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第5章
27 巫女の試練
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頭の中を駆け巡る花詩典の一字一句がマリーを苦しめていた。修行中に読み込んだ分厚い教典を思い出させた。
花々の咲かせよ愛でろとプレッシャーが押し寄せて来る。
頭の中にひしめき合い、歌え歌えと背中を押す。我よ我よと押し寄せてくる花の芽吹くパワーにマリーは困惑して、ひっくり返った。
「なんで?なんでこんなにいっぱいの声が聞こえるの?」
花詩は全部覚えているけど、次から次へと飛んで来てとても詠める状態じゃない。
花詩も旋律もバラバラだ。あれもこれもまだ早い。まだ時期じゃない。あなたはもっと暖かい日差しがないと咲けない。あなたはもっと水の近くじゃないと咲けない。
季節や土壌によって分類されている花詩典だったが、その垣根を越えて溢れ出していた。
「もうっ!言うこと聞いてよー!」
マリーもパンク状態だ。
花々も天冠の巫女の誕生に喜びを隠しきれずにいるようだった。
ねえねえ
歌って歌って
咲かせて咲かせて
早く早く
ミツバチみたいな小さな羽虫が、くるくるとマリーの周りを踊り出した。よく見ると、人の形をしていた。小指の爪程度の人。どう見ても虫ではないようだ。
見たことのない現象にマリーは、両目を見開いたままフリーズしてしまった。
え?え?
『花の精だ。おまえの歌声を待ちきれんのだろう』
「かみさま…?」
声はマリーの頭上から降ってきた。先ほどと同じで、姿はない。スポットライトの光が会話をしてきた。
『でも歌うなよ。花詩の整理ができてないなら歌うな』
「でも、歌ってって言ってるよ?」
『甘えるなよ。天冠を得たとはいえおまえはまだまだ半人前だ。花詩の意味を理解し、旋律を頭に叩き込め。この忌々しい砂を消して、元の豊かな土地に戻すことだけを考えろ。花の精や村人共に聞かせる為ではない。花の生育に必要な歌をコントロールできるまで詠み続けろ。それが済むまでは一人前とは呼べんぞ。この大地に祈りが満ち渡るまで歌い続けろ。それがおまえの禊だと思え』
「かみさま…」
『人間共のしでかした愚行の成れの果てがこれだ。よく目に焼き付けておけ!森林伐採、土壌汚染、信心の低下、意識の低下!そのうちどうにかなると匙を投げた王と神官。どうにかなるとはどういうことだ!神通力もないただの人間が?神より偉くなったつもりか!身の程知らずの馬鹿者共め!!』
神は指先を弾き、雷を出した。勢いよく窓の外に放り出すと青空を切り裂き稲光が走った。
神殿の周りを囲んでいた村人達から歓声とどよめきが起きた。
「何かしら今の?巫女様の奇跡かしら?」
『何をほざくか。無能なやつらめ。こいつにはまだまだ奇跡が起こせるほどの力はない』
「マリーは歌っちゃダメなの?」
『無駄なことはするな』
「無駄なんかじゃないよ」
『何?』
「みんなマリーの歌を聞きたいって言ってくれてるよ。花の精さんも楽しみにしてくれてる」
『神との誓約を忘れたか?』
「忘れてないよ!マリーはかみさまのために歌うよ!歌って歌って、この大地を花でいっぱいにしてよみがえらせる!」
『なら、それに集中しろ』
「それもするけど…みんなにも歌を届けたい。誰かのために歌うことはマリーも楽しいし、嬉しい。しあわせになれるならみんなもしあわせにしたい。そうゆう気持ちは大事だって、おねえちゃんが言ってた。気持ちを込めて歌えば想いは届くって。みんなにも。きっと大地にも」
舌ったらずで甘さの残る子どもじみた言動だが、次第に現実味が出てきた。元の年齢に戻ったとはいえ、顔立ちは幼さが残る。生まれたてのひよっこが、殻を外して立ち上がるのだ。まだまだ微力であっても、瞳には力が宿る。
『ふん。そう簡単に事が済むとは思わんがな』
「…今はこれがわたしの出来ることだもん」
“さあ 目を閉じて 祈ろうか想いを込めて
手を合わせるの 心も閉じて
感じるのよ 草の息吹を 花の呼吸を
さあ 祈るのよ 願いを込めて”
マリーの口から紡がれたのは、かつて雪が教えてくれた五穀豊穣を願う歌だ。初めて聞いた時から、心地良くて耳の中にいつまでも残っていた。柔らかな声質に優しい旋律。膝枕をしてくれたり、包み込むように抱きしめてくれたり、直に雪のぬくもりを感じて安心して眠ってしまった。寂しさも悲しさも打ち消してくれた歌だ。
神殿内から流れてきた歌声に集まっていた観衆は一瞬にして静まり返った。姿は見えずともマリーの声に耳を傾けた。たった一節だが、草木がひとつ、ふたつ芽吹き出した。
『なんだその歌は?花詩典にはないぞ』
光の中の声が訝しげにマリーをせっつく。
「マリーの、大事なおねえちゃんが教えてくれた歌だよ」
『何者だ?』
「わかんない…もう、ずっとあってない」
ぽろぽろっと丸い粒が瞳から落ちた。塔から抜け出した後でほんの少しだけ一緒にいられた。あれがいつのことだったか、わからなくなっている。
「でも見て、かみさま。みんなしあわせそうだよ。マリーの歌を聞いてうれしそうだよ。マリーはこの国をよみがえらせるために歌う。だから、そのために、みんなにも聞いてもらいたい」
『…神に逆らう気か』
「逆らわない。聞いてもらいたいだけだよ」
マリーは神に頭を下げてテラスに出た。暖かい日差しの中にマリーは姿を出した。蜂蜜色の髪はふわっと風に揺れ、スカートの裾が大きく動いた。
おおおおっと歓声が湧き上がった。
眼下には大勢の村人たちと神殿人たち。その奥に雄大な森と赤茶けた砂漠地帯が広がっていた。目を逸らすことなどできるわけがない。この大地に育てられてきたのだ。
「…歌うことは祈ること。祈ることは願うこと。これは、わたしの大切な人が教えてくれました。この大地にしあわせと豊かな自然を取り戻すまで、わたしは歌い続けます。だから、みなさんの力も貸してください。大切な人を守るため、失くした人を偲ぶため、この国を、神殿を、花を、水を、光を二度と砂に変えないように。これ以上悲しむ人が出ないように、この大地を守っていきましょう」
お願いしますとマリーは深々と頭を下げた。村人たちからは感嘆の声が漏れる。
マリーの堂々とした演説に、神は不本意ながら声を濁らせた。
『しかしおまえとの誓約は一生だからな。せいぜい励め』
と、意地悪そうに言い放った。
マリーは意を決し、目を閉じて意識を集中させた。心の奥には雪の顔が見えた。優しくて暖かい。
あなたはわたしの光。希望。喜び。
”さあ 眠る花の芽を呼び覚ませ
舞い上がれ風よ 祈りを込めて
土の下で正気を育み
宿り木の下で 生きる道を切り開け”
青空に染み込んだ歌は、風に運ばれて大地を包み込んだ
。
頭の中を駆け巡る花詩典の一字一句がマリーを苦しめていた。修行中に読み込んだ分厚い教典を思い出させた。
花々の咲かせよ愛でろとプレッシャーが押し寄せて来る。
頭の中にひしめき合い、歌え歌えと背中を押す。我よ我よと押し寄せてくる花の芽吹くパワーにマリーは困惑して、ひっくり返った。
「なんで?なんでこんなにいっぱいの声が聞こえるの?」
花詩は全部覚えているけど、次から次へと飛んで来てとても詠める状態じゃない。
花詩も旋律もバラバラだ。あれもこれもまだ早い。まだ時期じゃない。あなたはもっと暖かい日差しがないと咲けない。あなたはもっと水の近くじゃないと咲けない。
季節や土壌によって分類されている花詩典だったが、その垣根を越えて溢れ出していた。
「もうっ!言うこと聞いてよー!」
マリーもパンク状態だ。
花々も天冠の巫女の誕生に喜びを隠しきれずにいるようだった。
ねえねえ
歌って歌って
咲かせて咲かせて
早く早く
ミツバチみたいな小さな羽虫が、くるくるとマリーの周りを踊り出した。よく見ると、人の形をしていた。小指の爪程度の人。どう見ても虫ではないようだ。
見たことのない現象にマリーは、両目を見開いたままフリーズしてしまった。
え?え?
『花の精だ。おまえの歌声を待ちきれんのだろう』
「かみさま…?」
声はマリーの頭上から降ってきた。先ほどと同じで、姿はない。スポットライトの光が会話をしてきた。
『でも歌うなよ。花詩の整理ができてないなら歌うな』
「でも、歌ってって言ってるよ?」
『甘えるなよ。天冠を得たとはいえおまえはまだまだ半人前だ。花詩の意味を理解し、旋律を頭に叩き込め。この忌々しい砂を消して、元の豊かな土地に戻すことだけを考えろ。花の精や村人共に聞かせる為ではない。花の生育に必要な歌をコントロールできるまで詠み続けろ。それが済むまでは一人前とは呼べんぞ。この大地に祈りが満ち渡るまで歌い続けろ。それがおまえの禊だと思え』
「かみさま…」
『人間共のしでかした愚行の成れの果てがこれだ。よく目に焼き付けておけ!森林伐採、土壌汚染、信心の低下、意識の低下!そのうちどうにかなると匙を投げた王と神官。どうにかなるとはどういうことだ!神通力もないただの人間が?神より偉くなったつもりか!身の程知らずの馬鹿者共め!!』
神は指先を弾き、雷を出した。勢いよく窓の外に放り出すと青空を切り裂き稲光が走った。
神殿の周りを囲んでいた村人達から歓声とどよめきが起きた。
「何かしら今の?巫女様の奇跡かしら?」
『何をほざくか。無能なやつらめ。こいつにはまだまだ奇跡が起こせるほどの力はない』
「マリーは歌っちゃダメなの?」
『無駄なことはするな』
「無駄なんかじゃないよ」
『何?』
「みんなマリーの歌を聞きたいって言ってくれてるよ。花の精さんも楽しみにしてくれてる」
『神との誓約を忘れたか?』
「忘れてないよ!マリーはかみさまのために歌うよ!歌って歌って、この大地を花でいっぱいにしてよみがえらせる!」
『なら、それに集中しろ』
「それもするけど…みんなにも歌を届けたい。誰かのために歌うことはマリーも楽しいし、嬉しい。しあわせになれるならみんなもしあわせにしたい。そうゆう気持ちは大事だって、おねえちゃんが言ってた。気持ちを込めて歌えば想いは届くって。みんなにも。きっと大地にも」
舌ったらずで甘さの残る子どもじみた言動だが、次第に現実味が出てきた。元の年齢に戻ったとはいえ、顔立ちは幼さが残る。生まれたてのひよっこが、殻を外して立ち上がるのだ。まだまだ微力であっても、瞳には力が宿る。
『ふん。そう簡単に事が済むとは思わんがな』
「…今はこれがわたしの出来ることだもん」
“さあ 目を閉じて 祈ろうか想いを込めて
手を合わせるの 心も閉じて
感じるのよ 草の息吹を 花の呼吸を
さあ 祈るのよ 願いを込めて”
マリーの口から紡がれたのは、かつて雪が教えてくれた五穀豊穣を願う歌だ。初めて聞いた時から、心地良くて耳の中にいつまでも残っていた。柔らかな声質に優しい旋律。膝枕をしてくれたり、包み込むように抱きしめてくれたり、直に雪のぬくもりを感じて安心して眠ってしまった。寂しさも悲しさも打ち消してくれた歌だ。
神殿内から流れてきた歌声に集まっていた観衆は一瞬にして静まり返った。姿は見えずともマリーの声に耳を傾けた。たった一節だが、草木がひとつ、ふたつ芽吹き出した。
『なんだその歌は?花詩典にはないぞ』
光の中の声が訝しげにマリーをせっつく。
「マリーの、大事なおねえちゃんが教えてくれた歌だよ」
『何者だ?』
「わかんない…もう、ずっとあってない」
ぽろぽろっと丸い粒が瞳から落ちた。塔から抜け出した後でほんの少しだけ一緒にいられた。あれがいつのことだったか、わからなくなっている。
「でも見て、かみさま。みんなしあわせそうだよ。マリーの歌を聞いてうれしそうだよ。マリーはこの国をよみがえらせるために歌う。だから、そのために、みんなにも聞いてもらいたい」
『…神に逆らう気か』
「逆らわない。聞いてもらいたいだけだよ」
マリーは神に頭を下げてテラスに出た。暖かい日差しの中にマリーは姿を出した。蜂蜜色の髪はふわっと風に揺れ、スカートの裾が大きく動いた。
おおおおっと歓声が湧き上がった。
眼下には大勢の村人たちと神殿人たち。その奥に雄大な森と赤茶けた砂漠地帯が広がっていた。目を逸らすことなどできるわけがない。この大地に育てられてきたのだ。
「…歌うことは祈ること。祈ることは願うこと。これは、わたしの大切な人が教えてくれました。この大地にしあわせと豊かな自然を取り戻すまで、わたしは歌い続けます。だから、みなさんの力も貸してください。大切な人を守るため、失くした人を偲ぶため、この国を、神殿を、花を、水を、光を二度と砂に変えないように。これ以上悲しむ人が出ないように、この大地を守っていきましょう」
お願いしますとマリーは深々と頭を下げた。村人たちからは感嘆の声が漏れる。
マリーの堂々とした演説に、神は不本意ながら声を濁らせた。
『しかしおまえとの誓約は一生だからな。せいぜい励め』
と、意地悪そうに言い放った。
マリーは意を決し、目を閉じて意識を集中させた。心の奥には雪の顔が見えた。優しくて暖かい。
あなたはわたしの光。希望。喜び。
”さあ 眠る花の芽を呼び覚ませ
舞い上がれ風よ 祈りを込めて
土の下で正気を育み
宿り木の下で 生きる道を切り開け”
青空に染み込んだ歌は、風に運ばれて大地を包み込んだ
。
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