機械虫の地平

登美川ステファニイ

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第二章 赫灼たる咆哮

第七話 鎌を持つもの

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 カイディーニ山は巨大な山だった。タバーヌ国のカルサーク山も巨大だが、カイディーニ山はかなり延長の長い山脈のようだ。カイディーニ山脈としてはラカンドゥの東と南をほぼ塞いでおり、その長さは一〇〇〇タルターフ1800kmにもなるらしい。
 そのカイディーニ山脈の中でも玄関口と呼ばれるのが火の麓と言われる場所で、ボルケーノ族が管理する区域だ。東西に約百タルターフ180kmに渡って彼らの力が及んでいる。
 虫狩りもその他の参拝者などもここの関所で手形を買い山に入る。手形を買わなくても別の場所からこっそりと山に入ることは可能だが、手形を持っていないことが分かると強制的に下山させられる。機械虫の密猟などは特に厳しく取り締まっており、聖なる山での狼藉は決して許されない。ボルケーノ族は昔からカイディーニ山を守っており、手形制度もその一環だった。
 俺とザルカンもそこで手形を買い山を登り始めた。例によって関所にはザルカンの知り合いがいたが、ザルカンは今一族を追放されている扱いだからか、そいつらはザルカンを他の連中と同じく普通の登山者として知らぬ顔で扱っていた。離れた町ではともかく、ボルケーノ族のお膝元で親しげにするのは問題があるようだった。全く、面倒くさい連中だ。

 昼を回り、山の三合目といった所で俺とザルカンは休んでいた。いや、正確には俺が、だ。ザルカンは平気そうだったが、俺はやたらと息が切れてへたばっていたのだ。森の切れ間の赤い岩肌が露出した登山道で、ちょうどよく大きな平たい岩が脇にあって、俺はそこで横になる。
「だらしないのう、虫狩り。普段は寝て過ごしてるんか? こんな程度でへたばるとは……」
 ザルカンは額に薄っすらと浮いている汗を拭いながら言った。ザルカンも疲れていないわけではないようだが、平気な顔をしていた。普段から山で暮らしていただけあって、この程度なら問題にはならないようだった。
「くそ……森の中なら一日でも歩けるが……山は、初めてなんだよ……」
 俺は地面に寝転がりながら荒く息をついていた。歩いた距離で言えばせいぜい数タルターフ数kmだろう。しかし走っているわけでもないのに息が切れる。山を長距離歩いたことはなかったが、登りの道がこんなに疲れるとは。山で暮らしている虫狩りは平地の虫狩りより強靭な体だと聞いたことがあるが、それも頷ける話だった。こんな所を毎日上り下りしていれば、嫌でも力がつくはずだ。
「ふん、情けないのう」
「お、俺は……お前と違って、山に慣れていないんだ……もっとゆっくり……歩いてくれよ」
「お前に合わせとったら機械樹が枯れっちまうじゃろうが。まったく……まあいい。ひ弱な虫狩りは少し休んどれ。どうせ六合目で一泊せにゃあならん。この調子なら夕方には十分間に合う」
「六合目で……何かあるのか? 関所か?」
 俺はいくらか呼吸が落ち着き、体を起こしてザルカンに聞く。
「うんにゃ、風病みにならん為の風祓いよ。一気に登ると風が体を通り抜けて頭やら腹がおかしくなるんじゃ。そうなると大の男でも動けんようになるから、六合目で山に体を慣らして次の日に改めて登る」
「風病み……? 初めて聞いたが……ひょっとして俺が今疲れてるのもそのせいか?」
「それはただの運動不足じゃ。たるんどるだけじゃろう。風病みになるとそんな軽口も聞いておられんようになる。まあ大したことない場合もあるが、人によってもなる時とならん時がある。風次第じゃ」
「へえ、そんなのがあるとはな……」
 何故そんな難儀な所に住んでいるのか疑問だったが、ボルケーノ族なりの理由が何かあるのだろう。よそ者には理解できないことだ。
「うむ……お、虫がおるな……土産に何か獲っていくか……」
「虫?」
 虫と聞いて俺はザルカンの見ている方を向く。二〇ターフ36m程先から森が始まっているが、そこから更に奥に何か動くものがあった。機械虫のバッタがいた。
「バッタか……この辺じゃよく見かけるのか。俺の町の近くじゃあまり見ない」
「おう。山の森にはよくおるぞ。上に行くほどだんだん小さくなっていく……じゃが、わしが言っとるのはバッタじゃのうて、その横の奴よ」
「横?」
 目を凝らしてみるが他の機械虫は見えない。目の青い光はバッタのものだけだ。そう思ってみていたが、何かがおかしい。何かが動いて…いる。見間違いじゃない。確かに何かがいる。
「……カマキリか?」
「おうよ。森カマキリじゃ。葉っぱや枝に擬態しとるから分かりにくいがな、慣れればすぐ分かる」
「へえ……久しぶりに見たぜ……」
 森カマキリはバッタの近くの木の枝葉の間に隠れていたようだ。その姿形は名前の通り森に同化している。色も茶色く木の幹のようで、表面にもゴツゴツとした模様が見て取れる。ザルカンに言われなければ気づかなかっただろう。目の青い光も、目立たないようにか殆ど見えないくらい弱い光になっている。蛾やナナフシも周囲に合わせて色を変えたり目の色を弱くするが、カマキリにもそういう奴がいるとは初耳だった。そもそもタバーヌ国ではカマキリ自体が珍しい。
 カマキリは両腕の鎌を揃えてゆっくりと樹上からバッタに近づいていく。バッタは機械樹の周りの草を食べるのに夢中なのか、頭上の脅威には全く気づいていない様子だった。カマキリが更に接近する……そして……!
 一瞬の動きでカマキリの鎌がバッタの体を挟んだ。後頭部と胴の中間の二箇所だ。金属の擦れ合う音が響き、バッタの脚が地を蹴って下草を舞い上がらせる。だが鎌は外れない。バッタは抵抗するが体を完全に持ち上げられ、最早地面を蹴ることもできない。
 そしてカマキリはバッタの体に牙を突き立てる。頭の後ろ、人で言えば首の付け根のような部分だ。ミリミリと装甲と基部構造が牙で砕かれ、バッタは虚しく脚を動かしながらも食われていく。本当の昆虫と同じような有様だ。
「カマキリ……他の機械虫を食うのか? 初めて見たぜ」
「虫狩りのくせにか?」
「住んでる所によって生息している虫の種類は結構違うんだ。カマキリはタバーヌだとゴフ森林くらいでしか見ることはないし、じっくり眺めることなんて無いからな」
「ほう、そういうもんか。じゃあ……ちょうどいいか。お前の腕を見せてみい!」
「何?!」
「じゃから、あのカマキリを獲ってこいとゆうとるんじゃ!」
「何だと…?! あいつをか?」
 カマキリの大きさは二ターフ3.6m程だろうか。鎌だけで半ターフ90cmはありそうだった。今までやり合ったこともないし、弱点が何なのかも知らない。それに何より、戦う理由がない。
「奴と戦う理由がない。襲ってくるならともかく、無闇に戦うような真似はしたくない」
「理由か……わしの村に手ぶらで行っても格好がつかんからのう。カマキリの首の一つもあれば軽くは見られんじゃろう」
「そう言う事か……しかし……」
 ザルカンの言うことは分かったが、しかしいきなり戦えとは。
 俺は普段から虫を駆除しているが、危険度の高い虫と戦うようなことは滅多に無い。三ヶ月前は止むに止まれず戦ったが……あれは俺の人生の中でも例外的なものだった。
 しかも今戦えと言われている相手はカマキリだ。二ターフ3.6mなら機械虫としては中型から大型の部類だ。それを罠も準備も無しでいきなり戦おうとは、無謀にもほどがある。鎌なんて物騒な物を持っている機械虫と無策でやり合うなんて御免だ。
 虫は強く、人は弱い。
 虫狩りの鉄則だ。慣れた相手、知った土地であっても、機械虫が相手なら気は抜けない。ましてや知らない土地の知らない機械虫だ。戦いを挑んだ時点で、すでに半分負けているようなものだ。
「早くせい。逃げられてしまうぞ」
 カマキリは腹でも減っていたのか、すごい勢いでバッタを食べていた。首の後ろから胸の辺りまでを食い尽くしてバッタを二つに食い千切り、今は右の鎌で持っている頭部をかじっている。すでにバッタの目からは光が消え事切れているようだった。ザルカンが言うように、食べ終わってこの場から立ち去るまでそれほど時間はかからなそうだった。
「もっと小さい他の虫じゃ駄目なのか? カメムシとか」
「はははは! カメムシを土産にするとはな! 突っ返されて叩き出されるだけじゃ! どれ、わしも手伝ってやろうかの」
 そう言うとザルカンは足元の石を拾った。
「おいおい……! まさかお前、やめとけよ……?!」
「お前が死んだらちゃんと仇は取ってやるから心配はいらんぞ」
 ザルカンは右腕を振りかぶり、思い切り石を投げた。狙いはもちろんカマキリだった。
 バッタの頭を挟んでいた鎌が開き、その刃の背で石は払い落とされた。カマキリは頭を下げ、落下したバッタの頭部を名残惜しそうに見ていたが、やがてくるりと頭部をこちらの方に向けた。距離は遠いが、目が合った気がした。そしてその目が青から赤に変わる。
「おいおい、投げたのはこいつだぞ! やるならこいつを襲え!」
「がっはっは! おう、目の色変えて襲ってくるぞ! 気張れやウルクス!」
 楽しそうにザルカンは岩場を飛び跳ねて後方に下がる。その間にカマキリは目を強い赤色に変えて早足でこちらに迫ってくる。かなりの速度だ。歩く虫の中では、今までに見たどの機械虫よりも速いかもしれない。
「くそっザルカンの野郎! 死んだら化けて出てやるからな!」
 俺はスリングに凍結球を番えた。効くのか? ええい、やるしかない!
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