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第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣
第6話 王妃の手ほどき
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【前回のあらすじ】
悪阻の症状で苦しみながらも、侍女長としての務めを果たそうとするエラ。周囲の人間に見守られながら、リーゼロッテのためにできる限りのことをしようと頑張ります。そんな中、エーミールへの思いに区切りをつけ、マテアスと歩む未来をエラは本当の意味で受け入れて。
一方、公爵夫人として初めてのお茶会を開いたリーゼロッテ。既知の令嬢たちを招待したものの、イザベラの暴走は予想のはるか上を行って……。ジークヴァルトの暴挙により幕を閉じた茶会に、リーゼロッテのダメージは広がるばかり。
その夜、ジークヴァルトに抗議しようとするも、例のごとく甘くもどかしい一夜を過ごしてしまうふたりなのでした。
夫婦となった今でも、ジークヴァルトと食卓を囲むことは滅多にない。ひとりきりの朝食を済ませ、ティーカップから立ち昇る湯気をリーゼロッテはじっと見つめていた。
「ねぇ、エラ。わたくしね、夕べは朝までぐっすり眠れたの」
「それはようございました……何かご心配なことでも?」
考え込むリーゼロッテを見て、エラは不思議そうに首を傾けた。月のものの期間以外は、ジークヴァルトのせいで夜に眠ることができないでいる。そんな日々が当たり前になっている中、昨晩は手を出されることなく、気づけば朝を迎えていた。
(今朝も起きたときに三つ編みは解けてたから、ヴァルト様が横で寝てたのは間違いないんだけど……)
昨夜は先に寝てしまって、ジークヴァルトがいつ戻ってきたのか記憶にない。そんな日でもいつの間にかあんあん言わされていたのに、昨日に限っては何事もなかったようだ。
「いいえ、何でもないの。ヴァルト様だって疲れているときくらいあるわよね……」
ぽつりと小さくつけ加える。毎晩のようにまぐわって、それなのにジークヴァルトは明け方早くに執務へと行っている。リーゼロッテが起きたときに、ジークヴァルトが横にいることはごく稀だ。
「それは奥様がぐっすりお眠りになっていたからなのでは? 旦那様はきっと、起こすのがかわいそうと思われたんですよ」
「そうなのかしら……?」
まどろみの中で、まぐあいへと強制突入させられることもしばしばだ。だが言われてみれば、昨日は夜の間一度も目覚めずに、ジークヴァルトと目が合うこともなかった。
(完全に寝入っていれば、朝まで眠らせてくれるということかしら)
ふと目覚めたときに視線が合うと、ジークヴァルトは必ずキスをしてくる。月のものの間はそれで終わるが、そうでないときは必ず夫婦の営みへと移行していたように思う。
(もしかして、途中で起きなければ手を出されない……?)
だとすると、ジークヴァルトが戻ってくるのを待たずに、さっさと寝てしまえばいいことだ。長時間働いているジークヴァルトには悪いと思うが、体力を温存するためには適度に休まないとこちらの身が持たない。
(ヴァルト様の行動パターンを、改めて再考した方が良さそうね)
そんなこと思ってリーゼロッテは、しばらくの間ジークヴァルト観察日記をつけることにしたのだった。
◇
それから数週間、いくつかご夫人相手のお茶会をそつなくこなし、リーゼロッテも公爵夫人としての生活が板についてきた。ジークヴァルトの奇行の数々も、先手を打ってうまいこと阻止できている。
(だいぶデータも集まったし、おかげでヴァルト様への対策も立てやすいわ)
放っておくと茶会や夜会でも、隙あらばあーんや抱っこをやらかすので、絶対にやめるよう強めに交渉した。代わりにあーんのノルマを一日二回に引き上げられてしまったが、公爵家内でやる分にはもう慣れっこだ。
(あーんの繰り越しができるなら、前払い方式を導入するのもいい案かも)
その日のノルマが消化できなかったとき、翌日以降に繰り越されるルールは相変わらずだ。たまった分をまとめて消化することも多いので、時間が取れた日に数日先まであーんし倒すという手もありだろう。
(ノルマが一日二回になったんじゃ、溜まりすぎたときに厄介だものね)
あとはどうやってジークヴァルトを言いくるめるかだ。譲歩する代わりにまた新しいルールを加えられては、自分の首を絞めているだけになりかねない。
「夫婦の決め事って、普通こんなじゃないはずなのに……」
コレジャナイ感がハンパない。夜会茶会であーんと膝抱っこはNGだとか、とてもではないが余所でできる話ではなかった。
いちばん近しい存在であるエラにも、内緒にしていることがたくさんある。特に夫婦の営みに関しては、ひとり思い悩むしかないリーゼロッテだ。
(発〇小町とか、匿名スレがほしいわね。顔が見えなければ、思い切って相談できそうだし)
同様の悩みを抱える人間は、探せば案外いるかもしれない。話を聞いてもらえるだけでも気が楽になりそうだ。
ジークヴァルトとの夜の営みは、なんというかとにかく長い。それが標準なのか、経験値ゼロスタートのリーゼロッテにしてみれば比較対象がないのが現状だ。
しかしご夫人同士の明け透けな話を耳にする限りでは、やはり長すぎることがうすうす分かってきた。
夜のジークヴァルトまとめとしては、だいたい以下の通りだ。
まず月のものの間に手を出してくることはない。だがこのところは終わりが近づくと、待てができずに悪戯を仕掛けてくることが増えてきた。
そして解禁明けのまぐあいはことさら長い。長い上にしつこくねちっこい。焦らしに焦らしてくるので、それもどうにか対策がしたかった。
夜会前には一週間、まぐあい禁止令が設けられるので、夜会終わりの晩も同様にしつこくなるようだ。先日のレルナー家の夜会でも、疲れ切って帰り着いた部屋で強制あんあんに突入したことを思い出す。
(そういえば、お茶会のあった日もひどいのよね……)
リーゼロッテ主催の茶会では、お預けの期間は二日だけだ。それなのに茶会の夜のジークヴァルトは、やはり長時間焦らしにかかってくる。
(わたしが誰かと会った時に限って、いつも以上にヴァルト様がしつこくなるのは間違いなさそうだわ)
それは男に限らず、女性だけの集まりでも変わらなかった。リーゼロッテを独り占めしたいとでも思っているのだろうか。
そんなこと口には出さないし、人に会うことを止めたりもしないが、その日の出来事とジークヴァルトの反応を照らし合わせると、どうしてもその結論に至ってしまう。
(ヴァルト様ってどんだけわたしが好きなのかしら……)
愛されすぎて怖いというより、もはや呆れるしかないだろう。
(でも最近はやられっぱなしじゃないもの)
夫婦となってからここ数か月、ジークヴァルトの暴走を止められずに、毎夜惨敗が続いていた。しかし検証を重ねた結果、先に寝てしまえば朝まで起こされないことが判明したのだ。そんなわけでこのところ三日に一回は、帰りを待たずにさっさと眠ってしまっているリーゼロッテだった。
(三日以上空くと、ヴァルト様がまたしつこくなるから……)
本音を言うともっと休みたい。かと言ってお預けが長すぎると、あとで自分に返ってきてしまう。そこはもう仕方がないと、すっかりあきらめの境地になっていた。
(せめてもう少し時間を短くしてくれればいいのに)
途中でもうムリと訴えたところで、イヤヨイヤヨもスキのウチと流されてしまう毎日だ。こんな事情はエラにも相談できなくて、悶々とひとりで悩んでいる間に今日も夜を迎えてしまった。
「お帰りなさいませ、ヴァルト様」
今夜も朝までコースを覚悟して、ジークヴァルトを出迎えた。ひょいと抱えあげられ、寝台へ直行だ。何と言えば早く終わらせてくれるだろうか。運ばれる間にも、そんなことばかりが頭を巡った。
「明日、王妃の離宮に連れていく」
「離宮に……? アンネマリーに会えるのですか?」
「ああ」
降ろされた寝台で、唇を啄みながらジークヴァルトが不満げに頷き返す。明日お出かけするということは、今夜のまぐあいは晴れて中止ということだ。降って湧いた幸運に、リーゼロッテの瞳が輝いた。
「うれしそうだな」
「だって久しぶりにアンネマリーに会えるんですもの」
最後に会ったのは昨年のイジドーラの誕生日を祝う夜会の前日のことだ。当時まだ王太子だったハインリヒの晩餐に招かれ、人目を気にせずふたりで尽きることなくおしゃべりをした。
一年前の白の夜会では、王太子妃としてハインリヒと並び立つ姿を目にしただけで、言葉を交わすこともできなかった。ましてアンネマリーが王妃となった今、気軽に会える機会など滅多にないだろう。
夜のお預けが伸びるとまたあとが面倒くさい。そう思いつつもジークヴァルトの腕の中、うきうきで眠りについたリーゼロッテだった。
◇
通された豪華な部屋で、アンネマリーは長椅子に足を延ばして座っていた。臨月を迎えたそのお腹は、驚くほど大きくふくらんでいる。
しかしリーゼロッテはむしろ、はちきれんばかりの胸に目を奪われていた。妊婦の胸はひと回りもふた回りもサイズアップを果たすという知識はあった。もともとたわわなお胸のアンネマリーだ。それがさらに迫力を増して、リーゼロッテに現実の非情さを突きつけてくる。
ここ数か月ジークヴァルトに毎晩せっせと育ててもらい、「少しは胸が大きくなったかな」などと密かによろこんでいたのだ。アンネマリーの存在感ある胸を前に、そんな自分がなんだかみじめに思えてくる。涙目になるのを必死にこらえ、王族に対する最大級の礼を取った。
「アンネマリー王妃殿下、本日はお招きありがとうございます」
「急に呼び立てて悪かったわね。人払いをしてあるからいつも通りでいいわ」
「ではお言葉に甘えまして……今日は久しぶりに会えて本当にうれしいわ」
「わたくしもよ。リーゼ、結婚おめでとう。よかったわ、出産前に直接伝えたいって思っていたから」
「ありがとう、アンネマリー」
昔なら駆け寄ってハグのひとつもしているところだ。だが今やアンネマリーは未来の王を宿す一国の王妃だ。いくら人払いがなされているとはいえ、立場的に自重しなければならない。リーゼロッテはおとなしく向かいのソファに腰かけた。
「こんな格好のまま迎えてごめんなさいね。なにしろお腹がこうでしょう? 動くのもままならなくて」
「アンネマリーの体が最優先だもの。そんなことは気にしないで」
「ふふ、早く出てきてくれないかしら……。出産はすこし怖くも感じるけど、今はこの子の顔を一日も早く見てみたくって」
気だるげにしつつも、アンネマリーはすでに母親の顔になっていた。手を当てたふくらみに、慈愛のまなざしを向けている。伏せたまつ毛の横顔がものすごく大人びて見えて、ひとつ年上なだけのアンネマリーに、焦りにも似た憧憬を感じてしまう。
「予定では今月中なのでしょう?」
「ええ、白の夜会に当たらないといいのだけれど……」
「そうなったらハインリヒ王も落ち着いていらっしゃれないわね」
アンネマリーは夜会に出ないことが決まっているが、王の立場ではそうもいかない。たとえ最愛の妻の出産が始まったとしても、デビュタントを迎える夜会をすっぽかすなどできないだろう。
「ここまで来たらなるようにしかならないわ。あとは運任せね」
「アンネマリー……なんだかとても強くなったわ」
「この一年、わたくしも王妃としてたくさん試されてきたから」
口元に笑みを浮かべるも、リーゼロッテには想像もつかない苦労が山ほどあったはずだ。アンネマリーは王妃として立派にハインリヒ王を支えている。その姿がまぶしく映るのも、彼女の弛みない努力があったからこそだ。
(わたしの悩みなんて苦労のうちに入らないわね)
いつかアンネマリーのようになれるだろうか。ジークヴァルトの横に立つにふさわしい自分。甘やかされるだけでない、そんな誇れる姿を想像した。
「あ、動いたわ。リーゼも触ってみない? 最近では頻繁に中から蹴ってくるのよ」
言われるがままアンネマリーの前で膝をついた。興味津々でせり出したお腹に手を当てる。
「…………」
真剣に集中するも、手のひらには何の感触も得られない。しばらくそのまま息をつめていたら、アンネマリーが困惑顔で口を開いた。
「おかしいわね。リーゼロッテが手を当てたら途端におとなしくなってしまったわ」
「わたくし、何か変なものを出していたかしら!?」
浄化の力が胎児に悪いなどと聞いたことはないが、影響があるとしたらとんでもないことだ。力を流し込んだりはしていないが、何かあってはならないとリーゼロッテは慌てて手をひっこめた。
「あら? また蹴り出したわ。もう一度当ててみてちょうだい」
恐る恐る手を当てるも、やはり何も感じとることはできない。伺うように見上げると、アンネマリーは困ったような笑顔を返してきた。
「この子はどうも人見知りみたいね」
「嫌われてしまっていないといいけれど……」
「馬鹿ね。リーゼを嫌う人間なんていやしないわ」
アンネマリーの綺麗な指がリーゼロッテの頬に延ばされる。以前と変わらないやさしい従姉がそこにいて、リーゼロッテはなんだかうれしくなった。
「ねぇ、リーゼ。リーゼはクリスティーナ様の喪に服して式を挙げていないと聞いたわ」
「ええ、そうだけれど、わたくしたちの場合、異形が騒ぐといけないから……」
「そう……」
「いつかも伝えたけれど、婚姻の儀のアンネマリーは本当に美しかったわ。今思い出しても、わたくし胸がいっぱいになってしまって」
心からそう思って、リーゼロッテは満面の笑みを向けた。悲恋の果てに結ばれたふたりの婚儀は、それはそれは胸熱だった。もう二年近く前の話だというのに、昨日のことのように感動が蘇る。
自分もあんな素敵な式を挙げてみたい。そんなふうに思うものの、これまでの異形がらみの騒ぎを振り返ると、仕方のないことだと諦めていた。
「ひとが羨ましいとか妬ましいだとか……リーゼはそんなこと考えもしないのね」
「え? そんなことは……」
「いいえ、リーゼは本当に昔と変わらないわ」
リーゼロッテにも人を妬ましく思う気持ちくらいはある。現に今もアンネマリーの胸に羨望の視線を浴びせまくりだ。だがここでそうじゃないと押し問答したところで意味はないだろう。代わりに拗ねたように唇を尖らせた。
「公爵夫人になったのに、わたくしなんだかちっとも成長してないみたい」
「そんなことないわ。リーゼ、とても綺麗になったもの。公爵にはちゃんと大切にされているようね?」
「大切にされているというか、大切にされすぎているというか……」
突然ジークヴァルトを話題に出され、頬が熱を持った。溺愛の日々が頭をよぎって、ごにょごにょと口ごもる。
ついでに閨の悩みまで思い出されて、いきなり現実に引き戻されてしまった。今、ジークヴァルトは王城に出仕している。それが終われば速攻でここへと迎えに来るに違いない。そのまま公爵家の寝所に直帰して、朝までコースに突入する未来が、リーゼロッテにはありありと見えてしまった。
赤くなったあと、すぐにどんよりしだしたリーゼロッテに、アンネマリーが小首をかしげた。
「どうしたの? 夫婦喧嘩でもした?」
「ち、ちがっ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、公爵に何か困ったことでもされてるの?」
「いいえ、ヴァルト様はちゃんとやさしくしてくださってるわ! だけど……」
「そう、ひとには言えないような悩みなのね。もしかして……公爵との夜の営みの話?」
リーゼロッテの性格を熟知しているアンネマリーには、何かが伝わってしまったようだ。いたずらな笑みを刷いたアンネマリーは、かつての王妃イジドーラの姿を思わせる。そこに抗えないものを感じて、リーゼロッテは気づけば素直に頷いてしまっていた。
少し考えこんでから、アンネマリーは部屋の奥に声をかけた。
「ビアンカはいて?」
「はい、ここに」
見えないところで控えていたのか、若い女官がすぐ姿を現した。アンネマリーのそばで膝をついていたリーゼロッテは、慌てて元いたソファで居住まいを正す。
「大丈夫よ、ビアンカは信頼置ける女官だから。医学の知識も持ち合わせていて、わたくしの主治医も務めているの。それでリーゼの悩みはどんなものなの? ビアンカならきっと力になれると思うわ」
妊娠中のアンネマリーの主治医を務めるくらいだ。男女のまぐあいへの造詣も深いのかもしれない。それに王妃づきの女官ならば、口が堅いのは間違いないだろう。ここは思い切って相談してみようと、リーゼロッテは恥を忍んで思いの丈をぶちまけた。
「なるほど……フーゲンベルク公爵様の夜の営みは、大変長くいらっしゃると」
他人の口から改めて聞かされると、恥ずかしさも倍増だ。だが恥は旅のかき捨ての勢いで、リーゼロッテは頬を染めながらも頷いた。
「そ、その、ジークヴァルト様を受け入れるまでが長くって……」
「××前の○○が長い。そういうことですね?」
「う……有体にいえばそういうことだけど……わたくし、その、じ、焦らされるのが本当につらいの」
「なるほど。○○で焦らされるのがおつらい、と」
淡々と繰り返さないでほしい。涙目になりつつも、ここまできたら毒を食らわば皿までの境地だ。
「それと受け入れたあとも、それ以上にほんと長くって……」
「〇×△◇という感じでしょうか?」
「い、いいえ、そういったわけでは……」
「延々と××が続く割に途中で△△してる様子はみられない……ということは、公爵様は◇◇でいらっしゃる。そういうことですね?」
「そ、そうなのかしら……」
医学用語を使ってくれてはいるが、良い子には聞かせられない伏字連発の展開だ。明け透けな物言いに、二の句が告げられなくなる。だがもし本当にそれが原因だとしたら、医学の知識を持つ彼女なら何か打開策を授けてくれるかもしれない。
体力が尽き果てるまでの濃厚な夜を減らせるのならと、藁にもすがる思いで女官の話に聞き入った。
ほかにもいくつかヒアリングをされ、リーゼロッテはカウンセリングを受ける患者のごとく、素直に胸の内を吐露していった。
「ご事情は把握いたしました」
「なんとかできそう?」
アンネマリーの声にリーゼロッテは我に返った。夫婦の夜の事情を知られてしまったことが、途端に恥ずかしくなってくる。
「そうですね……解決の糸口になりそうな書物にいくつか心当たりがございます」
「ではそれを見繕ってフーゲンベルク家に届けてちょうだい」
「仰せのままに」
恭しく女官が頭を下げたところで、ふと沈黙が訪れる。恥ずかしすぎていたたまれない。そんなリーゼロッテの胸中を知ってか知らずか、アンネマリーがやさしく微笑んだ。
「ねぇ、リーゼ。そう言えばわたくしが贈った夜着はどう?」
貸した本の感想を聞くような気軽さだが、贈られた夜着はどれも透けフリのえっちいランジェリーだ。
「どうって……ヴァルト様はいつもすぐに脱がしてしまうから……」
「だったら脱がさずにしてほしいとお願いするのもアリよ?」
「そうですね。殿方は焦らされると余計に我慢が利かなくなりますから」
アンネマリーにまでそんなことを真顔で言われ、頬どころか全身まで赤くなる。
「で、でもそれじゃ余計にしつこくなるんじゃ」
「こちらが主導権を握って焦らすのよ? 結果燃え上がるのも早くなるわ」
「そ、そういうものなのかしら……」
知らずごくりと生唾を飲んでしまった。自分よりも人妻歴の長いアンネマリーの言葉は、なんだかものすごく説得力がある。
「早く××してほしいと、ご自分からお願いをしたことはございますか?」
「じ、自分から!? そ、そんなこと、わたくし恥ずかしくって言えないわ」
「本当にリーゼは初心ね。焦らしては嫌って素直に言えばいいだけじゃない」
そう言われても、恥ずかしいものは恥ずかしい。涙目でアンネマリーを見つめ返した。
「でしたら×〇や△×で□□する方法がお勧めです。一度■■してしまえば満足する殿方は多いですし、逆にひと晩のうちに何度も■■できる殿方はそう多くありません。××でお苦しみなら、特に×〇での□□はぜひ実践していただきたいですね」
「×〇で……」
「リーゼはそんなこと、考えたこともなさそうね」
言葉でねだるより、ハードルが高すぎやしないだろうか。もちろん日本での知識はあるが、いざというときにやり切るだけの根性が自分にあるとは思えなかった。そもそもあのジークヴァルト相手に、どう切り出したらいいのかも分からない。
「そういった技術が書かれた教本も渡しておくわ。やり方も事細かに載ってるから。よく読んで、あとは実地訓練ね」
水色の瞳を細め、アンネマリーの唇が妖艶に弧を描いた。
◇
ジークヴァルトは目の前の不毛な議論に苛立っていた。気もそぞろに、思いだけがリーゼロッテの元へと向かう。
王城だろうと王妃の離宮だろうと、信用などできはしない。離れている間に再び何か起きたら、迷わずハインリヒに切りかかる自信があった。
(自信というより確信だな)
ここにいる全員を切り殺すとしたら、どの手順がいちばん効率いいだろうか。まずは護衛騎士ふたりに不意打ちを食らわせ、次いで三人の神官たち、駆けつけた扉を守る騎士を返り討ちにして、そして最後は玉座に座るハインリヒだ。
そんな非生産的なことを頭の中でシミュレーションしていると、耳の守り石がふわりとあたたかくなった。今ここにおとなしく座っていられるのも、この感覚があるからこそだ。
シネヴァの森で夫婦の契りを交わしてから、リーゼロッテとの繋がりを感じ取れるようになった。それは守護者と共に在る感覚にも似ているが、それ以上に強固な絆が結ばれた。
リーゼロッテは今しあわせそうに笑っている。いつでもどこにいても、そんな感情の波がジークヴァルトには伝わってくる。よろこびも悲しみも驚きも、何もかも。これまで彼女から感じたことがないのは、それこそ怒りの思念くらいだ。ただそれはリーゼロッテの中で、その感情が芽生えないためだろう。
リーゼロッテの穏やかな波動は、いつでもジークヴァルトに安らぎを与えてくれる。それでもやはり顔が見たい。直接肌に触れ、リーゼロッテの中に包まれ、ふたりでひとつに永遠に混ざり合っていたい。
そんな欲求とは裏腹に、この場は一向に収まりを見せない。殺気を押し殺そうともせずジークヴァルトは、先ほどからひとりでまくし立てている神官を睨みつけた。
「いくら神託が降りたとはいえ、マルコを夢見の神事に駆り出すなど……! 王は正気でおられるのか!?」
「やめないか、ヨーゼフ。王前で失礼を申すでない」
ジークヴァルトがシネヴァの森から持ち帰った神託が原因で、ここのところ呼び出されることが多くなった。話し合いはこの神官のせいで、いつも平行線をたどっている。
『夢見を継し者、其は陰と陽をその身に併せ持つ者なり。古きは捨て、新たに扉を開くべし』
これがジークヴァルトが森の巫女から託された言霊だ。その解釈をどう取るかで、長いこと大揉めに揉めていた。
「しかし神官長、神官と言えど男を泉に入れるなど前代未聞のことですぞっ。そもそもこの神託に偽りがあるのでは? フーゲンベルク公爵! あなたが巫女から賜った神託の言葉を勝手に違えたのだろう!!」
「公爵様に嘘を言う益などどこにある」
「だとしたら神託の解釈が間違っているのでしょう。建国以来、夢見の巫女を務めてきたのは無垢な乙女のみ。それをここにきて男であるマルコを名指しするなど、ハインリヒ王は常識がなさすぎる!」
「いい加減にするんだ、ヨーゼフ」
神官長に強く言われ、ヨーゼフは不服そうに口をつぐんだ。その横で黙って立っていた盲目の神官レミュリオが、その美しい顔に薄く笑みを浮かべる。
「ヨーゼフ様のおっしゃることもよく分かります。長い歴史の中、夢見の巫女全員が純潔の乙女であったことは事実ですから。ですが今現在、この国で夢見の力を持つのはマルコさんだけなのもまた事実。王のご判断ももっともなことかと思われますね」
「レミュリオ、お前まで……。まったく聖女の力を持つ令嬢が、そのまま夢見の巫女を引き継いでくれたらよかったものを。よりにもよって託宣を前倒しして、聖女を穢す愚行を働くとは……!」
ジークヴァルトを睨みつけ、ヨーゼフは逆に返り討ちにあった。殺気立った視線に、慌てて神官長の後ろに隠れて身を縮みこまらせる。
「いずれにせよ神殿としましては、これ以上夢見の神事を先延ばしにはできません。我々はハインリヒ王のご決断に従います」
「心配はせずともいい。万が一、神事で不測の事態が起きたときは、王としてこのわたしが全責任を負おう」
「いえ、それには及びません。夢見の神事は我ら神殿の管轄。神事を執り行うからには、すべてこちらで責務を果たしましょう」
ハインリヒから目をそらさないまま、しかし、と神官長は続けた。
「いまだマルコを拘束している理由はどこにあるのでしょう。神事を行うにあたって、マルコに伝えねばならない作法もございます。即刻、彼をお戻しいただくことを神殿の長として要求いたします」
「それは許可できない」
ハインリヒが即答すると、さすがの神官長も眉をひそめた。
「神事が神殿の管轄と言うのならば、夢見の巫女の保護は王家の管轄だ。憂えずとも、かの神官は人道的に扱っている。必要に応じて面会を申し出るといい」
鷹揚に告げて玉座から立ち上がる。
「最も近い日付で神事を行えるよう取り計らうように。話は以上だ」
マントを翻し、有無を言わさぬ態度でハインリヒは玉座の間を出て行った。
いまだ不満そうに佇むヨーゼフにもうひと睨みしてから、ジークヴァルトもさっさとこの場をあとにした。
◇
「遅くなるようだったら、お前は先に眠っていろ」
意外にも王妃の離宮から戻ったあと、そう言い残してジークヴァルトは慌ただしく執務へ向かっていった。
(馬車の中でも書類に目を通していたし、急なお出かけで調整がつかなかったのかしら……?)
いつものようにひとりきりで夕食を取り、早めに寝支度を済ませた。このまま先に寝てしまう手もあったが、せっかくの空いた時間だ。アンネマリーから届けられた数冊の本を、興味津々で手に取った。
ありきたりな心構えが書かれた花嫁修業の本に、専門的すぎる医学書。その中にまぎれて詩集のような装丁の本があった。なんとはなしにページをめくると、その内容の濃さにリーゼロッテは思わず目を見開いた。
「これ詩集なんかじゃないわ……」
確かに最初の数ページだけは、貴婦人がティーカップを片手に嗜むような、お上品なポエムが載っている。だがこれは誰かに見られたときに、ごまかすためのフェイクなのだろう。後ろに続くページには、夜の営みに関する指南がびっしりと綴られていた。
男女のカラダの基本から、寝所での作法、その気のない殿方の誘い方や焦らしのテクニック、お勧めの体位、殿方を巧みに癒すあの手この手まで、生々しい図解入りで事細かに解説されている。
臨場感あふれる文章で記述されていて、気づくとリーゼロッテは前のめりで熟読をしていた。
(この知識があればいけそうな気がするわ。あとはいかに主導権を握るかだけど)
あのジークヴァルト相手に、どうやってそういう流れにもっていけばいいのだろうか? さすがにそこまではレクチャーされていなくて、リーゼロッテは前段階で行き詰ってしまった。
「駄目だわ。一度落ち着いてから考えよう」
名案が思い浮かばなくて、リーゼロッテはふっと力を抜いた。時刻を見やると夜もだいぶ更けてきている。そろそろジークヴァルトが戻ってきてもおかしくない頃合いだ。
先に寝てしまえば、今夜のところはまぐあいは回避できる。だが昨日もおとといもお預けになっているので、あまり先延ばしにするのもまたジークヴァルトが面倒くさくなる。
寝るか起きて待つか。決断を迫られる中、アンネマリーにお土産を持たされたことを思い出した。
「勇気が出るおまじない」と称して渡されたのは、ピンクの可愛らしい小さな瓶だ。ぱっと見は香水のようだが、中身はなんと媚薬だというから驚いた。
(合法で安全って渡されたけど)
飲めば開放的な気分になって、ちょっぴり大胆になれるらしい。しかし媚薬というと、どうしても囚われた神殿での恐怖が蘇る。
「ヴァルト様とだったら怖くないかしら……」
もともと合意の上で、パートナーと楽しむためのモノらしい。中身を瓶から出すと効力が失われるので、薄めずに直接飲むように言われていた。
「どうしよう……もう少しこの本で勉強したいし、飲むにしてもまた今度にしようかしら。でも起きてヴァルト様を待ってるんだったら、確実に朝までコースよね」
先に寝てしまうという手もあるが、これ以上待てが続くと明日の夜に痛い目を見るのは確実だ。
きゅぽんと外した瓶の口に鼻先を近づけ、くんくんと匂いをかいでみる。むせ返る甘い香りに、それだけでなんだかくらくらしてきてしまった。
(ちょっとだけ味見を……)
恐る恐る縁に舌をつける。軽く傾けたところで、いきなり部屋の扉が開かれた。
驚きと媚薬という後ろめたさで、思わずごきゅっと一気飲みをしてしまう。甘ったるい液体が喉を通り、どろりと胃に落ちていくのが分かった。酒を飲んだときに似た酩酊感が、頭に体に、あっという間に広がっていった。
ジークヴァルトに背を向けながら、やっちまった感に動揺が走る。小瓶を握りしめ、早くなる鼓動を落ち着かせるため、ふうぅと大きく息をついた。
「どうした?」
「い、いいえ、何もありません」
視界がゆらゆら揺れているような気がするが、媚薬を飲んだなどとバレるのは恥ずかしすぎる。瓶を後ろ手に隠し、ジークヴァルトにひきつった笑みを向けた。
「何を隠した? 甘いにおいがする」
「な、何も」
「顔が赤いぞ? もしかして酒か?」
「お酒など飲んでおりません。へ、部屋が暑いのかしら」
ごまかすように、ぱたぱたと手うちわで顔を仰ぐ。さっきから体が火照って仕方がない。息もどんどん荒くなってきた。
挙動不審なリーゼロッテに眉根を寄せて、ジークヴァルトが確かめるように腕を伸ばしてきた。
「熱でもあるのか?」
「ひゃぁあんっ」
額に軽く触れただけの指先に、自分でもびっくりするくらいの声が出る。お互いにぎょっとして、しばし無言で見つめ合った。
(どうしよう。なんだか……すごくムラムラする)
触れたいし、触れてほしい。制御不能の興奮に、リーゼロッテの意識が朦朧としてくる。浮かされる熱のまま、潤んだ瞳でジークヴァルトをじっと見上げた。
「ヴァルト様……今日もする?」
「する? 何をだ」
「なにって、そんなの……えっちに決まってますわ」
「えっち?」
「するでしょう?」
肩で息をしながら、小首をかしげる。戸惑ったまま動かないジークヴァルトに、リーゼロッテは半眼となりストレートに苛立ちを向けた。
「しないの?」
「お前、おかしいぞ。具合でも悪いのか?」
「具合なんてわるくない」
涙目で頬を膨らませると、握っていた小瓶を素早くジークヴァルトに取り上げられた。
「これは……お前、これを飲んだのか!?」
空になった瓶にはっとして、リーゼロッテを凝視してくる。反応からするに、ジークヴァルトは中身の正体を知っているに違いない。
「のみました。のみましたけど、それがなにか?」
鼻息荒く、不遜な態度で言葉を返す。言動がおかしくなっているのに気がつきつつも、リーゼロッテは疼く体に理性を保っていられなかった。
「ヴァルトさまが驚かすから、びっくりしてのんじゃったんだもの。わたくしわるくない」
「なぜこんなもの……離宮で王妃に渡されたのか? 余計なことを」
腹立たしそうに舌打ちしたジークヴァルトに、リーゼロッテは唇をへの字に曲げた。
「で、するの? しないの?」
「だから何をするというんだ?」
「もういい。ヴァルト様がしないなら、わたくしがする」
言うなり、ジークヴァルトの手を引いた。覚束ない足取りで寝室まで行くと、リーゼロッテはうんしょと寝台にひとりよじ昇った。リネンの上にぺたりと座り、空いたスペースを手のひらでぼふぼふと叩く。
「ヴァルト様はここ」
「大丈夫か? さっきより顔が赤い」
「いいから、ヴァルト様はここ!」
顔に延ばされかけた手をはねのけ、急かすようにさらにリネンを叩いた。しぶしぶ寝台に乗ると、ジークヴァルトはリーゼロッテを引き寄せ膝に乗せようとした。
「あん、駄目! 今日はわたくしがするのっ」
ぷんすこ怒りながら、ジークヴァルトの胸を押す。困惑顔のまま固まる両腕が、行き場なく宙を彷徨った。
「リーゼロッテ、一体何を……」
「ヴァルト様の手はここ! 黙って、動かない!」
無理やり手を降ろさせて、自分はジークヴァルトの前に正座する。仕方なしにあぐらをかいて、言われたとおりにジークヴァルトは沈黙を守った。
「うぅんと、まずは……」
独り言を呟きながら、ジークヴァルトのシャツに手をかける。真剣な面持ちで、上から順に釦を外していった。その慣れない手つきを、ジークヴァルトの視線が追ってくる。
「あっつい」
半ばまで外しかけ、やおらリーゼロッテは羽織っていたガウンを脱ぎ捨てた。いつもなら恥ずかしくて仕方がない、透けふりランジェリー姿を惜しげもなくさらけ出す。
「リーゼ……ロッテ」
「だぁめ、じっとしててっ」
生唾を飲んだジークヴァルトを一喝すると、再び釦に指を伸ばす。ようやく下まで外しきり、ジークヴァルトの胸をはだけさせた。
「ヴァルトさま、細まっちょ……」
「ほそま……?」
ジークヴァルトの筋肉をしげしげと見やり、その肌を手のひらで確かめた。胸板の上、円を描くように手を滑らせると、リーゼロッテは伺うようにジークヴァルトを見上げた。
「くすぐったい?」
「いや、特に……」
「どうして? わたくしヴァルトさまにこうされると、すごくくすぐったいのに」
ぷくと頬を膨らませて、リーゼロッテはさらにジークヴァルトの胸板をくすぐった。
「これは? 気持ちいい?」
「い、いや、そうでもないが……」
「なんでずるい、いつもわたくしばっかり……じゃあ、これはどう?」
リーゼロッテは鳩尾の龍のあざに唇を寄せた。いつもジークヴァルトにされているように、口づけで模様をなぞっていく。
「ふぁああっ!」
キスしたのはジークヴァルトのあざなのに、なぜか自分の胸元が熱くなった。驚いて自分の龍のあざに手を当てると、ジークヴァルトにキスされて性急に抱き寄せられる。
「やぁっ駄目! 今夜はわたくしがヴァルトさまをあんあん言わせるのっ」
ジークヴァルトの手を引きはがすと、リーゼロッテはびしっとリネンを指さした。
「ヴァルトさま、待て! ステイっ!」
号令をかけられた犬のごとく、ジークヴァルトの動きがぴたりと止まる。
「動いたら、めっ!」
ふぅふぅと息を乱し、熱い手のひらでジークヴァルトを押し倒す。
「今日はわたくしがやるんです」
しかし媚薬の効果が強すぎたのか、リーゼロッテは途中でふにゃふにゃになった。
力が入らずジークヴァルトの上に倒れ込む。
それ以降はジークヴァルトに主導権を握られた。
結局は、いつも以上に熱く激しい夜を過ごす羽目になってしまったリーゼロッテだった。
◇
朝もやのかかる箱庭で、マルコは昇りゆく陽光に目を細めた。
牢での拘束から一転、突然この場所に連れてこられた。人気のない静かな庭の東屋だ。と言っても、神殿のマルコの部屋よりもうんと立派な建物だった。
緑豊かな庭へは自由に行き来できるが、これは軟禁と言って差し支えないだろう。張り巡らされた高い塀。唯一の出入り口である錆びた鉄門には、いつでも王城の騎士が立っている。
誰かと顔を合わせるのは、護衛を引き連れた女官が食事を届けに来る時だけだ。言葉を交わすこともなく、いつも逃げるように去っていく。
――自分はどうしてこんな扱いを受けているのか
募る不安の中、マルコは今日もひとり朝を迎えた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。アンネマリーの計らいで、とある神殿で結婚式を挙げることになったわたしとジークヴァルト様。ダーミッシュの家族も来てくれて、みんなの祝福に胸がいっぱいです! 護衛として同行したカイ様は、神殿内の調査に向かって……?
次回、6章第7話「星読みの神殿」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
悪阻の症状で苦しみながらも、侍女長としての務めを果たそうとするエラ。周囲の人間に見守られながら、リーゼロッテのためにできる限りのことをしようと頑張ります。そんな中、エーミールへの思いに区切りをつけ、マテアスと歩む未来をエラは本当の意味で受け入れて。
一方、公爵夫人として初めてのお茶会を開いたリーゼロッテ。既知の令嬢たちを招待したものの、イザベラの暴走は予想のはるか上を行って……。ジークヴァルトの暴挙により幕を閉じた茶会に、リーゼロッテのダメージは広がるばかり。
その夜、ジークヴァルトに抗議しようとするも、例のごとく甘くもどかしい一夜を過ごしてしまうふたりなのでした。
夫婦となった今でも、ジークヴァルトと食卓を囲むことは滅多にない。ひとりきりの朝食を済ませ、ティーカップから立ち昇る湯気をリーゼロッテはじっと見つめていた。
「ねぇ、エラ。わたくしね、夕べは朝までぐっすり眠れたの」
「それはようございました……何かご心配なことでも?」
考え込むリーゼロッテを見て、エラは不思議そうに首を傾けた。月のものの期間以外は、ジークヴァルトのせいで夜に眠ることができないでいる。そんな日々が当たり前になっている中、昨晩は手を出されることなく、気づけば朝を迎えていた。
(今朝も起きたときに三つ編みは解けてたから、ヴァルト様が横で寝てたのは間違いないんだけど……)
昨夜は先に寝てしまって、ジークヴァルトがいつ戻ってきたのか記憶にない。そんな日でもいつの間にかあんあん言わされていたのに、昨日に限っては何事もなかったようだ。
「いいえ、何でもないの。ヴァルト様だって疲れているときくらいあるわよね……」
ぽつりと小さくつけ加える。毎晩のようにまぐわって、それなのにジークヴァルトは明け方早くに執務へと行っている。リーゼロッテが起きたときに、ジークヴァルトが横にいることはごく稀だ。
「それは奥様がぐっすりお眠りになっていたからなのでは? 旦那様はきっと、起こすのがかわいそうと思われたんですよ」
「そうなのかしら……?」
まどろみの中で、まぐあいへと強制突入させられることもしばしばだ。だが言われてみれば、昨日は夜の間一度も目覚めずに、ジークヴァルトと目が合うこともなかった。
(完全に寝入っていれば、朝まで眠らせてくれるということかしら)
ふと目覚めたときに視線が合うと、ジークヴァルトは必ずキスをしてくる。月のものの間はそれで終わるが、そうでないときは必ず夫婦の営みへと移行していたように思う。
(もしかして、途中で起きなければ手を出されない……?)
だとすると、ジークヴァルトが戻ってくるのを待たずに、さっさと寝てしまえばいいことだ。長時間働いているジークヴァルトには悪いと思うが、体力を温存するためには適度に休まないとこちらの身が持たない。
(ヴァルト様の行動パターンを、改めて再考した方が良さそうね)
そんなこと思ってリーゼロッテは、しばらくの間ジークヴァルト観察日記をつけることにしたのだった。
◇
それから数週間、いくつかご夫人相手のお茶会をそつなくこなし、リーゼロッテも公爵夫人としての生活が板についてきた。ジークヴァルトの奇行の数々も、先手を打ってうまいこと阻止できている。
(だいぶデータも集まったし、おかげでヴァルト様への対策も立てやすいわ)
放っておくと茶会や夜会でも、隙あらばあーんや抱っこをやらかすので、絶対にやめるよう強めに交渉した。代わりにあーんのノルマを一日二回に引き上げられてしまったが、公爵家内でやる分にはもう慣れっこだ。
(あーんの繰り越しができるなら、前払い方式を導入するのもいい案かも)
その日のノルマが消化できなかったとき、翌日以降に繰り越されるルールは相変わらずだ。たまった分をまとめて消化することも多いので、時間が取れた日に数日先まであーんし倒すという手もありだろう。
(ノルマが一日二回になったんじゃ、溜まりすぎたときに厄介だものね)
あとはどうやってジークヴァルトを言いくるめるかだ。譲歩する代わりにまた新しいルールを加えられては、自分の首を絞めているだけになりかねない。
「夫婦の決め事って、普通こんなじゃないはずなのに……」
コレジャナイ感がハンパない。夜会茶会であーんと膝抱っこはNGだとか、とてもではないが余所でできる話ではなかった。
いちばん近しい存在であるエラにも、内緒にしていることがたくさんある。特に夫婦の営みに関しては、ひとり思い悩むしかないリーゼロッテだ。
(発〇小町とか、匿名スレがほしいわね。顔が見えなければ、思い切って相談できそうだし)
同様の悩みを抱える人間は、探せば案外いるかもしれない。話を聞いてもらえるだけでも気が楽になりそうだ。
ジークヴァルトとの夜の営みは、なんというかとにかく長い。それが標準なのか、経験値ゼロスタートのリーゼロッテにしてみれば比較対象がないのが現状だ。
しかしご夫人同士の明け透けな話を耳にする限りでは、やはり長すぎることがうすうす分かってきた。
夜のジークヴァルトまとめとしては、だいたい以下の通りだ。
まず月のものの間に手を出してくることはない。だがこのところは終わりが近づくと、待てができずに悪戯を仕掛けてくることが増えてきた。
そして解禁明けのまぐあいはことさら長い。長い上にしつこくねちっこい。焦らしに焦らしてくるので、それもどうにか対策がしたかった。
夜会前には一週間、まぐあい禁止令が設けられるので、夜会終わりの晩も同様にしつこくなるようだ。先日のレルナー家の夜会でも、疲れ切って帰り着いた部屋で強制あんあんに突入したことを思い出す。
(そういえば、お茶会のあった日もひどいのよね……)
リーゼロッテ主催の茶会では、お預けの期間は二日だけだ。それなのに茶会の夜のジークヴァルトは、やはり長時間焦らしにかかってくる。
(わたしが誰かと会った時に限って、いつも以上にヴァルト様がしつこくなるのは間違いなさそうだわ)
それは男に限らず、女性だけの集まりでも変わらなかった。リーゼロッテを独り占めしたいとでも思っているのだろうか。
そんなこと口には出さないし、人に会うことを止めたりもしないが、その日の出来事とジークヴァルトの反応を照らし合わせると、どうしてもその結論に至ってしまう。
(ヴァルト様ってどんだけわたしが好きなのかしら……)
愛されすぎて怖いというより、もはや呆れるしかないだろう。
(でも最近はやられっぱなしじゃないもの)
夫婦となってからここ数か月、ジークヴァルトの暴走を止められずに、毎夜惨敗が続いていた。しかし検証を重ねた結果、先に寝てしまえば朝まで起こされないことが判明したのだ。そんなわけでこのところ三日に一回は、帰りを待たずにさっさと眠ってしまっているリーゼロッテだった。
(三日以上空くと、ヴァルト様がまたしつこくなるから……)
本音を言うともっと休みたい。かと言ってお預けが長すぎると、あとで自分に返ってきてしまう。そこはもう仕方がないと、すっかりあきらめの境地になっていた。
(せめてもう少し時間を短くしてくれればいいのに)
途中でもうムリと訴えたところで、イヤヨイヤヨもスキのウチと流されてしまう毎日だ。こんな事情はエラにも相談できなくて、悶々とひとりで悩んでいる間に今日も夜を迎えてしまった。
「お帰りなさいませ、ヴァルト様」
今夜も朝までコースを覚悟して、ジークヴァルトを出迎えた。ひょいと抱えあげられ、寝台へ直行だ。何と言えば早く終わらせてくれるだろうか。運ばれる間にも、そんなことばかりが頭を巡った。
「明日、王妃の離宮に連れていく」
「離宮に……? アンネマリーに会えるのですか?」
「ああ」
降ろされた寝台で、唇を啄みながらジークヴァルトが不満げに頷き返す。明日お出かけするということは、今夜のまぐあいは晴れて中止ということだ。降って湧いた幸運に、リーゼロッテの瞳が輝いた。
「うれしそうだな」
「だって久しぶりにアンネマリーに会えるんですもの」
最後に会ったのは昨年のイジドーラの誕生日を祝う夜会の前日のことだ。当時まだ王太子だったハインリヒの晩餐に招かれ、人目を気にせずふたりで尽きることなくおしゃべりをした。
一年前の白の夜会では、王太子妃としてハインリヒと並び立つ姿を目にしただけで、言葉を交わすこともできなかった。ましてアンネマリーが王妃となった今、気軽に会える機会など滅多にないだろう。
夜のお預けが伸びるとまたあとが面倒くさい。そう思いつつもジークヴァルトの腕の中、うきうきで眠りについたリーゼロッテだった。
◇
通された豪華な部屋で、アンネマリーは長椅子に足を延ばして座っていた。臨月を迎えたそのお腹は、驚くほど大きくふくらんでいる。
しかしリーゼロッテはむしろ、はちきれんばかりの胸に目を奪われていた。妊婦の胸はひと回りもふた回りもサイズアップを果たすという知識はあった。もともとたわわなお胸のアンネマリーだ。それがさらに迫力を増して、リーゼロッテに現実の非情さを突きつけてくる。
ここ数か月ジークヴァルトに毎晩せっせと育ててもらい、「少しは胸が大きくなったかな」などと密かによろこんでいたのだ。アンネマリーの存在感ある胸を前に、そんな自分がなんだかみじめに思えてくる。涙目になるのを必死にこらえ、王族に対する最大級の礼を取った。
「アンネマリー王妃殿下、本日はお招きありがとうございます」
「急に呼び立てて悪かったわね。人払いをしてあるからいつも通りでいいわ」
「ではお言葉に甘えまして……今日は久しぶりに会えて本当にうれしいわ」
「わたくしもよ。リーゼ、結婚おめでとう。よかったわ、出産前に直接伝えたいって思っていたから」
「ありがとう、アンネマリー」
昔なら駆け寄ってハグのひとつもしているところだ。だが今やアンネマリーは未来の王を宿す一国の王妃だ。いくら人払いがなされているとはいえ、立場的に自重しなければならない。リーゼロッテはおとなしく向かいのソファに腰かけた。
「こんな格好のまま迎えてごめんなさいね。なにしろお腹がこうでしょう? 動くのもままならなくて」
「アンネマリーの体が最優先だもの。そんなことは気にしないで」
「ふふ、早く出てきてくれないかしら……。出産はすこし怖くも感じるけど、今はこの子の顔を一日も早く見てみたくって」
気だるげにしつつも、アンネマリーはすでに母親の顔になっていた。手を当てたふくらみに、慈愛のまなざしを向けている。伏せたまつ毛の横顔がものすごく大人びて見えて、ひとつ年上なだけのアンネマリーに、焦りにも似た憧憬を感じてしまう。
「予定では今月中なのでしょう?」
「ええ、白の夜会に当たらないといいのだけれど……」
「そうなったらハインリヒ王も落ち着いていらっしゃれないわね」
アンネマリーは夜会に出ないことが決まっているが、王の立場ではそうもいかない。たとえ最愛の妻の出産が始まったとしても、デビュタントを迎える夜会をすっぽかすなどできないだろう。
「ここまで来たらなるようにしかならないわ。あとは運任せね」
「アンネマリー……なんだかとても強くなったわ」
「この一年、わたくしも王妃としてたくさん試されてきたから」
口元に笑みを浮かべるも、リーゼロッテには想像もつかない苦労が山ほどあったはずだ。アンネマリーは王妃として立派にハインリヒ王を支えている。その姿がまぶしく映るのも、彼女の弛みない努力があったからこそだ。
(わたしの悩みなんて苦労のうちに入らないわね)
いつかアンネマリーのようになれるだろうか。ジークヴァルトの横に立つにふさわしい自分。甘やかされるだけでない、そんな誇れる姿を想像した。
「あ、動いたわ。リーゼも触ってみない? 最近では頻繁に中から蹴ってくるのよ」
言われるがままアンネマリーの前で膝をついた。興味津々でせり出したお腹に手を当てる。
「…………」
真剣に集中するも、手のひらには何の感触も得られない。しばらくそのまま息をつめていたら、アンネマリーが困惑顔で口を開いた。
「おかしいわね。リーゼロッテが手を当てたら途端におとなしくなってしまったわ」
「わたくし、何か変なものを出していたかしら!?」
浄化の力が胎児に悪いなどと聞いたことはないが、影響があるとしたらとんでもないことだ。力を流し込んだりはしていないが、何かあってはならないとリーゼロッテは慌てて手をひっこめた。
「あら? また蹴り出したわ。もう一度当ててみてちょうだい」
恐る恐る手を当てるも、やはり何も感じとることはできない。伺うように見上げると、アンネマリーは困ったような笑顔を返してきた。
「この子はどうも人見知りみたいね」
「嫌われてしまっていないといいけれど……」
「馬鹿ね。リーゼを嫌う人間なんていやしないわ」
アンネマリーの綺麗な指がリーゼロッテの頬に延ばされる。以前と変わらないやさしい従姉がそこにいて、リーゼロッテはなんだかうれしくなった。
「ねぇ、リーゼ。リーゼはクリスティーナ様の喪に服して式を挙げていないと聞いたわ」
「ええ、そうだけれど、わたくしたちの場合、異形が騒ぐといけないから……」
「そう……」
「いつかも伝えたけれど、婚姻の儀のアンネマリーは本当に美しかったわ。今思い出しても、わたくし胸がいっぱいになってしまって」
心からそう思って、リーゼロッテは満面の笑みを向けた。悲恋の果てに結ばれたふたりの婚儀は、それはそれは胸熱だった。もう二年近く前の話だというのに、昨日のことのように感動が蘇る。
自分もあんな素敵な式を挙げてみたい。そんなふうに思うものの、これまでの異形がらみの騒ぎを振り返ると、仕方のないことだと諦めていた。
「ひとが羨ましいとか妬ましいだとか……リーゼはそんなこと考えもしないのね」
「え? そんなことは……」
「いいえ、リーゼは本当に昔と変わらないわ」
リーゼロッテにも人を妬ましく思う気持ちくらいはある。現に今もアンネマリーの胸に羨望の視線を浴びせまくりだ。だがここでそうじゃないと押し問答したところで意味はないだろう。代わりに拗ねたように唇を尖らせた。
「公爵夫人になったのに、わたくしなんだかちっとも成長してないみたい」
「そんなことないわ。リーゼ、とても綺麗になったもの。公爵にはちゃんと大切にされているようね?」
「大切にされているというか、大切にされすぎているというか……」
突然ジークヴァルトを話題に出され、頬が熱を持った。溺愛の日々が頭をよぎって、ごにょごにょと口ごもる。
ついでに閨の悩みまで思い出されて、いきなり現実に引き戻されてしまった。今、ジークヴァルトは王城に出仕している。それが終われば速攻でここへと迎えに来るに違いない。そのまま公爵家の寝所に直帰して、朝までコースに突入する未来が、リーゼロッテにはありありと見えてしまった。
赤くなったあと、すぐにどんよりしだしたリーゼロッテに、アンネマリーが小首をかしげた。
「どうしたの? 夫婦喧嘩でもした?」
「ち、ちがっ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、公爵に何か困ったことでもされてるの?」
「いいえ、ヴァルト様はちゃんとやさしくしてくださってるわ! だけど……」
「そう、ひとには言えないような悩みなのね。もしかして……公爵との夜の営みの話?」
リーゼロッテの性格を熟知しているアンネマリーには、何かが伝わってしまったようだ。いたずらな笑みを刷いたアンネマリーは、かつての王妃イジドーラの姿を思わせる。そこに抗えないものを感じて、リーゼロッテは気づけば素直に頷いてしまっていた。
少し考えこんでから、アンネマリーは部屋の奥に声をかけた。
「ビアンカはいて?」
「はい、ここに」
見えないところで控えていたのか、若い女官がすぐ姿を現した。アンネマリーのそばで膝をついていたリーゼロッテは、慌てて元いたソファで居住まいを正す。
「大丈夫よ、ビアンカは信頼置ける女官だから。医学の知識も持ち合わせていて、わたくしの主治医も務めているの。それでリーゼの悩みはどんなものなの? ビアンカならきっと力になれると思うわ」
妊娠中のアンネマリーの主治医を務めるくらいだ。男女のまぐあいへの造詣も深いのかもしれない。それに王妃づきの女官ならば、口が堅いのは間違いないだろう。ここは思い切って相談してみようと、リーゼロッテは恥を忍んで思いの丈をぶちまけた。
「なるほど……フーゲンベルク公爵様の夜の営みは、大変長くいらっしゃると」
他人の口から改めて聞かされると、恥ずかしさも倍増だ。だが恥は旅のかき捨ての勢いで、リーゼロッテは頬を染めながらも頷いた。
「そ、その、ジークヴァルト様を受け入れるまでが長くって……」
「××前の○○が長い。そういうことですね?」
「う……有体にいえばそういうことだけど……わたくし、その、じ、焦らされるのが本当につらいの」
「なるほど。○○で焦らされるのがおつらい、と」
淡々と繰り返さないでほしい。涙目になりつつも、ここまできたら毒を食らわば皿までの境地だ。
「それと受け入れたあとも、それ以上にほんと長くって……」
「〇×△◇という感じでしょうか?」
「い、いいえ、そういったわけでは……」
「延々と××が続く割に途中で△△してる様子はみられない……ということは、公爵様は◇◇でいらっしゃる。そういうことですね?」
「そ、そうなのかしら……」
医学用語を使ってくれてはいるが、良い子には聞かせられない伏字連発の展開だ。明け透けな物言いに、二の句が告げられなくなる。だがもし本当にそれが原因だとしたら、医学の知識を持つ彼女なら何か打開策を授けてくれるかもしれない。
体力が尽き果てるまでの濃厚な夜を減らせるのならと、藁にもすがる思いで女官の話に聞き入った。
ほかにもいくつかヒアリングをされ、リーゼロッテはカウンセリングを受ける患者のごとく、素直に胸の内を吐露していった。
「ご事情は把握いたしました」
「なんとかできそう?」
アンネマリーの声にリーゼロッテは我に返った。夫婦の夜の事情を知られてしまったことが、途端に恥ずかしくなってくる。
「そうですね……解決の糸口になりそうな書物にいくつか心当たりがございます」
「ではそれを見繕ってフーゲンベルク家に届けてちょうだい」
「仰せのままに」
恭しく女官が頭を下げたところで、ふと沈黙が訪れる。恥ずかしすぎていたたまれない。そんなリーゼロッテの胸中を知ってか知らずか、アンネマリーがやさしく微笑んだ。
「ねぇ、リーゼ。そう言えばわたくしが贈った夜着はどう?」
貸した本の感想を聞くような気軽さだが、贈られた夜着はどれも透けフリのえっちいランジェリーだ。
「どうって……ヴァルト様はいつもすぐに脱がしてしまうから……」
「だったら脱がさずにしてほしいとお願いするのもアリよ?」
「そうですね。殿方は焦らされると余計に我慢が利かなくなりますから」
アンネマリーにまでそんなことを真顔で言われ、頬どころか全身まで赤くなる。
「で、でもそれじゃ余計にしつこくなるんじゃ」
「こちらが主導権を握って焦らすのよ? 結果燃え上がるのも早くなるわ」
「そ、そういうものなのかしら……」
知らずごくりと生唾を飲んでしまった。自分よりも人妻歴の長いアンネマリーの言葉は、なんだかものすごく説得力がある。
「早く××してほしいと、ご自分からお願いをしたことはございますか?」
「じ、自分から!? そ、そんなこと、わたくし恥ずかしくって言えないわ」
「本当にリーゼは初心ね。焦らしては嫌って素直に言えばいいだけじゃない」
そう言われても、恥ずかしいものは恥ずかしい。涙目でアンネマリーを見つめ返した。
「でしたら×〇や△×で□□する方法がお勧めです。一度■■してしまえば満足する殿方は多いですし、逆にひと晩のうちに何度も■■できる殿方はそう多くありません。××でお苦しみなら、特に×〇での□□はぜひ実践していただきたいですね」
「×〇で……」
「リーゼはそんなこと、考えたこともなさそうね」
言葉でねだるより、ハードルが高すぎやしないだろうか。もちろん日本での知識はあるが、いざというときにやり切るだけの根性が自分にあるとは思えなかった。そもそもあのジークヴァルト相手に、どう切り出したらいいのかも分からない。
「そういった技術が書かれた教本も渡しておくわ。やり方も事細かに載ってるから。よく読んで、あとは実地訓練ね」
水色の瞳を細め、アンネマリーの唇が妖艶に弧を描いた。
◇
ジークヴァルトは目の前の不毛な議論に苛立っていた。気もそぞろに、思いだけがリーゼロッテの元へと向かう。
王城だろうと王妃の離宮だろうと、信用などできはしない。離れている間に再び何か起きたら、迷わずハインリヒに切りかかる自信があった。
(自信というより確信だな)
ここにいる全員を切り殺すとしたら、どの手順がいちばん効率いいだろうか。まずは護衛騎士ふたりに不意打ちを食らわせ、次いで三人の神官たち、駆けつけた扉を守る騎士を返り討ちにして、そして最後は玉座に座るハインリヒだ。
そんな非生産的なことを頭の中でシミュレーションしていると、耳の守り石がふわりとあたたかくなった。今ここにおとなしく座っていられるのも、この感覚があるからこそだ。
シネヴァの森で夫婦の契りを交わしてから、リーゼロッテとの繋がりを感じ取れるようになった。それは守護者と共に在る感覚にも似ているが、それ以上に強固な絆が結ばれた。
リーゼロッテは今しあわせそうに笑っている。いつでもどこにいても、そんな感情の波がジークヴァルトには伝わってくる。よろこびも悲しみも驚きも、何もかも。これまで彼女から感じたことがないのは、それこそ怒りの思念くらいだ。ただそれはリーゼロッテの中で、その感情が芽生えないためだろう。
リーゼロッテの穏やかな波動は、いつでもジークヴァルトに安らぎを与えてくれる。それでもやはり顔が見たい。直接肌に触れ、リーゼロッテの中に包まれ、ふたりでひとつに永遠に混ざり合っていたい。
そんな欲求とは裏腹に、この場は一向に収まりを見せない。殺気を押し殺そうともせずジークヴァルトは、先ほどからひとりでまくし立てている神官を睨みつけた。
「いくら神託が降りたとはいえ、マルコを夢見の神事に駆り出すなど……! 王は正気でおられるのか!?」
「やめないか、ヨーゼフ。王前で失礼を申すでない」
ジークヴァルトがシネヴァの森から持ち帰った神託が原因で、ここのところ呼び出されることが多くなった。話し合いはこの神官のせいで、いつも平行線をたどっている。
『夢見を継し者、其は陰と陽をその身に併せ持つ者なり。古きは捨て、新たに扉を開くべし』
これがジークヴァルトが森の巫女から託された言霊だ。その解釈をどう取るかで、長いこと大揉めに揉めていた。
「しかし神官長、神官と言えど男を泉に入れるなど前代未聞のことですぞっ。そもそもこの神託に偽りがあるのでは? フーゲンベルク公爵! あなたが巫女から賜った神託の言葉を勝手に違えたのだろう!!」
「公爵様に嘘を言う益などどこにある」
「だとしたら神託の解釈が間違っているのでしょう。建国以来、夢見の巫女を務めてきたのは無垢な乙女のみ。それをここにきて男であるマルコを名指しするなど、ハインリヒ王は常識がなさすぎる!」
「いい加減にするんだ、ヨーゼフ」
神官長に強く言われ、ヨーゼフは不服そうに口をつぐんだ。その横で黙って立っていた盲目の神官レミュリオが、その美しい顔に薄く笑みを浮かべる。
「ヨーゼフ様のおっしゃることもよく分かります。長い歴史の中、夢見の巫女全員が純潔の乙女であったことは事実ですから。ですが今現在、この国で夢見の力を持つのはマルコさんだけなのもまた事実。王のご判断ももっともなことかと思われますね」
「レミュリオ、お前まで……。まったく聖女の力を持つ令嬢が、そのまま夢見の巫女を引き継いでくれたらよかったものを。よりにもよって託宣を前倒しして、聖女を穢す愚行を働くとは……!」
ジークヴァルトを睨みつけ、ヨーゼフは逆に返り討ちにあった。殺気立った視線に、慌てて神官長の後ろに隠れて身を縮みこまらせる。
「いずれにせよ神殿としましては、これ以上夢見の神事を先延ばしにはできません。我々はハインリヒ王のご決断に従います」
「心配はせずともいい。万が一、神事で不測の事態が起きたときは、王としてこのわたしが全責任を負おう」
「いえ、それには及びません。夢見の神事は我ら神殿の管轄。神事を執り行うからには、すべてこちらで責務を果たしましょう」
ハインリヒから目をそらさないまま、しかし、と神官長は続けた。
「いまだマルコを拘束している理由はどこにあるのでしょう。神事を行うにあたって、マルコに伝えねばならない作法もございます。即刻、彼をお戻しいただくことを神殿の長として要求いたします」
「それは許可できない」
ハインリヒが即答すると、さすがの神官長も眉をひそめた。
「神事が神殿の管轄と言うのならば、夢見の巫女の保護は王家の管轄だ。憂えずとも、かの神官は人道的に扱っている。必要に応じて面会を申し出るといい」
鷹揚に告げて玉座から立ち上がる。
「最も近い日付で神事を行えるよう取り計らうように。話は以上だ」
マントを翻し、有無を言わさぬ態度でハインリヒは玉座の間を出て行った。
いまだ不満そうに佇むヨーゼフにもうひと睨みしてから、ジークヴァルトもさっさとこの場をあとにした。
◇
「遅くなるようだったら、お前は先に眠っていろ」
意外にも王妃の離宮から戻ったあと、そう言い残してジークヴァルトは慌ただしく執務へ向かっていった。
(馬車の中でも書類に目を通していたし、急なお出かけで調整がつかなかったのかしら……?)
いつものようにひとりきりで夕食を取り、早めに寝支度を済ませた。このまま先に寝てしまう手もあったが、せっかくの空いた時間だ。アンネマリーから届けられた数冊の本を、興味津々で手に取った。
ありきたりな心構えが書かれた花嫁修業の本に、専門的すぎる医学書。その中にまぎれて詩集のような装丁の本があった。なんとはなしにページをめくると、その内容の濃さにリーゼロッテは思わず目を見開いた。
「これ詩集なんかじゃないわ……」
確かに最初の数ページだけは、貴婦人がティーカップを片手に嗜むような、お上品なポエムが載っている。だがこれは誰かに見られたときに、ごまかすためのフェイクなのだろう。後ろに続くページには、夜の営みに関する指南がびっしりと綴られていた。
男女のカラダの基本から、寝所での作法、その気のない殿方の誘い方や焦らしのテクニック、お勧めの体位、殿方を巧みに癒すあの手この手まで、生々しい図解入りで事細かに解説されている。
臨場感あふれる文章で記述されていて、気づくとリーゼロッテは前のめりで熟読をしていた。
(この知識があればいけそうな気がするわ。あとはいかに主導権を握るかだけど)
あのジークヴァルト相手に、どうやってそういう流れにもっていけばいいのだろうか? さすがにそこまではレクチャーされていなくて、リーゼロッテは前段階で行き詰ってしまった。
「駄目だわ。一度落ち着いてから考えよう」
名案が思い浮かばなくて、リーゼロッテはふっと力を抜いた。時刻を見やると夜もだいぶ更けてきている。そろそろジークヴァルトが戻ってきてもおかしくない頃合いだ。
先に寝てしまえば、今夜のところはまぐあいは回避できる。だが昨日もおとといもお預けになっているので、あまり先延ばしにするのもまたジークヴァルトが面倒くさくなる。
寝るか起きて待つか。決断を迫られる中、アンネマリーにお土産を持たされたことを思い出した。
「勇気が出るおまじない」と称して渡されたのは、ピンクの可愛らしい小さな瓶だ。ぱっと見は香水のようだが、中身はなんと媚薬だというから驚いた。
(合法で安全って渡されたけど)
飲めば開放的な気分になって、ちょっぴり大胆になれるらしい。しかし媚薬というと、どうしても囚われた神殿での恐怖が蘇る。
「ヴァルト様とだったら怖くないかしら……」
もともと合意の上で、パートナーと楽しむためのモノらしい。中身を瓶から出すと効力が失われるので、薄めずに直接飲むように言われていた。
「どうしよう……もう少しこの本で勉強したいし、飲むにしてもまた今度にしようかしら。でも起きてヴァルト様を待ってるんだったら、確実に朝までコースよね」
先に寝てしまうという手もあるが、これ以上待てが続くと明日の夜に痛い目を見るのは確実だ。
きゅぽんと外した瓶の口に鼻先を近づけ、くんくんと匂いをかいでみる。むせ返る甘い香りに、それだけでなんだかくらくらしてきてしまった。
(ちょっとだけ味見を……)
恐る恐る縁に舌をつける。軽く傾けたところで、いきなり部屋の扉が開かれた。
驚きと媚薬という後ろめたさで、思わずごきゅっと一気飲みをしてしまう。甘ったるい液体が喉を通り、どろりと胃に落ちていくのが分かった。酒を飲んだときに似た酩酊感が、頭に体に、あっという間に広がっていった。
ジークヴァルトに背を向けながら、やっちまった感に動揺が走る。小瓶を握りしめ、早くなる鼓動を落ち着かせるため、ふうぅと大きく息をついた。
「どうした?」
「い、いいえ、何もありません」
視界がゆらゆら揺れているような気がするが、媚薬を飲んだなどとバレるのは恥ずかしすぎる。瓶を後ろ手に隠し、ジークヴァルトにひきつった笑みを向けた。
「何を隠した? 甘いにおいがする」
「な、何も」
「顔が赤いぞ? もしかして酒か?」
「お酒など飲んでおりません。へ、部屋が暑いのかしら」
ごまかすように、ぱたぱたと手うちわで顔を仰ぐ。さっきから体が火照って仕方がない。息もどんどん荒くなってきた。
挙動不審なリーゼロッテに眉根を寄せて、ジークヴァルトが確かめるように腕を伸ばしてきた。
「熱でもあるのか?」
「ひゃぁあんっ」
額に軽く触れただけの指先に、自分でもびっくりするくらいの声が出る。お互いにぎょっとして、しばし無言で見つめ合った。
(どうしよう。なんだか……すごくムラムラする)
触れたいし、触れてほしい。制御不能の興奮に、リーゼロッテの意識が朦朧としてくる。浮かされる熱のまま、潤んだ瞳でジークヴァルトをじっと見上げた。
「ヴァルト様……今日もする?」
「する? 何をだ」
「なにって、そんなの……えっちに決まってますわ」
「えっち?」
「するでしょう?」
肩で息をしながら、小首をかしげる。戸惑ったまま動かないジークヴァルトに、リーゼロッテは半眼となりストレートに苛立ちを向けた。
「しないの?」
「お前、おかしいぞ。具合でも悪いのか?」
「具合なんてわるくない」
涙目で頬を膨らませると、握っていた小瓶を素早くジークヴァルトに取り上げられた。
「これは……お前、これを飲んだのか!?」
空になった瓶にはっとして、リーゼロッテを凝視してくる。反応からするに、ジークヴァルトは中身の正体を知っているに違いない。
「のみました。のみましたけど、それがなにか?」
鼻息荒く、不遜な態度で言葉を返す。言動がおかしくなっているのに気がつきつつも、リーゼロッテは疼く体に理性を保っていられなかった。
「ヴァルトさまが驚かすから、びっくりしてのんじゃったんだもの。わたくしわるくない」
「なぜこんなもの……離宮で王妃に渡されたのか? 余計なことを」
腹立たしそうに舌打ちしたジークヴァルトに、リーゼロッテは唇をへの字に曲げた。
「で、するの? しないの?」
「だから何をするというんだ?」
「もういい。ヴァルト様がしないなら、わたくしがする」
言うなり、ジークヴァルトの手を引いた。覚束ない足取りで寝室まで行くと、リーゼロッテはうんしょと寝台にひとりよじ昇った。リネンの上にぺたりと座り、空いたスペースを手のひらでぼふぼふと叩く。
「ヴァルト様はここ」
「大丈夫か? さっきより顔が赤い」
「いいから、ヴァルト様はここ!」
顔に延ばされかけた手をはねのけ、急かすようにさらにリネンを叩いた。しぶしぶ寝台に乗ると、ジークヴァルトはリーゼロッテを引き寄せ膝に乗せようとした。
「あん、駄目! 今日はわたくしがするのっ」
ぷんすこ怒りながら、ジークヴァルトの胸を押す。困惑顔のまま固まる両腕が、行き場なく宙を彷徨った。
「リーゼロッテ、一体何を……」
「ヴァルト様の手はここ! 黙って、動かない!」
無理やり手を降ろさせて、自分はジークヴァルトの前に正座する。仕方なしにあぐらをかいて、言われたとおりにジークヴァルトは沈黙を守った。
「うぅんと、まずは……」
独り言を呟きながら、ジークヴァルトのシャツに手をかける。真剣な面持ちで、上から順に釦を外していった。その慣れない手つきを、ジークヴァルトの視線が追ってくる。
「あっつい」
半ばまで外しかけ、やおらリーゼロッテは羽織っていたガウンを脱ぎ捨てた。いつもなら恥ずかしくて仕方がない、透けふりランジェリー姿を惜しげもなくさらけ出す。
「リーゼ……ロッテ」
「だぁめ、じっとしててっ」
生唾を飲んだジークヴァルトを一喝すると、再び釦に指を伸ばす。ようやく下まで外しきり、ジークヴァルトの胸をはだけさせた。
「ヴァルトさま、細まっちょ……」
「ほそま……?」
ジークヴァルトの筋肉をしげしげと見やり、その肌を手のひらで確かめた。胸板の上、円を描くように手を滑らせると、リーゼロッテは伺うようにジークヴァルトを見上げた。
「くすぐったい?」
「いや、特に……」
「どうして? わたくしヴァルトさまにこうされると、すごくくすぐったいのに」
ぷくと頬を膨らませて、リーゼロッテはさらにジークヴァルトの胸板をくすぐった。
「これは? 気持ちいい?」
「い、いや、そうでもないが……」
「なんでずるい、いつもわたくしばっかり……じゃあ、これはどう?」
リーゼロッテは鳩尾の龍のあざに唇を寄せた。いつもジークヴァルトにされているように、口づけで模様をなぞっていく。
「ふぁああっ!」
キスしたのはジークヴァルトのあざなのに、なぜか自分の胸元が熱くなった。驚いて自分の龍のあざに手を当てると、ジークヴァルトにキスされて性急に抱き寄せられる。
「やぁっ駄目! 今夜はわたくしがヴァルトさまをあんあん言わせるのっ」
ジークヴァルトの手を引きはがすと、リーゼロッテはびしっとリネンを指さした。
「ヴァルトさま、待て! ステイっ!」
号令をかけられた犬のごとく、ジークヴァルトの動きがぴたりと止まる。
「動いたら、めっ!」
ふぅふぅと息を乱し、熱い手のひらでジークヴァルトを押し倒す。
「今日はわたくしがやるんです」
しかし媚薬の効果が強すぎたのか、リーゼロッテは途中でふにゃふにゃになった。
力が入らずジークヴァルトの上に倒れ込む。
それ以降はジークヴァルトに主導権を握られた。
結局は、いつも以上に熱く激しい夜を過ごす羽目になってしまったリーゼロッテだった。
◇
朝もやのかかる箱庭で、マルコは昇りゆく陽光に目を細めた。
牢での拘束から一転、突然この場所に連れてこられた。人気のない静かな庭の東屋だ。と言っても、神殿のマルコの部屋よりもうんと立派な建物だった。
緑豊かな庭へは自由に行き来できるが、これは軟禁と言って差し支えないだろう。張り巡らされた高い塀。唯一の出入り口である錆びた鉄門には、いつでも王城の騎士が立っている。
誰かと顔を合わせるのは、護衛を引き連れた女官が食事を届けに来る時だけだ。言葉を交わすこともなく、いつも逃げるように去っていく。
――自分はどうしてこんな扱いを受けているのか
募る不安の中、マルコは今日もひとり朝を迎えた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。アンネマリーの計らいで、とある神殿で結婚式を挙げることになったわたしとジークヴァルト様。ダーミッシュの家族も来てくれて、みんなの祝福に胸がいっぱいです! 護衛として同行したカイ様は、神殿内の調査に向かって……?
次回、6章第7話「星読みの神殿」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
10
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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