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――逃げろ。
逃げろ逃げろ。
鬼ごっこはもう始まっている。
鬼は私。
追いかけているのは、誰?
自分の悲鳴で目が覚めるのは何度目だろうか。
押しつぶされるような気持ちで起き上がると、首筋をつう、と汗がつたった。
はー……と肺の中身をすべて吐き出すように深いため息をついて私は時計を見た。
時計の針は朝の6時34分を指している。
なんだ……全然早起きでもないじゃん。
私はこれから始まる日常を思って胃が熱くなるのを感じた。
いち、に、さん……。
じっと時計とにらめっこをしていた私は針の短針が7を指したところで目を離した。
(もう、準備しなきゃ)
私は観念して壁にかけてある戦闘服に目をやる。
それはえんじ色のチェックのプリーツスカートと紺色のブレザー、そして2年の証である赤いリボンタイをした制服という名の戦闘服だった。
私は戦士だ、と思い込んでブラウスに袖を通す。
「美月」
前触れなく扉が開いて、私は軽く悲鳴を上げた。
「お母さん! 着替え中!」
私の抗議にお母さんは気にした風もなく「あら」と言った。
「今日は行くのね。途中で保健室なんかいかないでちゃんと最後までいなさいよ」
来年は受験生なんだから。
ざくざくと私の心を傷つけるお母さんの言葉に私は涙が溢れそうになるのをこらえるのに必死だった。
「……わかってる」
私はそれだけ絞り出すと、スカートのジッパーを上げた。
朝食は食べる気が起きなかった。
牛乳だけコップ一杯なんとか胃に押し込むと、私は刑の執行を待つ罪人のようにふらりと玄関へ向かった。
ニコニコとお母さんが笑って「いってらっしゃい」と言う。
「……いってきます」
小さな声でかろうじて絞り出すと、私は処刑場へと歩き出した。
学校が私の『居場所』じゃなくなったのはいつからだろうか?
小学校の頃は毎日が楽しかった。
中学に入ってからも最初の一年は楽しかった。
苦しくなったのは、二年にあがってからのことだった。
なんてことはない、ハブられただけ。
私はなにも悪いことはしていなかったのに、いつの間にか歯車が狂ってしまったようにみんなが離れて行った。
「私、何かした?」
最初はどうしてだかわからず必死で友人——元、だけど――たちに話しかけた。
けれどみんな私をいないものとして扱うだけだった。
だれか、だれか私を一人にしないで――!!
叫び声はどこにも届かなかった。
上履きが隠されるとか、教科書に落書きをされるとか、そんなわかりやすい「いじめ」だったらどんなによかっただろうか。
何もされないことが、いなかったことにされるのがどんなにつらいか。
私のことをみてくすくす遠巻きで笑う元友人たちの顔が頭に浮かぶ。
あまりにもつらくて、つらくて、つらくて。
自分の思考に沈みこみうつむいて歩いていた私は、いつのまにか前に立っていた人の存在に気付かなかった。
どん、となにかにぶつかってはっと私は顔を上げた。
「あ、すいません……」
目の前に立っていたのは黒づくめのおばあさんだった。
「苦しいかい」
「え?」
「園田 美月、あんたは苦しいかい、って聞いてるんだ」
見たこともないおばあさんに自分の名前を呼ばれて私はぎょっとした。
「な、なんで私の名前……!」
「わかるさ、あんたのことはなんでも」
にまぁ、とおばあさんが笑う。黄色い歯がむき出しになったその笑みに私はぞっとした。
「美月、あんたはいじめを受けているね? それも一人からじゃない。クラスの女子全員から無視されている。首謀者は――幸村 真理愛。それから高野 朝海、高橋あかりもかい?」
「……!!」
なぜ真理愛の名前を知っている?誰にも――そう、誰にも話したことなんてないのに。
「つらいねぇ、くるしいねぇ」
ヒッヒッ、とおばあさんは嗤う。
「苦しいなら、どうだい。復讐をしてみないかい?」
「復讐……?」
私はその言葉に思わず反応した。
「でも、私……何もされていないし……」
「そうだねぇ。じゃあ『何もなかった』ことにしてはどうだい?」
「何も……?」
おばあさんはぴらり、と3枚の紙を私に手渡した。
それは人型に切り取られてそれぞれ『幸村 真理愛』『高野 朝海』『高橋 あかり』と書かれていた。
「これは特別製でね。水に溶かしたらこの世界から『その存在が消えてしまう』。どうだい? 面白そうだろう?」
ごくり、と私は生唾を飲み込む。
「消える……」
あいつらが、消えて、消えてしまえば……!
「やる。私、やってみる」
私は三枚の紙をおばあさんから受け取った。
逃げろ逃げろ。
鬼ごっこはもう始まっている。
鬼は私。
追いかけているのは、誰?
自分の悲鳴で目が覚めるのは何度目だろうか。
押しつぶされるような気持ちで起き上がると、首筋をつう、と汗がつたった。
はー……と肺の中身をすべて吐き出すように深いため息をついて私は時計を見た。
時計の針は朝の6時34分を指している。
なんだ……全然早起きでもないじゃん。
私はこれから始まる日常を思って胃が熱くなるのを感じた。
いち、に、さん……。
じっと時計とにらめっこをしていた私は針の短針が7を指したところで目を離した。
(もう、準備しなきゃ)
私は観念して壁にかけてある戦闘服に目をやる。
それはえんじ色のチェックのプリーツスカートと紺色のブレザー、そして2年の証である赤いリボンタイをした制服という名の戦闘服だった。
私は戦士だ、と思い込んでブラウスに袖を通す。
「美月」
前触れなく扉が開いて、私は軽く悲鳴を上げた。
「お母さん! 着替え中!」
私の抗議にお母さんは気にした風もなく「あら」と言った。
「今日は行くのね。途中で保健室なんかいかないでちゃんと最後までいなさいよ」
来年は受験生なんだから。
ざくざくと私の心を傷つけるお母さんの言葉に私は涙が溢れそうになるのをこらえるのに必死だった。
「……わかってる」
私はそれだけ絞り出すと、スカートのジッパーを上げた。
朝食は食べる気が起きなかった。
牛乳だけコップ一杯なんとか胃に押し込むと、私は刑の執行を待つ罪人のようにふらりと玄関へ向かった。
ニコニコとお母さんが笑って「いってらっしゃい」と言う。
「……いってきます」
小さな声でかろうじて絞り出すと、私は処刑場へと歩き出した。
学校が私の『居場所』じゃなくなったのはいつからだろうか?
小学校の頃は毎日が楽しかった。
中学に入ってからも最初の一年は楽しかった。
苦しくなったのは、二年にあがってからのことだった。
なんてことはない、ハブられただけ。
私はなにも悪いことはしていなかったのに、いつの間にか歯車が狂ってしまったようにみんなが離れて行った。
「私、何かした?」
最初はどうしてだかわからず必死で友人——元、だけど――たちに話しかけた。
けれどみんな私をいないものとして扱うだけだった。
だれか、だれか私を一人にしないで――!!
叫び声はどこにも届かなかった。
上履きが隠されるとか、教科書に落書きをされるとか、そんなわかりやすい「いじめ」だったらどんなによかっただろうか。
何もされないことが、いなかったことにされるのがどんなにつらいか。
私のことをみてくすくす遠巻きで笑う元友人たちの顔が頭に浮かぶ。
あまりにもつらくて、つらくて、つらくて。
自分の思考に沈みこみうつむいて歩いていた私は、いつのまにか前に立っていた人の存在に気付かなかった。
どん、となにかにぶつかってはっと私は顔を上げた。
「あ、すいません……」
目の前に立っていたのは黒づくめのおばあさんだった。
「苦しいかい」
「え?」
「園田 美月、あんたは苦しいかい、って聞いてるんだ」
見たこともないおばあさんに自分の名前を呼ばれて私はぎょっとした。
「な、なんで私の名前……!」
「わかるさ、あんたのことはなんでも」
にまぁ、とおばあさんが笑う。黄色い歯がむき出しになったその笑みに私はぞっとした。
「美月、あんたはいじめを受けているね? それも一人からじゃない。クラスの女子全員から無視されている。首謀者は――幸村 真理愛。それから高野 朝海、高橋あかりもかい?」
「……!!」
なぜ真理愛の名前を知っている?誰にも――そう、誰にも話したことなんてないのに。
「つらいねぇ、くるしいねぇ」
ヒッヒッ、とおばあさんは嗤う。
「苦しいなら、どうだい。復讐をしてみないかい?」
「復讐……?」
私はその言葉に思わず反応した。
「でも、私……何もされていないし……」
「そうだねぇ。じゃあ『何もなかった』ことにしてはどうだい?」
「何も……?」
おばあさんはぴらり、と3枚の紙を私に手渡した。
それは人型に切り取られてそれぞれ『幸村 真理愛』『高野 朝海』『高橋 あかり』と書かれていた。
「これは特別製でね。水に溶かしたらこの世界から『その存在が消えてしまう』。どうだい? 面白そうだろう?」
ごくり、と私は生唾を飲み込む。
「消える……」
あいつらが、消えて、消えてしまえば……!
「やる。私、やってみる」
私は三枚の紙をおばあさんから受け取った。
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