機械虫の地平

登美川ステファニイ

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碧眼の魔性

第五話 アクィラ

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 追手を撒きながら進むには、このまま道を進むんじゃなくて、川沿いの森を行くしかない。 
 だが虫車を乗り捨てた場所から森に入ったんじゃ、痕跡が目立ちすぎてすぐ追いつかれる。
 俺は荷物を腰に括り付け、子供を担ぎ、一旦すぐ横の森に入った。これみよがしに枝を引っ掛け、下草を踏みつけ、派手に痕跡を残しながら歩く。しばらく進んでいくと川が見えた。そのまま進み、川沿いの河原に出て、石を蹴転がしながら水辺まで歩く。
 川の水位はさほど深くないようだった。流れはきついが、気をつけていけばなんとか渡れそうだ。しかし渡るために来たんじゃない。
 今通ってきた道を逆に進んで戻る。痕跡はそのまま、そして元の虫車の場所についた。
 ここで追手と鉢合わせたら馬鹿丸出しだ。幸いまだ誰もいない。虫の気配もない。
 俺は道を進み、五十タルターフ90m程進んだところで森に入った。今度は痕跡を残さないように、枝も下草も傷つけないように進む。
 そのまま森の内側に入り込み、極力痕跡を消してゆっくり進む。さっきのは囮で今は本当に逃げる道だ。仮に追手が来たとして、そいつが俺より馬鹿なら、しばらくはあっちの方でウロウロしてくれるだろう。川を渡ったと勘違いしてくれれば助かる。
 その間に少しでも前に進まなければならない。
 子供は小さくてそれほど重くはないが、それでも半デンス30kgはあるだろう。真っ暗な上に足元は草や蔦で歩きにくく、余計に神経を使う。
 時折背中で子供が呻くような声を出すが、まだ起きてはいないようだ。そっちの方が静かで助かる。
 どのくらい歩いただろうか。森の風の無いこもった大気の中を歩き、いつしか汗だくになっていた。残る距離は五タルターフ9kmも無いくらいのはずだ。
(少し休むか……?)
 追手の黒い面の男が死んだのか、諦めたのかさっぱり分からない。少なくともすぐ近くにはいないようだが、足を止めて大丈夫なのか分からなかった。
 しかし体力も限界に近い。たかだか森の中を歩いているだけなのに、情けない。
 残り五タルターフ9kmだとして、歩き続ければ二時間ほどか。歩くのは歩けるだろう。しかしこうへたばっているのでは、いざという時に体が動かない。
 どうするか。逡巡しながら足を進めるが、ズルっと足が滑る。苔か何かを踏んだらしい。
「う……ぁ……」
 転びはしなかったが、大きく体が揺れた。そのせいか子供が起きてしまったようだ。
「ん……どこ……誰?」
「……俺はウルクスだ」
 小さな声に答えると、案の定子供は急に暴れだした。
「誰?! 助けて! 降ろして!」
 俺の頭を叩いたり手足をめちゃくちゃにばたつかせて子供が抵抗する。俺はしゃがみ込み子供の脚を地面につけてやる。子供は俺を突き飛ばすように離れて、少し離れた所に立った。ほぼ真っ暗だ。一ターフ1.8mも離れれば姿を見失ってしまいそうだ。
「シャディーンは……どこ?」
 姿は見えないが、怯えている様子が分かった。声が震えている。
「落ち着け。明かりをつける」
 腰の雑嚢から小型の発光機を出す。確かまだ動いたはずだ。
 明かりが灯ると、子供はみじろぎした。怯えと警戒心の混ざりあった表情。ぼんやりとした光で照らされた俺の顔は、この子供の目にどう映っているだろうか。
「俺はシャディーンとタナーンに依頼されてお前を運んでいた。だが黒い面を被った男に襲われて、二人は……死んじまった。だが目的の場所はもうすぐだ。そこに行けば、お前の知り合いがいるのか?」
「二人はどこ?」
「だから死んだんだよ。俺とお前だけだ」
「そんなの嫌! だって……タナーンは優しくしてくれたのに! 一緒に逃げるって言ってたのに。シャディーンも助けてくれるって……! 二人が一緒じゃなきゃ……」
 子供の顔が悲しみに歪む。今にも泣きだしそうなのを、歯をくいしばって耐えているようだ。こいつとシャディーンは親子ではないようだが、特別な絆があったらしい。
「そうか。お前とは仲が良かったんだな。かわいそうに。あいつらもさぞ無念だろうが……今は逃げるしかない。前に進むしかないんだよ」
「どこに……行くの?」
「聞かされていないのか? カドホック。巨人の三つ目があるところだ」
「知らない……そこに何があるの?」
 子供にそう聞かれ、俺は少し落胆した。何か知ってるかと思ったが、俺と同様何も知らないようだ。
「何があるのか、それは俺も知りたい所だ。しかし……アレックスがどうのと言ってたな。人の名前か? 知ってるか?」
「知らない……ここはどこなの?」
「カドホックの手前の森だ。しばらく歩けば、アレックスって奴がいるらしい。さ……起きたんならちょうどいい。自分で歩け。ついてこい」
 いつまでも問答している時間はない。こうしている間にも誰かが忍び寄ってるんじゃないかと気が気ではない。
「……嫌。あなたは誰なの? 信用できない……」
 まったく。何度名乗ればいいのだろうか。
「ウルクスだ。虫狩りをやってる。俺の所属している寄合に、シャディーンたちが依頼に来たんだよ。カドホックまで警護してくれってな。それ以上説明のしようがない。信用できないかもしれんが……信用してもらうしかないな。俺は二人に頼まれたんだ。シャディーンとタナーンに。お前をアレックスのところに連れて行けと、最後に頼まれた。お前が嫌と言っても、俺はお前を連れていく」
 その子は茫然とした顔で俺を見ていた。そして弱々しい声で言った。
「二人は死んじゃったの……本当に……?」
「ああ、そうだ。残念ながらな」
「そんな……そんな……!」
 子供は膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。そして小さな声で泣き始めた。嗚咽が闇の中で響く。
 可哀そうに……。そうは思ったが状況が状況だ。無理に引っ張ってでも連れていくしかない。だが、あまり無理強いすると俺のことを信用しなくなる。別に信用そのものはどうでもいいが、連れていくにあたって余計手間がかかってしまう。なんとか宥めないと。
 俺は自分の荷物の中から食べ物を出した。乾パンだ。砂糖が多めに入っていて、硬く焼しめた保存のきくパンだ。それと水の入った携帯タンク。
「おい。悲しいのは分かったが、そのパンでも食え。水も飲め。腹が膨れれば少しは落ち着く」
「パン……?」
 泣きべそをかきながら、子供は俺の差し出したパンを受け取る。しばらく手に取って確認し、匂いを嗅いでからかじり始めた。
「明かりを消すぞ。そいつを食ったら歩く」
「分かった……」
 まだめそめそしているが、多少落ち着いたようだ。俺は発光機の光を消し、地面に腰を下ろし、俺もパンを食う。すごいぱさぱさなので水で流し込まなければならなかった。
「そういえば、名前を聞いていなかったな。お前の名前は何だ?」
「……アクィラ」
「アクィラ。シャディーンたちとはどこで知り合った?」
「私は……さらわれて研究所にいたの。ずっとそこで実験されてて……それでシャディーンたちが助けてくれた」
「ケン、キュウジョ……何だ、それは」
「研究所。虫を操る力を手に入れるために……私たちに機械を埋め込んでいろんなことをしてた。死んだ子もいた。私も機械を埋め込まれて……何度も痛いことをされたの」
「ケンキュウジョ? 虫を操るって……どうやってだ? 機械を埋め込んだ?」
「頭に埋め込まれたの。ここ、頭の後ろ。明かりをつけて」
「ああ……」
 発光機を灯すと、アクィラが横を向いて頭の左後ろを向けてきた。すると、左耳の後ろの毛が刈られており、真ん中に丸い金属が見えた。
「何だ……埋まって……るのか?」
 明かりを近づけてみる。これは……肌に引っ付いてるんじゃない。一シュクリッド3mmほど肌から出っ張んていて、そこから下は肉の内側にめり込んでいた。
「骨に穴をあけて中に入れてあるの。無理矢理取ったら死ぬ……」
「そんな……そんな事が……」
 頭に機械を埋め込む? 正気の沙汰じゃない。アクィラはさらわれたといったが、一体誰がこんなひどいことを。俺は発光機を消した。しかし、まだ目に埋め込まれた機械の様子が焼き付いていた。
「何度も何度も実験して……私の機械は完成に近くなったって言ってた。もう少しで完全に虫を操れるようになるって。その前に逃げようって、シャディーン達が助けてくれて……でも……」
 暗くて見えないが、泣くのをこらえる声が聞こえた。なるほど。二人は命の恩人というわけだ。
「……お前が入っていたあの金属の筒は何なんだ? あれもケンキュウジョのものなのか?」
「……あれは、信号安定装置。私に埋め込まれた機械は、私が怒ったり泣いたりすると、時々勝手に動いてしまうことがあるの。逃げる途中でそうなったら危険だから、それを止めるために入ってた。中は冷たくて、普通に眠るよりずっと静かに眠ることができる」
 確かにやたらとひんやりしていたが、虫も冷たいと動きが鈍くなる。そういう事か。
「つまりなんだ、今のお前は……泣いたりしてると勝手にその機械が動くって事か」
「うん。感情が高ぶると。命の危険を感じたりすると信号を出してしまう。生存本能だっていってた」
「その機械が動くと何が起きる? 虫を操れるようになるのか?」
「自由に操れるわけじゃない。例えば……私が怖い目にあったら、私は自分を守りたいと思う。その信号が周囲の虫に伝わって、虫が私を守ってくれるようになる」
「なるほど……」
 なるほどとは言いながらさっぱり分かっていないのだが、とりあえずアクィラを怒らせない方がいいようだ。やっちまえ、と思われたら虫に袋叩きにされるわけだ。
 しかし今の説明なら、あの黒い面の男が顎虫を従えていた事が納得できる。俺たちを追いかけろ、殺せ、という信号を送って操っていたわけだ。
 だとすると非常に厄介だ。そこらじゅうの虫にその信号を送ったら、虫の大群に追い回されることになる。だが、奴は顎虫しか従えていなかった。近くにいたペギーとマギーは操られていなかった。
 何か制限があるのか。アクィラの機械は完成に近づいていたらしいが、つまり、あの黒い面が持ってる機械は未完成という事か。
 少し安心したが、顎虫が何匹も追いかけてくるだけで十分厄介だ。あの時確認した顎虫は……確か六頭。凍結球で撃ちはしたが、どれも足止めだけで殺せたわけではないだろう。少なくとも六頭が、俺たちを追いかけてくる可能性がある。
「ねえ……」
「何だ」
「もっとないの? パン」
「何? 全部食ったのか? あれは二食分だぞ?!」
「そうなの? 全然足りない」
 ようやく静かになったと思ったら、こいつずっと食ってやがったのか。確かに食えとは言ったが、まさか全部食べるとは。泣いていた割にはよく食うやつだ。
「タナーンの袋に何か入ってない? よくおやつをくれた」
「おやつねえ……」
 荷台に乗っていた二つの荷物はとりあえず持ってきた。どっちがタナーンのかは分からないが、でかい方を探ってみる。何か入ってる。硬い……手袋か? 食い物ではなさそうだ。
「何だこれは?」
 発光機を灯すと、袋の中に手袋があるのが見えた。白いつるつるした素材の手袋だった。革のようだがちょっと違うように見える。他には……下の方に平べったい金属の部品。食い物はない。
「手袋があるのに何故使わなかったんだ? この平べったいのも……妙なものばかりはいってるな」
「こっちにもおやつは無い……」
 アクィラはもう一つの袋を探っていたが、そっちにも無かったようだ。
「それは何?」
「さあな。何かの部品か装置のようだが……」
 俺が持っていた平べったいものをアクィラが取る。それをしげしげを眺めている。
「これは見たことがある。喋る機械……これかな」
 アクィラが何かを押した。すると装置から青い光が放たれた。
「わっ……誰? この人」
 出てきた青い光は人間の姿になった。胸から頭までの姿で、開いた手のひらくらいの大きさだ。
「たまげたぜ……何だこりゃ?」
 得体のしれない装置だ。光が……どうなってるんだ? 胸像のようなものが空中に浮いている。俺があっけにとられていると、光の男は喋り始めた。
「もう猶予はない。彼女に埋め込まれた感応伝播装置は最終段階だろう。完成すればデスモーグ族は首都を襲うはずだ。そうなってからでは遅い。シャディーン、タナーン。大変危険だが……君たちにはアクィラを連れて脱出してほしい。それしかない。目指す場所はカドホックだ。少々長い旅になるだろうが、そこへ来てほしい。巨人の三つ目と言われる遺跡……その近くに我々の施設がある。彼女を守るためにも、この方法しかない」
 男が喋り終わると、今度は四角いのが出た。これは……地図だ。これがカルサーク山脈で、丸がついているのはカドホックか。ここが巨人の三つ目。ここに来いというわけだ。
 十秒ほど地図が出ていたが、唐突に消えた。
「何だ、どうした?」
「分からない。急に消えた……電気がなくなったのかも」
 カチカチとアクィラは装置を押しているが、もう光は出ないようだった。
「シャディーンとタナーンの名を呼んでたが、こいつが……アレックスか?」
「知らない。でもそうかも。映像で指示されたって言ってた気がする」
「エイゾー? 何だ、それは」
「映像。今のだよ。これは映像を記録したり、離れた場所の人と会話する装置」
 エイゾー? 光る青い奴のことか。離れた場所の人と会話する? さっぱり分らん。
 今の装置と言い、タナーンが使ってた妙な武器といい、こいつらは尋常な連中では無いようだ。そうだ、確か……ブンメイ。大昔に消えてしまったというブンメイの力を使っているのか?
「おやつはなかった。残念……」
「いい加減諦めろ」
 シャディーン達は今のエイゾーでアレックスから指示を受けていたようだ。仲間なのか。アクィラはアレックスを知らないと言ってるから、親とか兄弟というわけでもなさそうだ。
 もう完成まで猶予がないというのは、頭に埋め込まれた装置のことだろう。シャディーン達はそれが完成するのを恐れている。首都が襲われると言ってたが、まさかタービルか? このタバーヌ国の首都といえばそこだ。ずいぶん大ごとになってきた。こいつらは一体どういう連中なんだ? デスモーグ? 何なんだ、まったく。
 妙なものを見て余計訳の分からない事が増えた。しかしどうでもいい。今は先を急ぐだけだ。
「アクィラ、食い物はもう無い。いや、あるが、今はさっきの分で終わりだ。全部食ったら明日食う分がないし、俺の分もなくなる」
 明日なんてあるのかわからないが、これ以上こいつに食わせている時間はない。
「そう……」
 グウ、と腹の虫が鳴いた。俺じゃない。アクィラだ。分かったよ、腹が減ってるってのは。
「立て。行くぞ。休憩は終わりだ」
「分かった……きゃ!」
 ドサリとアクィラが俺の方に倒れこんできた。
「気をつけろ。苔とか蔓で滑りやすい。足をつくときはゆっくりだ」
「分かってる。だいじょう――」
 また転んだ。くそ。こんな調子じゃ背負っていった方が速い。
「どんくさいな……おい、背負っていくから乗れ」
「え……いいよ、恥ずかしい」
「俺とお前しかいないのに恥ずかしいも何もないだろ。お前が歩くのに合わせてたら夜が明けちまうよ。さっさと乗れ」
「えー……しょうがないな」
 生意気なガキだ。口と食い意地だけは一人前だな。
「やだ。なんかべたべたする。汗臭い……」
「うるさい。口で息してろ」
 全く何なんだこれは。調子が狂うぜ。
 俺はアクィラを背負い、巨人の三つ目までの道を急いだ。
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