大人のためのファンタジア

深水 酉

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第5章

14 最後の呪い

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 「私のご主人様になって!」
 ククルは大きな目で雪に訴えた。髭がぴんと横に伸び、逆毛が泡立った。
 「ククル…」
 雪は真剣な眼差しから目を反らせなかった。流れで頷いてしまいそうになる。
 「でも、」
 決していいわけがない。
 ナイトメアが待っているのを知っている。
 あんな胡散臭い奴でもククルへの想いは本物だ。他のことは疑わしく思えても、ククルのことを話す時の表情は柔らかく穏やかに見えた。そんな人を待たせ続けるのも心苦しい。いくらナイトメアでもだ。
 雪は膝を地面について腰を下ろした。切羽詰まっているククルをなだめようとした。今まで浮遊していたせいか体は風船のように軽かったが、地面に下りると一気に重力がかかった。座り込むと同時に押し潰されるかのようなプレッシャーが雪を襲った。

 「獣人風情が。邪魔はさせないよ」

 チドリは手首に巻きつけた鎖を手繰り寄せた。ガチャンと鈍い音を立てた。実際には目には見えない。空間を繋ぎ、雪の左足に仕掛けた呪いを確認していた。砂漠でケガの手当てと称して貼り付けた薬液を染み込ませたティモシーの葉だ。本来は家畜に付けるものだが、古くは捕虜兵などを逃がさないためのものだった。他所の国から来た得体の知れない影付きを捕まえるには良策だ。鎖を引っ張れば反動で引き返してくる。そこに影付きがいる証拠だった。
 チドリは低い声で笑った。
 今更、情などない。短期間一緒に過ごしていたが、所詮は影付き。ヴァリウスの獲物だ。処分対象に過ぎない。解放するなどあり得ない。
 どこの馬の骨かもしれない使い魔ごときに邪魔はさせない。人語を理解して喋るだけの獣人だ。ヴァリウスは目もくれないだろう。
 最後の呪いの発動だ。これがぼくの最終手段。終わった後は煮るなり焼くなりご自由に。張り付け獄門でも追放でもなんでもいい。ぼくがぼくらしく生きた証だ。こればかりは誰にも邪魔をする権利はない。ぼくだけに与えられた特権だ。
 チドリは、鎖の先にいる人の気配を力強く感じていた。
 人の生き死にを操作している。神官のあるまじき行動に自分自身が驚いていた。何とも言えない高揚感。何とも言えない虚無感。相反する感情を抱えつつも、何とも抗えない己れに、ただただ絶望するしかなかった。大それたことをしているのにもかかわらず、気持ちが動かないのだ。絶望していると理解しているのに、正常な気持ちを取り戻せないのだ。むしろこれが正常であるかのように心の波は静かで穏やかだった。

 空間がひずむ。
 小刻みな揺れが来たかと思った時にはすでに遅いのだ。 
 空気が震え、世界を二分割するかのような風のように早く鋭い刃が現れた。
 これと同じようなことが以前にもあったと、雪は思い出した。悪寒のようなゾクっとしたこの感覚。城から神殿の様子を確認してきたレアシスに攻撃を仕掛けた時だ。あの時は一瞬で分からなかったけれど、今ならわかる。

 「ククル!逃げて!!」

 雪は、二人の間をに割って入って来た刃にすぐさま反応した。
 殺気に似た不穏な空気を感じ取り、ククルの体を遠くに退けた。
 ギャッとひくついた声を上げてククルは尻餅をついた。
 粉塵がぶわっと舞い上がり、茶色い煙幕が雪とククルの間に壁を作った。

 「影付きさん!」

 「ククル!!」

 二人は手を伸ばすも、煙幕に邪魔をされた。もがくばかりでその手は繋がれることはなかった。
 もう会えない。ククルの脳裏には、そう浮かんだ。







 「何を笑っている」
 立場を考えろと査問委員会のグドゥーはチドリを睨んだ。

 「…別に何も」
 チドリは肩をすくめてグドゥーに答えた。壁に寄りかかり、誤魔化すように隣にいるサリエに微笑を浮かべた。場に相応しくない意味ありげな表情だ。

 (何を考えているの?)
 サリエは不安そうに心の中で訴えた。自らが呼んだ査問委員会に拘束をされ、身動きも言動も制限されてしまった。
 「大人のけじめよ」
 と称して呼んだはずだが、扱いのぞんざいさに少々腹を立てていた。両腕を後ろに回され縄で縛られてしまった。
 問題なのは、
 「乱れた風紀と神官と女官のふしだらな関係」であり、チドリが破った禁呪などではなかった。

 「きみの真面目なところが裏目に出ちゃったね」
 チドリはニヤニヤと笑った。
 もはや査問委員会とて、ヴァリウスには逆らえないのだ。チドリの違反行為をもみ消してきた。

「…あなたが不真面目すぎるのよ」
 サリエは不埒な態度をとるチドリに反論した。

 (嘘。真面目なのはあなた。規律に反することを誰よりも嫌っていたはずなのに。何故こんなことになってしまったの?)
 サリエは信じられないという表情でチドリを睨んだ。不安と心配が入り乱れる。

 「…きみの思い通りにいかなくてごめんよ」
 サリエの心を読んだのか、チドリは深く頭を下げた。

 「気持ちの入ってない謝罪なんて無意味よ。投げやりにならないで。きちんと考えて。今をどうすべきか。あなたのすべきことは何?」

 「投げやりになんてなってないさ…ぼくのすべきことは一つだよ。影付きを消して、マリーとシャドウに神殿を継がせる。理想的だろ。
 知ってた?シャドウは今は影付きに夢中なんだよ。あんなマリーにしか神経を注いで来なかった男がさ。驚いたよ!よりにもよって影付きとはね。趣味が悪すぎる!シャドウはどうかしてるよ」

 どうかしてるのはぼくの方だ。親友の想い人を消そうとしている。
 それが正義だと過信している。

 チドリは自分の発言に吐き気がしていた。

 発言した事と心の声は別だ。口にした先から訂正していくなんておかしな話だ。どうかしてるのはぼくの方だ。

 「…シャドウには会ってないわ。でも、あのシャドウがマリー以外の人に関心がいくのは良い傾向よ。それが影付きでも誰でも。成長した証になるわ」

 「どうかなぁ。一方通行だけの愛なんて無意味じゃないか。時間のムダだよ。報われない愛ほど虚しいものはないだろ?」
 
 ついつい憎まれ口を叩いてしまうのは何でかな?サリエが他の男を褒めたから?馬鹿な。相手はシャドウだ。やきもち焼く相手ではない。

 「そうかしら。相手に届かないのもまた一興よ。その間の自分は愛を追い求める狩人。愛するがゆえに過ちを犯してしまう健気な自分に酔いしれるわ」

 「そんな犯罪めいたことをさらりと言われてもね」
 うん、違う違う。気のせい気のせい。

 「それに、一方通行ではないかもしれないわよ。あの二人。口には出してないだけで心は繋がっているはず。ふふ。あなたにもそんな相手がいれば良かったのにねぇ」 
 サリエは姉のような眼差しでチドリを見つめた。

 「…ぼくにはいらないよ。こんな不幸な奴について来る女性なんているわけがない」

 「ふふ。そう思っている時点でまだまだ子どもよね」
 
 チドリはムッとしてサリエから顔を背けた。その相手は自分だと言わないあたりが鼻についた。ぼくを脅迫めいた行動をし、色仕掛けで翻弄してきたくせに今となれば知らぬ存ぜぬだ。

 「…意地悪ババア」
 サリエに跨られていた時、無関心を装っていたが、体は反応してしまっていた。それが一番後ろめたい。

 「誰がババアですって!」
 金切り声を上げて立ち上がるサリエに、グドゥーがまた止めに来た。ヴァリウスの指示には逆らえないとはいえ、このグドゥーとは個別に連絡を取っていた。自分に何かあったらサリエとマリー、他の女官達は保護してほしいと。
 他の働き口を探してもらっていた。

 「大人しくしてろ」
 グドゥーでもサリエは抑えきれないだろう。厄介な役を引き継がせてしまったとチドリは心の中で、グドゥーに謝罪した。

 「…誰かだなんて、ぼくからは言えないよ」
 ぼくはきみを何度も裏切りたくないからね。

 「そう?」
 サリエは柔らかく微笑んだ。寂しさも残る表情に、チドリは呟いた。

 「…ぼくを待っていたりしないでね」

 「ふふ。私意外とモテるのよ?立ち止まっている時間はないわ。それに、まだまだやる事がたくさんあるもの」
 サリエはふわっと笑みを浮かべ、くるりと体を回転させた。グドゥーが座れと言わんばかりの顔を向けてきたが、声には出さなかった。

 「…あなたこそ、己れを省みて反省しなさい。大神官になれないのは素質だけのせいではないと思うわ。いつまでも過去に囚われていてはだめよ。あなたはまだまだ学ぶべき事がたくさんあるはず」

 「…それはなんだい?」

 「自分で考えて探しなさい」
 あなたは一人じゃない。他者を頼っていいのよ。周りをよく見て、行動することが大事だと思うわ。

 サリエはチドリに向き直り、座っているチドリのおでこに自分のおでこを付けた。嫌いだと言っていたラヴェンの香水が鼻をくすぐった。あの夜を思い出してしまうから、すぐに離れて欲しい。気持ちを呼び戻さないで。

 「…あなたはまだまだ私に秘密にしている事があるわね?私を騙くらかして、何食わぬ顔で実行しようとしている。私にはそれが何なのかわからないけれど、それはあなたを永遠に蝕み続けていくわよ」
 チドリのバックにはヴァリウスがいる。そのことを言っているのだろうとチドリは思った。

 「…何だいそれ?怖いこと言わないでよ」
 察するのが早いな。でもそれ以上踏み込んで来ないでよ。

 「戻れるなら戻りなさい」

 「いまさら…どこに?…」
 こっちに来たらダメだよ。

 「進むべき道をあなた自身が目を逸らしてちゃダメよ」

 「…今さら説教かい?遅すぎるよ」
 頼むから大人しくしていてよ。

 「遅いと思うなら、まだ未練があるのよ」

 「…そんなもの」
 無いなんて言えるわけがない!両手でも足りないくらいだ。

 「迷いがあるなら戻りなさい。その口調もおかしいわよ」
 サリエの凛とした表情に、気持ちが持っていかれそうになった。
 「オレ」から「ぼく」に変わった経緯が蘇って来た。
 涙が、感情が。ポーカーフェイスを装っていても、仮面はいつか剥がされる。
 チドリの表情が苦痛に満ちていく。

 「…きみの言っていることはわからないよ」
 チドリはサリエを避けて顔を背けた。

 うわべだけの言葉ではない。サリエの気持ちだ。ぼくには欲しくてたまらない言葉。本当は馬鹿者と叱りつけて欲しいんだ。怒鳴られて横っ面張り倒して欲しい。きみに心配されたいんだ。ぼくは君の艶かしい表情を下から眺めるよりも、ぼくの身長に目線を合わせて、微笑んでくれる方が好きだ。頑張ったねと褒めてくれる方が好きだ。
 きみの存在そのものが、ぼくを認めていてくれている。
 ぼくがここにいていいんだと証明してくれているんだ。

 「でも、…ありがとう」

 感謝してもしきれない。きみは最初で最後の人。
 戻れるなら戻りたい。
 だけど、ぼくにはまだやる事がある。
 きみの美しい顔が、苦痛に歪む様を想像したくはないけれど、いずれ、そうさせてしまうんだろうな。

 ぼくは裏切り者だからね。

 もうすぐ、最後の呪いが発動される。
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