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第二章 赫灼たる咆哮
序 少女の祈り
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ラカンドゥ国、セティマの森。
夜の大気が澄み渡り、細い月が鮮やかに空に映えていた。
機械虫も多くの昆虫と同じように、夜にこそ活発に動き出す。セティマの森はラカンドゥでは最大の森であり、同時に最大の機械虫の生息地だった。
森の中央付近には直径半タルターフの丸く抉れた平原がある。これは神が降りた印だと言われているが、実際には旧世界における戦争の名残だった。その事実を知るものは少ない。
世界中に様々な戦争の傷跡があったが、その大半は森に呑まれていた。汚染されていた場所が大半だったが、虫はその大地を食み自らの体内に毒を取り込み、清浄な大地を取り戻し緑化していたのだ。
それでも、高温によりガラス化した土壌は木が生育するには適さなかった。辛うじて何種類かの草花が生えるだけで、その平原に木や機械樹が生えることは無かった。
その平原を疾走する機械虫がいた。中型のカマキリ。全高一ターフ半で、両腕の鎌の長さは半ターフにも達する。比較的好戦的で、小型の機械虫を殺して体液や基部構造を食べる。人間を襲うこともあるが、人間を食べることはなかった。
カマキリに勝てる機械虫は少ない。大型の機械虫や、俊敏なハチやトンボがせいぜいだろう。だがその強者たるカマキリが疾走しているのは、移動や捕食の為ではなかった。
彼は逃げていた。目を薄く赤色に発光させながら、自らに付きまとうものから逃げていた。
カマキリの周辺には三つの人影があり、カマキリを中心とした三角形を作り包囲し、カマキリを追いかけ同じ速度で走っていた。
カマキリの全速力は時速十五タルターフを超える。瞬間的ならともかく、人間が長時間継続できる速度ではない。だがカマキリを包囲した三人は、森の切れ間から出て既に数百ターフ以上を走っていた。常人の動きではない……いや、どれほどの鍛錬を積んだ者であっても、不可能な動き、速さだった。
そしていずれも黒い服に身を包み、その顔も黒い布で覆われていた。闇そのものが動き出したかのようなその人影は、どこまでもカマキリを追いかけていく。
カマキリの速力が僅かに鈍ってきた。元々長距離を走るような機能を持っていないため、疾走によりカマキリのエネルギーは急激に減少し尽きかけていた。
このままでは停止せざるを得ない。そして周囲の三つの動物は、未だ自分を追い続けている。そしてカマキリは決断した。守るより、攻めることを。
疾走するカマキリの姿勢が転倒したかのように前方に沈む。だがそれは、跳躍のための姿勢だった。五デンスを優に超える躯体が鎌を広げながら跳び、右前方の人影に襲い掛かる。
その人影はカマキリを振り返りながら、前方に転んでカマキリの襲撃を逃れた。カマキリの足が地面に食い込み砂塵を巻き起こす。細く強靭な脚が全身を加速させ、逃れた人影を追う。
前転の勢いを利用して即座に立ち上がり、人影はカマキリの方を向いて腰を落とした。顔を覆う布の隙間から赤い光が見えた。それは旧世界の技術の遺産、黒色の強化鎧の仮面だった。残る二人も同様の仮面、そして鎧を身に着けていた。常人離れした動きは、その鎧が成せる業だった。
カマキリは疾駆し再度鎌を振り下ろす。無数の鋭利な金属の刃が月明りを反射していた。剣のような刃ではないため両断することはできないが、獲物を挟み込み鎌を引くことでのこぎりの様に削り切る事ができる。人間の体であれば、挟まれればまず致命傷であり、手足くらいなら容易に引き千切られる程の力があった。
その鎌を、黒仮面は後方に下がりながら躱した。通り過ぎる鎌の風圧が顔を覆う布を揺らすが、ギリギリのところで当たることはなかった。他の二人はカマキリへの包囲を崩さぬまま、後方五ターフの位置で様子を窺っていた。
カマキリが左右の鎌を続けざまに繰り出すが、それは当たることはなく、その全てが空を切っていた。カマキリは困惑していた。己の認識の中には無い動きだった。この動物がなんなのか、カマキリには分からなかった。
攻撃を避けていた黒仮面は、腰に提げていた装置に手をかけた。そしてそれを両手で持ちカマキリの方に向けた。そして後ろに跳び、一拍遅れて持っていた装置を起動させた。
カマキリは後方に逃げた黒仮面を追い地面を蹴った。しかしその瞬間に黒仮面から何かが放たれた。一瞬の閃光。そして胸の部分に強い衝撃を受けた。基部装甲が軋み、大きく前につんのめる。
放たれたのはワイヤー罠だった。カマキリの左右、後方に向かって放たれた杭が地面に食い込み、杭から繋がるワイヤーがカマキリの動きを止めていた。本来は事前に設置してその場所に獲物を追い込んで使うものだが、黒仮面はそれを向かってくるカマキリに対して使ったのだ。普通の虫狩りならやらない……失敗した場合に危険すぎる為やるはずのない事だった。
「俺が仕留める!」
カマキリの右後方にいた黒仮面が声を上げ、跳んだ。一足飛びに五ターフの距離を詰め、カマキリの後方上部から剣を抜いて落下していく。
剣の刀身がカマキリの頭部に沈む。鋭く乾いた音と共に頭部装甲を貫き、内部の中枢回路を破壊した。黒仮面は剣を抜き、カマキリの背中を蹴って後方に降りる。カマキリの目からは光が消え、左右に揺れながら前に倒れた。機能を失ったコンプレッサーが内部の圧力で排気をする。魂の抜ける音と言われていた。
「やれやれ、これでようやく十体か」
最初にカマキリに襲われた黒仮面が言った。
「全部で三十体とは……先が長いな」
カマキリを剣で仕留めた黒仮面が、剣を鞘に戻しながら言った。
「そうでもないようだ。見ろ……帰ってきた」
もう一人の黒仮面が前方を指さす。その方向にはビートルがいた。青い目をして、悠々と平原を歩いている。その傍らには二人の人間が立っていた。
一人は黒い仮面と鎧をつけた男。その右腕の肘から先は義手で、太い金属性の筒のようなものがついていた。その先端からは鋭い銀色の突起が覗き、それが一種の武器であることを窺わせた。
そしてもう一人も黒い仮面と鎧を身に着けていたが、背が小さくまるで子供のようだった。仮面の左耳の後ろ辺りには青い光を放つ何らかの装置が見えており、それは他の者の黒い仮面とは違う構造をしているようだった。
「やはり何度見ても慣れんな、機械虫と一緒に歩いているというのは」
「いいじゃないか。虫けらが俺達の奴隷になる。せいぜいこき使ってやるまでさ。あのガキも含めてな」
「おい、聞こえるぞ。ジョンに殺される」
三人は会話をやめ、近づいてくる二人の黒仮面、そしてビートルを待った。彼らは三ターフ程の距離で止まった。
「こっちは何体だ?」
「十です、ジョン」
ジョンと呼ばれた男は、地面に倒れたカマキリを見ながら言った。
「そうか。こちらはこのビートルを含めれば二十で、ちょうど三十だ。ひとまずこれでいいだろう。不足するようであれば追加で殺せばいい。お前たちに任せる」
「はい、分かりました」
黒仮面たちは返事をしながら頷いた。
「これで……終わったの?」
背の小さな黒仮面がジョンに聞いた。その声は女……それも子供の声だった。
「終わった。今日の所はな。そのうち忙しくなる」
「仮面を取ってもいい? 少し、息苦しくて……」
ジョンは隣の少女の方を見て、少し考えてから答えた。
「任務中に仮面を外すことは推奨されないが、まあいいだろう。ここには人もいない。いても始末するだけのことだ」
「うん。ありがとう」
少女は仮面の左右の突起を押し上げ、内側のボタンを押した。カチリと音がして、仮面の側部、顎の下から頭長にかけて隙間ができた。仮面の頭頂部には蝶番があり、仮面の前部を下から上にあげて開き、殻を外すように仮面を外した。
少女は目をつぶったまま深呼吸をした。そして目を開く。その目には青い光が宿っていた。瞳が青いのではなく、文字通り発光していた。まるで機械虫の目のように。
「気分が悪いのか?」
ジョンが少女に聞く。
「……うん、少し。また頭の中が……ざわざわするの。エルザとか他の人の声が……それに、小さな女の子の声も……」
「そうか。技術と一緒に流れ込んできた人格データ……まだしばらくはお前の頭の中に残るだろう。しかしそのうち消える。もうしばらく耐えてくれ」
「うん。分かってる。我慢するわ……」
「ありがとう、ジェーン。今はお前の力が頼りだ。感応制御装置を操作できるのはお前だけだ」
「分かってる、兄さん」
ジェーンと呼ばれた少女は夜空を見上げた。
「早くこの世界を滅ぼしましょう……この世界の人たちを、救うために」
「ああ、そうだな……」
ジョンは後ろにいるビートルの頭部、目の脇に右腕を向けた。
ビートルは人間に対して強い攻撃本能を持つ。通常であればこのように人間の側でじっとしていることはない。それに目も興奮状態の赤い色に変わる。しかしこのビートルは、目は青く、大人しい。まるで従順な牛のようであった。それは異常なことだった。
ビートルは自らに向けられた武器に気づいたが、それが自分を傷つけるものとは夢にも思わなかった。何故ならばこの周囲の動物たちは、自らの仲間なのだから。不思議な力が、ビートルの認識を欺いていた。
ジョンの太い義手の腕の内部で内部機構の動く音がし、そして爆音とともに先端から杭が打ち出された。排気が肘の後方から噴き出す。ビートルの目から青い光が消え、その巨大な体が地面に伏せ、脇腹から熱蒸気が排気された。
「共に救おう、この世界を……」
仮面越しに自分を見るジョンに、ジェーンは微笑みを返した。
ジェーンはかつてアクィラと呼ばれていた。しかし記憶を失い、今ではジェーンと名乗っていた。自分がアクィラだったことも覚えてはいない。本当はジェーンなどではないことも知らなかった。そして厳しくも優しい兄、ジョンとその仲間たちと共に、この世界を救うために戦っているのだ。機械虫に蝕まれた、この歪《いびつ》な世界を。
ジェーンの頭の中で一人の少女が叫んでいた。しかしその声は、ノイズのような他の人格の声に紛れ、ジェーンには届かなかった。内側からの自分自身の声に気付かぬまま、彼女はただ優しい兄を信じ戦うだけだった。
その全てが偽りだとしても、今の彼女にとってはその偽りが全てだった。
乾いた空に星が流れる。ジェーンはその星を見て願い、そして誓った。機械虫を支配し、新たな人間の世界を作る。それは神話だった。いつしか自分達の行いは、星座の様に後世に語り継がれるだろう。ジェーンはそう信じ、兄たちと共に生きる平和な世界を夢想した。
夜の大気が澄み渡り、細い月が鮮やかに空に映えていた。
機械虫も多くの昆虫と同じように、夜にこそ活発に動き出す。セティマの森はラカンドゥでは最大の森であり、同時に最大の機械虫の生息地だった。
森の中央付近には直径半タルターフの丸く抉れた平原がある。これは神が降りた印だと言われているが、実際には旧世界における戦争の名残だった。その事実を知るものは少ない。
世界中に様々な戦争の傷跡があったが、その大半は森に呑まれていた。汚染されていた場所が大半だったが、虫はその大地を食み自らの体内に毒を取り込み、清浄な大地を取り戻し緑化していたのだ。
それでも、高温によりガラス化した土壌は木が生育するには適さなかった。辛うじて何種類かの草花が生えるだけで、その平原に木や機械樹が生えることは無かった。
その平原を疾走する機械虫がいた。中型のカマキリ。全高一ターフ半で、両腕の鎌の長さは半ターフにも達する。比較的好戦的で、小型の機械虫を殺して体液や基部構造を食べる。人間を襲うこともあるが、人間を食べることはなかった。
カマキリに勝てる機械虫は少ない。大型の機械虫や、俊敏なハチやトンボがせいぜいだろう。だがその強者たるカマキリが疾走しているのは、移動や捕食の為ではなかった。
彼は逃げていた。目を薄く赤色に発光させながら、自らに付きまとうものから逃げていた。
カマキリの周辺には三つの人影があり、カマキリを中心とした三角形を作り包囲し、カマキリを追いかけ同じ速度で走っていた。
カマキリの全速力は時速十五タルターフを超える。瞬間的ならともかく、人間が長時間継続できる速度ではない。だがカマキリを包囲した三人は、森の切れ間から出て既に数百ターフ以上を走っていた。常人の動きではない……いや、どれほどの鍛錬を積んだ者であっても、不可能な動き、速さだった。
そしていずれも黒い服に身を包み、その顔も黒い布で覆われていた。闇そのものが動き出したかのようなその人影は、どこまでもカマキリを追いかけていく。
カマキリの速力が僅かに鈍ってきた。元々長距離を走るような機能を持っていないため、疾走によりカマキリのエネルギーは急激に減少し尽きかけていた。
このままでは停止せざるを得ない。そして周囲の三つの動物は、未だ自分を追い続けている。そしてカマキリは決断した。守るより、攻めることを。
疾走するカマキリの姿勢が転倒したかのように前方に沈む。だがそれは、跳躍のための姿勢だった。五デンスを優に超える躯体が鎌を広げながら跳び、右前方の人影に襲い掛かる。
その人影はカマキリを振り返りながら、前方に転んでカマキリの襲撃を逃れた。カマキリの足が地面に食い込み砂塵を巻き起こす。細く強靭な脚が全身を加速させ、逃れた人影を追う。
前転の勢いを利用して即座に立ち上がり、人影はカマキリの方を向いて腰を落とした。顔を覆う布の隙間から赤い光が見えた。それは旧世界の技術の遺産、黒色の強化鎧の仮面だった。残る二人も同様の仮面、そして鎧を身に着けていた。常人離れした動きは、その鎧が成せる業だった。
カマキリは疾駆し再度鎌を振り下ろす。無数の鋭利な金属の刃が月明りを反射していた。剣のような刃ではないため両断することはできないが、獲物を挟み込み鎌を引くことでのこぎりの様に削り切る事ができる。人間の体であれば、挟まれればまず致命傷であり、手足くらいなら容易に引き千切られる程の力があった。
その鎌を、黒仮面は後方に下がりながら躱した。通り過ぎる鎌の風圧が顔を覆う布を揺らすが、ギリギリのところで当たることはなかった。他の二人はカマキリへの包囲を崩さぬまま、後方五ターフの位置で様子を窺っていた。
カマキリが左右の鎌を続けざまに繰り出すが、それは当たることはなく、その全てが空を切っていた。カマキリは困惑していた。己の認識の中には無い動きだった。この動物がなんなのか、カマキリには分からなかった。
攻撃を避けていた黒仮面は、腰に提げていた装置に手をかけた。そしてそれを両手で持ちカマキリの方に向けた。そして後ろに跳び、一拍遅れて持っていた装置を起動させた。
カマキリは後方に逃げた黒仮面を追い地面を蹴った。しかしその瞬間に黒仮面から何かが放たれた。一瞬の閃光。そして胸の部分に強い衝撃を受けた。基部装甲が軋み、大きく前につんのめる。
放たれたのはワイヤー罠だった。カマキリの左右、後方に向かって放たれた杭が地面に食い込み、杭から繋がるワイヤーがカマキリの動きを止めていた。本来は事前に設置してその場所に獲物を追い込んで使うものだが、黒仮面はそれを向かってくるカマキリに対して使ったのだ。普通の虫狩りならやらない……失敗した場合に危険すぎる為やるはずのない事だった。
「俺が仕留める!」
カマキリの右後方にいた黒仮面が声を上げ、跳んだ。一足飛びに五ターフの距離を詰め、カマキリの後方上部から剣を抜いて落下していく。
剣の刀身がカマキリの頭部に沈む。鋭く乾いた音と共に頭部装甲を貫き、内部の中枢回路を破壊した。黒仮面は剣を抜き、カマキリの背中を蹴って後方に降りる。カマキリの目からは光が消え、左右に揺れながら前に倒れた。機能を失ったコンプレッサーが内部の圧力で排気をする。魂の抜ける音と言われていた。
「やれやれ、これでようやく十体か」
最初にカマキリに襲われた黒仮面が言った。
「全部で三十体とは……先が長いな」
カマキリを剣で仕留めた黒仮面が、剣を鞘に戻しながら言った。
「そうでもないようだ。見ろ……帰ってきた」
もう一人の黒仮面が前方を指さす。その方向にはビートルがいた。青い目をして、悠々と平原を歩いている。その傍らには二人の人間が立っていた。
一人は黒い仮面と鎧をつけた男。その右腕の肘から先は義手で、太い金属性の筒のようなものがついていた。その先端からは鋭い銀色の突起が覗き、それが一種の武器であることを窺わせた。
そしてもう一人も黒い仮面と鎧を身に着けていたが、背が小さくまるで子供のようだった。仮面の左耳の後ろ辺りには青い光を放つ何らかの装置が見えており、それは他の者の黒い仮面とは違う構造をしているようだった。
「やはり何度見ても慣れんな、機械虫と一緒に歩いているというのは」
「いいじゃないか。虫けらが俺達の奴隷になる。せいぜいこき使ってやるまでさ。あのガキも含めてな」
「おい、聞こえるぞ。ジョンに殺される」
三人は会話をやめ、近づいてくる二人の黒仮面、そしてビートルを待った。彼らは三ターフ程の距離で止まった。
「こっちは何体だ?」
「十です、ジョン」
ジョンと呼ばれた男は、地面に倒れたカマキリを見ながら言った。
「そうか。こちらはこのビートルを含めれば二十で、ちょうど三十だ。ひとまずこれでいいだろう。不足するようであれば追加で殺せばいい。お前たちに任せる」
「はい、分かりました」
黒仮面たちは返事をしながら頷いた。
「これで……終わったの?」
背の小さな黒仮面がジョンに聞いた。その声は女……それも子供の声だった。
「終わった。今日の所はな。そのうち忙しくなる」
「仮面を取ってもいい? 少し、息苦しくて……」
ジョンは隣の少女の方を見て、少し考えてから答えた。
「任務中に仮面を外すことは推奨されないが、まあいいだろう。ここには人もいない。いても始末するだけのことだ」
「うん。ありがとう」
少女は仮面の左右の突起を押し上げ、内側のボタンを押した。カチリと音がして、仮面の側部、顎の下から頭長にかけて隙間ができた。仮面の頭頂部には蝶番があり、仮面の前部を下から上にあげて開き、殻を外すように仮面を外した。
少女は目をつぶったまま深呼吸をした。そして目を開く。その目には青い光が宿っていた。瞳が青いのではなく、文字通り発光していた。まるで機械虫の目のように。
「気分が悪いのか?」
ジョンが少女に聞く。
「……うん、少し。また頭の中が……ざわざわするの。エルザとか他の人の声が……それに、小さな女の子の声も……」
「そうか。技術と一緒に流れ込んできた人格データ……まだしばらくはお前の頭の中に残るだろう。しかしそのうち消える。もうしばらく耐えてくれ」
「うん。分かってる。我慢するわ……」
「ありがとう、ジェーン。今はお前の力が頼りだ。感応制御装置を操作できるのはお前だけだ」
「分かってる、兄さん」
ジェーンと呼ばれた少女は夜空を見上げた。
「早くこの世界を滅ぼしましょう……この世界の人たちを、救うために」
「ああ、そうだな……」
ジョンは後ろにいるビートルの頭部、目の脇に右腕を向けた。
ビートルは人間に対して強い攻撃本能を持つ。通常であればこのように人間の側でじっとしていることはない。それに目も興奮状態の赤い色に変わる。しかしこのビートルは、目は青く、大人しい。まるで従順な牛のようであった。それは異常なことだった。
ビートルは自らに向けられた武器に気づいたが、それが自分を傷つけるものとは夢にも思わなかった。何故ならばこの周囲の動物たちは、自らの仲間なのだから。不思議な力が、ビートルの認識を欺いていた。
ジョンの太い義手の腕の内部で内部機構の動く音がし、そして爆音とともに先端から杭が打ち出された。排気が肘の後方から噴き出す。ビートルの目から青い光が消え、その巨大な体が地面に伏せ、脇腹から熱蒸気が排気された。
「共に救おう、この世界を……」
仮面越しに自分を見るジョンに、ジェーンは微笑みを返した。
ジェーンはかつてアクィラと呼ばれていた。しかし記憶を失い、今ではジェーンと名乗っていた。自分がアクィラだったことも覚えてはいない。本当はジェーンなどではないことも知らなかった。そして厳しくも優しい兄、ジョンとその仲間たちと共に、この世界を救うために戦っているのだ。機械虫に蝕まれた、この歪《いびつ》な世界を。
ジェーンの頭の中で一人の少女が叫んでいた。しかしその声は、ノイズのような他の人格の声に紛れ、ジェーンには届かなかった。内側からの自分自身の声に気付かぬまま、彼女はただ優しい兄を信じ戦うだけだった。
その全てが偽りだとしても、今の彼女にとってはその偽りが全てだった。
乾いた空に星が流れる。ジェーンはその星を見て願い、そして誓った。機械虫を支配し、新たな人間の世界を作る。それは神話だった。いつしか自分達の行いは、星座の様に後世に語り継がれるだろう。ジェーンはそう信じ、兄たちと共に生きる平和な世界を夢想した。
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