れ方でどうとでも捉えられるだろう。今のお前はあまり語りたくないんじゃないか」
無理に話させて悪かったなとシャドウは絵麻が注いでくれたお茶を口に含んだ。数種類の葉をブレンドして煎った茶は、今まで飲んだことがない味がした。苦くて渋い。
「…そうなのかな」
絵麻はしゅんとして肩を落とした。
母との思い出は今となってはかけがえのないものだ。
「13歳の誕生日」は二度とない。母との記憶もこれまでだ。私はきっと「13歳の誕生日」を境にこちらに来てしまったのだ。
「…それでお前は、影付きなのか?」
シャドウは絵麻を見つめた。絵麻は、ザザや王都の人間には見えなかった。大陸から渡って来たとも考えたが、名前のイントネーションが雪とよく似ていた。
「んん?何て?影って…言った?」
ごめんなさい、よく聞き取れなかったと絵麻は耳に手を当てた。
「王都では、他世界から来た者を影付きと呼ぶのだ。俺はその影付きを城に案内する役を務めていた。…昔。今はもうしてないが」
シャドウは目を細めた。
「んー…。影付きっていうのはわからないけど、私はここじゃない世界にいたことは確かです。もうずっと前にここに来ました」
誕生日の後。何日か経った頃だ。
「ずっと前?」
…雨の日で。放課後。委員会が終わった後、急に雨が降って来た。みんなが傘がなくて困っていたのに私だけが折り畳み傘を持っていた。
母からのプレゼントだ。柄がひどいやつ。目に突き刺さるような黄色い傘だ。恥ずかしいのと、私だけが傘をさす後ろめたさで、させずにいた。
案の定、男子に揶揄われて…
絵麻は思い出しては口をへの字に曲げた。
「その後は?」
「その後…は。仕方がないから、通学鞄を雨よけにして走って帰りました。黒のリュックサック。教科書とかジャージとか入れてて超重かった」
絵麻の頭の中には、その時の情景が浮かび上がって来た。パンパンに膨れたリュックサックを頭の上に掲げるのは大変だった。
校門を出てすぐに曲がり角がある。そこを過ぎて信号を渡って、しばらく住宅街の中を行ったら見えてくる古い二階建てのアパート。外壁塗装だけでもしてくれたら、他の住宅と僅差なく見えるのに。雨の日だと余計に古ぼけて質素に見える。
絵麻の住む地区は、市の区画整理が進み、新しい戸建ての家が何軒も建ち並んでいた。
「住宅街に入ると雨が弱くなって来た。走るのも疲れたから、途中から歩きました」
衣替えをして長袖ブラウスから半袖ブラウスになった。おしゃれに敏感な子はポロシャツに変えていた。白ならばどちらでもいいのだが、絵麻はブラウスを着ていた。雨粒が布地に入り込む。生地が薄いからすぐに肌に染みて来た。ポツ、ポツと。ボタンより小さな雨粒。直に雨が止んで来た。
「空を見上げると太陽が顔を出していた。暗い雲が次第に明るく見えました」
雨よけにしていたリュックを頭の上から外して、手元に持ち替えた時、道の先から母らしき人影が見えた。やっぱり母でした。傘をさしてない私を見て不思議そうな顔をしていた。
梅雨時だから、折り畳み傘は常に持っておきなさいが口癖だった。
それを毎日のように言って、リュックの奥に押し込んでいた。ある時はちゃんと入っているか確認しようと私に無断でリュックを開けていた。勝手に見ないでと言えば、確認だよと笑って済ます。
雨が降るたびに繰り返される文言に、私はちょっとイライラしていたのかもしれない。
「かもしれないじゃなくて、その通りだろうが」
窓枠の辺りにいた魔女があくびをしながらボヤいた。
「そう、そうだ。毎日同じことを繰り返してくる母の言葉にイライラしていたんだ」
だから、
絵麻の言葉の語尾に力が入ったのにシャドウは気づいた。
「向こうから、傘ないの?ほら見たことかと言わんばかりに笑っていた母が」
憎らしく思えた。
いつまでも子ども扱いをする母に嫌気がさした。
傘は持っていた。でも、ささなかった。何でかわからないの?
「あんな趣味の悪い真っ黄っ黄の傘なんてさせるわけがない!!小さい子じゃないだから恥ずかしいよ!」
「…そう、言った。母に。目の前で」
母がにやにやして笑っていたから。
母との距離は20メートル位か。離れていても、こわばっていく様子がよく見えた。
誕生日プレゼントに用意してもらった折り畳み傘。仕事が忙しい母が、一生懸命に悩んで選んでくれた気持ちを私は蔑ろにしたのだ。
一瞬にして空は雨空に逆戻り。ワイパーで拭っても拭いきれないほどの雨粒に私は飲まれた。
「…気がついたら母はいなくて、私も地面に横たわっていました」
土まみれの乾燥した場所で他には何にもなくて、小石と砂だらけで暑くて干からびそうだった。荒野と呼ぶのに相応しい場所だった。足元にはリュックが転がっていた。
「これ、異国の者よ。この日照りをなんとかできんか?」
「…は?え、誰…ですか」
すぐ側に男の人がいた。髪が長くて背が高く、上半身は裸だった。足元は靴もなく裸足。
「…こんな場所で肌の出しすぎは危険ですよ。紫外線を当たり過ぎると発疹が出て痒くなってしまうし、水膨れになって皮が剥けてしまいますよ」
父がそうだった。だから夏でも暑くても長袖を着ていた。
「ほう。そんな考えもあるのか」
絵麻は起き上がってリュックを開けた。体育着の上を男の人に渡した。
「これはなんぞや」
「体育着です。前を開けて腕を通してください」
「ほう。なんぞ窮屈なものだな」
袖は男の五分丈くらいにしか入らず、もちろんチャックもしまらなかった。
「サイズが合わないのは仕方ないです。でもないよりマシです。あとは」
ガサゴソとリュックの中を探って体育館ジューズを取り出した。
「これもサイズが合わないけど履いてください。つま先だけでも突っ込んで」
「こんな布キレじゃのうて、もっとええもんがあるじゃろうが」
男は絵麻と一緒になってリュックの中を覗いた。
「ちょっと…」
今の今まで気さくに話していたが、どこの誰かもわからない男に、荷物を探られるのは内心穏やかじゃなかった。
「ええもんあるじゃのうて」
男は折り畳み傘を手に取った。
「あ…」
「これはカサというんじゃろ?これをさせばこのギラギラ太陽からも避けられるじゃろうて」
「ちょっと、勝手に触らないで!」
「お前はさせんと喚いていただろうが」
「は?何で」
母への文句がこの男に知られているのだろうか。
「これはどう使うのか」
男は、傘を手にしたはいいが扱いに困惑していた。とりあえず外カバーは外せたものの、傘を構成している一本一本の骨に苦闘していた。
「お前なら簡単に扱えるだろうが」
「…」
「何が気に食わんのかの」
「…うるさい」
「お前の為に用意してくれた物だろうが」
「…黙って」
「いつの時代も母という人種は苦労者だな」
「わかったような口をきかないでよ!なんなのよ!」
「ワシか?少なくとも母でもなくお前でもない」
「そんなことわかってんのよ!茶化さないでよ!」
「母であり父でありお前でもあり。この大地でもある」
「はあ?」
「お前がわからぬ事はこの大地で解いてみせよ。この世の理に無駄なことなど無いのだ。悩んで足掻いて嵌ってからでも遅くはない」
「何の話…」
「こんなシャレたものをくれた礼じゃ。好きなだけ悩むといい」
男は苦戦の末、ポンと傘を広げた。真っ赤に燃えついていた空の下に黄色の蕾が弾けた。勢いよく振った炭酸ソーダみたいに。泡がポンと弾けて広大な大地に広がった。男の顔に黒い影が落ちた。
「おお。ここだけ日照りがおさまったわ。こんな大層なものを使わずにいたらもったいない。お前の代わりにワシが使ってやるから安心しろ」
「勝手なこと言わないでよ。それはお母さんが私にくれた物よ!」
「使わずに仕舞い込んどるぐらいならワシが使ってやろうというんじゃ。有難いと思わんか」
男は絵麻の頭を押さえ込むように手を当て、一瞬だけグッと力を込めた。絵麻はムカっ腹で男の手を振り払おうと腕を伸ばした頃には、誰の姿もなかった。
ただ、一人で立ちすくんでいた。
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