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第2章
4 分裂
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祈ること。心静かに思うこと。主に対する畏敬の念と日々の生活の喜びと憂い。相反する想い。後悔。願い。希望。
リリスは跪き、両手を組み合わせて深々と頭を下げた。透かしベールの向こう側から沈痛な面持ちが現れた。いつものはつらつとした元気だけが取り柄の笑顔の気配がない。
祭壇の天井から差し込んで来た光を持っても、曇った顔は晴れることはなかった。
「辛気臭い顔を見せるな」
とでも誰かが言いそうな言葉が、頭上から降って来た。ベールの端から静電気がバチバチッと音を立てた。
「ひゃあっ!!」
リリスは両手を上げて思わず飛び上がってしまった。耳元でバチバチと聞こえる静電気を払い除ける。それは羽虫を追い払うかのように必死さが見えた。
「す、すみません、すみません!レンガ様!!」
リリスは祭壇に向かって激しく頭を振り、逃げるように駆け出していった。
「…ちっ。どいつもこいつも辛気臭い面しおって。光をなくす気か」
リリスがいなくなった後に、レンガは姿を現した。羽根のようにふわりと天窓から降りてきた。祭壇の上に足を乗せると、どかっと足を組んで座り込んだ。
「巫女も神官も使えない。こんな神殿があるのか?人間共め。力を貸せと恵を齎せと要求ばかりでこちらの願いは聞き入れない。本当に身勝手な生き物だ」
偶像には頭を垂れて、実物には頭を捻る。謂れのない侮辱にレンガは憤る。
子どもの姿でいるのは力を抑えているからだ。身に宿る力は有り余る。抑制しておかないと地上の重力では耐えられない。
「能無しばかりめ」
レンガは自分を卑下している神官や巫女がいることは既に知っていた。その気になれば指先ひとつで雷を落とし、葬り去ることも可能だ。
だが、それをしないのは神殿の再興に人手が足りなかったからだ。先の揉め事で、多くの巫女や神官が去って行った。辞めることなど許されない世界だが、神官が犯した大罪に、耐えられずに信仰も崇拝も廃れて行く者が多くいた。廃れた心を取り戻すには時間が足りなすぎる。
去る者は追わず。来る者は拒まず。
その精神のもと、神殿に残ったのは新参者ばかりだった。中堅層の巫女や神官も、普段はやらない仕事を任され、疲労困憊だ。しかも、天冠を得た巫女は絶不調だ。だから、使えない人材とはいえ、そう易々とクビには出来なかった。
レンガは髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き毟る。
「何が不調だ!天冠の巫女だぞ?何の不満があるというのか!」
思うようにはいかない。マリーの不調ぶりにレンガは唇を噛みしめた。
「駄犬め…」
マリーの不調のひとつ。
レンガは、獣人の少年の姿を脳裏に浮かべて吐き捨てるように呟いた。
*
「あー、びっくりした!レンガ様、急に来るんだもん!」
リリスは未だ心臓の音を跳ねさせていた。頬は熱を帯び、赤くなっていた。両手で仰いで風を送るも、熱はなかなか引かない。汗の粒が今にも額から流れ落ちそうだった。
弾むのは呼吸もだ。足元も危うい。裾の長いスカートを踏んづけて転んだ。
「ゔびっ!」
顔を打ち付けた。不格好な姿に情けないやらなんやら。床の石材が冷たくて、痛みと気持ちを和らげてくれた。
リリスはそそっかしい。神殿に仕える巫女として、立派に努めようという気合いはあるものの、いつも空回りしてしまう。巫女の作法や仕事の段取りなど、毎回、他の巫女に手順を教えてもらっていた。
「早く仕事に戻らなきゃ!」
午後から聖書の読み合わせがある。先輩巫女より前に準備を始めなければならない。
リリスは焦るあまり、さらに足元がもたついた。控え室に戻る間に、もう一度転ぶことになるのはまだ気がついていない。
「私達、出て行くことにしたから」
先輩巫女のイラは、リリスを見るなりこう告げた。
イラの隣にいたミュイも承諾してるという雰囲気で頷いた。
「えっ?」
話についていけない。
「な、何の話ですか?」
控え室に着くや否や、思いがけない先輩巫女の発言に、リリスはぽかんと口を開けたままになっていた。どうにかこれを聞くのが精一杯。聖書の読み合わせの話ではないことは、すぐに理解ができた。
「出て行くってどこにですか?」
外出の許可など聞いたことがない。食料や資材の買い出しなどは、男性が行くものだ。行くにしても近隣の市場だ。駱駝を引いて、背中に荷物を載せて運んでもらうのだ。二人はすでに荷物をまとめていた。肩から下げた布袋は、神殿に来た時と同じものだった。数枚の着替えと乾燥させた捕食品が入った小さな包み。水筒。
「村に帰るわ」
イラは口を開いた。
「私も」「私もよ」
ミュイの後ろにラティーがいた。ラティーも同じ布袋を抱えていた。三人ともリリスより先に入殿した。歳はさほど変わりはなく、髪型や背丈も似たり寄ったり。出身地こそ違うが、皆、マリーが天冠を得てから集められた巫女だった。
「巫女様にお仕えしたかったけれど、今のままでは到底、神殿の再興なんて無理だわ」
イラは、三人の中ではリーダー格だ。発言力もあり、しっかりしている。
「私の村には、まだ幼い弟妹達がいるの。お給金をたくさんもらえるかと思って巫女になったけど、大したことなくてがっかり。これでは弟妹達の食費にも充てられないわ」
ミュイはあからさまに深いため息をついて、ガクッと肩を落とした。
「…私は」
ラティーは胸元で荷物の袋をぎゅっと抱き締めていた。口にするべきかどうか迷っているようだった。
「ラティー?」
リリスは不安げにラティーを見つめた。先輩巫女が三人も同時に辞めると言って気が気じゃない。
「…あんたのせいよ」
ラティーは、近づいて来たリリスを振り払った。
「あんたがカルダン様を怒らせたから!あの方にあんな失礼な態度をとって、どういうつもり?」
「えっ?カルダン様?」
リリスはラティーが辞める理由に目を丸くした。
「あんたみたいな見習い巫女が、司祭であるカルダン様に口答えをするなんて身の程知らずもほどがあるわ!」
ラティーは、地元でも巫女として努めていた。この中では一番信仰心が強く、神官や司祭などとも話ができた。ただ、同じ線上にいるわけではなく、一歩二歩下がった場所で控えていた。自分の身の程を十分に理解していた。
「…あの時は、つい、」
上官であるサリエを侮辱されて、頭に血が昇ってしまったのだ。一介の巫女の態度ではないことは百も承知だ。
リリスは思い出しては、反省するの毎日だった。
「サリエ様は自業自得だわ。本人も認めているじゃない。あんたも知ってるはずよ。なのに、あんな風に反論するなんて、あんたもほんっとバカよね」
イラはリリスを笑い飛ばした。長いおさげ髪の束をポイっと左右に投げた。振り子のように動く髪の束を見て、ミュイもラティーもクスクスと笑った。
「…私のことを笑うのはいいけど、ねえさまを笑うのはやめて!」
笑える箇所など、どこにもない。あんなに自戒の念を込めて猛省している人を見たことがない。己の罰を認めている人を笑い者にすることなど許せるわけがない。
リリスは両手の拳を握りしめ、三人を睨みつけた。
「ふっ。バカな子。仕事を覚えられないあんたにだいぶ教えこんでやったのに」
「恩を仇にするなんてバカな子ね。私達は忠告してあげてるのよ?こんなところ、早く出て行った方が自分のためだって」
「身の程知らず」
三人は口々にリリスを弄った。
バカだバカだと罵り、髪の毛を引っ張り、部屋の隅に押し込んだ。
「放して!」
「余計なこと言わないでよね」
ミュイとラティーは左右の腕を捕まえた。
イラはリリスの顎を掴み、頬に爪を立てた。口をこじ開け、薬草の束を押し込んだ。
「うー!うー!!」
リリスは、自由な両足をばたつかせた。腰を動かし、しがみついているミュイとラティーを振り解いた。リリスは、力だけは強かった。
「ゔえっ!ゲホッゲホッ!!」
口の中に押し込まれた薬草を吐き出して、深く咳き込んだ。
「ほんっとうるさい子!呆れるわ」
「なんでこんな子が巫女になれたのかしら?」
「それだけ、この神殿が切羽詰ってるってことでしょう?ああ、もう。本当無駄足!早く次の職場探さなきゃ」
ミュイは、蹲って咳き込んでいるリリスを蔑むように見つめた。
「あんたも早く次の仕事見つけなさいよ。私達が辞めたら、あんたに仕事教えてくれる人はいないんだからさ」
喉の奥がガサガサしている。薬草が引っかかっているのか。呼吸がし辛い。
リリスは何度も咳き込んでは、引っかかっている欠片を吐き出そうとするも、うまくはいかなかった。苦しくて涙目になる。呼吸がし辛く、ヒュー、ヒューと音が聞こえた。
リリスは床に突っ伏した。石材の冷たさに体温を奪われているようだった。
動けない。
苦しくて。悔しくて。
笑いながら立ち去って行く三人の背中を、ただ眺めていることしかできないのが、ただただ悔しかった。
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