大人のためのファンタジア

深水 酉

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第5章

28 戻れない

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 ペスカの実は熟したものを甘いシロップで煮る。そのまま食べてもいいが、実を細かく刻めばジャムになる。パンに塗ったり、乳製品にかけてもいい。蜂蜜を足してお湯で割って飲めば、喉風邪にも効く。
 「…渋いな」
 当然ながら熟す前は甘みはない。果皮の色も青々しいままで成長しきれてない。一つの枝にいくつもなっている実は摘果する。より甘く、より栄養価の高い、より大きな実にするには必要な行為だ。勿体ないとか可哀想とは言ってはいられない。
 摘果した実はどうなるのか?鳥が啄ばみに来るのか。甘くもない実には見向きもしないだろう。中身をくり抜いて工芸品にしたり、こども達の玩具にしたりと考えもあったが大抵は土に還る運命にある。時が経ち、果皮の色が赤く色づく頃には落とされた実も同じような変化を遂げるのだ。かたや枝の上に、かたや土の上に。形も大きさもまるで違う。出世コースのスタート位置にすら立てなかった実は、色は変われど、熟す前に朽ちていく運命を辿るのだ。

 チドリは寝台の上で目を覚ました。辺りは暗く、まだ夢か現か判断がつかなかった。寝台から起き上がった。
 普段は眠っていることが多いが、時折、目を覚まし、部屋の中を歩いた。真っ暗な空間の中で、右も左もわからなかった。今が朝なのか、夜なのかさえわからないままだった。食事も水分もほとんど摂らず、誰一人として来ないから、あれから何日経っているかさえ、わからなかった。動ける範囲は鎖で繋がれた2メートルほど。白亜の塔で、雪の身動きを封じたのと同じ仕打ちだ。相手に仕掛けた罠が自分に返ってくる。こんなにも不自由で不条理なものだと思い知った。
 「こんな目に遭っているのに、会いにさえ来てくれないのですか」
 チドリは壁の向こうに声をかけた。隣には両親がいると気配を察したからだ。
 いつだったか就寝中の両親を襲った。眠り薬を投与し、眠らせた。お前はダメな奴だと二度と言われないように。
 5年間は目を覚まさない呪いだ。一生ではなく5年間にしたのは、その期間で立場をひっくり返すつもりでいたからだ。立派な神官に成長した姿を見せびらかしてやろうと考えていた。素質がないだと非難したことを謝らせるために仕掛けた時限式呪い。
 だが、今では後悔している。5年と言わずに、今すぐに解呪をしたい。今の自分では、この国をどうすることもできない。5年後にまた罵られるくらいなら、今の状態でやはりお前はダメだとがっかりされた方がマシだ。
 「会いに来てくれるわけがないですね。ひどいことをしてごめんなさい。オレはどこへ行くべきなのかわからないのです」
 どの道ダメだ。今の姿を見たら罵るどころか、母は卒倒してしまうかもしれない。父は現実を直視出来ずに混乱してしまうかもしれない。
 査問委員会に拘束されるかと覚悟はしていたが、獣人に襲われて動けずにいた。怪我が完治するまでは神殿で面倒を見てくれと押し付けたようだ。ヴァリウスの手の者がいる委員会だ。このままでは、裁きを受けても無罪になってしまう。罪を犯したら罰せよ。この言葉通りに事を成したい。それがせめてもの罪滅ぼしだ。神殿の神官として。儀式を疎かにし、マリーに禁呪をかけ自由を奪った。
 それにしても、ヴァリウスからも何の連絡もないのは何故だ?委員会の手下から何らかの情報が流れていると思っていた。こちらも返事をしないから、不義理を感じて捨てられたか?オレはヴァリウスにまで捨てられたのか。
 「あれほど過干渉に束縛されていたのに。役立たずは用無しか」
 チドリはヴァリウスを詰るように吐き捨てた。
 「所詮は使い捨ての駒だということか」
 お互様だ。お互いを利用していたのだ。信頼関係などあり得ない。どちらかが狩られることがあっても何ら不思議ではない。それが今の状況なのだ。
 「神殿の状態を知りたがっていたものな」
 神殿人や影付きが自分に襲いかかって来るのではないかといつもヒヤヒヤしていた。見かけによらず怖がりで小心者だ。大勢の獣人を従えてないと何も出来ない。
 「捨て駒扱いでも、見捨てられたオレを拾ってくれたのはヴァリウスだけだった。本当にオレは人との縁が薄い」
 チドリは苦笑いを浮かべた。どこかの誰かみたいに、可能性があるとか、まだ望みがあるとか、夢みたいなことを言ってみたいものだ。彼女は何をそんなに期待していたのだろう?絶対に助けられるとでも思っていたのかな?
 幸せな人だ。でもごめんよ。その開けた扉は通れない。
 二度と通れはしないんだ。
 怪我が治る頃までにはペスカは熟すだろうか。暗闇の中でも、次第に目が慣れてきた。摘果された小ぶりの実をかじってみた。酸味と苦味の強い刺激が舌を攻撃した。
 「こんなのじゃなくて甘いのが食べたい。シロップ漬けは最高だったな」
 労働の後の特別なおやつ。疲れた体には糖分が必要なのだ。親友と取り合って食べた最高な時間。
 「シャドウ。…あの頃は楽しかったな」
 オレとお前とマリーとサリエ。何も知らないあの頃が一番きれいで美しい思い出だった。

 悔やんでももう遅い。
 あの美しく、懐かしく、麗しく、溢れんばかりの愛情が注がれた日々はもう戻らないのだ。二度と。
 壊したんだ。跡形もなく。オレが。

 泣く権利などオレにはない。悔やむのもおかしい。だが、制止を振り切って流れた涙をどう止めろというのか?その術はオレは知らない。



 マリーの優しい歌声が風に乗って運ばれてきた。今日も塔の中から花の芽吹きを讃えていた。
 「ずいぶんと差が開いちゃったわね…」
 マリーは天冠の巫女。かたやサリエは女官長の任を解かれた。
 今回の騒動の責任を取ることを自らが要望したのだ。
 離れの一室に追いやられてからは、日がな一日をぼうっと過ごしていた。たまに本を読んだり、破れた服を繕ったりしていた。
 「こんな過ごし方久しぶりだわ」
 誰にも会わず、誰とも話さず、声を荒げることもしない。せわしなく動き回ったり、小言を浴びることもない。 
 煩わしさが一切ない。
 「一人って良いわね。少し寂しいけどこんな時間も悪くない」
 歌を運んで来た風が、サリエの長い髪を揺らした。
 「髪の毛も切ろうかしら。長すぎるのも重いわ」
 顔の前にまとわりつく髪の束を耳にかけた。
 洗面台にかけられた鏡に自分を写した。
 「やだ、シミ」
 目元に小さな影。このところの混乱で肌を整える暇がなかった。肌も髪もすっかりくたびれてハリもコシもない。
 「年はとりたくないわねぇ」
 独り言もすっかり馴染んできた。
 艶めいた唇もカサカサだ。これでは誰も口説けない。
 「あなたを口説く気はないわよ」
 離れの入り口の前で見張り役を担っていたグドゥーに、鏡越しに声をかけた。初対面の時と同じく無表情で、少しだけサリエから視線を落とした。
 「査問委員会は撤退したというのに、あなたはまだいるのね」
 視線を逸らされたことにサリエは少しだけ苛立つが、すぐに抑えた。
 「任務だ」
 「何の?」
 「…」
 「だんまりは嫌い」
 用がないなら帰れと突っぱねられてしまったグドゥーだが、サリエのそばに居てとチドリから依頼を受けていた。
 依頼は秘密にして欲しいとも。だからどんなに邪険に扱われてもそばを離れるわけにはいかなかったのだ。サリエにしては、せっかくの一人の時間に水を差されたような気分になってしまい、おもしろくはなかった。

 「…目障りよ」
 右手には剃刀が握られていた。
 
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