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第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣
第3話 お披露目の夜会
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【前回のあらすじ】
ジークヴァルトと夫婦になったものの、相変わらず引きこもりの毎日を送るリーゼロッテ。そんなある日、領地に災害が起きて。
忙しく対応に追われるジークヴァルトを前に、自分にも何かできることはないかとリーゼロッテはあれこれ奮闘します。しかし空回りしかできない自分に落ち込むばかりで……。
公爵家の女主人としての役割をエマニュエルから指南され、リーゼロッテは夜会で社交に励むことを決意。自分を外に出したがらないジークヴァルトを何とか説得し、レルナー家の夜会に向かうことになったのでした。
レルナー公爵家に到着し、案内されたのは広間から離れた一室だった。入るなりツェツィーリアが飛びつくように駆け寄ってくる。
今日のツェツィーリアは夜会用のドレス姿だ。しばらく会わないうちに、ずいぶん背が伸びた気がする。義弟との婚約もあり、淑女教育に励んでいるとリーゼロッテは聞いていた。
「リーゼロッテお姉様!」
「ツェツィーリア様、ご無沙汰しておりますわ」
「お姉様……今日はずいぶんと控えめなドレスなのね。もっと華やかなものにすればよかったのに」
「ツェツィーお嬢様、その前にお伝えすべきことがございますでしょう?」
後ろで控えていた長身の男が、飄々とした態度で口をはさんでくる。
「そんなこと、グロースクロイツに言われなくても分かっているわ」
つんと顔をそらしたあとスカートをつまみ上げ、ツェツィーリアは優雅な所作で淑女の礼をとった。
「ジークヴァルト様、リーゼロッテ様、このたびはご結婚おめでとうございます。心よりおよろこび申し上げますわ」
「ああ」
ジークヴァルトが素っ気なく返すと、ツェツィーリアはその腕にぎゅっと抱きついた。
「お姉様がヴァルトお兄様の家族になったのだから、お兄様ももうわたくしの本当のお兄様ね!」
ツェツィーリアは実の両親を亡くしている。養子に入った叔父夫婦の元で、いまだ愛情に飢えているのだろうか。そう思うと、リーゼロッテの心は切なく痛んだ。
しかしツェツィーリアの今日の装いは、公爵令嬢として相応しいものだ。使用人にすらぞんざいに扱われていた待遇は、婚約が決まって改善されたのかもしれない。
「ツェツィーリア様、そのドレスとてもお似合いですわ」
「そうでしょう? クリスタ様がマダム・クノスペを勧めてくださったの!」
マダム・クノスペは若い令嬢向けの可憐なドレスを仕立てる人気デザイナーだ。着る者の美しさを最大限に引き出すことに、マダムは命を懸けている。請け負う相手を選ぶため、令嬢たちの間では憧れの的になっていた。
「ツェツィー様の本日のご衣裳は、すべてルカ様が贈ってくださったのですよ。ダーミッシュ家と縁を持てたおかげで、レルナー家は今後も安泰です」
「まぁ、ルカが」
「グロースクロイツは黙ってて!」
レルナー家の家計が危ういという噂が、社交界ではひそかに流れていたようだ。エマニュエルとの勉強会で、そんなことを教えられたことを思い出す。
「はじめての夜会なのに、今夜は最初しか出られないのよ。お義父様が十五になるまでは他所の夜会も駄目だっておっしゃるの。あと五年もあるだなんて気に入らないわ」
この国で成人と認められるのは十五歳になってからだ。それまでは内々で催す夜会以外は、出席できないのが暗黙のルールとなっている。
「フーゲンベルク家のお茶会でよろしければ、またツェツィーリア様をご招待いたしますわ」
「本当!? わたくし絶対に出席するわ!」
横にいるジークヴァルトの口が、微妙にへの字に曲がった。だがツェツィーリアのためなら、お茶会を開くくらいは許してくれるだろう。過去の失敗から、まず外堀を埋めることを覚えたリーゼロッテだ。
「それにしてもお姉様、あの時は本当に心配したのよ? 神殿に拐かされるなんて、わたくし絶対に許せない!」
「その節はご心配をおかけしました。ですがあのことはどうか内密に……」
「わたくし、誰にも話したりしてないわ。ルカに話そうとしたって、どうせ龍に目隠しをされるんだもの」
ツェツィーリアは不満そうに唇を尖らせた。リーゼロッテが神殿に囚われていたことは、ダーミッシュの家族にすら知らされていない。今では極秘事項扱いとなっていた。
そのとき義弟のルカを連れたダーミッシュ伯爵夫妻が部屋に通された。
「お義父様、お義母様……!」
会うのは神事の旅に出たとき以来だ。よろこび勇んで駆け寄るも、フーゴとクリスタはただやさしげに笑みを返してきた。
「公爵様、リーゼロッテ様、この度はご婚姻果たされましたこと、心からお慶び申し上げます」
「フーゲンベルク公爵家のますますの繁栄をお祈り申し上げますわ」
顔を伏せ、形式ばった礼をとる。一歩引いたふたりの態度に戸惑って、リーゼロッテはうまく言葉を返せない。
「今は人目もない。そう硬くならなくてもいいだろう」
「いいえ、リーゼロッテ様はもう公爵家のお方となられました。そういうわけには参りません」
ジークヴァルトの言葉に、フーゴは静かに首を振った。その横でクリスタも同意を示すように瞳を伏せる。
「リーゼロッテ様、これからは公爵夫人として胸をお張りになって過ごされますよう」
「わたくしたちも陰ながらお支えして参ります」
「フーゴお義父様、クリスタお義母様……」
目の前に線を引かれたようで、リーゼロッテは悲しくなった。それでもふたりのまなざしは、以前と変わらず温かいままだ。遠くから見守ってくれているのだと、逆に勇気をもらう。
「ありがたいお言葉です。ジークヴァルト様の妻として、この先、自覚をもって過ごしていきます」
涙ぐみながら返すと、ふたりはうれしそうに頷いた。
「わたしももう、気軽に義姉上と呼んではいけないのですね……」
「ルカ……」
今日のルカはツェツィーリアとお揃いの夜会服を着ている。十二歳になったルカは、小さくても立派な貴族に見えた。
「公の場でなければ、これまで通り接してほしいわ……。それくらいなら許されますわよね?」
「リーゼロッテ様がそうお望みでしたら」
フーゴに微笑まれて、目を合わせたルカと同時に破顔した。
「ルカは今日、ツェツィーリア様のエスコート役なのね?」
「はい! ツェツィー様の隣に立ててわたしもうれしいです!」
「か、勘違いしないで。婚約者だから仕方なくルカにエスコートされてあげるのよ?」
「もちろん分かっています。でも聞いてください、義姉上! 今夜はツェツィー様とファーストダンスを踊るんですよ。ツェツィー様がわたしのものだと、多くの人に知ってもらえるいい機会なんです!」
ルカに天使の笑顔を向けられて、ツェツィーリアの顔が真っ赤に染まる。
「べ、別にわたくしはルカのものではないわっ」
「ですがツェツィー様はわたしの婚約者です」
「それはそうだけど、ルカのものだと知らせるために、ファーストダンスを踊るわけではないわ」
「いいえ、こんなにもお美しいツェツィー様を前に、心を奪われない男などいません。ツェツィー様の横に立つのはこのわたし以外にないと、そう知らしめておかなければ」
相変わらずのぐいぐい加減に、ツェツィーリアはたじたじのようだ。婚約したとはいえ、なかなか会えないことが、ルカはもどかしくて仕方ないのだろう。
「ルカ……気持ちは分かるけれど、あまりツェツィーリア様を困らせては駄目よ」
「わたしは義姉上とずっと一緒にいられる義兄上がうらやましいです。わたしも早くツェツィー様と結婚できればいいのに」
「まだ婚約したというだけだもの。ルカと本当に結婚できるかなんてまだわからないわ」
「わたしは必ずツェツィー様を妻に迎えます。ツェツィー様をしあわせにする権利は、何があろうと誰にも渡しません!」
きりっとした顔で言い切られ、赤い顔のままツェツィーリアは金魚のように口をパクパクとした。
「ツェツィーお嬢様を黙らせるとは、さすがはルカ様」
「うるさいわよっ、グロースクロイツ!」
踏み込みにかかったツェツィーリアの足をひょいと避けると、グロースクロイツは時計を見やる。
「そろそろお時間ですね、広間へまいりましょうか。ツェツィーお嬢様、よかったですね。いよいよ心待ちにしていたルカ様とのファーストダンスですよ」
「馬鹿言わないで。わたくし、それほどたのしみになんかしてないもの」
「何をおっしゃいます。ルカ様に恥をかかせないようにと、あれほど毎日ダンスのレッスンに励んでおられたではありませんか」
「そ、そんな理由で練習していたんじゃないわ! レルナー公爵家の令嬢として当然の努力でしょう!? ルカが勘違いするようなこと言わないで」
「ツェツィー様……」
真剣な顔で見つめられ、バツが悪そうにツェツィーリアは顔をそらした。
「わたしこそツェツィー様の恥になるような振る舞いはしないと誓います。どうかその手を取る許可をください」
「お義父様がお決めになったのだから、わたくしの許可など必要ないでしょう?」
「いいえ。わたしはツェツィー様に心から望まれたいのです。どうか今一度、ツェツィー様のお許しを」
差し出された手に、不服そうにしつつもツェツィーリアは自身のそれを添えた。
「い、いいわ。そこまで言うなら許してあげる。だけどわたくしの足を踏んだりしたら、絶対に承知しないんだから」
「この命に代えましても!」
「そんなことで命を懸けないで! ルカはわたくしをしあわせにするのでしょう?」
「はい! この生涯をかけてツェツィー様をしあわせにすると誓います!」
「わたくしを妻にしたいなら、そのくらい当然よ」
つんと顔をそらすと、ツェツィーリアはルカのエスコートに従った。生温かい目のグロースクロイツがそのあとを追っていく。
「……ルカったら本当に積極的ね」
言葉の足りないジークヴァルトと比べると雲泥の差だ。ちょっぴりツェツィーリアがうらやましく感じてしまった。
「ははは、若いころの自分を思い出しますよ。わたしも結婚前にクリスタを誰にもとられたくなくて、必死になっていたものです」
「もう、あなたったらこんなときに……」
顔を赤くしたクリスタに、フーゴは慈しみの目を向けた。
「今宵もその手を取る許可をいただけますか? 奥様」
「仕方のない人。特別に許して差し上げますわ」
ツェツィーリアをまねてつんと顔をそらし、それでもクリスタは笑いながらフーゴの手を取った。
「ではわたしたちは先に広間へ移動します。ルカとツェツィーリア様の婚約で、今夜は挨拶回りに追われると思いますので……」
会場に行ったらゆっくり話はできないということだろう。
「今日はお会いできてうれしかったですわ」
「わたしたちも同じ気持ちです。では行こうか、クリスタ」
ダーミッシュの両親の背を見送って、自分はフーゲンベルクの人間になったのだと、リーゼロッテは改めて強く思った。もうダーミッシュ家は帰る場所ではないのだ。何とも言えないさみしさが、胸の奥に小さく灯った。
「大丈夫か?」
「はい、ヴァルト様」
ずっとジークヴァルトとともに歩むのだ。この先の人生に、不安なことはひとつもなかった。
「これからもよろしくお願いいたします、ジークヴァルトさ……いえ、あなた」
クリスタに倣ってそう呼んでみる。ドギマギしながら顔を見た。
ドンっと部屋が揺れ、リーゼロッテはとっさにジークヴァルトにしがみついた。腕の中見上げると、ジークヴァルトは信じられないものを見る目つきを向けている。
「……外でそれはやめろ」
「はい、そういたしますわ」
ジークヴァルトの動揺につられて、リーゼロッテの顔も盛大に熱を持ったのだった。
◇
レルナー公爵の登場を待ち、先に集まった貴族たちが招待客を吟味しあっている。
今夜の目玉は、十歳になったレルナー公爵令嬢の婚約発表だ。ダーミッシュ伯爵家の長男が相手に選ばれたことは、去年のうちに社交界で噂になっていた。
その他にも話題となるものはある。グレーデン侯爵家の跡取りエルヴィンが、今日はじめて公式の場にお目見えするらしい。
女帝ウルリーケの死後、存続を危ぶまれていたグレーデン家は、起死回生の一手で復活を遂げた。その跡取りの妻の座が空いていることを知った貴族たちが、色めき立つのも無理はない。
そして三つめの話題は、フーゲンベルク公爵の出席だ。レルナー家とフーゲンベルク家は先々代から折り合いが悪く、長く絶縁状態だったのは有名な話だ。フーゲンベルク公爵がダーミッシュ伯爵令嬢を妻に迎えたのを機に、関係の修復を図ったというのが、多くの貴族の見解だった。
(今日の主役はあくまでもツェツィーリア様ね。わたしたちはあまり目立って邪魔をしないようにしないと……)
エマニュエルから受けた指南で、ある程度自分たちに注目が集まることは、リーゼロッテにも分かっていた。だが思った以上に好奇の目を向けられている。周囲の視線が刺さりまくって、保った笑顔が引きつりそうだ。
遠巻きにひそひそと囁かれる中、気軽に声をかけてくる者もいる。
「おう、おふたりさん。晴れて夫婦か、よかったなジークヴァルト」
「ユリウス様、ご無沙汰しております」
やってきたのはツェツィーリアの叔父ユリウスだった。レルナー公爵の弟である彼は、なぜだかフーゲンベルク家で護衛のようなことをしている。普段は誰彼なく女性を口説きまくって、いつもふらふらしている印象だ。だが姪の婚約発表ということもあり、今夜は夜会服でビシっとキメている。
(ユリウス様はジークフリート様の従兄なのよね。それで昔からフーゲンベルク家に出入りしているのかしら)
レルナー家と仲が悪いという割には、ユリウスもツェツィーリアも、よくフーゲンベルク家に入り浸っていた。噂と事実にずれがある。やはり噂は鵜呑みにすべきではないというところだろう。
「ようやくお披露目する気になったか、ジークヴァルト。本当はリーゼロッテを外には出したくなかったんじゃないのか?」
「いえ、そんなことは……」
ふいと顔をそらしたジークヴァルトをユリウスはおもしろそうに見やった。
「隠さなくてもいい。もう毎晩、手離せなくて仕方ないんだろう?」
ユリウスの言いように顔が赤くなる。新婚カップルなどはしあわせそうでうらやましいと、ただ祝福の気持ちを抱くだけだった。だがいざ自分がその立場になると「昨夜はおたのしみでしたね」的な視線をやたらと向けられる。その事実をリーゼロッテは最近になって思い知るようになった。
そんなとき、ご夫人を連れた誰かが、すぐ脇を通り過ぎた。
(あ、カイ様)
一瞬、目が合ったにもかかわらず、カイはそのまま夫人とともに遠ざかっていく。
(気づかなかった……わけではなさそうね)
カイ・デルプフェルトは既婚者相手に遊びまわっている。これは社交界で有名な話だ。公爵夫人となった今、もし夜会で出会ったとしても、カイと親しいそぶりは見せないように。エマニュエルとの勉強会で、リーゼロッテはそうレクチャーを受けていた。
(前にベッティからも注意されたっけ)
カイには悪い噂が絶えないと、そんなことを言われた気がする。
「いい、放っておけ」
ジークヴァルトも彼に気づいたのだろう。その返事に頷き返すころには、カイはもう人波に消えていた。
「あら、ユリウス。久しぶりね」
「これはカミラ姉上。お? 今日のエスコートはエルヴィン、お前か」
「叔父上、わたしもようやく外に出られましたよ」
今度はすらりとした青年と綺麗な夫人が連れ立って近づいてきた。
(この方はカミラ・グレーデン侯爵夫人……エーミール様のお母様ね。エルヴィン様はエーミール様のお兄様で、おふたりはツェツィーリア様の従兄だから、ユリウス様は叔父さんってことで、ということはカミラ様はユリウス様のお姉様でそれでツェツィーリア様の伯母さんってことで……)
人間関係をおさらいしつつ、次第に頭がこんがらがってくる。ある程度見知った者でもこんな感じなので、面識のない貴族などどうなることやらと不安になってきた。
(そういえばフーゲンベルク家とレルナー家が仲違いしたのは、このカミラ様が原因なんだっけ……)
なんでも先々代のレルナー公爵がティール公爵との賭けに負け、金品の代わりにまだ幼い娘のカミラを差し出したらしい。子どもを賭け事に利用したことに腹を立て、当時フーゲンベルク公爵だったジークベルトが、レルナー公爵に絶縁を言い渡したというのが事の顛末だ。
そんなわけでカミラはレルナー公爵令嬢からティール公爵令嬢となり、ティール家からグレーデン家に嫁いだという変わった経歴の持ち主だ。
弟のユリウスと普通に会話しているところを見ると、本人は隠すつもりはないようだ。だが表立って口にすべき話題ではない。そう思ってリーゼロッテは黙って流れを見守った。
「エルヴィン、紹介しよう。こちらがフーゲンベルク公爵とその奥方だ」
「お初にお目にかかります、グレーデン家跡取りのエルヴィンと申します。エーミールがいつもお世話になっております」
「ああ」
「そちらが噂の妖精姫でいらっしゃいますね。こんなにもお美しい方を伴侶に迎えられるとは、なんとも羨ましい」
お世辞だと分かっているので、リーゼロッテは静かに微笑むにとどめた。それなのにジークヴァルトからなぜか不機嫌オーラが漂ってくる。
「これは大変失礼いたしました。フーゲンベルク公爵様は愛する奥方様をお隠しになられたいご様子ですね」
「まぁ、そのようなこと……」
「おう、エルヴィン気をつけろ。フーゲンベルクの男は嫉妬深いからな」
にかっとユリウスに笑われて、リーゼロッテは恥ずかしくて目をそらした。同時にジークヴァルトの眉根が最大限に寄せられる。
「おっと、怖い怖い。ジークヴァルト、お前、もしかしてジークフリートより質悪いんじゃないか?」
そんな軽口が続く中、レルナー公爵が挨拶の壇上に立った。ツェツィーリアのお披露目から始まって、ルカとの婚約が正式に発表される。
この国で社交界デビューは十五歳を過ぎてからだ。だが爵位の高い家では、身内の夜会で子供の披露を早めに行うのが常だった。そんな場で婚約を知らしめたということは、ダーミッシュ家が余程うまいことやったのだろう。そんな声があちこちから聞こえてくる。
利害関係がこじれると、婚約は契約破棄されることもある。早いうちに結ばれた婚約ほどその道をたどるため、正式発表はぎりぎりまで避けるものだ。そんな理由もあり貴族の間では、ダーミッシュ伯爵は一目置かれる存在となっていた。
その跡取り息子が真剣な表情で、レルナー公爵令嬢をダンスフロアへとエスコートしていく。初々しいカップルを見て、多くの貴族が微笑ましい視線を向けた。
オーケストラの演奏とともにファーストダンスが始まった。緊張した面持ちのツェツィーリアを、ルカはしっかりとリードしていく。その凛々しい姿をリーゼロッテは誇らしく見守った。
広いダンスフロアで、ふたりは堂々と一曲踊り上げた。拍手喝采を送られながら、ルカとツェツィーリアが奥へと退場していく。
「なんだ、我らがお姫様の出番はもうお終いか?」
「お披露目は有終の美を飾ってこそ、と言うものよ、ユリウス」
扇で口元を隠したカミラが意味深に言う。レルナー家が恥をかかないために、粗相をしないうちにツェツィーリアを引っ込めたということだろう。
「これからは大人の時間ということか」
ユリウスは開放されたダンスフロアに視線を向け、にかっと笑顔を向けてくる。
「おう、お前らも行ってこい。今日は夫婦のお披露目に来たんだろう?」
「ですが先にレルナー公爵様にご挨拶を……」
招かれた夜会では、まずはその家の主人に挨拶しに行くのが礼儀だ。
「何、あとで行けばいいさ。あの人だかりだ。遅めくらいで丁度いい」
見やると、レルナー公爵の周辺は貴族たちでごった返している。確かにあそこに突っ込んでいくのはためらわれた。ジークヴァルトを見上げると、静かに頷き返される。ダンスフロアへと移動して、流れ出した音楽にあわせてふたりでステップを踏み出した。
周囲の視線を強く感じるが、不思議と緊張はしなかった。今夜のふたりはどう見ても夫婦の装いだ。ジークヴァルトの妻になったことを、むしろもっと周囲に見せつけたい。そんな思いでいっぱいになった。
もうほかに何も目に入らない。ジークヴァルトの青い瞳と見つめ合って、リーゼロッテは夢見心地で踊り続けた。
◇
リーゼロッテと目が合って、カイは何事もなかったようにその横を通り過ぎた。ジークヴァルトに睨みつけられたが、そ知らぬふりをしたのだから勘弁してほしい。
(神事の旅から二か月か……思ったより早かったな)
あれだけ我慢を強いられたジークヴァルトだ。リーゼロッテを囲いこんで、軽く一年くらいは公に連れ出さないだろう。そう本気で思っていたカイだった。
リーゼロッテもジークヴァルト使いが巧くなったのかもしれない。女性とは、とんでもなくしたたかな生き物だ。
「ねぇ、今夜もたのしませてくれるのでしょう?」
横から甘えるようにささやかれて、カイはほろ酔い加減の夫人に意識を戻した。母親と言ってもいいほど年の離れたご夫人だ。
(欲しかった情報は手に入れたし、そろそろ潮時かな?)
捜査で近づいたことにも気づかずに、この夫人はぺらぺらと家の内情を素直に話してくれた。最後にいい思いをさせてやるのが、男としてせめてもの礼儀だろう。無邪気にしなだれかかる夫人を連れ、カイは休憩の場として用意された部屋へと入りこんだ。
とはいえ、今夜は別件でやらねばならないことがある。カイは鍵を閉めるなり夫人を抱きしめた。
「あん、せっかちね」
まんざらでもないように、夫人はカイの首に手を回してくる。
口づけをせがんでくる夫人をすっとかわし、代わりにカイは耳元に唇を寄せた。
「いいじゃないの、一度くらい口づけてくれたって」
「駄目ですよ。貴女の大事な唇は、好きな人のためにとっておかないと」
「主人はただの金ずるだって、いつも言ってるのにぃ」
「こんなにも素敵なカチヤ様ですから、いつ運命の人に出会うか分からないでしょう?」
「もう、あなたってば、意外と純情なんだからぁ」
睦言で夫人を悦ばせながら、カイは頭の中で次の任務の算段を立てていた。
「ね、そんなに焦らさないで、もっとわたしを楽しませて」
「カチヤ様、誠に残念ですが、オレたちは今夜で終わりです」
「えっなに言って……」
夫人がプライドを傷つけられたように顔をゆがませた。それでもカイは耳元で甘くささやき続ける。
「貴女には貴重な情報をたくさんいただきましたからね。カチヤ様が子爵の悪事に加担していなかったこと、騎士団にはきちんと口添えしておきます」
言いながら夫人にさらなる悦びを与えていく。あっけなく腰砕けになった夫人を床に降ろして、カイは汚れた指をハンカチで拭った。
「あ、あなた、わたくしを騙したのね……!」
「カチヤ様も随分とたのしい思いができたでしょう? お別れのしるしに、最後にひとつだけ忠告を。早急に子爵と離縁して、ご実家に戻られることをおすすめします」
冷めた目で、慇懃無礼に礼を取る。金切り声を上げる夫人を置いて、カイは素早く部屋を出た。扉の横で控えていたベッティに目配せを送る。
「あとはよろしく」
「承知いたしましたぁ」
返事とは裏腹に、ベッティの視線は蔑みをはらんでいる。その頭にポンと綺麗な方の手を乗せてから、カイは足早に夜会の喧騒へと戻っていった。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。一曲踊り終えてフロアを出ると、いきなりご夫人たちに囲まれて。新婚通過儀礼の質問攻めにたじたじです! そんなときやってきたのはレルナー公爵。お近づきのしるしにと、わたしはダンスを申し込まれ……?
次回、6章第4話「果てなき焦燥」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
ジークヴァルトと夫婦になったものの、相変わらず引きこもりの毎日を送るリーゼロッテ。そんなある日、領地に災害が起きて。
忙しく対応に追われるジークヴァルトを前に、自分にも何かできることはないかとリーゼロッテはあれこれ奮闘します。しかし空回りしかできない自分に落ち込むばかりで……。
公爵家の女主人としての役割をエマニュエルから指南され、リーゼロッテは夜会で社交に励むことを決意。自分を外に出したがらないジークヴァルトを何とか説得し、レルナー家の夜会に向かうことになったのでした。
レルナー公爵家に到着し、案内されたのは広間から離れた一室だった。入るなりツェツィーリアが飛びつくように駆け寄ってくる。
今日のツェツィーリアは夜会用のドレス姿だ。しばらく会わないうちに、ずいぶん背が伸びた気がする。義弟との婚約もあり、淑女教育に励んでいるとリーゼロッテは聞いていた。
「リーゼロッテお姉様!」
「ツェツィーリア様、ご無沙汰しておりますわ」
「お姉様……今日はずいぶんと控えめなドレスなのね。もっと華やかなものにすればよかったのに」
「ツェツィーお嬢様、その前にお伝えすべきことがございますでしょう?」
後ろで控えていた長身の男が、飄々とした態度で口をはさんでくる。
「そんなこと、グロースクロイツに言われなくても分かっているわ」
つんと顔をそらしたあとスカートをつまみ上げ、ツェツィーリアは優雅な所作で淑女の礼をとった。
「ジークヴァルト様、リーゼロッテ様、このたびはご結婚おめでとうございます。心よりおよろこび申し上げますわ」
「ああ」
ジークヴァルトが素っ気なく返すと、ツェツィーリアはその腕にぎゅっと抱きついた。
「お姉様がヴァルトお兄様の家族になったのだから、お兄様ももうわたくしの本当のお兄様ね!」
ツェツィーリアは実の両親を亡くしている。養子に入った叔父夫婦の元で、いまだ愛情に飢えているのだろうか。そう思うと、リーゼロッテの心は切なく痛んだ。
しかしツェツィーリアの今日の装いは、公爵令嬢として相応しいものだ。使用人にすらぞんざいに扱われていた待遇は、婚約が決まって改善されたのかもしれない。
「ツェツィーリア様、そのドレスとてもお似合いですわ」
「そうでしょう? クリスタ様がマダム・クノスペを勧めてくださったの!」
マダム・クノスペは若い令嬢向けの可憐なドレスを仕立てる人気デザイナーだ。着る者の美しさを最大限に引き出すことに、マダムは命を懸けている。請け負う相手を選ぶため、令嬢たちの間では憧れの的になっていた。
「ツェツィー様の本日のご衣裳は、すべてルカ様が贈ってくださったのですよ。ダーミッシュ家と縁を持てたおかげで、レルナー家は今後も安泰です」
「まぁ、ルカが」
「グロースクロイツは黙ってて!」
レルナー家の家計が危ういという噂が、社交界ではひそかに流れていたようだ。エマニュエルとの勉強会で、そんなことを教えられたことを思い出す。
「はじめての夜会なのに、今夜は最初しか出られないのよ。お義父様が十五になるまでは他所の夜会も駄目だっておっしゃるの。あと五年もあるだなんて気に入らないわ」
この国で成人と認められるのは十五歳になってからだ。それまでは内々で催す夜会以外は、出席できないのが暗黙のルールとなっている。
「フーゲンベルク家のお茶会でよろしければ、またツェツィーリア様をご招待いたしますわ」
「本当!? わたくし絶対に出席するわ!」
横にいるジークヴァルトの口が、微妙にへの字に曲がった。だがツェツィーリアのためなら、お茶会を開くくらいは許してくれるだろう。過去の失敗から、まず外堀を埋めることを覚えたリーゼロッテだ。
「それにしてもお姉様、あの時は本当に心配したのよ? 神殿に拐かされるなんて、わたくし絶対に許せない!」
「その節はご心配をおかけしました。ですがあのことはどうか内密に……」
「わたくし、誰にも話したりしてないわ。ルカに話そうとしたって、どうせ龍に目隠しをされるんだもの」
ツェツィーリアは不満そうに唇を尖らせた。リーゼロッテが神殿に囚われていたことは、ダーミッシュの家族にすら知らされていない。今では極秘事項扱いとなっていた。
そのとき義弟のルカを連れたダーミッシュ伯爵夫妻が部屋に通された。
「お義父様、お義母様……!」
会うのは神事の旅に出たとき以来だ。よろこび勇んで駆け寄るも、フーゴとクリスタはただやさしげに笑みを返してきた。
「公爵様、リーゼロッテ様、この度はご婚姻果たされましたこと、心からお慶び申し上げます」
「フーゲンベルク公爵家のますますの繁栄をお祈り申し上げますわ」
顔を伏せ、形式ばった礼をとる。一歩引いたふたりの態度に戸惑って、リーゼロッテはうまく言葉を返せない。
「今は人目もない。そう硬くならなくてもいいだろう」
「いいえ、リーゼロッテ様はもう公爵家のお方となられました。そういうわけには参りません」
ジークヴァルトの言葉に、フーゴは静かに首を振った。その横でクリスタも同意を示すように瞳を伏せる。
「リーゼロッテ様、これからは公爵夫人として胸をお張りになって過ごされますよう」
「わたくしたちも陰ながらお支えして参ります」
「フーゴお義父様、クリスタお義母様……」
目の前に線を引かれたようで、リーゼロッテは悲しくなった。それでもふたりのまなざしは、以前と変わらず温かいままだ。遠くから見守ってくれているのだと、逆に勇気をもらう。
「ありがたいお言葉です。ジークヴァルト様の妻として、この先、自覚をもって過ごしていきます」
涙ぐみながら返すと、ふたりはうれしそうに頷いた。
「わたしももう、気軽に義姉上と呼んではいけないのですね……」
「ルカ……」
今日のルカはツェツィーリアとお揃いの夜会服を着ている。十二歳になったルカは、小さくても立派な貴族に見えた。
「公の場でなければ、これまで通り接してほしいわ……。それくらいなら許されますわよね?」
「リーゼロッテ様がそうお望みでしたら」
フーゴに微笑まれて、目を合わせたルカと同時に破顔した。
「ルカは今日、ツェツィーリア様のエスコート役なのね?」
「はい! ツェツィー様の隣に立ててわたしもうれしいです!」
「か、勘違いしないで。婚約者だから仕方なくルカにエスコートされてあげるのよ?」
「もちろん分かっています。でも聞いてください、義姉上! 今夜はツェツィー様とファーストダンスを踊るんですよ。ツェツィー様がわたしのものだと、多くの人に知ってもらえるいい機会なんです!」
ルカに天使の笑顔を向けられて、ツェツィーリアの顔が真っ赤に染まる。
「べ、別にわたくしはルカのものではないわっ」
「ですがツェツィー様はわたしの婚約者です」
「それはそうだけど、ルカのものだと知らせるために、ファーストダンスを踊るわけではないわ」
「いいえ、こんなにもお美しいツェツィー様を前に、心を奪われない男などいません。ツェツィー様の横に立つのはこのわたし以外にないと、そう知らしめておかなければ」
相変わらずのぐいぐい加減に、ツェツィーリアはたじたじのようだ。婚約したとはいえ、なかなか会えないことが、ルカはもどかしくて仕方ないのだろう。
「ルカ……気持ちは分かるけれど、あまりツェツィーリア様を困らせては駄目よ」
「わたしは義姉上とずっと一緒にいられる義兄上がうらやましいです。わたしも早くツェツィー様と結婚できればいいのに」
「まだ婚約したというだけだもの。ルカと本当に結婚できるかなんてまだわからないわ」
「わたしは必ずツェツィー様を妻に迎えます。ツェツィー様をしあわせにする権利は、何があろうと誰にも渡しません!」
きりっとした顔で言い切られ、赤い顔のままツェツィーリアは金魚のように口をパクパクとした。
「ツェツィーお嬢様を黙らせるとは、さすがはルカ様」
「うるさいわよっ、グロースクロイツ!」
踏み込みにかかったツェツィーリアの足をひょいと避けると、グロースクロイツは時計を見やる。
「そろそろお時間ですね、広間へまいりましょうか。ツェツィーお嬢様、よかったですね。いよいよ心待ちにしていたルカ様とのファーストダンスですよ」
「馬鹿言わないで。わたくし、それほどたのしみになんかしてないもの」
「何をおっしゃいます。ルカ様に恥をかかせないようにと、あれほど毎日ダンスのレッスンに励んでおられたではありませんか」
「そ、そんな理由で練習していたんじゃないわ! レルナー公爵家の令嬢として当然の努力でしょう!? ルカが勘違いするようなこと言わないで」
「ツェツィー様……」
真剣な顔で見つめられ、バツが悪そうにツェツィーリアは顔をそらした。
「わたしこそツェツィー様の恥になるような振る舞いはしないと誓います。どうかその手を取る許可をください」
「お義父様がお決めになったのだから、わたくしの許可など必要ないでしょう?」
「いいえ。わたしはツェツィー様に心から望まれたいのです。どうか今一度、ツェツィー様のお許しを」
差し出された手に、不服そうにしつつもツェツィーリアは自身のそれを添えた。
「い、いいわ。そこまで言うなら許してあげる。だけどわたくしの足を踏んだりしたら、絶対に承知しないんだから」
「この命に代えましても!」
「そんなことで命を懸けないで! ルカはわたくしをしあわせにするのでしょう?」
「はい! この生涯をかけてツェツィー様をしあわせにすると誓います!」
「わたくしを妻にしたいなら、そのくらい当然よ」
つんと顔をそらすと、ツェツィーリアはルカのエスコートに従った。生温かい目のグロースクロイツがそのあとを追っていく。
「……ルカったら本当に積極的ね」
言葉の足りないジークヴァルトと比べると雲泥の差だ。ちょっぴりツェツィーリアがうらやましく感じてしまった。
「ははは、若いころの自分を思い出しますよ。わたしも結婚前にクリスタを誰にもとられたくなくて、必死になっていたものです」
「もう、あなたったらこんなときに……」
顔を赤くしたクリスタに、フーゴは慈しみの目を向けた。
「今宵もその手を取る許可をいただけますか? 奥様」
「仕方のない人。特別に許して差し上げますわ」
ツェツィーリアをまねてつんと顔をそらし、それでもクリスタは笑いながらフーゴの手を取った。
「ではわたしたちは先に広間へ移動します。ルカとツェツィーリア様の婚約で、今夜は挨拶回りに追われると思いますので……」
会場に行ったらゆっくり話はできないということだろう。
「今日はお会いできてうれしかったですわ」
「わたしたちも同じ気持ちです。では行こうか、クリスタ」
ダーミッシュの両親の背を見送って、自分はフーゲンベルクの人間になったのだと、リーゼロッテは改めて強く思った。もうダーミッシュ家は帰る場所ではないのだ。何とも言えないさみしさが、胸の奥に小さく灯った。
「大丈夫か?」
「はい、ヴァルト様」
ずっとジークヴァルトとともに歩むのだ。この先の人生に、不安なことはひとつもなかった。
「これからもよろしくお願いいたします、ジークヴァルトさ……いえ、あなた」
クリスタに倣ってそう呼んでみる。ドギマギしながら顔を見た。
ドンっと部屋が揺れ、リーゼロッテはとっさにジークヴァルトにしがみついた。腕の中見上げると、ジークヴァルトは信じられないものを見る目つきを向けている。
「……外でそれはやめろ」
「はい、そういたしますわ」
ジークヴァルトの動揺につられて、リーゼロッテの顔も盛大に熱を持ったのだった。
◇
レルナー公爵の登場を待ち、先に集まった貴族たちが招待客を吟味しあっている。
今夜の目玉は、十歳になったレルナー公爵令嬢の婚約発表だ。ダーミッシュ伯爵家の長男が相手に選ばれたことは、去年のうちに社交界で噂になっていた。
その他にも話題となるものはある。グレーデン侯爵家の跡取りエルヴィンが、今日はじめて公式の場にお目見えするらしい。
女帝ウルリーケの死後、存続を危ぶまれていたグレーデン家は、起死回生の一手で復活を遂げた。その跡取りの妻の座が空いていることを知った貴族たちが、色めき立つのも無理はない。
そして三つめの話題は、フーゲンベルク公爵の出席だ。レルナー家とフーゲンベルク家は先々代から折り合いが悪く、長く絶縁状態だったのは有名な話だ。フーゲンベルク公爵がダーミッシュ伯爵令嬢を妻に迎えたのを機に、関係の修復を図ったというのが、多くの貴族の見解だった。
(今日の主役はあくまでもツェツィーリア様ね。わたしたちはあまり目立って邪魔をしないようにしないと……)
エマニュエルから受けた指南で、ある程度自分たちに注目が集まることは、リーゼロッテにも分かっていた。だが思った以上に好奇の目を向けられている。周囲の視線が刺さりまくって、保った笑顔が引きつりそうだ。
遠巻きにひそひそと囁かれる中、気軽に声をかけてくる者もいる。
「おう、おふたりさん。晴れて夫婦か、よかったなジークヴァルト」
「ユリウス様、ご無沙汰しております」
やってきたのはツェツィーリアの叔父ユリウスだった。レルナー公爵の弟である彼は、なぜだかフーゲンベルク家で護衛のようなことをしている。普段は誰彼なく女性を口説きまくって、いつもふらふらしている印象だ。だが姪の婚約発表ということもあり、今夜は夜会服でビシっとキメている。
(ユリウス様はジークフリート様の従兄なのよね。それで昔からフーゲンベルク家に出入りしているのかしら)
レルナー家と仲が悪いという割には、ユリウスもツェツィーリアも、よくフーゲンベルク家に入り浸っていた。噂と事実にずれがある。やはり噂は鵜呑みにすべきではないというところだろう。
「ようやくお披露目する気になったか、ジークヴァルト。本当はリーゼロッテを外には出したくなかったんじゃないのか?」
「いえ、そんなことは……」
ふいと顔をそらしたジークヴァルトをユリウスはおもしろそうに見やった。
「隠さなくてもいい。もう毎晩、手離せなくて仕方ないんだろう?」
ユリウスの言いように顔が赤くなる。新婚カップルなどはしあわせそうでうらやましいと、ただ祝福の気持ちを抱くだけだった。だがいざ自分がその立場になると「昨夜はおたのしみでしたね」的な視線をやたらと向けられる。その事実をリーゼロッテは最近になって思い知るようになった。
そんなとき、ご夫人を連れた誰かが、すぐ脇を通り過ぎた。
(あ、カイ様)
一瞬、目が合ったにもかかわらず、カイはそのまま夫人とともに遠ざかっていく。
(気づかなかった……わけではなさそうね)
カイ・デルプフェルトは既婚者相手に遊びまわっている。これは社交界で有名な話だ。公爵夫人となった今、もし夜会で出会ったとしても、カイと親しいそぶりは見せないように。エマニュエルとの勉強会で、リーゼロッテはそうレクチャーを受けていた。
(前にベッティからも注意されたっけ)
カイには悪い噂が絶えないと、そんなことを言われた気がする。
「いい、放っておけ」
ジークヴァルトも彼に気づいたのだろう。その返事に頷き返すころには、カイはもう人波に消えていた。
「あら、ユリウス。久しぶりね」
「これはカミラ姉上。お? 今日のエスコートはエルヴィン、お前か」
「叔父上、わたしもようやく外に出られましたよ」
今度はすらりとした青年と綺麗な夫人が連れ立って近づいてきた。
(この方はカミラ・グレーデン侯爵夫人……エーミール様のお母様ね。エルヴィン様はエーミール様のお兄様で、おふたりはツェツィーリア様の従兄だから、ユリウス様は叔父さんってことで、ということはカミラ様はユリウス様のお姉様でそれでツェツィーリア様の伯母さんってことで……)
人間関係をおさらいしつつ、次第に頭がこんがらがってくる。ある程度見知った者でもこんな感じなので、面識のない貴族などどうなることやらと不安になってきた。
(そういえばフーゲンベルク家とレルナー家が仲違いしたのは、このカミラ様が原因なんだっけ……)
なんでも先々代のレルナー公爵がティール公爵との賭けに負け、金品の代わりにまだ幼い娘のカミラを差し出したらしい。子どもを賭け事に利用したことに腹を立て、当時フーゲンベルク公爵だったジークベルトが、レルナー公爵に絶縁を言い渡したというのが事の顛末だ。
そんなわけでカミラはレルナー公爵令嬢からティール公爵令嬢となり、ティール家からグレーデン家に嫁いだという変わった経歴の持ち主だ。
弟のユリウスと普通に会話しているところを見ると、本人は隠すつもりはないようだ。だが表立って口にすべき話題ではない。そう思ってリーゼロッテは黙って流れを見守った。
「エルヴィン、紹介しよう。こちらがフーゲンベルク公爵とその奥方だ」
「お初にお目にかかります、グレーデン家跡取りのエルヴィンと申します。エーミールがいつもお世話になっております」
「ああ」
「そちらが噂の妖精姫でいらっしゃいますね。こんなにもお美しい方を伴侶に迎えられるとは、なんとも羨ましい」
お世辞だと分かっているので、リーゼロッテは静かに微笑むにとどめた。それなのにジークヴァルトからなぜか不機嫌オーラが漂ってくる。
「これは大変失礼いたしました。フーゲンベルク公爵様は愛する奥方様をお隠しになられたいご様子ですね」
「まぁ、そのようなこと……」
「おう、エルヴィン気をつけろ。フーゲンベルクの男は嫉妬深いからな」
にかっとユリウスに笑われて、リーゼロッテは恥ずかしくて目をそらした。同時にジークヴァルトの眉根が最大限に寄せられる。
「おっと、怖い怖い。ジークヴァルト、お前、もしかしてジークフリートより質悪いんじゃないか?」
そんな軽口が続く中、レルナー公爵が挨拶の壇上に立った。ツェツィーリアのお披露目から始まって、ルカとの婚約が正式に発表される。
この国で社交界デビューは十五歳を過ぎてからだ。だが爵位の高い家では、身内の夜会で子供の披露を早めに行うのが常だった。そんな場で婚約を知らしめたということは、ダーミッシュ家が余程うまいことやったのだろう。そんな声があちこちから聞こえてくる。
利害関係がこじれると、婚約は契約破棄されることもある。早いうちに結ばれた婚約ほどその道をたどるため、正式発表はぎりぎりまで避けるものだ。そんな理由もあり貴族の間では、ダーミッシュ伯爵は一目置かれる存在となっていた。
その跡取り息子が真剣な表情で、レルナー公爵令嬢をダンスフロアへとエスコートしていく。初々しいカップルを見て、多くの貴族が微笑ましい視線を向けた。
オーケストラの演奏とともにファーストダンスが始まった。緊張した面持ちのツェツィーリアを、ルカはしっかりとリードしていく。その凛々しい姿をリーゼロッテは誇らしく見守った。
広いダンスフロアで、ふたりは堂々と一曲踊り上げた。拍手喝采を送られながら、ルカとツェツィーリアが奥へと退場していく。
「なんだ、我らがお姫様の出番はもうお終いか?」
「お披露目は有終の美を飾ってこそ、と言うものよ、ユリウス」
扇で口元を隠したカミラが意味深に言う。レルナー家が恥をかかないために、粗相をしないうちにツェツィーリアを引っ込めたということだろう。
「これからは大人の時間ということか」
ユリウスは開放されたダンスフロアに視線を向け、にかっと笑顔を向けてくる。
「おう、お前らも行ってこい。今日は夫婦のお披露目に来たんだろう?」
「ですが先にレルナー公爵様にご挨拶を……」
招かれた夜会では、まずはその家の主人に挨拶しに行くのが礼儀だ。
「何、あとで行けばいいさ。あの人だかりだ。遅めくらいで丁度いい」
見やると、レルナー公爵の周辺は貴族たちでごった返している。確かにあそこに突っ込んでいくのはためらわれた。ジークヴァルトを見上げると、静かに頷き返される。ダンスフロアへと移動して、流れ出した音楽にあわせてふたりでステップを踏み出した。
周囲の視線を強く感じるが、不思議と緊張はしなかった。今夜のふたりはどう見ても夫婦の装いだ。ジークヴァルトの妻になったことを、むしろもっと周囲に見せつけたい。そんな思いでいっぱいになった。
もうほかに何も目に入らない。ジークヴァルトの青い瞳と見つめ合って、リーゼロッテは夢見心地で踊り続けた。
◇
リーゼロッテと目が合って、カイは何事もなかったようにその横を通り過ぎた。ジークヴァルトに睨みつけられたが、そ知らぬふりをしたのだから勘弁してほしい。
(神事の旅から二か月か……思ったより早かったな)
あれだけ我慢を強いられたジークヴァルトだ。リーゼロッテを囲いこんで、軽く一年くらいは公に連れ出さないだろう。そう本気で思っていたカイだった。
リーゼロッテもジークヴァルト使いが巧くなったのかもしれない。女性とは、とんでもなくしたたかな生き物だ。
「ねぇ、今夜もたのしませてくれるのでしょう?」
横から甘えるようにささやかれて、カイはほろ酔い加減の夫人に意識を戻した。母親と言ってもいいほど年の離れたご夫人だ。
(欲しかった情報は手に入れたし、そろそろ潮時かな?)
捜査で近づいたことにも気づかずに、この夫人はぺらぺらと家の内情を素直に話してくれた。最後にいい思いをさせてやるのが、男としてせめてもの礼儀だろう。無邪気にしなだれかかる夫人を連れ、カイは休憩の場として用意された部屋へと入りこんだ。
とはいえ、今夜は別件でやらねばならないことがある。カイは鍵を閉めるなり夫人を抱きしめた。
「あん、せっかちね」
まんざらでもないように、夫人はカイの首に手を回してくる。
口づけをせがんでくる夫人をすっとかわし、代わりにカイは耳元に唇を寄せた。
「いいじゃないの、一度くらい口づけてくれたって」
「駄目ですよ。貴女の大事な唇は、好きな人のためにとっておかないと」
「主人はただの金ずるだって、いつも言ってるのにぃ」
「こんなにも素敵なカチヤ様ですから、いつ運命の人に出会うか分からないでしょう?」
「もう、あなたってば、意外と純情なんだからぁ」
睦言で夫人を悦ばせながら、カイは頭の中で次の任務の算段を立てていた。
「ね、そんなに焦らさないで、もっとわたしを楽しませて」
「カチヤ様、誠に残念ですが、オレたちは今夜で終わりです」
「えっなに言って……」
夫人がプライドを傷つけられたように顔をゆがませた。それでもカイは耳元で甘くささやき続ける。
「貴女には貴重な情報をたくさんいただきましたからね。カチヤ様が子爵の悪事に加担していなかったこと、騎士団にはきちんと口添えしておきます」
言いながら夫人にさらなる悦びを与えていく。あっけなく腰砕けになった夫人を床に降ろして、カイは汚れた指をハンカチで拭った。
「あ、あなた、わたくしを騙したのね……!」
「カチヤ様も随分とたのしい思いができたでしょう? お別れのしるしに、最後にひとつだけ忠告を。早急に子爵と離縁して、ご実家に戻られることをおすすめします」
冷めた目で、慇懃無礼に礼を取る。金切り声を上げる夫人を置いて、カイは素早く部屋を出た。扉の横で控えていたベッティに目配せを送る。
「あとはよろしく」
「承知いたしましたぁ」
返事とは裏腹に、ベッティの視線は蔑みをはらんでいる。その頭にポンと綺麗な方の手を乗せてから、カイは足早に夜会の喧騒へと戻っていった。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。一曲踊り終えてフロアを出ると、いきなりご夫人たちに囲まれて。新婚通過儀礼の質問攻めにたじたじです! そんなときやってきたのはレルナー公爵。お近づきのしるしにと、わたしはダンスを申し込まれ……?
次回、6章第4話「果てなき焦燥」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
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