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第2部 第1章
6 花に惑い、影を負う
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“望めばすべて叶うのか?”
不意に見上げると、遠目に山肌を彩る木々が見えた。霞がかかって花の色が空に溶け出しているようだった。
空と雲の間に間に、淡い薄紅色が映し出されていた。見事なグラデーションにおおと感嘆の声が漏れた。
世界はこんなにも鮮やかに変化して行くのに、俺にはそこは遠すぎて、まだ辿り着くことが出来ない。俺はそばにあるこの木を見上げるくらいしか出来ない。
シャドウは幹に右手を付けた。白樹という。名の通り白い木だ。表皮は他の木と比べて引っかかりがない。つるんとして滑らかで寄りかかっても背中に違和感がない。家具や工芸品などによく使われている木だ。磨けば光沢が出て高値で売買されている。
シャドウは白樹に寄りかかり咲き終わった花の寂寥さを物悲しく見つめていた。多くの人々に愛でられていた花も、見頃が過ぎれば誰も見向きもされない。
着崩れた花弁はだらしなく枝にまとわりつき、鳥に突つかれ、風に飛ばされ、塵となる。踏みつけられて泥にまみれて跡形も無く姿を変える。可憐なものも華美なものも、名もないものも、みな、同じ末路を迎えるのだ。
人も同じだろうか。
雪は?
姿を消してから何ヶ月経ったのだろうか?雪もまた、誰にも見つからないどこかで朽ち果ててしまっているのではないか?
寒気がする。
意を決して旅に出たというのに、何の手がかりも情報もない。国から離れるにつれ、「影付き」を知る者は少ない。そんな都合のいい話があるかと笑い飛ばす者ばかりだ。他人の記憶や知識を体ごと国の礎にしようなんて頭がイかれてる。夢でも見ているのかと揶揄される始末だ。
そうだ、夢ならどんなによかったことか。こんな悪夢をいつまでも見続けなければならないのか?覚めてもいい夢ならとっくにしてる!!
だが、それは夢ではなく現実だ。
シャドウは繰り返される言葉に打ちのめされていた。
雪を探して、求めて、それから、
「それから…」
国をあげて興した馬鹿げた現実逃避に、知らずとはいえ自分も加担していたことを謝らなければならない。決して許されることではないけれど。
「雪…」
願わくば、共に新しい人生を歩んで欲しい。そう思うのは俺の我儘なのか。
シャドウは両手で顔を覆った。顔の前にばさりと髪が落ちてきた。首に付けていたチョーカーを外してからは髪を束ねるのはやめていたのだ。もう隠すべき罪は晴れた。なのに、首元がさみしい。
「こんな末路になるなら、ずっと繋がれていたかった…」
意味は違えど、雪とシャドウは同じものを付けていた。
国賓と罪人。温度差はかけ離れていたが、同じものを付けていたことに妙な安心感があった。罪人は自分だけではない。国賓とはいえ、悪名高いヴァリウスの客だ。知らず知らずに他人から見下される視線を分割してくれていた。
馬鹿な。こんな浅ましい気持ちを持ち合わせていたのか?雪を探し出すというのは贖罪のつもりか?
シャドウは髪の根元に爪を立てた。自分の不甲斐なさを痛感して情けなくて仕方がない。雪への想いは嘘ではないと自信があったのに、ここに来て急に湧いた不穏な考えに頭を抱え込んだ。
砂漠地帯から抜けて、町中に入った途端に体が冷えてきた。汗ばんでいた体にこの町の空気はやけに冷たかった。
体力が落ちると気力も低下していく。そのせいだろうか?思考も暗くなる。雪を探し出すと前向きに旅立ったというのに、色づいた山を見ていて足がすくんだ。
雪を探し出せたとして、雪は俺を許してくれるのだろうか?
以前のように笑って話をしてくれるだろうか?
俺と雪とディルとで暮らしていけるだろうか?
酔い潰れた俺に歌ってくれたあの歌をまた聞かせてくれるだろうか?
他愛ない会話も。普段の仕草も。どれもこれも願えば願うほど愛しさが募っていく。
花霞の奥に人影が見えた気がした。白く淡く。こちらを振り返るような姿にシャドウは立ち上がった。人影に向かって大声で叫んだ。
「雪!雪!!」
がなるような喚くような悲痛な声だ。だが、瞬きの間にかき消されてしまった。
「…雪、、」
悔いても時間は戻らない。悲しみに打ちひしがれても時間は戻らない。俺が犯した罪を裁くのは雪だけだ。
シャドウは髪を無造作にかき上げ、首元が見えるように一つにまとめた。荷物を背負い、目尻に浮かんだ涙を払った。
「…しっかりしろ。甘えは許されないぞ」
自らに課した罪からは、決して目を逸らすことはできないのだ。
「雪。必ず探し出してみせる…!」
シャドウはまた歩み始めた。
朝食の後片付けをしていたキアの手が止まった。
重ねた食器の隙間に風が入り込み、カタカタと音を立てた。次の瞬間には、ザァッと弧を描くように風が吹き上がった。風はキアの髪を舞い上げた。
「誰…?」
微かだが誰かに呼ばれているような気がした。
キハラとも違う声に正直、胸騒ぎがした。
(誰がが私を探している?私を知っているの?)
未だ記憶が戻らないキアは複雑な気持ちになっていた。
キアとして生きていこうとしていたからだ。
だが、何も知らないままではいられなかった。自分がどこから来たのか。どう生きて来たのか。それぐらいは知っておきたかったのだ。
キアは声が聞こえた方向に足を運んだ。顔を巡らせて周囲を探るが、もう何も聞こえなかった。かわりに吹き上げた風は、無数の花弁を運んで来た。
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