大人のためのファンタジア

深水 酉

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第2部 第1章

13 迷い子達 (3)

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 「ゆっくりでいいから、指の関節を動かしてみて」
 アンジェの指示に、キアは恐る恐る指を曲げた。親指から小指まで順繰りに両手十本。第一関節をゆっくり動かし、軽く握り拳をつくって見せた。
 「うん。指は平気だな。次は肩を見せて」
 アンジェは、泥だらけで倒れ込んでいた私を見ても、多くは聞いて来なかった。まるで一連の流れをどこかで見ていて、すべてを把握しているかのようだった。
 テキパキと荷物の中から包帯や薬剤を取り出し、ひとつひとつの怪我の箇所を入念にチェックしていた。
 右回しと左回し…。腕を伸ばして、曲げて…。
 アンジェは、キアの体を支えるように背後に座った。
 「私に寄りかかっていい。楽な姿勢をとるといいぞ」
 「…ありがとう。でも、触れると痛くて」
 衣服が肌を擦れるのも痛いのだ。
 「幸い骨には異常はないようだ。でも打撲と擦り傷がひどいな。手当をするから服を脱いでくれ」
 キアは腕を腹の前で交差し、上衣を脱いだ。上衣は、白地に浅く開いたV字の襟元に蔓草の刺繍が入っていた。刺繍もナノハの趣味だという。せっかく用意してくれた服もバッグも泥だらけだ。一体何をしているのだろう。今日は何をしに森に来たんだろう。
 キアは茫然としていた。
 「…あきれてるでしょう」
 キアは怪我の手当てを黙々としているアンジェにぼそりと漏らした。
 「…は?…なぜ?」
 アンジェはやや驚いた表情を見せた。フードの下の重たそうな前髪の奥でぱちぱちと瞬きをしていた。
 「だって、何も聞かないから」
 「…何も聞かないからと言って、あきれているとは限らないだろ」
 「それもそうか…」
 アンジェに八つ当たりしてるみたい。ダメだな。
 キアは自暴自棄に陥っていた。何をやってもうまくいかない。
 「…確かに。聞いていいものかどうか、聞きあぐねてはいるが…」
 普段から言葉を選んだりしないアンジェでも、キアの今の状況を真っ正面から尋ねていいものか考えていた。体には、擦り傷や、肩や背中に内出血の痕をいくつも残していた。
 「そう…」
 「仕事を終えて門所で待っていても、なかなか来ないから心配していた。ナユタはそのうち来るよと言って門守と話し込んでいる。しかし待てど暮らせど、後続が来ない。キアもアドルもシダルばあさんもムジも!一体何をしていたんだ?そうこうしてたらアーシャはぐずって下道を走って行ってしまったから、追いかけてきたらキアを見つけたんだ」
 アンジェは、薬剤を包帯に塗布しながら話を続けた。
 「下道?」
 「ああ。ここが下道。上は山道。山道は、村の人間や旅人が通る道だ。ピーク時は道幅いっぱいに広がるから、アーシャを連れているときは最後尾につくしかない。しかし急いでる時なんかはこっちを使う。道が整備されてないから足元は悪いんだが、草花が多い。薬剤の材料もあるし、虫も多いからアーシャのお気に入りだ」
 アンジェはアーシャのいる方向に顔を向けた。アーシャは草花の間から飛び立つ羽虫や蝶などを嬉しそうに追いかけていた。
 後ろには小川が流れていた。キハラが棲む湖から別れた支流だ。澄んだ水の流れに川底が見える。表面が丸い小石が整然と並び、小魚の群れがゆらゆらと泳いでいた。
 「…きれい」
 きれいな川に泥と傷だらけの姿が映る。
 服もストールもバッグもぐしゃぐしゃだ。落ちた衝撃で角がほつれてしまっている箇所もある。正反対の姿にキアは溜息をつくしかなかった。
 「水も森もきれいなのはキハラのおかげだ」
 アンジェは子どもの頃からこの村に住む。子どもの頃からこの言葉を聞かされて育ってきた。
 平和で安穏な生活を一生続けるのが理想だとキハラは言う。
 欲を捨てろ。多くはとるな。手を加えずありのままを受け入れろ。天命に従え。
 「天命…」
 今になって、シダルばあさんが夜鳴き鳥の雛を放っておけと言っていた意味がわかった気がした。
 「助かっただけでも奇跡なんだから、手を加えず置いておけと言いたかったんだね」
 間違いではなかった。ムキになっていたのは私の方だった。
 「まあな。王鳥とはいえ野鳥だから、野鳥には手を出してはいけないんだよ」
 雛は時折弱々しい声を上げた。
 「…助かる?」
 「一応、羽根は固定しておいた。治るまでは私が見ていよう。治る頃に森に帰しに行くよ」
 アンジェは雛をウエストに付けていたバッグの中にそっと入れた。
 「帰す時は私も行っていい?」
 「いや。情が移るといけないから、キアは来ない方がいい」
 「そう。…残念だな」
 「キアは優しいな」
 アンジェは微笑んだ。
 「…知らなかったとはいえ、私、おばあさんにひどい態度をとっちゃったんだね」
 「私もね。頭ではわかっていても、こう薬だ、医者だのの仕事をしてると、放っておくもの忍びないんだ。キアが見つけてくれなかったら私が助けていたかもな。見捨てられないのはキアの優しさだ。気にかけてくれてありがとう」
 アンジェは、悪いことなんかじゃないよとキアの頭を撫でた。
 「ばあさんのことは怒っていいと思うぞ。いくらなんでもやり過ぎだ。打ち所が悪かったら死んでたぞ。何でも受け身でいることはないんだぞ」
 「…受け身でいるわけじゃないよ。何度も異質者と言われてムカムカしてたし。ただ、言い返すのも何をどう言っていいかわからない…」
 私にはシダルばあさんの言っていることがすべて当てはまる。何も考えずに、わーっと怒鳴り散らしたいが問題の解決には至らない。勘違いを謝りたくても、その言葉さえ、詰まる。
 「まあな。あの人は変化を嫌うから、新しいことについていけないんだよ。宿場の村とはいえ、宿屋の人間じゃなきゃ旅人にも滅多に会わない。キアみたいな人に出会うのも初めてだから、多分頭が追いついてない。手っ取り早くキアを追い出そうと考えて、異質者と言い出したんだな。この雛もそう。面倒な事には関わりたくないんだ。あのばあさんを言い負かすのは並大抵の努力では行かないよ」
 私もよく負けたとアンジェは苦笑いをして頭を抱えた。一筋縄ではいかない。
 言われてることは全て当てはまる。間違いを探す方が大変だ。
 だが、私も知りたいのだ。自分の過去を。私がどこで何をして、どう生きてきたかを。
 そして未来を。どこを目指し、どう生きていくのかを。私自身が知りたい。
 「だけど、言われっぱなしは嫌なの。どうしたらいい?どうしたら、異質者だと言われなくなるかな?」
 キアは食い気味にアンジェに詰め寄った。
 「…ふむ。(目が本気だな)手っ取り早い方法は、やはり番の仕事を全うすることかな。ナユタから聞いたか?儀式の方法を」
 もうじきに新月だ。そろそろキハラのイライラもピークが来ているはずだ。
 アンジェは空を見上げた。山道とは違い、下道は木々が拓けていた。澄んだ青空の中に、猫の爪ほどにしかない細い月が見えた。昼間の白い月。足元がおぼつかなくて立ち上がれない雛みたいに弱々しさを感じた。
 「ううん。まだ何も」
 「余裕だな。そんなに時間があるわけじゃないぞ」
 「えっ!そうなの?」
 ナユタがピクニックをしながら教えようとしていた。が、未だにピクニックらしいことは、何ひとつできていない。
 「今晩あたりから準備を始めると思うぞ。そのつもりで」
 「うん。でも、どうやっていいか分からないよ」
 「簡単なことだ。キハラの補佐をしてあげればいいんだよ」


           *

 【まだか、まだか、】
 【まだ月は消えぬか】
 【体が痒くてたまらない】
 【ああ、早くここから抜け出して体じゅうを掻きむしりたい。岩肌に体を擦り付けて、旅人達に踏みならされた痕を刮げ落としたい。木の上まで登って、鬱蒼としている枝を切り払うか。たまには陽の光を浴びて日光浴でもしたいものだ。ついでに澄まし顔の夜鳴き鳥を驚かせてやろうか】

 キハラは森と湖の主神だ。
 森と湖の中で起きたことはすべて把握している。
 旅人が何十人通ったとか。何を話し、何の情報を得たとか。何を落とし、何を拾ったのか。 
 人ではない者が何人通ったのか。商談や取引きの内容まで様々だ。
 【今の番はあいつか。あいつにこの役目が務まるのか。手を貸すか?だが、いつまでも泣きべそをかいたままではいられない。これも使命。番の役目だ】
 【しっかりやれ】
 キハラは瞼を閉じ、瞼の裏でキアを想った。
 【今日は気配が薄い。村にはいないのか。そうか、門所に行ったのだな。オレのことばかりでなく森の中を見て回ることも大事だからな】
 キハラは、大きな体をゆっくりと動かし泳ぎだした。
 キアは、これを乗り切れば、確実に番としての存在感を発揮できる。いつまでも【異質者】などと呼ばれては欲しくないのだ。
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