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第5章
31 獣人の真価
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ディルは目の前で仁王立ちに腕組みをしている少年を見上げた。せっかくの昼寝を台無しにされた腹いせに、人前でも構わず大口を開け放してあくびをした。隣ではマリーが気持ちよさそうに寝息を立てていた。
無邪気な寝顔を見せるマリーに、ディルは毒気が抜けた。
「隣でこんなに気持ち良く寝られちゃ、こっちはすっかり目が覚めたよ。はいはい。ぼくの分まで寝ててくれ」
頬にかかった髪を指の腹で払うと、マリーはふふふとくすぐったそうに笑った。
「寝ながら笑ってるよ。かわいいやつだなあ」
ディルにはマリーがまだ6歳児に見えるようだ。日向ぼっこで丸くなる小動物のような姿がたまらなく愛しい。恋とか愛とかそんな感情ではない。
「何を呑気にニヤけておる。犬の分際で生意気な奴め」
「…で、さっきからぼくを上から見下ろしているおまえは誰だよ?」
何度問うたか。
ディルはソファから立ち上がり、怪訝な態度で少年の前に立ちはだかった。
身長はややディルの方が高めか。目の高さが頭の上にあった。
へへんと得意げに笑うディルに少年はパチンと指を鳴らした。
「獣人風情が。粋がるのもいい加減にしろよ!」
指先から稲光が発し、ディルめがけて放たれた。
「何!」
ディルは咄嗟に、後ろで眠るマリーに覆い被さった。ソファの一部とディルのふくらはぎの辺りをかすめて稲光が床を焦がした。黒い真一文字の線が、ディルとマリーの前に引かれた。
「いきなり何をするんだ!」
「ふん。良い判断だ。自らの体を挺して巫女を守るとは良い心がけだ。主人に対する忠誠心は残っているようだな」
辺りには、にわかに焦げ臭が漂った。
「何の真似か聞いているんだよ!」
ディルは少年の胸ぐらをガッと掴んだ。訳の分からないまま混乱に巻き込まれるのはこりごりだった。先のいざこざで飽きるほど体験して散々な目に遭ったからだ。
神官や巫女達が何事かと騒ぎを聞きつけ集まって来た。
中にはサリエもいて、ディルに駆け寄り、ダメよ落ち着いてと必死にディルを宥めた。
「下がれ。余計な真似はするな」
少年は年上であろうサリエにまで横柄な態度のままだった。身の程知らずがとサリエを一瞥し、さらに指先に雷を集めた。
「やめろ!」
ディルは少年に飛びかかった。爪が大きく変形し伸びた。
「ふん。人間にうまく化けていてもそれが実態だな。哀れな生き物よ」
糞がとディルに暴言を浴びせ、雷を溜めていた手のひらでディルの胸を突き飛ばした。
衝撃と反動をまともにくらいディルの体は部屋の隅にまで吹き飛んだ。
「がぁっ!!」
受け身を取る間も無く、背中は固い壁に叩きつけられた。衝撃により壁がめり込み、ひび割れた壁材がディルと共に床に崩れてきた。
「ディルくん!」
サリエはディルの元に駆け寄ろうとした。
「あれの元に行くならお前も排除する」
少年らしからぬ発言にサリエは足を止めた。サリエは不安と恐怖で表情を曇らせ少年の顔を見上げた。
「お前は、長年祈り捧げていた神よりも、下賤な獣人の肩を持つ気か」
愚か者め!と遥か高みから斬りつけてくるような一瞥に、サリエは両膝を床について頭を下げた。視線を逸らしても圧迫してくるプレッシャーにサリエは頭を上げることができずにいた。
「おお、神よ…。どうかお許しを…!」
認めざるを得ない荒々しい存在感に、サリエを始め、周りにいた神官や巫女達も平伏した。
「…は?神だと…?」
瓦礫の中でディルは呟いた。どうやら無事のようだ。粉塵が口の中に広がり水分を抜き取られて、口の中がカラカラだった。瓦礫を押し上げて体を起こした。
「嘘だろ?こんなチビが神って、笑える」
吹き飛ばされた衝撃で肋骨に傷でもついたか。息をするたびに多少の違和感があったが、大事はないなとディルは胸元をさすりながら立ち上がった。跪く神官や巫女達の背中を後ろから不思議そうに見つめた。
「頑丈だけが取り柄だからな。獣人は」
少年は皮肉った。
「お褒めの言葉をどーも。昔っから言われ慣れているから、何とも思わないよ」
今さらだとディルは表情を変えずに服に付いた粉塵を払い落とした。
「獣の分際で生意気な」
「獣でも言いたいことはあるんだよ」
獣人として身はわきまえてきたつもりだ。人間と争わないように。深くは関わらないように。獣人だからという理由で言われのない暴言も暴力も多々振るわれてきた。それでも本能むき出しで怒り狂うようなことはしないとコントロールしてきた。だが、数々の非道な仕打ちを忘れられるほど大人でもなかった。
「我の花嫁に気安く触れるな」
「花嫁?」
「天冠の巫女を引き継ぐ際に交わした盟約だ」
少年神はマリーに近づき、髪の束を掬い上げうやうやしく唇に当てた。
「そんなこと聞いてないぞ!」
ディルはマリーに視線を送った。
「獣に何を言う必要がある。その形では政に口を出すこともなかろう」
影付きの処刑と共に誕生する巫女。失われた大地を取り戻すことを条件に、マリーは天冠を受け継いだ。
「…マリーが、天冠の巫女になったのはそんな理由だったのかよ…」
ディルは愕然とした。理由もなくただ憎むべき存在だと思い込んでいた自分にムカムカしてきた。
「影付きなどという得体の知れない異分子に踊らされている人間どもが愚かなのだ。影付きなど所詮は人間どもの浅はかな願望と欲望の成れの果てに作られたようなものだ」
己れの欲望を追い求めた結果に、雪もマリーも巻き込まれたようなものだった。
「…影付きを異分子だというのなら、獣人のぼくたちだって同じだ!獣人は何百、何千年前から存在してこの世を生きてる!そのぼくらを排除出来てない神さま大したことないじゃないか!」
話の内容がだんだんわからなくなっていた。理解しようとも自分が知りうる限りの情報では追いつけなくなっていた。ただ感情をぶつけるだけではただの子どもと一緒だ。
でも黙ってはいられなかった。
「何を怒る必要があるのだ?
元来、獣は神の使いだ。神の言葉を民に伝えるのに人の形が必要だったから与えただけのこと。そのおかげでお前たちは今でも獣の形を保つことができるのだ」
「獣?人間ではなくてか」
「阿呆。そもそも獣であった者に人間の手足をくれてやったのだ。勘違いをしているのはお前たちの方だ。獣人化は突然変異でもなんでもない。本来の姿に戻っただけのことだ。大騒ぎする必要など全くない。その割に神のせいだとなんだと罵りおって、何様だ。お前たちは我の前で頭を垂れてひれ伏しているだけの存在だろうが」
一瞬の間に、煌めきと爆音が同時に起きた。青空は消え、暗雲を立ち込めた空に急変していた。
「そんな言い方は許さない!」
眠っていたはずのマリーは目を覚まし、爆音の中に髪の毛を逆立てていた。静電気に似た細かな火花が体の線に沿ってピリピリと放電していた。
「神さまひどい!マリーの大切な人達をいじめないって約束したでしょ!」
マリーはソファから立ち上がり、神官や巫女達をかき分けて神の前に出た。
「そんな約束しとらん。約束を守るのはお前たちの方だ」
「約束をしたということは、お互いが誓いを守るということだもん!マリーが守るなら神さまも守ってよ!それが約束だよ!」
マリーはサリエに習ったことだと胸を張って力説した。
「獣人は、悪い人なんかじゃない!ディルは、ずっと悲しんで苦しんでいたんだよ!神さまのお手伝いをしてたんだったら、もう少し優しくしてくれたっていいじゃない!」
「生意気な」
「ディルだけじゃないよ!お城に仕えていた獣人達だって酷い目にあってたんだよ!」
「城に仕えることの何が悪い。ただの獣でいるより仕事につけるだけありがたいと思わないのか」
「人並みの使い方をされてればな」とディルはぼやいた。城勤めのレスに聞いていた話では、獣人達は過酷な労働を強いられていた。
「獣並みの間違いだろう?お前たちは人ではないのだからな。野良の獣よりはだいぶ優遇されていると思うぞ」
神はディルの言葉を皮肉たっぷりに言い直し、ディルを見つめ返した。
ディルはわなわなと怒りで震え出し、長く伸びた爪をもう一方の腕で必死になって止めていた。
「悪口ばかり言わないでよ!」
マリーはディルの腕にしがみつき、ディルの震えを受け止めた。
マリー、と小さく呟くも震えはまだ止まらなかった。繋いだ手にも震えは伝わった。
「ならどうする?獣人が気に食わぬなら、その体ごと消し去ってやってもいいぞ」
少年神は2人を引き離そうとチクチクと放電を始めた。
「そんなのダメに決まってるでしょう!!神さまなら何とかしてよう!」
「都合よく神を頼るな」
「神さまが万能じゃなかったら、誰が一番に国のことを考えているっていうの!この乱れた国を誰が統制するの!」
マリーは力強く床を踏みしめた。耳元でパチパチとうるさく鳴る雷のつぶてを掴み上げて放り投げた。
「うるさい小娘だ!巫女ならもう少しかしこめ。お前は我に歌を届けていれば良いのだ。それでこの国の安定が築けるなら安いものだろう!」
「自然が戻ったって歌だけじゃ幸せにはなれない。ディルは幸せじゃない!」
「なら何を望む?」
「だから!」
「獣人をどうしたいのだ?」
「獣人は…嫌なものなんかじゃない。怖くない。危険な人達なんかじゃない!獣人だって人間だよ!マリーやみんなと同じ人間だから境界線を引く必要がない。一緒に生きていきたい」
「ならそれを証明しろ」
「へ?」
「獣人が人間と同じように生きていける国を統制しろと言っているんだ」
「マリーが?」
「啖呵切ったのはお前だろう。巫女として国を統治しろ」
「…無茶な」
ディルを始め、神官達が騒めき始めた。
「無茶かどうかはやってから答えろ。やらねばこのまま獣人の扱いは底辺のままだ。子どもでも天冠の巫女なら箔がつく。お前の啖呵は歌声と同じくらい我に届いた。喧しいだけでないことを証明しろ。途中で匙を投げるなら約束を違えたとして全てを滅してやるからそのつもりでな」
「ずるっ!」
「約束はお互いが誓約を守るということなのだろう?しかと聞き入れたぞ天冠の巫女よ」
少年神は満足気な表情を浮かべた。やいのやいの騒いでいたが、まるでこうなることを予見していたようにも思えた。
すっと上げた腕に天上から光のベールが降りてきた。暗雲を切り開いて降りてきた光は階のようだった。
「足掻いて足掻いて足掻き続けろ。嘆くばかりでは事は進まんのだ。人間は足掻き続けてこそ、真価が上がるものだ。のう、獣人のお前も」
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