大人のためのファンタジア

深水 酉

文字の大きさ
上 下
110 / 206
第2章

1 涙雨

しおりを挟む

---------------------------------------------

 雨粒を喜びと思うには重すぎた。

「巫女の歌も効きすぎると公害だな」
 今日も今日とてやってきた少年は、テラスから見える景色に悪態をついた。溜息混じりの声は落胆ともとれる。
 砂漠に雨が降り続き、湖と姿を変えていた。
 半年前まで、白亜の神殿の周りは砂漠だった。
 赤茶けて干からびた大地は砂と化し、水の根も花の芽も見る影もない。人間達の欲にまみれた陰謀に翻弄され、神殿は廃墟も同然。信仰心は廃れた。
 だが、崩壊しかけた世界を救ったのは年端のいかない巫女のマリーだった。暴徒化した神官に禁呪をかけられ、本来の姿には遠く及ばず、幼子のまま何年も過ごした。
 人を信じて疑わず、純真な心を持つ少女は、日々花を咲かせるために歌を歌い続けた。芽も付かぬ花の歌を。
 ただ一人の女性と出会うまでは。
 喜怒哀楽の怒哀の部分が抜け落ちていたことに気づいた。人を疑わず。日々を疑わず。何故と疑わず。どうしてここにいるのかと考えもせずに日々を過ごしていた。日が上れば起きて、沈めば寝る。あたりまえのことだと思っていたのに、それは普通ではなかった。あたりまえは普通という答えではなかった。
 意に反したことには怒っていい。大事なものを奪われたら嘆いていい。
 少女はその女性ひとに出会って抜け落ちていた感情を取り戻した。

 花に願いを
 歌に喜びを

 失われたものを取り戻す。生命を奮い立たす歌。
 砂漠化した枯れた大地に、水と光と花を呼び戻す。
 それが目下の課題であり、巫女としての宿命だった。
 「動き出しは良かったのにな」
 調子良く水源を引き当て、水路を確保することができたのだ。砂漠に畝を作り、砂漠にも耐性がある種子を撒いた。
 今じゃこのザマかと少年は呟いた。クセのある物言いに、少年の周りにいた神殿人は顔をしかめた。
 「レンガ様。そのようなことは…」
 声に出さないでくださいとサリエは進言した。
 「ふん」
 含みのある笑いにサリエは顔を曇らせた。サリエはマリーの上官でもあり、姉のような存在でもあった。
 レンガと呼ばれ、悪態をついている少年は、マリーに天冠を与えた少年神だ。体は少年でも年の功ははるかに上だ。ルオーゴ神殿が祀る神。水と光と花の名の下にそれは存在する。下界に来るには少年の姿の方が都合がいいらしい。
 「我に対する畏敬の念をどれだけ持っているか確認できるからな」
 ただの少年と下手したてに見ているものなら、遠慮なく雷を落としてやると楽しそうだ。手のひらの中にはチリチリと雷の赤ん坊のようなものが泣いていた。
 「レンガ様のお遊びにお相手している暇はありませんのよ」
 サリエは悪巧み中の少年神を前に、涼やかな表情で答えた。
 「おう。言うようになったな。女官の分際で」
 「差し出がましく恐縮ではございますが、こちらも暇ではありませんので」
 馬鹿にしに来ている輩に、気をつかうのは馬鹿らしい。サリエは恭しく微笑みを浮かべ、帰るよう促した。
 後ろに控えている神殿人達は、サリエとは真反対に青ざめてオロオロとしていた。
 「普通はあれが人間共の態度ではないのか」
 畏敬の念はどこにいった?
 レンガはサリエを睨んだ。
 サリエは長身を武器に、少年神を見下ろした。神を見上げることは禁忌とされているが、見下ろすことは何も言われていない。人としての態度としては最悪だが、今はどうだっていい。少年に姿を変えたのが裏目に出た。サリエのビジュアルにレンガは押され気味だ。四十を超えても艶のある雰囲気に目を合わせるのもぎこちない。
 「…年増の分際で」
 「はあ?」
 苦し紛れに溢れたレンガの言動にサリエは眉を吊り上げた。
 まるで子どもの悪あがきだ。姿そのもの子どもに成り下がったようで勝負がつくのも時間の問題だ。
 ただ、美貌の中にも綻びがあるのは事実だ。小さな皺にレンガは気付いたのだろう。
 サリエは毅然とした態度でレンガに対応した。姿は【クソ生意気な少年】でも神には違いないのだ。
 カドが立たないぐらいには気持ちを抑えてはいた。肩にかかった髪を手で払う。ふわっとラヴェンの香水が体と髪の毛から香る。芳醇な香りが広間に広がり、刺々しい空間も和らいでいった。
 「まだ何かご用がおありですか?」
 ラヴェンの香りに自身も落ち着きを取り戻した。
 感情のまま振り切っていては元も子もない。
 「…ちっ、巫女はどうした?我がいるのになぜ姿を見せない!」
 レンガはサリエから顔を反らして怒鳴りつけた。
 「巫女は今は伏せっています。この雨が証拠ですわ」
 「はあ?雨だと?」
 ざあざあと降りしきる雨にレンガは眉を寄せた。
 「巫女にはまだ求めているものがあるのです。わたくしどもでは、埋められない心の隙間があるのです」
 サリエは寂しげにテラスの奥の景色を見つめた。

 
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判

七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。 「では開廷いたします」 家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私はいけにえ

七辻ゆゆ
ファンタジー
「ねえ姉さん、どうせ生贄になって死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」  ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。  私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。 ****リハビリに書いたのですがダークすぎる感じになってしまって、暗いのが好きな方いらっしゃったらどうぞ。

ある国立学院内の生徒指導室にて

よもぎ
ファンタジー
とある王国にある国立学院、その指導室に呼び出しを受けた生徒が数人。男女それぞれの指導担当が「指導」するお話。 生徒指導の担当目線で話が進みます。

処理中です...