機械虫の地平

登美川ステファニイ

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碧眼の魔性

第十一話 罠

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 スリングの点検を終え、俺は外に向かった。アクィラは部屋で待機だ。
 白い廊下を歩いて出入口に行くと、そこは当然ながら閉まっていた。開けるための取っ手も何もないが、壁を見るとドアと同じように黒い丸があり、そこに手をかざすと扉がゆっくりと開いた。
 開いた扉からは陽光が差し込む。
 眩しさに目がくらむ。明るい部屋にいたつもりだったが、太陽に比べれば幾分暗かったようだ。
 青い空が見える。乾いた大地の匂い。昼になって蒸し暑くなってきた空気が風にそよぐ。そうだ。これが俺の世界だ。快適な白い箱の中とは大違いだ。
 施設の中には半日もいなかったが、しかし、随分と長い間を過ごしたような気がする。それだけ俺は、このいつもの当たり前の世界が恋しかったのかもしれない。
「アレックスは……お、いたいた」
 奴は20ターフ36m程先で何かを抱えて歩き回っていた。施設の扉は待っていても閉まらなかったので、そのままにしてアレックスの方へ歩く。
 近づくと向こうも俺に気づいた。また仮面を被っている。こいつにとっては仮面を被っている方が自然なことらしい。ジョンといいそんな仮面は邪魔にしか思えないが、きっと何か仕掛けがあるんだろう。被っている方がいいと思わせるだけの何か、旧世界の技術という奴が。
「それがさっき言ってた罠か?」
 アレックスは白い箱を地面の窪みに置いて回っているようだった。箱は三つで揃いの様で、細い紐のようなもので繋がっている。箱は結構大きい。横幅2シュターフ60cm、縦幅1シュターフ30cmくらいの長方形だ。厚みは2クリッド6cmくらいか。
「これは電気地雷だ。まだ作動させてはいないが、作動すると人間が近付いた時に爆発する。君たちの使う帯電武器のようなものだ。ある程度広い範囲に有効で、食らえば数時間は動けなくなる。それに旧世界の兵器も無効化できる」
「電気、じらい……地雷か。なるほどね」
 虫用の罠でも同じような仕掛けがある。杭とワイヤーを組み合わせた奴で、虫が踏んだり足を引っかけると作動する奴だ。俺も帯電球や凍結球で罠を仕掛けることがある。
「しかしこんなこれ見よがしじゃあ……引っかからねえんじゃねえか?」
 辺りは一面赤茶けた岩場だ。そこにどう考えても目立つ白い箱がある。窪みには置いているが隠れ切っているわけでもない。真夜中ならまだしも、昼間でこれじゃあよほどの馬鹿でも何かあると気付く。
「これを被せれば見えなくなる」
 アレックスは袋から薄い灰色の布を取り出した。布の角に一か所装置がついていて、アレックスはそれを操作してから足元の白い箱に被せた。すると、灰色の布は周囲と同じ赤茶色に変わっていく。でこぼこした陰影までそっくりだ。
「すげえ……どうなってんだ?」
 最初からここにあると思って見れば分かるが、少し離れて見るとほとんど地面と区別がつかない。知らずに走りながら近づくなら、恐らく気付くことは無いだろう。
「迷彩布。周囲の色や模様を自分で感知して模倣する。金属に吸着させることもできるから、風で飛ぶ心配もない」
「これは……昔の戦いの道具って事か」
「……そうだ。もっと惨いものもある。そして、奴らが使おうとしている技術はその類だ」
「毒を以て毒を制す、か」
「そうだな。毒に溺れたくはない。しかし、今はなりふり構っていられない。何せ私と君だけなんだからな」
「いいさ。俺も死にたくはない。使えるものがあるんなら使ってくれ。俺に手伝えることは?」
「そうだな。あっちにまだ残りがある。それを等間隔になるように横に並べてくれ。ここの岩場に上がって来た者を狙う。どこから来てもいいように、ある程度広い範囲に設置したい」
「なるほど……分かった。同じように置いて行けばいいんだな」
 向こうに十個ほど山になっている。俺はそれをアレックスと同じように設置していく。アレックスはそれを微調整し、例の布を被せていく。二十分ほどで作業は完了した。
「すげえ。全然わからねえ」
 10ターフ18mも離れると全然分からない。これなら罠として十分だ。
「それで……どうするんだ? 罠を仕掛けて、数が減ったところで襲うのか?」
「そんなところだ。私はあの岩場に隠れて狙撃する」
 アレックスが指さすのは30ターフ54m程先の岩場だ。俺たちがいる場所は台地になっていて下の段から高くなっているが、その段差の端まで狙撃するなら50ターフ90mはあるだろうか。普通の弓なら遠すぎる。強弓なら当てられるだろうが、威力は落ちる。しかしアレックスが使うのは弩だ。機械虫ならともかく、人間が相手なら問題ないだろう。
「俺は……どうするんだ?」
「私は君の戦闘方法を知らん。スリングはどのくらい飛ぶんだ?」
「飛ぶだけなら30ターフ54mは行くが……球に起動するだけの衝撃を与えないと駄目だからな。有効なのは15ターフ27mってところか。いや、人間は柔らかいからな。10ターフ18mだ」
「近いな。普段からそんな状況で戦っているのか」
「俺は人間とは戦わない。虫だけが相手だ。それもやばい奴の相手はしていないからな。カメムシ、テントウムシ、オサムシ。あとはアリだ」
「ふむ。シャディーンが警護として雇ったからてっきり対人戦の手練れかと思ったが、そうではないのか」
「悪かったな。並みの虫狩りでよ」
「さっきも聞いたが、弓は使わないのか」
 アレックスも予備の武器で腰から弓と小さな槍を提げている。アレックスが言うように、普通戦うというなら弓だ。スリング、槍は二番手。しかし俺は……弓を使えない。これしかないんだ。
「俺は……弓を使えん。訳ありでな。使わないんじゃなくて、使えないんだ」
「下手なのか」
「そういう事じゃねえよ。でもまあ同じことか。まともに矢が飛ばない」
 過去に何度か試したことがあるが、いつも駄目だ。胸が苦しくなる。眼がかすみ、ひどい時には親父が見える。血まみれになって俺に助けを請う親父の姿だ。俺が子供に見たのはそんな姿じゃなかったが、とにかく変なもんが見えて、狙って撃つどころじゃない。
「ふむ。スリングで戦うならそれでいい。君に任せる。いずれにせよ、やることは変わらん。まず罠で数を減らす。掻い潜って通り抜けたものは私が撃つ。君の方に近づいた者がいれば君が撃て」
「おいおい。そんないい加減でいいのかよ?」
「問題なのはアクィラをいかに守るかという事だ。その点では、施設はロックするからジョンも簡単には入れない。解除キーを検索するのには半日はかかるだろうから十分に時間的余裕があり、アクィラは安全だ。我々は待ち構えて攻撃するだけだ。地形的にも圧倒的に有利だ。奴らに隠れる場所はない」
 そう言われるとそんな気がしてくる。
 仮に虫が襲ってくるのだとする。その時に俺がどうするかだ。下から上がってくるんだから罠を仕掛ける。抜けてきた奴は安全な位置から撃つ。まあ同じことだな。人も虫も一緒だ。虫は飛ぶこともあるから、その点で言えば人の方が楽だ。ジョンの身体能力はアレックス同様旧世界の技術で化け物並みになっているから要注意だが、他の奴らはただの人間だ。物騒な連中だろうが、帯電させれば動けなくなるのは一緒だ。
「後は奴らがいつ来るか、か」
「そうだな……もう一時間ほどだろう。実はさっき、奴らの動向を探っていた機械が壊された。近づきすぎて落とされてしまったんだ。それでも50ターフ90mは離れていたのだがな。手強い弓の使い手が混ざっているらしい」
「何だと?」
 アレックスの使っていた機械がどんな大きさが分からんが、50ターフ90m先の動く目標に当てて、しかも壊すとは。でかい鳥を落とすようなものだが、そんな事は酔っぱらいの与太話でしか聞いたことがない。弓も弓だが、恐ろしい腕前だ。
「つまり……今は見えてないって事か。道は一本だけか?」
「迂回すれば経路は三つほどある。しかし最短距離は一つだけだし、目標はここだ。どこを通るにせよ大して変わらんだろう。問題は挟撃だ。しかし我々の後ろに回り込むのにはかなり時間がかかるだろう。ジョンはそこまで気が長くない」
「……知り合いなのか? 知っているような口ぶりだが。お前とはどういう関係なんだ」
「子供の頃は交友があった。何度かあった程度だが。しかし奴は成長し過激な思想を持つようになった。デスモーグの中でも特にな。だから、ある程度は知っている。それに何度かやりあっているんだ。今回のような小競り合いをな」
「腐れ縁か」
「そのようなものだ。断ち切ろうと思っても、奴の影は消えない。ここで終わらせたいところだが、奴はしぶとい」
「奴もそう思っているんだろうな。お前の事を」
「そうだな。お互い様だ。しかし、今回は私一人ではない。協力すれば我々は勝てる」
「ああ、そうだな」
 そう。勝たねばならない。アクィラのために。そして、あいつを家族の元に返してやらなければ。

 アレックスと俺は岩陰に隠れた。俺はアレックスから20ターフ36m離れた別の岩陰。どちらからでも罠を仕掛けた辺りは良く見える。抜けてきた奴を迎え撃つには絶好の位置だ。
 施設の入り口は俺たちの前方30ターフ54mにある。台地の端部、段差は更に20ターフ36m先。罠はそのあたりに仕掛けてある。
 合わせて50ターフ90mの距離は、俺のスリングではとても届かない距離だ。しかしアレックスの弩なら十分狙える。俺はもっと近付いた奴だけ撃てばいい。
 隠れ潜んでそろそろ小一時間だ。太陽の位置も真上から少しずつ傾いている。この時期にしては強い日差しがじりじりと照りつける。茹ってしまいそうなほどではないが、眼に入る汗が集中を妨げる。
 視界の端でアレックスが動いたように見えて、右を見る。俺の方を向いて右手の指二本を動かしている。足音が聞こえた、という合図だ。あの仮面は音もよく聞こえるらしい。
 いよいよか。腹の奥がズシンと重い。人と戦う。簡単に言うが、やはり虫相手とは違う。躊躇いは禁物だ。向こうは平気で俺を殺すだろう。躊躇すればやられるのはこっちだ。
 台地の端部で何かが動いた。下から何かを投げたようだ。鉤だろう。岩に引っ掛けて登る……ほら来た。ジョンと、その他十人。
 集団全体が左右に広がって配置している。まとまっていると一網打尽になるからか。しかし罠はたっぷり横に広がって配置されてる。ざまあみろ。
 ジョンが周囲をうかがっている。姿勢を低くし、中腰でゆっくり前に進む。無防備な奴だ。こんな開けた場所で。旧世界の武器でなければ脅威ではないと思っているのだろうか。他の十人もジョンに合わせてゆっくり前に進む。
 もうじきだ……もうじき、電気地雷に近づく。あと少し……。
 乾いた破裂音がして、閃光が飛んだ。集団のやや左側。細い稲妻が周囲に広がる。かかった! 三人が倒れた。
 続いて右の方でも罠が作動する。同様に稲妻が飛び、二人が倒れる。
 合計五人倒れた。
 ジョンと残りの五人は警戒して大きく後ろに飛ぶ。そこへすかさずアレックスが弩で仕掛ける。男達のうちの一人に当たり、膝をつく。
「何だ、余裕じゃねえか」
 俺は安堵のため息をついた。これで残りはジョンと四人。弩だけで片付きそうだ。俺はこのまま隠れててもよさそうだ。
 アレックスが次々と弩で撃つ。今度は男たちも避ける。しかし時間の問題だろう。遮蔽物もない開けた場所だ。ここは格好の狩場だ。
「何だ、あいつ? 何をして……?」
 アレックスの弩を避けながらジョンが右腕を掲げる。見間違いでなければ、手甲の部分が赤く光っているように見える。何だ? まさか虫を呼んでいるのか?
 しかし、それは虫を呼ばれるよりも厄介な事だった。
 施設の入り口がゆっくりと動いた。蓋がせり上がり、左右に開く。何てことだ!
「アクィラか……? いや、あいつには絶対に動くなと言ってある……!」
 アクィラが内側から開けたわけではない。だとすると、ジョンか? 奴が腕を上げていた……何か、ロックを解除するような事をしたという事か。
 どうする? 動くべきか?
 アレックスを見ると既に走り出していた。くそ、そうだよな! 俺も岩陰から飛び出して走る。
 都合の悪いことに、施設の扉は奴らの方に向かって開いている。奴らをまるで歓迎するように。距離も奴らの方が近い。凄まじくまずい状況だ。
 中に入られると終わりだ。ドア自体もアレックスがロックしてあるが、こじ開けるのにそう時間はかからないだろう。
 ジョンと男たちも出入口めがけて走る。とんだ駆けっこだ。くそ、何てことだ。施設はロックして安心じゃなかったのかよ! 話が違うじゃねえか!
 脳裏にアクィラの顔がちらつく。絶対に奴らを止めねばならない!
 俺は自分史上最速で走った。
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