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第5章

30 束の間の休息

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 「報告します!ヴァリウス城が襲撃されました!城内には激しく争った跡があり、大量の出血が確認されました!!」
 その知らせが神殿に届いたのは、シャドウが旅立ってから2日後のことだった。
 城と神殿を繋ぐ使者が血相変えて飛び込んで来て、出迎えた巫女と神官が震え上がった。
 「それで王はどうされたのだ!?まさか、」
 応対した神殿人も突然のことで取り乱してしまった。
 「それが…、王の姿はどこにもないのです。城内くまなく探しましたが、見つからないのです。どこかに避難していればいいのですが…」
 「出血というのは何だ?怪我をされているのではないか?」
 屈強な体躯を持つ人物であったと記憶していたが…。
 神殿人は語尾を濁す。
 「はい。ですが遺体となって発見されたのは獣人達だけでした」
 「…むぅ。粛清というやつか。…王のすることに口は出せないがむごいことをされる」
 王にあるまじき悪魔の所業だと皆口々に囁いていた。逆らうことが出来ずに受け入れざるを得なかったであろうことが、なんとも悔やまれた。直接関係のない者同士でも、酷い話には心が痛む。
 「…他に何か変わったことはなかったか?」
 「はい。獣人達の遺体はきれいに並べられて、布がかけられていました」
 「王が?まさかな。そんな殊勝ななことをされるお方ではないな」
 死者を弔う気持ちがあるなら、初めから手にかけることなどするはずがない。
 「王どころか、兵士も使用人も誰一人として城にはいませんでした。城はもぬけの殻です」
 「それは一体どういうことだ!」
 「わかりません!ただ、これが扉に…」
 使者は懐から丁寧に紙に包んだものを差し出した。開けるとボロボロになった今にもちぎれそうな細長いものが出てきた。
 「何だこれは」
 怪訝な顔つきでそれをつまみ上げた。
 「おそらく国賓に与えられるものではないかと。見えにくいのですが、王の印も入ってます」
 「国賓に与えた…これはチョーカーか?」
 王の客人という証。来賓者には必ず渡されていたものだった。
 「どんな扱いをすればこれほどまでにひどくなるのか」
 高級な布地で作られたチョーカーは、それなりに厚みもあり、しっかりとした作りになっていた。偽物とはいえ磨けば光る石も傷だらけだ。
 「ここ数ヶ月の間に王の元を訪れた客人を一人一人当たれ。何か事情を知る者がいるかもしれない」
 「はい」
 「まずは王の生存確認が第一だ。うまく逃げ延びておられればいいが」
 使者は、大量に流れ出た血溜まりを見て絶望的だと確信していたが、口には出さずに言葉を飲み込んだ。再び、あの凄惨な場所に赴かなければいけないことの方が何よりも心を蝕んだ。




 
 マリーの歌声に反応して、小鳥がテラスに集まって来ていた。鳥はいい。歌声に合わせて自らも楽曲提供。きれいな声音でより美しい歌に進化させてくれる。翼を広げては花の種を遠くに飛ばしてくれる。
 東に西に南に北に。四方八方から種子が育っていけば緑地が広がる。

 「そうは言ってもですね。水源がなくては植物は育ちません」
 まだ若い神官がマリーに進言した。
 「水がなくても育つ花はあるよ?」
 マリーは深く椅子に座り、両足をブラブラと動かしていた。すかさず隣に控えていたサリエがコラッと叱咤とともに止めに入った。
 「巫女様。物事は大きく見なければなりません。水がいらない花もあるかもしれませんが、大抵の場合には水が必要なのです。今は農業用でもゆくゆくは実生活でも使えるようにしないとこの国は干上がるばかりです」
 溜息を吐きながら神官は答えた。幼子のような物言いの巫女に呆れているふうにも見える。
 「…どうしたらいいの?」
 「水路を作るのです」
 「水路?」
 マリーはきょとんと目を丸くした。
 「歌うだけじゃダメだってことだ」
 神も万能じゃないなとディルが話の輪に入って来た。
 「わんわん!」
 マリーは目を輝かせてディルに抱きついた。
 「わんわん言うな!こらっ、抱きつくなー」
 すかさずサリエが以下略。
 「だから、草木を増やしたいなら、土地の開墾から始めなきゃダメだってこと。砂だけじゃなく、石もゴロゴロしてるからそれの撤去作業。枯れた木なんかも邪魔だろうから人員集めないとだ。市場や町に情報を流すんだ。仕事が無くて困っている人がたくさんいるから、きっと協力してくれる。水路を作るなら、職人も必要だ。設計図を引いてから計画を立てろ。一朝一夕でできるわけがないから、十分に検討してから始めろよ。ここにいる人はみんな素人なんだから、もっとわかりやすい説明してやってよ」
 「は、はあ」
 「あー、それから。あんたにも言えることだけど、一人でやろうとするなよ。周りに声をかけてどんどん周知して、色々な人を巻き込むんだ。手を借りることは恥じゃない。花のことはソインさんに聞けば大抵のことはわかる。あの人はプロだから工事関係者もきっと手配してくれる」
 「はい!ありがとうございます!」
 神官はディルに向かい頭を下げて出て行った。
 サリエもよく出来ましたと満足そうに微笑んだ。
 「わんわんすごーい!」
 マリーはディルの腕をぎゅっと掴んだ。
 「…元気そうだな」
 ディルは元の姿に戻ったマリーに会うのは初めてだった。実年齢に戻っていても、いっとき側にいた時の舌ったらずの甘えん坊の面影は健在していて、ディルを安心させた。
 天冠の巫女を継承して別人のようになってしまっていたらショックだなと勝手に思っていた。ふわふわの髪の毛に大きな瞳は相変わらずだ。ぼくを見つけて飛びついてくるところも変わらない。飛びつかれて咄嗟に体が逃げてしまったけれど、変わらない態度でいてくれたことがたまらなく嬉しかった。
 「難しい話ばかりで頭がいっぱいになっちゃった!もう疲れた~!」
 いやいやと首を振るが、
 「難しいけど、この国のためだから頑張らなきゃいけないの。あの人が言ってたように、もっと先のことまで考えなきゃ」
 と前向きに考えていることを強調した。
 「一人で背負い込むなよ。そういうところはシャドウと似てるよな」
 「シャーオ?」
 「シャドウのやつ、ぼくに黙って出て行きやがった!ぼくがどれだけ心配してるかも知らないで!一人で背負ってさ、頭に来るよ!!」
 ディルはシャドウが先に旅立ってしまったことを根に持っていた。ぶつくさと小言を言ってはふくれっ面が収まらなかった。
 「行っちゃったんだ。会いたかったな」
 「マリーにも挨拶なしかよ!」
 「泣いたの?跡がついてるよ」
 マリーはディルの頬に手を伸ばした。涙の跡が筋になっていた。
 「な、泣くわけないだろ」
 ディルはマリーの手を遮り、両目を擦り上げた。
 「マリーこそ、歌ってばかりで疲れてないか?」
 ディルは泣き腫らした目を見られるのが恥ずかしく、話題を逸らした。
 「マリーは歌うのがお仕事だから。歌わなきゃダメなの」
 気合いのガッツポーズ。
 「休息も必要だぞ」
 ディルはマリーの頭をポンポンと手を置いた。手のひらの優しさに絆されてマリーはディルに飛びついた。
 「わんわんぎゅーっ」
 「…お、おう」
 外見は変わっても中身は子どものままだ。マリーはディルの胸元に体をすり寄せ、両腕を背中に回した。懐に入り込んできたマリーはあの頃と何も変わらず手も小さく、力も弱い子どものままだった。
 「…日差しが気持ちいいな」
 マリー相手に焦っている自分が恥ずかしくなった。外見が変わっても中身は小動物のようだとディルは笑った。
 天冠を得てからずっと、晴天が続いていた。こんなことは珍しい。
 「…おねむになっちゃうね」
 マリーはとろんとした目つきになり、瞬きを何回かした後にすぐに寝息を立て始めた。
 「マジか」
 6歳児の感覚が抜けないのか。立ったままでも眠れてしまう。既にお昼寝モードだ。しかしこれは致し方ない。大人とて、このひだまりには抵抗できずにいた。少しだけ…とディルはマリーを抱えたままソファにもたれかかり、誘われるがまま目を閉じた。あまりの心地良さに、人から獣に変化するトリガーまで引かれた。体毛が生えて犬の耳も頭の上に現れた。軽やかな風と暖かい日差しが二人を包んだ。気持ちのいい目覚めを期待しながら寝息を立て始めた。

 「キサマまさか獣人ではあるまいな?天冠の巫女が獣人とつるんでいるなどとは前代未聞だぞ」
 数分と経たずに嫌味な声音で叩き起こされた。
 「んあ?なんだおまえ?」
 ディルは、ふわあと大きなあくびをし、耳と鼻を峙てて周囲の状況を確認した。目の前に顔の片側を髪の毛で隠した少年がいた。肌は浅黒く、髪の色は金髪だった。耳には金色の輪をぶら下げ、瞳の色は青く、空と同じ色をしていた。
 身の丈に合わない丈の服を着て、裾が床を引きずっていた。
 「なんだおまえ?」
 改めて口に出した言葉をかき消すかのような激しい雷鳴が轟いた。
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