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第2章
1 涙雨
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雨粒を喜びと思うには重すぎた。
「巫女の歌も効きすぎると公害だな」
今日も今日とてやってきた少年は、テラスから見える景色に悪態をついた。溜息混じりの声は落胆ともとれる。
砂漠に雨が降り続き、湖と姿を変えていた。
半年前まで、白亜の神殿の周りは砂漠だった。
赤茶けて干からびた大地は砂と化し、水の根も花の芽も見る影もない。人間達の欲に塗れた陰謀に翻弄され、神殿は廃墟も同然。信仰心は廃れた。
だが、崩壊しかけた世界を救ったのは年端のいかない巫女のマリーだった。暴徒化した神官に禁呪をかけられ、本来の姿には遠く及ばず、幼子のまま何年も過ごした。
人を信じて疑わず、純真な心を持つ少女は、日々花を咲かせるために歌を歌い続けた。芽も付かぬ花の歌を。
ただ一人の女性と出会うまでは。
喜怒哀楽の怒哀の部分が抜け落ちていたことに気づいた。人を疑わず。日々を疑わず。何故と疑わず。どうしてここにいるのかと考えもせずに日々を過ごしていた。日が上れば起きて、沈めば寝る。あたりまえのことだと思っていたのに、それは普通ではなかった。あたりまえは普通という答えではなかった。
意に反したことには怒っていい。大事なものを奪われたら嘆いていい。
少女はその女性に出会って抜け落ちていた感情を取り戻した。
花に願いを
歌に喜びを
失われたものを取り戻す。生命を奮い立たす歌。
砂漠化した枯れた大地に、水と光と花を呼び戻す。
それが目下の課題であり、巫女としての宿命だった。
「動き出しは良かったのにな」
調子良く水源を引き当て、水路を確保することができたのだ。砂漠に畝を作り、砂漠にも耐性がある種子を撒いた。
今じゃこのザマかと少年は呟いた。クセのある物言いに、少年の周りにいた神殿人は顔をしかめた。
「レンガ様。そのようなことは…」
声に出さないでくださいとサリエは進言した。
「ふん」
含みのある笑いにサリエは顔を曇らせた。サリエはマリーの上官でもあり、姉のような存在でもあった。
レンガと呼ばれ、悪態をついている少年は、マリーに天冠を与えた少年神だ。体は少年でも年の功ははるかに上だ。ルオーゴ神殿が祀る神。水と光と花の名の下にそれは存在する。下界に来るには少年の姿の方が都合がいいらしい。
「我に対する畏敬の念をどれだけ持っているか確認できるからな」
ただの少年と下手に見ているものなら、遠慮なく雷を落としてやると楽しそうだ。手のひらの中にはチリチリと雷の赤ん坊のようなものが泣いていた。
「レンガ様のお遊びにお相手している暇はありませんのよ」
サリエは悪巧み中の少年神を前に、涼やかな表情で答えた。
「おう。言うようになったな。女官の分際で」
「差し出がましく恐縮ではございますが、こちらも暇ではありませんので」
馬鹿にしに来ている輩に、気をつかうのは馬鹿らしい。サリエは恭しく微笑みを浮かべ、帰るよう促した。
後ろに控えている神殿人達は、サリエとは真反対に青ざめてオロオロとしていた。
「普通はあれが人間共の態度ではないのか」
畏敬の念はどこにいった?
レンガはサリエを睨んだ。
サリエは長身を武器に、少年神を見下ろした。神を見上げることは禁忌とされているが、見下ろすことは何も言われていない。人としての態度としては最悪だが、今はどうだっていい。少年に姿を変えたのが裏目に出た。サリエのビジュアルにレンガは押され気味だ。四十を超えても艶のある雰囲気に目を合わせるのもぎこちない。
「…年増の分際で」
「はあ?」
苦し紛れに溢れたレンガの言動にサリエは眉を吊り上げた。
まるで子どもの悪あがきだ。姿そのもの子どもに成り下がったようで勝負がつくのも時間の問題だ。
ただ、美貌の中にも綻びがあるのは事実だ。小さな皺にレンガは気付いたのだろう。
サリエは毅然とした態度でレンガに対応した。姿は【クソ生意気な少年】でも神には違いないのだ。
カドが立たないぐらいには気持ちを抑えてはいた。肩にかかった髪を手で払う。ふわっとラヴェンの香水が体と髪の毛から香る。芳醇な香りが広間に広がり、刺々しい空間も和らいでいった。
「まだ何かご用がおありですか?」
ラヴェンの香りに自身も落ち着きを取り戻した。
感情のまま振り切っていては元も子もない。
「…ちっ、巫女はどうした?我がいるのになぜ姿を見せない!」
レンガはサリエから顔を反らして怒鳴りつけた。
「巫女は今は伏せっています。この雨が証拠ですわ」
「はあ?雨だと?」
ざあざあと降りしきる雨にレンガは眉を寄せた。
「巫女にはまだ求めているものがあるのです。私どもでは、埋められない心の隙間があるのです」
サリエは寂しげにテラスの奥の景色を見つめた。
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