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第2部 第1章

12 迷い子達(2)

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 小さな体が震えていた。寒さで体を縮こませているのではなく、突然の出来事に驚いて正気を保てないようだった。ひくつく体にキアは手を伸ばした。
 「汚らわしい手で触るんじゃないよ!」
 横っ面を叩かれたかのような厳しい声が、キアの行動に待ったをかけた。キアは声がした方向に瞬時に顔を向けた。古びた杖に、萎びた両手を掛け、その上に顎を乗せて嗄れた声で怒鳴りつけてきたシダルばあさんがいた。
 「どうしてここにいるんですか?」
 ナユタ達とずいぶん前を歩いていたはずだ。突然現れたシダルばあさんに、キアは驚いていた。
 シダルばあさんは、吐き捨てるように「足が疲れた」だの、「腰が痛い」だの、「アドルが役に立たない」などと暴言を垂れ流した。
 「そんなことより、それはお前のような者が触れていいものじゃないよ!お下がり!」
 シッシッと小虫を払うかのような手振りをキアに向けた。
 「それは王族に仕える貴重な鳥だ。お前のような」
 「…なら、おばあさんが助けてくれますか?」
 三度も同じことは言わせない。キアは食い気味にシダルばあさんを前に口を開いた。
 「何で私がそんなことをしなけりゃならないのさ」
 「何でって…、このまま放置していたら、いずれは死んでしまいます。貴重な鳥だというなら、すぐに手当てをしないと手遅れになります」
 「そのうちナユタかアドルが来るだろう。二人に任せればいい」
 「二人が来るまで何もしないのですか?」
 「なら、アンジェに薬を貰え。人間用でも何とかなるだろう。それに自然に落ちたなら、それがそいつの天命なのさ。下手に手をかけて生き延ばしたとしても、あの高さから落ちたんだ。飛べるはずがない」
 シダルばあさんは、杖の先を木の上に向けた。
 キアも目を向けた。枝や葉が重なっていて、その先は見えない。遥か遠くの先の方だということはわかる。夜鳴き鳥は、木の一番高い位置に巣を作るのだとムジが話していたのを思い出した。そんな高い場所から落ちて来たのだから、シダルばあさんの言っていることは正しいと思う。巣ごと落ち、羽根が曲がってしまった雛は長くは保たないだろう。確かに助かる高さではない。人間でも同じ高さから落ちれば命が危ない。
 だけど。たとえそうだとしても。
 命が尽きるまで、みすみす放置しておくことはできない。
 「寿命だとしても放っておきたくありません」
 キアはシダルばあさんを無視して巣の前に膝をついた。雛はまだ震えが止まっていなかった。
 「触るなと言うのがわからないのか!」
 ドンッと杖の先で背中を小突かれた。何度も。何度も。ねちねちと。
 「やめっ、」
 いい加減にしてほしいと言わんばかりにキアは体を捻って立ち上がった。キアは肩に羽織っていたストールを外し、巣ごと雛を包みあげた。
 「素手では触ってません。これならいいですね!」
 いい加減むかついてきていた。貴重な鳥だとか言いながら寿命だと決めつけて、助けもしない傍観者。そのくせ人のやることには反論ばかり。キアはシダルばあさんに背を向けた。
 「この生意気な異質者め!」
 シダルばあさんは杖を振り回しながらキアに詰め寄った。
 「何て態度をとるんだい!目上の者に対する口の利き方がなってないよ!!ナユタが甘やかしてるからって、ここはアンタがいる場所ではないんだよ!さっさと出て行きな!!」
 「…」
 シダルばあさんが振り下ろした杖はキアを打ちのめした。両手で巣を抱えているため避けきれなかった。体を捻り直撃を躱すも、腕や肩に何度も当たった。杖だけではなく、言葉でもキアを潰しにかかる。
 今まで村人たちの謂れなき無言の視線を何度となく浴びて来た。最近では、嫌でも多少の耐性が付いてきた。しかし、真っ正面から「異質者」と暴言を浴びせられるのは今日が初めてだった。
 頭の中が真っ白になった。目の前も真っ白。ついでに足元も崩れた。杖の先で胸を突かれたのだ。態勢が崩れ、斜面を滑り落ちていった。声を上げる余裕もなく真っ逆様。両手が塞がっていた為に受け身すら取れなかった。ゴツゴツと小さな石が背中を刺してくる。肩口から尻の辺りまでべったりと湿り気のある粘土質な土に覆われた。木か岩に体がぶつかり、漸く落下していた体が止まった。打ち付けられた衝撃で一瞬、呼吸が止まる。抱えていた巣がストールごと飛んでいき、ガサガサと音を立てて斜面を転がっていった。
 遠くの方で「アンタが悪いんだからね!私のせいじゃないよ!余計なこと言うんじゃないよ!!」とシダルばあさんの怒号が響いた。
 若干焦っているようにも聞こえるが、私が落ちたことには無関係だと逃げ切るつもりなんだろう。当事者のくせにすごい根性。
 ああ、でも。確かに私の声は届かないかも。
 そうだね。
 私が悪いんだね。
 私は自分が何者かわからない異質者だからね。故意に落とされて文句も言えない。ましてや誰も心配なんてしないし、誰も私を認めてはくれないんだ。
 ここは私の居場所ではない。
 わかっている。
 わかっているよ…。
 改めて言われたから、言葉に詰まっただけさ。
 「ゲホッゲホッ!!」
 止まっていた呼吸が再開した。肺に酸素が入り、むせるようにしばらく空咳が続いた。
 「…はぁ」
 空が遠い。昼間なのにお日様が見えない。暗くて寒くて動けない。
 お使いひとつまともにできないなんてダメすぎる。真っ直ぐ行けと言われたのに、どうして斜面を滑り落ちているんだろう。
 「なぜ」と「どうして」を繰り返してばかりでは前に進めない。
 わかっている。なのにどうして皆、前進することを許してくれないのか。
 何もわからないまま、何も知らぬままではいられないんだよ。ここにいていい理由がないといられないんだから。
 今の私は記憶がないただの迷子。ただの迷子が、この村に居ついてもいい理由は「つがい」だけ。主神キハラの番として仕事を全うしないと認められない。だから、頑張らせてよ。夜鳴き鳥が邪魔をしていないのなら、私はお役目を全うしたい。
 ああ、そうだ。あの雛はどうしたっけ?胸の前で抱えて、一緒に落ちて、一回転して…
 斜面から落ちた衝撃で頭がこんがらがっていた。
 前後の出来事が曖昧になっている。
 キアは意識を取り戻そうと瞬きを何度もしたが、目の前がぼうっとしていて視界がはっきりしていなかった。靄がかかっているような白みががった景色が広がっていた。
 あちこち痛い。背中、腰、お尻。頭もズキズキする。満身創痍で動けない。
 「き」
 「き、き、き」
 ぺたん。ぺたん。と白玉みたいなモチモチした感触が顔の上を何度も伝ってきた。
 夏の甘味を思い出した。抹茶小豆のかき氷に添えられた真っ白な白玉。モチモチした食感とつるんとしたフォルム。冷たくて甘い。懐かしい。喉の奥がゴクリと鳴いた。
 白玉は小さな手の感触がした。秋の紅葉みたいな小さな手。今なら青紅葉か。秋の赤色も綺麗だけど、夏の青紅葉もまた風情がある。
 緑風が目に優しい。サァーッと軽やかな風が通り過ぎた。木々を揺らし、葉の隙間から太陽の光がランダムに差し込まれた。
 前にもあった。この感触を覚えている。あれはどこだったか。
 小さな手。紅葉の手。私を目覚めさせようと面白がって、何度となく顔にへばりついてきた。無限起きろコール。
 「きいっ、みーた、みーたっ」
 あれは、誰だったか。
 赤毛の、いや栗毛だったか?いやいや蜂蜜色だったか?
 鳥の巣みたいに爆発したもじゃもじゃ頭。よく歌っていたこどもがいた。名前は何だったか。
 「……」
 私とその子で石造りの部屋に閉じ込められていた。暗く、窓もなく。手足を拘束されて自由がなかった。毎日来る最悪な日々を私とその子で過ごしていた。唯一救われたのは、純粋無垢な笑顔と上手くない歌。小さなその子の存在。
 今あるこの手は、その子と似ている。私を目覚めさせようと面白がって押してくる手形スタンプ。
 キアはゆっくりと瞬きをして、目の前の靄を打ち消した。ぼけていた視界が晴れてきた。目の前には、自分の顔を覗き込んでいる少年がいた。キアと目が合うときらきらと目を輝かせて無邪気に笑った。
 「きっ。きっ。きい!」
 「…アーシャ?どうして…」
 ここにいるのかと聞こうとしたが、体中からミシミシと骨が軋む音が聞こえた。
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