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ここは男子寮ですか?

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 できる限り人と関わらずに生きていきたい――。それが最大の願いである真野風香には、苦手なものが三つあった。


「距離がやたらと近い人」、「汚い場所」、「男性」。


 その全てを満たした状況が、目の前に広がっている――。
 風香は冷や汗をかいていた。目の前には、彼女が作ったカレーを凄まじい勢いで掻きこむ成人男性3人の姿。


 風香がいるのは、漫画家・早瀬ハルマ先生の仕事場である。風香はひょんな理由から食事や職場環境の維持をするアルバイトとして雇われたのだった。


 今日は勤務初日。


 先生とアシスタント2名は脇目も振らず、まるでこの1週間で初めて食事をしたように――実際、まともな食事という意味では1週間どころか1ヶ月ぶりなのだが――スプーンを口に運んでいる。


「はっきり言ってここの職場環境は最低水準だったけどね、」


 アシスタントの鳴海が口にまだ入った状態でモゴモゴと言う。


「原稿は遅いし、徹夜当たり前だし、女子いないし、誰も飯作れないし。三重苦ならぬ四重苦だよ。風香ちゃんが来てくれてマジで嬉しい」


 そう言って鳴海さんは風香に微笑みかけた。
 色素が薄そうな茶色の髪は、無造作なのにサラサラ。お洒落なベッコウ柄眼鏡の奥の目も、髪と同じ薄茶色だ。風香はこの綺麗な男性の容姿に少し見惚れた後、はあ、と曖昧に相槌を打った。


 この容姿でナチュラルに風香「ちゃん」呼びである。シンプルなのに洗練された雰囲気のある鳴海はいかにも女性の扱いに長けていそう。
 はっきり言ってちょっと苦手なタイプだ。


「ほんと、僕もやめようかと思いました。そもそもアシの数が足りてないんですよ。岸田先生の時は常時5人いて、各分野で振り分けが……」


 気難しそうな雰囲気のある山名がブツブツと不満を並べるが、こうした愚痴は日常茶飯事の模様。他の2人は興味や関心を示す素振りすらせず、食事を続けている。山名も聞き手を必要とするタイプではないらしく、気持ちよさそうに言葉を紡いでいく。


 風香はそんな彼らの勢いに圧倒されて、惚けたように彼らを見ていた。
 いかにも安そうな木目調のテーブル。
 無頓着なのか、種類のバラバラな食器。風香が作ったカレーとパプリカのサラダは、目に見えて減っていく。

 
 風香ははす向かいの精悍な顔立ちをした青年に目をやった。

 
 早瀬ハルマ、もとい本名蒼井春真。21歳。この職場のドンである。


 週刊少年漫画雑誌Leapで連載を開始したばかりの駆け出しの漫画家。大学時代に投稿した作品が新人賞の大賞を受賞し、トントン拍子で連載が決定。今は大学を休学中とのこと。漫画界では期待の新人としてちょっとした有名人らしい。


 漫画に疎い風香でも少年漫画の最大手であるLeapは知っていたし、六歳も年下のこの青年がいわゆる「天才」として編集部から期待されていることは編集部から聞いていた。


 色白で精悍な顔立ちをした早瀬先生は、漫画家というよりもモデルと言われた方がしっくりとくる青年だった。


 その上、大学も地方の名門・北応大学らしいから、神様はお気に入りをとことん贔屓する方針らしい。とはいえ、連日長時間作業しているせいか、姿勢も顔色も悪い。そんな早瀬先生の青白い顔に次第に血の気が戻ってくるのを風香は見つめていた。


 と、急に早瀬先生が立ち上がった。反射的にびくりと体を引いてしまった風香に気づく様子もなく、先生は風香の手を握ってブンブンと振った。

 
 どうやら握手のつもりらしい。


「めっちゃくちゃ美味いです!!」


 彼は顔面を綻ばせながらそう言い、風香に笑いかけた。精悍な顔立ちがクシャリと崩れて、子犬のような幼さになる。最初は年齢より大人っぽく見えたが、こうして見ると確かに20そこそこといった印象である。手を握られたのが気まずくて、半ば振り払うように手を引いたが、先生は気にする素振りもない。


 20くらいだと、初対面の人にこの距離感で普通なのかな……。


 おかわりして良いかと聞かれ、皿を回収した。舐めるように綺麗になったお皿。


 ――人参が全部残っていることを除いては。


 彼の方をチラリと向くと、屈託のない笑顔で微笑み返してきた。


「人参は抜いてくださいね!肉が多ければ多いほど嬉しいです!」


「は、はあ……」

 
 もしかして、いや、もしかしなくても偏食っぽい。

 
 その証拠に、付け合わせのサラダも新玉ねぎを綺麗に残している。あなたは子供ですか、と心の中で問いかけつつ、まあ確かに21歳ってそんなもの……?答えのない問答を繰り返している間に、鳴海と山名もはい!はい!おかわりしたいです!と叫び出した。まるで小学生の給食対応をしているようである。


 風香は散らかっている床に足を取られないように気をつけながら、それぞれに対応する。


 それにしても2DKのこの作業部屋は散らかりすぎだ。

 
 床には資料と思しき本や郵便物の山があり、おまけにゴミの日に出し忘れたペットボトルが隅っこに整列している。初日だから遠慮したが、手を入れるべきところは大量にある。しかも心なしか、空気も汗臭い……気がする。


「距離感の近い」「男性」に「汚い場所」。
 ここには私の苦手ものが全て揃っている……。


 まるで男性寮に来たみたいだ、と風香は思った。それはあながち間違いではない。これから風香は寮母よろしく、この20代成人男性3人の面倒を見ないといけないのだから。
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