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第2章
9 少女と魔女(1)
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「好きな女を探しに来たって?そりゃめでたい話だねえ」
「いいわよねー。どストレートな愛の言葉!言われてみたいものだわ!!」
シャドウとエマの間にはマヌエラが座り込んでいた。マヌエラは頬を赤く染めてエマのグラスに酒を注いでいた。
「おや、ありがとうね。さ、お前さんもぐいっといきな。あたしの奢りだ」
「やだ、いいの?ありがとう!いただきまーす!」
お客さんに奢られるなんて悪いわと言いつつ遠慮ゼロだ。
マヌエラは慣れた手つきでグラスを傾けた。
「メリメリ十年ものよ。口あたりはさっぱりだけど喉元を通り過ぎていくとピリッと辛さがあるのよね。最高だわーー」
ふぅ~と鼻から抜けていく酒の香りに、エマの瞳はとろんと溶けた。ふふふと笑みがこぼれる。
左にいるエマから目を逸らし、右側にいるシャドウに顔を向けた。回転椅子の反動でシャドウの体に体当たりした。
「おっとと、ごめんねぇ。お兄さん。お兄さんも飲もうよー」
ケラケラと笑うマヌエラに、シャドウは少々げんなりしていた。グラスの酒が服に撥ねるわ、体当たりされた箇所を謝るわけもなく、ぺちぺちと叩いてくる。こんなやりとりが既に2、3回行われていた。その都度シャドウは、グラスの口を手のひらで覆った。
「酒は飲めんと言ってるだろう」
ただでさえ自分のことを話のネタにされているようで面白くないと言うのに。
シャドウの顔色が曇る度に、カウンターからドエドが顔を出し、マヌエラに声をかける。
「こらマヌエラ!兄さん困ってるぞ!」
「もう~、お兄さんつれないんだあら~」
ドエドの声に反応するも、絡み酒は止まらない。
「…飲み過ぎなんじゃないか?」
呂律が回ってない。
「全然だよ!少ないよ!いつもはこの倍は飲んでるわん!わんわん!」
カウンターには栓の空いたハーフボトルが何本もあった。メリメリの瓶の他にもムリムリ、レルギ、スーシア…。どれもアルコール度数はあまり高くない。匂いだけで悪酔いするガリウとは違う。シャドウは酒の側にいても酔うことはなかった。マヌエラの奇襲以外は。
「…あなたも強いんだな」
シャドウはエマに視線を向けた。マヌエラとは対照的にすました顔をしていた。
マヌエラは女性店員二人に抱えられ、店の奥に引っ込んだ。ドエドが…以下略。いつものことみたいだ。
「大したことないよ。うまい料理にはうまい酒が欠かせないものだ。あの子は飲み方が悪い。メリメリ以外は甘い酒だろう?アルコール度数が低くいと飲みやすいから、ついつい口に運んでしまう。色々な種類の酒を飲んでいたら酩酊するのは当たり前だ」
話しながら別のグラスを口に運んだ。
まだ飲むのかと眉間の皺を寄せて訝しむシャドウに、エマは笑った。
「これは水さ。和らぎ水という。酒の合間に飲んでおけば酔いが軽減されるし、料理の味もよりわかる。教えてやったんだが、こちらの人間はそういう飲み方はしないらしい」
エマは水を飲み干した。
「さてと。馳走になったね。ありがとよ」
エマは席を立った。
後ろ姿も背筋がしゃんとしていた。足元もしっかりとしている。杖をつくも、杖に頼っている歩き方ではなかった。マヌエラと同じくらいの酒を飲んでいたにもかかわらず、酒に酔った素振りは1mもなかった。
シャドウはしばらくエマの後ろ姿を見つめていた。
「やれやれ。やっとお帰りだ。兄さん、あの人に付き合ってもらってありがとう。なんだか悪かったね」
ドエドは、カウンターから出てきた。食べ終わった食器類を片付けてテーブルを拭いた。
「悪い人じゃないんだけど、ちょっとクセがあるよね。マヌエラと絡むとタチの悪さが倍になる」
嫁の酒癖の悪さも頭が痛い問題だ。ドエドの乾いたため息に、シャドウは自分のことを言うのはやめにした。
「常連客のようだが?」
「うん。いつの間にか、ね。ほんといつの間にか…」
歯切れの悪い言い回しにシャドウは首を捻った。
「どうかしたか?」
「いやあ。あの人いつ頃からここに来ているのかなあって。…思い出せないや」
昔から馴染みがあるようにも感じるが、名前以外の素性は知らなかった。
ドエドの考えこむ姿を見て、シャドウも黙ってしまった。
*
「久々に他所の人間に会えたが、既に目当ての女がいるようだ。とんだリア充だな。酒が飲めんのが惜しいよな。お前のことは知らなそうだぞ。残念だったな」
エマは外套のボタンを外した。外套の後ろ側が弧を描くように広がり、フードからとかげの顔が出てきた。エマの背におんぶされていたとかげが両翼をバサバサとはためかせた。
緑色の瞳と金を帯びた赤褐色の小型とかげ。人語を話す獣人だ。
食事処でマヌエラと酒を飲み交わしていたのはとかげの方。体の持ち主がエマという少女だ。赤朱色の髪をひとつにまとめ、半袖の裾の長い上衣と細身のパンツを履いていた。
「別に構いませんよー。あー!もう重い!魔女さん食べ過ぎ!」
魔女はとかげのことだ。エマは、とかげを振り払うように体を引き離した。とかげの足の爪が肩口に引っかかってなかなか取れない。エマがワタワタする間に、とかげは翼をはためかせて天井の梁まで飛んだ。
騒がしいやつだと呆れ顔だ。
「メシはお前が食べてるだろうが。あたしは酒だけだ」
「そうですけど、これ肩が凝るんですよ!次はちゃんと二人で行きましょうね」
二人羽織は限界だ。
「したら倍金がかかる」
「それが普通です!」
エマは身軽になった肩をぐるぐると回した。小型とはいえ5キロもあるとかげを2時間以上おんぶしていたら二の腕もパンパンだ。食事の間は座っていられても、体は休まらない。
「いけないことをしてるって自覚してくださいよ。それにずっと黙りっぱなしで退屈なんですもん」
「酔っ払いの世話なんぞお前に務まるか」
「酔っ払ってない人だっていたでしょう?隣の人。お酒飲めないって言ってましたよね?」
「酒は飲めんが女付きだ。諦めろ」
「どういう意味ですかっ。お話したいだけですよ」
エマはぷうーっと頬を膨らませて魔女に向けた。
「それが餅というやつか?一度食ってみたいものだ」
魔女は梁から急降下して、エマの頬を齧りに来た。
「わっ、ちょっと、やめてくださいよ!イタタタッ!」
「甘噛みじゃ」
魔女はエマの頬や頭に歯を立てる。いくつも歯形が肌の上に残った。髪の毛を結んでいた紐も咥えて飛び上がった。
「痛い痛い!何するんですかー!髪の毛、抜ける!」
地肌を引っ張られる痛みを堪えて、エマは魔女に反抗した。
「もう怒った!今日という今日は許しませんよ!」
「ケケケ」
魔女は知らぬ存ぜぬだ。エマの振り回す腕をひょいひょいと躱していく。
「あたしを捕まえようなんざ、100年早いわ」
本気半分、遊び半分。魔女はエマを怒らせては空中を飛び回る。鬼ごっこだ。毎日の日課だ。
「あ、そういえば手提げがないぞ。どこにいった?」
「え?魔女さんが持ってるんじゃないの?」
二人の動きがピタリと止まった。
エマは頭の中を見回す。店に入る時は確かに持っていた。右手に杖。左手に手提げ。
店を出る時は、右手に杖。左手に…
「忘れてきちゃった?」
「ボケるには早すぎるんじゃないか」
「魔女さんだって。気が付いたら声をかけてくださいよ」
声をかけ忘れたということは二人共、忘れてたということだ。
二人は顔を見合わせた。
「…今夜行くか」
「行くなら二人でですよ」
「はあ?そんな面倒なことできるか」
「さっき約束したじゃないですか!?」
「知らん知らん」
「だったらもうお酒は飲ませませんよ!だいたい飲み過ぎなんですよ。毎日毎日!!」
「それはできん」
「ほら!」
「…二人で行ったら行ったで、今までの無銭飲食を咎められたらどうする?」
「そ、それはこっちが悪いんですから…ちゃんと謝ってお金も払いましょう」
「出禁になったらどうする?ドエド以上に腕が立つ料理人はいないぞ」
「…その時は、その時ですよ。ごはんは私が作ります!」
「おまえの作るメシを食うぐらいなら野ウサギでも捕まえてくるわ」
「どういう意味ですか?」
「言った通りだ」
エマの頬が餅になる。
破裂する直前、いがみ合う二人の間に入ったのはシャドウだった。
「扉が開いてたから入らせてもらったぞ。店に忘れ物をしただろう?ドエドに頼まれて持って来たんだが…」
シャドウの前には人語を話すとかげと少女の姿。
どちらも店で見た姿ではない。
「お前たちは一体…」
「…ちっ。バラす前に関係ないのに見られた。面倒だな。始末するか」
魔女の両眼がギラリと光った。
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