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松穂

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第2部

花咲け!ガールズクッキング

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「……へぇー、じゃあ、レストラン、ウェディング、パーティー、なのに、傘下の、店は、使わな、いんだ」
 ギュッギュッと、大きなボウルの中身を捏ね回すたび、口から発する言葉にも力が入る。
「うん、なるべく社員全員がゲストとして出席できるようにって。でも、クロカワフーズのお店じゃないけど、西條さんが出しているお店って言ってたな……あ、西條さんっていうのは、うちの正社員じゃないんだけどマネージャーをしている人で」
「へぇ……、なんか、複雑、だね……っ」
「うん、統括が是非にって頼み込んだらしくて」
「統、括?」
「ああ、うちの統括部長……社長の奥様で新郎のお母様、なんだけど。……麻実ちゃん、もういいかも」
「そう? チカラ、ワザなら、任せな、さい! アタァァァァッ!」
「……そういうのはいらないから。はい、じゃあ丸めよっか」

 “肉種” に向かって鋭い手拳を突き刺した麻実に、葵は呆れ半分でステンレスのバットを用意する。
 そして葵も腕まくり、麻実と並んで手本を示す。
「丸めたのはここに並べてね。大きさは……これくらい、かな? ……これをこうして……」
 手のひら大の “肉種” を軽くまとめて、それをリズムカルにパン、パンともう片方に手のひらに打ちつける。何度か繰り返し空気を抜いて、形よく整えた楕円形の真ん中をほんの少しへこませればOKだ。

「おおー、さぁすが、洋食屋の女将おかみ! プロみたい!」
「女将じゃないし。うちのチーフなんかこんなもんじゃないよ。ものすごく速いし打ちつける手が逆なの。私はできないんだけど、こう……下から上に打ちつける感じ?」
「下から上? ……えーっと、こう……あぁ……っ!」
「ちょ……麻実ちゃん! あー、もったいない……」
 ものの見事に手から外れて彼方へ飛んでいった “肉種” を慌てて回収する葵と麻実。
 年頃の娘たちが行う所業としては、いささか覚束ないようである。


 九月の第二水曜日、休日返上で片づけなければならない仕事もなく、葵は久々に旧友の青柳麻実と会っている。
 葵の実家マンションのキッチンを陣取り、二人で悪戦苦闘して作っているものは、前述を見て分かる通り(?)のハンバーグステーキ。
 実はこの二人、すでに午前も早くから『アオヤギ・スイミング』でひと泳ぎしている。その運動後の空腹を満たすため、昼食は美味しいハンバーグが食べたい!と言った麻実に、だったらたまには作ってみない?と葵が提案し、麻実もよっしゃと乗り気になった。
 ところが麻実曰く、『アオヤギ・スイミング』の裏手にある青柳家では今、プールのリフォームにかかる準備で、事務関係の諸々の荷物一時保管場所となっているらしく、とても料理を楽しめる状態ではないという。
 それなら青柳家から徒歩十数分ほどの場所にある水奈瀬家へ行こう、ということになり、近所のスーパーで食材を調達したのち、二人は意気揚々、ハンバーグ作りに着手したという次第だ。
 ちなみに、不在である本来のここの住人、蓮と萩には、きちんと断りのメールを入れてある。ついでに彼らの分も作り置きしておけば、文句を言われることもないだろう。

 しかし、たかがハンバーグ、されどハンバーグ――
 定番家庭料理であるはずのこの一品、なぜにこうも難航するのだろう……
 とりあえず葵の方は、母が宮崎に行ってから台所に立つことも増え、家政科の短大では栄養士の資格が取れる課程だったので、料理に関する知識や関心は高い。しかも、働いているのはレストランだ。実際、職場で調理にたずさわることはないが、出てくる様々な料理は葵の好奇心を大いに刺激し、佐々木や遼平にレシピやコツを尋ねることも少なくない。
 であるから、少々麻実が料理に不慣れでも、葵のフォローでちゃちゃっと作れるだろう、と思っていたのだ。が……甘かった。
 意外にも、麻実本人が嬉々として色んな作業をやりたがったのが誤算だった。望むがままにやらせてあげたはいいが、玉ねぎのみじん切りだけで、一体どれほどの時間を浪費しただろう。
 残念なことに、麻実の料理スキルは小学生の調理実習並みなのだ。そもそも青柳家では、母実可子からしてあまり器用ではない。その影響か、青柳家の男衆(父と兄三人)はそれを補うように器用さを身につけてきたのだが、逆にそれが、末妹の麻実を甘やす結果となったらしい。
 彼女の不器用さは矯正どころか、この年になってさらにバージョンアップしている気がしてならない。彼女も実家を出て一人暮らしをしているが、食事などどうしているのだろう。今更ながらに葵は心配してしまう。
 ダイニングの壁掛け時計をちらりと見上げれば、料理開始からかれこれ二時間弱……いい加減、お腹が空き過ぎて倒れそうだ。しかし、足を引っ張った麻実はと言えば、それは楽しそうにハンバーグの肉種と戯れている。
 まぁ、たまにはこういうのもいいかな、などと苦笑しながら、葵は麻実の頬にまで飛んだ挽肉を拭き取ってやった。

「結婚か~、まったく想像できないなー。うちの編集部って独身女性が多いしさ、なんかアタシもこのまま一生、独身を貫くかも」
「まあね、世の中そういう女性が増えている、っていうのは聞くけど」
「ケンシロウ並みの男がいたら、結婚してやってもいいかな」
「指先一本で人間を木っ端みじんにする人だよ? いいの?」

 気を取り直しての、ハンバーグ成形作業再開。
 先ほどに引き続き、話題は「同僚の結婚披露パーティー」である。どうやら麻実も葵と同じく、結婚という言葉にリアリティが感じられないようで、二人の間には夢も希望も色気もない会話が交わされている。

「麻実ちゃんはバックに小舅、大舅が四人もついているからねー。まずは、三人の猛者と大ラスボスに立ち向かえる “ケンシロウ” を探さなきゃ」
 パンパンと小気味いい音を出しながら次々とハンバーグの種を成形する葵の隣で、麻実は幼稚園児の粘土遊びよろしく、何やら怪しい手つきである。
「兄貴たちと親父ってこと? あんなのどうにでもなるって! 葵んとこのシスコンぶりに比べたら何てことないよ」
「うちはシスコンじゃないってば。まぁ……色々あって過保護な部分はちょっとあるかもしれないけど……」
 四年前の災厄からつい最近までずっと、蓮と萩にはずいぶん心配させて迷惑をかけたという自覚はある。だからと言って、あれがシスコンなのかと問われれば、葵は全力で首を横に振り続けたい。
「世間でいうところの “シスコン” って、もっと甘い、、感じじゃない? うちにはそんな甘さ、、は全くないもん」
 葵の主張に、麻実は「甘さ、ねぇ~」としばし考え込んだが、ふと思いついたように口を開いた。
「……ねぇ、葵。アタシたちって、恋愛スキルが中坊レベルなんだって」
「え? ……どういう意味?」
 問い返した葵に、麻実はむぅ、と唇を突き出す。
「こないだの夜さ……ほら、葵のお店であの男、、、と鉢合わせした」
 葵は、ああ……と頷いた。
 二人で飲んだいつかの夜――何の因果か葵の元彼、伊沢尚樹を絡める乱闘騒ぎの渦中に、二人して駆け込んでしまったあの夜のことだ。

「あの後、蓮さんと葵をマンションまで送って、伸兄と一緒に帰る途中ね、言われたんだ……『お前も葵ちゃんも、男に囲まれすぎたな。それが恋愛スキルを磨けなかった一因かもしれない』……ってね。つまり、アタシも葵も恋愛経験値は中坊レベル以下、そのせいで変な男に騙されやすいんだってさ」
「騙されやすい、って……それはヒドイな」
「伸兄は、別に葵を馬鹿にしたわけじゃないよ? でも一理あるなって思った。ホントに物心ついた時から、アタシの周りって男ばっかりだったもん。葵だってそうでしょ?」

 そう言われてみれば、確かにそうだけれども。
 男兄弟に囲まれ、親戚関係も何故か男が多かった。友達に女の子がいなかったわけじゃないけれど、よく遊んだ仲間は男子比率が大きく、遊び方は自然と男の子寄りの遊びだった。
 近所の公園や空き地で探検ごっこや修行ごっこ。秘密基地におやつや宝物を持ち寄って、隣校区の子どもと陣地取り合戦をしたこともある。自転車でつい遠出しすぎて、麻実共々両家の母親にこっぴどく叱られた記憶も懐かしい。
 そういった日々にまるで違和感さえ覚えなかった。兄の影響も大きかったし、二人ともそんな遊び方が性に合っていたのだ。

「んでさ、一番身近にいた男ってのが、揃いも揃ってこの界隈ではちょっとした有名人だっだじゃん。どこへ行っても “○○の妹” って目で見られてさ。しかも、蓮さんにしても、うちの兄貴どもにしても、何故かリーダー格で常に仲間引きつれて……だからアタシらに男が寄り付かなかったんだよ!」
「うーん……そうなの、かな……」

 手に馴染んだ肉種をそっとバットに並べて、葵は当時(小中学生時代)の兄たちを思い出してみる。
 麻実が言うように、葵たちが物心ついた頃から、蓮や謙悟、そして伸悟に章悟はとても目立つ存在であったのは事実だ。
 一番上の水奈瀬蓮、青柳謙悟は、二人そろって体躯が大きく、それに比例して容姿も大人びており(端麗だ、とは敢えて言わないでおくが)、また二人ともリーダー性に長けていたので、同じ学校内のみならず、他校でも彼らに一目置く生徒が多かった。
 さらに、その下の青柳家次男の伸悟と三男の章悟も、兄たちの軌跡を追うように成長していき、そのやんちゃぶりは長男以上であったため、いつも仲間を従えたガキ大将的な存在。
 皆がそろって『アオヤギ・スイミング』のクラブ生で、常にトップに立つタイム保持者であり、あちこちの大会で優秀な成績を収めていたことも、その名を周囲に知らしめる一因となっていたかもしれない。
 葵と麻実の女子力ならぬ “男前度” が上がったのは、特に年の近い伸悟と章悟の影響であることはおそらく間違いないだろう。麻実と遊ぶときは必ずと言っていいほど、彼らの存在が近くにあった。
 つまり麻実が云わんとするところは、彼らがいつも葵と麻実の背後でその威光を振りかざしていたおかげで、自分たちに近づく男を、知らず知らずのうちに牽制することになってしまったといったところか。
 葵自身は、それはちょっと大げさじゃない?と思うのだけれど。

「――だからね、アタシたちに男運がないのは、すべてあの兄貴たちのせいなんだって! だいたいさー、小さいころから兄貴たちのオットコくっさいアレコレを目にしてるわけじゃん? そのせいで、異性に対する甘い幻想なんて抱けないわけよ。つまり、知らないうちに恋愛スキルを磨く意欲を削がれていたってこと! それってかなりの重罪だよっ?」
「ま、麻実ちゃん、握りつぶしちゃダメ……! ……まぁ、わかる気はするよ。蓮兄はそれほどでもなかったけど、萩はヒドイもん。男ってこんななの?……って呆れたことはよくある」
「でしょでしょ! そうだよね、萩はもう、典型的なオス、、って感じ。うちの章兄も同じタイプ。蓮さんと伸兄が同系統かなー。きちっとしててそんなに男臭くはないけど、計算高くて頭の回転が速くて腹黒ーい感じ? 一番まともなのは謙兄かなぁ……ああでもダメだ。謙兄って天然入ってるから妹のアタシでもよくわかんない……」
「ふふ、天然ね、そうかも……ねぇ、麻実ちゃん、もうソレいいんじゃない? 手の温度で脂肪が溶けてる」
「あん、アタシのハートが……あれ、もう全部丸めたの? 葵、速ーい!」

 麻実が、何やら歪なハート形(らしい)ハンバーグを一つ成形し終わる間に、葵は残り全部のハンバーグ種を丸めてしまった。
 これ以上は待てない、早く食べたいのだ!

「うへぇ、手がベタベタ……まぁ、つまりだ。葵もアタシも、そういうアクの強すぎる男どもに囲まれて育ったせいで、変な虫がつかなかった割には良い男も寄りつかなかった……と、そういうわけ。わかる?」
「……それで、 “恋愛スキルが低くて、騙されやすい” ……か」 

 挽肉の脂肪にまみれた手を洗いながら、葵はついこないだ、四年越しにきちんと別れを告げた元彼の顔を思い浮かべた。
 ……私は騙されたのだろうか……ううん、違う、騙されたわけじゃない。
 過去の経緯の中で間違った部分はあったかもしれないが、最後はちゃんと誠意をもって話をしてくれた。そこに嘘はないと、信じられる。
 彼に関して抱いていた恋情はすっかり消え失せてしまったけれど、彼と出会って一緒に過ごした日々を否定してしまうのは、どこか寂しいような気がした。

「……葵、もう忘れなよ、あの男のことは」
 ふと、隣で手を洗う麻実が、手に視線を落としたまま言う。
 葵の考えていることなんてお見通しだよ、と言わんばかりに、その声音は辛辣で険があった。
「……うん……もう、会わないし。大丈夫だよ」
「騙されたわけじゃない……なんて、葵は思ってるかもしれないけど、もうそういう問題じゃない。葵が許してもアタシは許せないから」
 ペーパータオルで手を拭きながら、麻実は怒りを露わに言い切った。

 伊沢尚樹と直接サシで話をした日のことは、その後、麻実にも簡単に伝えてある。
 妊娠・流産の件に加えて、伊沢尚樹があの頃抱えていた事情も、差し障りのない範囲で大まかな要所だけは話した。
 麻実の中ですべてがつながった時、伊沢尚樹に対する憤りは鎮まるどころか、さらにヒートアップしてしまったらしい。憐れみや同情の心など浮かぶ余地もなく、あまり人様に聞かせたくないような罵詈雑言が吐き散らされた。それほど、葵の受けた一連の災厄は、麻実にとってショック過ぎたのだろう。
 彼だけの責任じゃないのだと葵が声高に叫んだとしても、今はまだすんなり聞き入れてもらえる余裕はないのかもしれない。

「さ、麻実ちゃん、焼くよ! えーっと、蓋付きがいいから……これを使って。テフロンだから油はそんなにいらないと思う。まずは中火ね」
 沈みそうになった雰囲気を一掃するかのように、葵はフライパンを麻実に託した。
「おし。……中火ね……中火中火……このくらい?」
 火加減を任された途端、ピリッと緊張する麻実のへっぴり腰が面白い。
 米飯は炊いてあるし、付け合わせや簡単な野菜スープも作ってあるので(麻実の玉ねぎみじん切りタイムの間にほぼ完成させた)、あとはハンバーグ焼成の成功を祈るのみだ。

「――よっしゃっ! いざ、投入っ! ――アッチッ!」
 麻実の掛け声とともにジュアーッと弾けるような焼き音が響いて、次第に芳しいいい香りがキッチンに漂い始めた。
 焦げないように気をつけて、引っくり返した後は蓋をして弱火でじっくり。それさえ実践すれば、もはや大失敗することはないだろう。

「でもね、アタシたちって『いい男を見分ける眼はあるはず』なんだって。『いい男たちに囲まれて育ったから、その違いは本能でわかるはず』だとさ。これも伸兄の言葉ね」
「まだその話? ……もういいよ、どうせ恋愛スキルなんてないんだから」
 大体、 “騙されやすい” のに “見る眼がある” なんて、変な話だと思う。
 やっぱり、こういう恋愛云々の話は、葵の苦手分野だ。麻実の言う通り、自分の中にも恋愛に対する夢や希望はほとんどないのかもしれない。

「――ねぇ、葵? …… “黒河さん” って、いい男?」
「――わ……っ」
 突然出てきた名前に、思わず手にしていた平皿を取り落しそうになった。
 麻実は、フライ返しでフライパンの中をちょいちょいと突きながら、葵をちらりと横目で伺っている。
「……つき合ってるの?」
「つ……っ……ないよ、ないっ! そんなわけない!」
「でも、好きなんだ?」
「いや、麻実ちゃん……それは……」
「――好きなんだ?」
「あー……えっと……最近、自覚したって、いうか……」
 火照る頬を意識しながらモゴモゴと口ごもれば、麻実は何故か打ちのめされたような顔で「うわ、ホントだった……」と、げんなり項垂れた。
「はぁ……そっか……何か、ショック」
「麻実ちゃん? ……えっと……そろそろひっくり返そっか?」
 ガクンと肩を落とした親友に何と言えばいいのか、とりあえず遠慮がちにフライパンを指させば、じとーっと恨めしげな視線を返された。
「……私、やろうか?」
「いい! できるもん! 愛する親友をまたしてもさらわれた哀れな麻実様を舐めんなよ! ……よぉっ、とぉりゃぁ! こっちも……うりゃぁっ!」
「……だから、そういうのいらないってば。でも上手い上手い。いい焼き色だね。じゃあ、蓋して弱火ね」

 ハンバーグは焼くと成形時よりほんの少し小さくなるが、高さはふっくらと膨らみ弾力が増す。透明な肉汁がジュッと滲み出るまで、あと一息の辛抱だ。
 蓋をしたフライパンの隣で、野菜スープの小鍋を火にかけて温め、ダイニングテーブルの上には、ミニトマトやブロッコリーをあしらった平皿を置く。準備万端。
 てきぱきテーブルセッティングする葵をじっと見ていた麻実は、フムと大きく鼻を鳴らし、テーブルチェアに腰を下ろした。

「伸兄に聞いたよ。その “黒河さん” って人のこと。『葵ちゃんのために色々動いてくれたみたいだから、悪い人間じゃないだろ』って伸兄は言ってた」
 テーブルに肘をついて、唇を突き出しブスッくれたように麻実は言う。
「アタシもね、最初は気づかなかったよ。あの夜は頭に血が上っていて、あの場にいた他の人のことなんか気にかけていられなかったしね。でもあの後、葵と電話で何度か話すうちにさ、よく葵の口から “黒河さん” って名前が出てくるなーって思って。それで、伸兄に探りを入れたんだ。そしたら、伸兄は『そっとしておいてあげろよ?』とか言うし。 “そんなの前から気づいてたよ” 的な言い方にチョームカついた」
「……ちょっと待って、麻実ちゃん……今の何か、突っ込みどころがあり過ぎて……」
「葵がまた恋愛する気になれたことは、そりゃ嬉しいよ? でも正直言って複雑。また傷つけられたりしないかな、って。その黒河さんって人は、本当に葵を幸せにしてくれるのかなって、考えちゃう。別にどんな人だっていいよ、葵が好きになった人なら。でもこれだけは言いたい。……葵以上に強い人、、、、、、、じゃなきゃ、アタシはイヤ」
「麻実ちゃん」

 あまりにもハッキリクッキリな言い方に、つい苦笑いが漏れる。
 麻実の言いたいことはわかる。元彼、伊沢尚樹のことを、暗に脆弱だったと言いたいのだろう。親兄弟や育った環境の影響からか、麻実はとにかく身体的にも精神的にも “強い人間” が好きだ。そういう葵も、麻実に言わせると芯は強いらしいのだが、葵自身は、自分が強い人間だとは到底思っていない。
 大体、褒められるような強靭さを葵がしっかりと持ちあわせていたならば、四年前のような悲劇は起こらなかったはずだ。
 ――そもそも、強い人間とは一体どんな人間のことを言うのだろうか。

「でもさ、アタシが何を言ったって、葵の気持ちは変えられない、……でしょ?」
 真剣なまなざしを幾分和らげて、麻実は葵に問いかける。葵は、何だか泣きたいような心地で、こくりと頷いた。
「……麻実ちゃん……私、もう二度と恋愛とか無理って思ってたから、 “好き” って感情を持てたことだけで、今は幸せ……かも」

 心に宿るその思いは、そよ風にも震える新芽のように頼りなく儚げで、今後どのように育っていくのか、自分でも全く想像もできないものだ。
 ことに恋情を自覚した途端、何となく彼から避けられているような気がしてならない今日この頃である。今後の発展に、あまり……というかほとんど期待できないのは、葵だって十分わかっている。
 それでも、持ち続けていたい。手放したくはない。

「――わかったよ」
 色づいた頬を隠すように俯いてしまえば、麻実は諦めたように笑った。
「反対しないし応援するから、約束して。何かあったら必ず誰かに相談すること。一人で抱え込まないこと。……もう、あんな葵は見たくないよ」
「……うん、そうだね。……ごめん」
「あー、ナーンかヘンな空気」
「ふふ、ホント。でも、ありがと……麻実ちゃん」

 花も恥じらう乙女、には程遠いこの二人、やはり恋バナはハードルが高い。
 思えば今まで二人は、こんな恋愛チックな話をあまりしたことがなかった。二人で楽しめる話題は他にいくらでもあったし、葵も麻実も、二十歳をとうに超えた今でさえ、恋愛事に関してはどこか照れくささを感じてしまう初心さが抜けきれていないのだ。
 だから、顔を見合わせた二人は、ぶふっと吹き出した。

「ね、もう、ハンバーグ焼けたんじゃない? すっごくいい匂いがしてきたー!」
「うーん、どれどれ……おおー、ちょっと焦げちゃったかな……ま、このくらいならOKか。よし、食べよう!」
「わーいっ! 長かったー! ハンバーグってこんなに手間暇かかる料理なんだね。知らなかったー」
「いや……結構簡単にできるんだけどね本当は。……あ、ちょっと待ってて。今ソース作るから」

 焼きあがったハンバーグをパパッと平皿に移し、そのままのフライパンに、ケチャップとウスターソースを適量入れて火を点け、少量のバターと料理酒を加え、最後に粒マスタードも少し。軽く煮詰めれば、なんちゃってハンバーグソースの出来上がりだ。
 市販のドミグラスソースを買って温めてもよかったのだが、なまじ本場のドミソースの味を知っていると、どうしても市販品の味に安っぽさを感じてしまう。だからこんな時はドミグラスソースから離れるのも一興かな、と違うソースにした。
 ちなみに前述の “なんちゃってソース” は、佐々木チーフから仕入れた、家庭でも簡単に作れるソースレシピだ。本当は料理酒の代わりにバルサミコ酢がベストらしいのだが、水奈瀬家のキッチンにそんな大層な調味料は常備していないのでやむを得ず料理酒で代用……まぁ、何とかイケるだろう。
 皿の上のふっくら熱々ハンバーグに、煮詰めたソースをジャッとかければ、ようやくの完成!
 ――ああ、なんて長く険しい道のりだっただろうか。
 双方向かい合わせでダイニングテーブルにつき、麦茶で乾杯。そして早速「いただきまーす」と合掌して箸を取る。

「んんーっ! ふまひうまいっ!」
「うん、上出来だね」
 最初の一口を頬張れば、なかなか美味しく仕上がっている。家庭で作るハンバーグにしては上々だろう。ちなみに、麻実お手製のハート型(だと言い張る)ハンバーグは、焼かれていない。つまり、蓮もしくは萩のために冷蔵庫保管組へと回された。(何故だろう)

 美味しさに咆哮し、熱さに悶絶しながら、麻実がふと思いついたように顔を上げた。
「ねぇねぇ、伸兄が教えてくれたんだけど、黒河さんって昔、慧徳で競泳やってたんでしょ? 謙兄や蓮さんと同い年だって? しかも蓮さんと同じバタフライ」
「あー、うん、そうだってね。蓮兄もびっくりしてた。世間は狭いな、って」
「だよね。伸兄が言うには、慧徳ってその頃は結構強豪揃いで、黒河さんもジュニアの頃からそれなりに名は通っていたんだって。でも、伸兄が高校へ進んだ頃にはいつの間にか辞めちゃってたって。……何かあったのかな。伸兄も詳しいことはわからないって言ってたけど」
 そう言って、麻実は白飯を口に押し込む。
「そういえば蓮兄もそんなこと言ってた気がする……そっか……伸悟さんは蓮兄たちの二つ下だったね……」
 伸悟が高校に上がった年、蓮や侑司は高校三年。インハイ出場をかけた最後のシーズン……
 不意に葵の胸の奥で、何かが小さくパシャンと跳ねた気がした。

『……あれから気にはなっていたんだよな……』
 これは蓮のセリフだ。確か五月末、宮崎へ一緒に行った時、飛行機の中でそんな話になったのだ。葵から侑司の名を聞くと、『慧徳の黒河侑司か』とすぐに思い出し、何だか意味ありげなよくわからないことを呟いていた覚えがある。
 ――そして……

『……俺はインハイにも行けなかった……』
『……一時期、トラウマと思える症状を発症したことがある……』
 以前聞いた侑司の言葉。
 ジュニアの頃から名の知れた有望選手……学年も学校も違う伸悟が彼の名を知っているということは、大きな大会に相応の回数出られるほどのタイム保持者だったということだ。なのに、伸悟が高校一年に上がった時には辞めている……引退前に。
 ……何かが、あったから……?

「でもさ、その黒河さんって人、アタシもこないだの夜一回しか会ったことないけど、結構いい身体していた気がするんだよね。今はかなり泳いでるんじゃない?」
「うん……私もそう思う……」
 麻実にはそう返しながら、葵はぼんやりとミニトマトをフォークで突き刺した。

 ――考え過ぎ、かな。
 ただ単に、地区大会や支部大会でいいタイムが出ず、インターハイまで手が届かなかったのかもしれない。途中で辞める理由も、勉学との兼ね合いや家庭の事情などあり得そうな可能性はいくつかある。
 彼の言った “トラウマと思える症状” は、水泳とまったく関係のないことかもしれない。
 すべてを結びつけて考えるなんて……いくら何でも勘繰りすぎだ。
 余計な詮索をしてしまいそうな自分を内心で叱咤すれば、麻実がタイミングよく話題を変えた。

「――ね、葵、この後どうする? アタシ、ちょっと買い物行きたいんだけど」
「あ、私も! 結婚パーティーに着ていく服を買わないと!」
「じゃ、久しぶりに『GIOモール』行こうよ」
「うわ、ホントに久しぶりだー。だって前回行ったのって何年前……あ、麻実ちゃんと行ったんだっけ? ほら、黒胡麻パフェ、食べたよね?」
「食べた食べたー! あーれは美味しかったね! 黒胡麻アイスと……えっと、何だっけ……すごく変わったトッピングが……」
「焼き麩、でしょ? あれは斬新だったよねー。ラスクみたいで」
「そうそう! そういえば、あそこの店の “豆乳パンナコッタ” ってテレビに出てたよ」
「うそ、パンナコッタ好きー。今日買って帰ろっかなぁ……」

 スイーツの話題を肴にハンバーグステーキをモリモリ食す、ガールズ(?)二人。
 恋愛スキルが低くとも、その辺はやはり紛れもなく “女子” なのである。




 
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