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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙
番外編 貴女は誰にも渡さない(後)
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◇
しばらくののち、ツェツィーリアはルカに手を引かれレルナー家に戻ってきた。そのことにも驚いたが、あの手の付けられないツェツィーリアが、ルカの前では嘘のようにしおらしくしている。それを見て、相手選びに間違いはなかったと、レルナー公爵は大いに満足した。
そして正式に婚約の契約は交わされ、レルナー家も安泰の道をたどることになる。
今日はそのルカがツェツィーリアに面会に来ていた。かんしゃく持ちのツェツィーリアをうまいこと御するルカに対して、家を上げての歓待ぶりを見せている。
それだけレルナー家はツェツィーリアに手を焼いていた。仲良く庭を散策するふたりを、邪魔するでもなくみな遠巻きに見守っている。
「ツェツィー様とこうしてレルナー家でお会いできるようになり、わたしも本当にうれしいです」
「勘違いしないで。わたくしはお義父様に言われて、仕方なく散歩に付き合っているだけよ。ルカが婚約者になったのは、お義父様が勝手に決めたことだもの」
「はい、申し出を公爵様に承諾していただけたときは、天にも昇る気持ちとなりました! 必ずツェツィー様をしあわせにすると誓います」
「そ、そんなの当たり前のことでしょう? それを破ったら絶対に許さないんだから」
顔を赤くしてつんと顔をそむけると、ツェツィーリアはひとりで庭の奥へと進んでいった。その後ろをルカはニコニコしながらついてくる。
「その香り、つけてくださっているのですね。ツェツィー様にお似合いで、わたしはとてもうれしいです」
「婚約者になったんだもの。香水くらいならつけてあげてもいいって思っただけよ」
「はい! とってもうれしいです」
むすっとした顔で進んでいたツェツィーリアは、ふいにルカに手を取られその足を止めた。気づくと周囲に人影もない、随分と奥まった庭へと来てしまっていた。
木々が小さくざわめいた。整えられた庭木は、ふたりの小さな背を簡単に隠してしまう。吹き抜ける夏の風に、ルカからいいにおいが漂って、ツェツィーリアはどきりと鼓動を跳ねさせた。その香りは、ルカの手紙からいつも香ってくるものだ。
胸の鼓動がやけに耳をついて、まるでこの世界にはふたり以外、誰もいないような不思議な気分に見舞われる。
「ツェツィー様」
「な、何よ?」
ぶっきらぼうな返事は、みっともなく上ずってしまった。それが恥ずかしくて、ツェツィーリアは誤魔化すようにつんと顔を逸らした。自分の手を取ったまま、それでもルカはうれしそうに天使の笑みを向けてくる。
「ツェツィー様」
「だから何よ?」
ツェツィーリアの手をすくい上げ、ルカは自分の口元ぎりぎりまで持ち上げた。
「口づけてもよろしいですか?」
「なっ!?」
「駄目ですか?」
手の甲すれすれの唇からは、その吐息が伝わってくる。悲しそうに上目遣いで問われ、ツェツィーリアは真っ赤になって再びつんと顔をそらした。
「ど、どうしてもって言うなら、少しだけなら許してあげてもいいわ」
顔をそむけたまま、自分の手の甲を突き付けた。恥ずかしがっていないし、臆してもいない。そんなことを意思表示するために。
「では、遠慮なく」
弾む声で言うと掴んでいた手を引き、ルカはツェツィーリアを自身に引き寄せた。そのまま無防備に薄く開かれた唇に、ちゅっと音を立ててキスをする。
軽く触れてルカはすぐ顔を離した。とろける笑顔でツェツィーリアを見降ろしてくる。
「な、な、な」
「ななな?」
腕の中、全身真っ赤になったツェツィーリアに、ルカが不思議そうにこてんと首を傾けた。はわはわと唇をふるわせて、ようやくの思いで二の句を告げる。
「なんてことするのよーーーーーーっ!!」
よーよーよー……と木霊した絶叫に、周囲の木々から小鳥たちが一斉に羽ばたいた。
◇
フーゲンベルク家のサロンで、リーゼロッテはルカとツェツィーリアを迎え入れた。正式に婚約者となったふたりが並び立つのを見て、思わず胸の奥が熱くなる。
「ツェツィーリア様……この度はご婚約おめでとうございます」
「別におめでたくなんてないわ。この婚約は、お義父様が勝手に決めたことだもの」
「ええ、そうですわね。でもわたくし、ツェツィーリア様と姉妹になれるかと思うと本当にうれしくて……」
リーゼロッテが瞳を潤ませると、うれしそうな顔を誤魔化すように、ツェツィーリアはつんと大きく顔を逸らした。
「そういうことなら、おとなしく妹になってあげてもいいわ。そのかわりリーゼロッテお姉様も、ずっと本当のお姉様よ? 絶対よ?」
「はい、もちろんです。ずっとツェツィーリア様の家族でいさせてくださいませ」
小さな体を抱きしめる。むっとした顔をしながらも、その頬はすでに真っ赤っかだ。ツェツィーリアも恐る恐ると言った感じで、リーゼロッテをきゅっと小さく抱きしめ返してきた。
「義姉上、もういいでしょう? さあ、ツェツィー様、こちらでわたしとお話しいたしましょう」
「まあ、ルカったらやきもちね?」
「当然です。義姉上たちと違って、わたしはツェツィー様といられる時間は限られているんですから」
ツェツィーリアの手を引いて、少し離れたソファへと連れていく。そんなふたりを微笑ましくエラと共にみやっていた。
「お嬢様もこちらでお茶を」
促されふたりの邪魔にならないようにと遠くへ座る。エラにも座るように言って、ともに紅茶の香りを楽しんだ。仲睦まじげに会話するふたりと、周囲をご機嫌ではしゃぎまわる小鬼たちを見やって、リーゼロッテもとても満たされた気持ちになった。
(わたしも負けていられないわね)
驚くことにジークヴァルトとは両思いだった。ずっと決められた婚約者だとばかり思っていたのに、自分の心の変化についていくのもやっとな毎日だ。
(でもヴァルト様っていつも唐突なのよね……)
抱き上げるときも、膝に乗せるときも、あーんをするときも、そして、口づけてくるときも。
先日の執務室での濃厚なキスを思い出し、思わず頬が赤らんだ。あの日我に返ると、執務室がとんでもない惨状と化していた。大修復が必要とのことで、おかげで特訓もずっとお預けとなっている。
ふとしたときに、あの唇の感触を思い出してしまうから厄介だ。にやける口元をむにむにさせて、リーゼロッテは懸命に表情を整えた。淑女たるもの、簡単に動揺を表に出してはならない。それは子供の頃のマナー教師である、ロッテンマイヤーさんの教えだった。
自分が力を使い果たしてしまうため、最近ではジークヴァルトが過剰に触れてくることもない。そのことがちょっとさみしいと思っている自分に、また頬を赤らめた。
(今でも信じられないわ……ヴァルト様の初恋がわたしだったなんて)
初めからちゃんと口にしてくれたら、こんな遠回りをしないで済んだかもしれない。もっとも、ジークヴァルトへの恋心を自覚したのも、本当につい最近のことだ。
(人のことは言えないわね。でもこれからはルカたちのお手本にならないと)
仲睦まじげに語らうふたりはきっとこれからだ。たくさん思い出を作っていって、一緒に大人になるのだろう。
結婚したふたりが、ダーミッシュの屋敷で仲良く暮らす様子を頭に描く。その未来はきっとちゃんとやってくる。そう思うと自然と口元がほころんだ。
ぷいと顔を逸らすツェツィーリアに、ルカがなにやら話しかけている。愛おしそうにその手を握り、懸命にご機嫌を取っているようだ。
「ツェツィー様はもう、わたしの物です。絶対に誰にも渡しません」
「わたくしは物ではないわ」
「もちろんです、わたしの美しい人。……もしかしてツェツィーリア様は、あの時のことをまだ怒っていらっしゃるのですか?」
「当たり前よ。いきなりあんなことするなんて」
「ですが、きちんと許可はいただきました」
なにやら痴話げんかをしている様子のふたりが、なんとも微笑ましく目に映る。盗み聞きするつもりはないが、この距離では嫌でも耳に入ってしまう。エラと目が合い、同じ思いでお互い目を細めた。
それでもそしらぬふりをして、紅茶の香りを楽しみながら、リーゼロッテはカップにそっと口をつけた。
「だってあの態勢じゃ、普通は手にするって思うでしょう!? それをいきなり口にするなんて!」
「わたしは何も手にするとは言いませんでした。それに口づけと言ったら、本来口にするものです」
ぶほっと咳込みそうになったリーゼロッテは、淑女の矜持でなんとかそれを乗り切った。やっとの思いで口に含んだ紅茶を、静かにこくりと飲み下す。見るとカップを持った姿勢のまま、エラも固まって動かないでいた。
「わたしとの口づけはそんなにお嫌でしたか? それとも、ツェツィー様を怖がらせてしまいましたか?」
「こ、怖がってなどいないわ。わたくしを馬鹿にしないで!」
「でしたらもう一度、あなたに口づけてもかまいませんか?」
「なっ、駄目よ!」
「でも怖くはないのでしょう?」
「こ、怖くはないけれど、だって、そんな改めて言われたら……」
「そうですか……ツェツィー様はお恥ずかしいのですね」
ぐいぐい迫っていたルカは、残念そうにツェツィーリアから身を離した。と見せかけて、ほっとしたところのツェツィーリアを強引に腕に引き寄せる。
そのまま軽くキスをして、ちゅっちゅっとふたつ追加した。もう一度しようとしたところで、真っ赤になったツェツィーリアがその口を両手で塞ぎにかかる。
「だっ、だからなんてことするのよっ!!」
「前置きをされると恥ずかしいのでしょう? ですからこれからは、何も言わずにすることにします」
満面の笑みでそう返され、赤い顔のまま口をぱくぱくさせる。
「る、る、る、ルカの馬鹿ぁ!!!」
ルカの手を振り切って、ツェツィーリアは泣きながらサロンを飛び出した。
「義姉上、また後程。ツェツィー様、逃げないで!」
きりりとした顔でそう言い残すと、嬉々としてツェツィーリアを追っていく。
ふたりの背を唖然として見送った。きゅるるん小鬼がはしゃぎまわる中、リーゼロッテは涙目のままエラの顔を見る。
(い、今どきの若い子って……!)
果たして、ルカたちが早いのか、自分たちが遅すぎるのか。
そんなことがあったのは、ちょっと汗ばむくらいの、とある夏の午後のこと。この平和なティータイムも、やがては思い出になっていく。
ひとつずつ、ひとつずつ。いろんなことを積み重ね、そして、いつか本当の家族になっていく。
次回も番外編!
リーゼロッテとジークヴァルトの初めての出会いを描きます!
しばらくののち、ツェツィーリアはルカに手を引かれレルナー家に戻ってきた。そのことにも驚いたが、あの手の付けられないツェツィーリアが、ルカの前では嘘のようにしおらしくしている。それを見て、相手選びに間違いはなかったと、レルナー公爵は大いに満足した。
そして正式に婚約の契約は交わされ、レルナー家も安泰の道をたどることになる。
今日はそのルカがツェツィーリアに面会に来ていた。かんしゃく持ちのツェツィーリアをうまいこと御するルカに対して、家を上げての歓待ぶりを見せている。
それだけレルナー家はツェツィーリアに手を焼いていた。仲良く庭を散策するふたりを、邪魔するでもなくみな遠巻きに見守っている。
「ツェツィー様とこうしてレルナー家でお会いできるようになり、わたしも本当にうれしいです」
「勘違いしないで。わたくしはお義父様に言われて、仕方なく散歩に付き合っているだけよ。ルカが婚約者になったのは、お義父様が勝手に決めたことだもの」
「はい、申し出を公爵様に承諾していただけたときは、天にも昇る気持ちとなりました! 必ずツェツィー様をしあわせにすると誓います」
「そ、そんなの当たり前のことでしょう? それを破ったら絶対に許さないんだから」
顔を赤くしてつんと顔をそむけると、ツェツィーリアはひとりで庭の奥へと進んでいった。その後ろをルカはニコニコしながらついてくる。
「その香り、つけてくださっているのですね。ツェツィー様にお似合いで、わたしはとてもうれしいです」
「婚約者になったんだもの。香水くらいならつけてあげてもいいって思っただけよ」
「はい! とってもうれしいです」
むすっとした顔で進んでいたツェツィーリアは、ふいにルカに手を取られその足を止めた。気づくと周囲に人影もない、随分と奥まった庭へと来てしまっていた。
木々が小さくざわめいた。整えられた庭木は、ふたりの小さな背を簡単に隠してしまう。吹き抜ける夏の風に、ルカからいいにおいが漂って、ツェツィーリアはどきりと鼓動を跳ねさせた。その香りは、ルカの手紙からいつも香ってくるものだ。
胸の鼓動がやけに耳をついて、まるでこの世界にはふたり以外、誰もいないような不思議な気分に見舞われる。
「ツェツィー様」
「な、何よ?」
ぶっきらぼうな返事は、みっともなく上ずってしまった。それが恥ずかしくて、ツェツィーリアは誤魔化すようにつんと顔を逸らした。自分の手を取ったまま、それでもルカはうれしそうに天使の笑みを向けてくる。
「ツェツィー様」
「だから何よ?」
ツェツィーリアの手をすくい上げ、ルカは自分の口元ぎりぎりまで持ち上げた。
「口づけてもよろしいですか?」
「なっ!?」
「駄目ですか?」
手の甲すれすれの唇からは、その吐息が伝わってくる。悲しそうに上目遣いで問われ、ツェツィーリアは真っ赤になって再びつんと顔をそらした。
「ど、どうしてもって言うなら、少しだけなら許してあげてもいいわ」
顔をそむけたまま、自分の手の甲を突き付けた。恥ずかしがっていないし、臆してもいない。そんなことを意思表示するために。
「では、遠慮なく」
弾む声で言うと掴んでいた手を引き、ルカはツェツィーリアを自身に引き寄せた。そのまま無防備に薄く開かれた唇に、ちゅっと音を立ててキスをする。
軽く触れてルカはすぐ顔を離した。とろける笑顔でツェツィーリアを見降ろしてくる。
「な、な、な」
「ななな?」
腕の中、全身真っ赤になったツェツィーリアに、ルカが不思議そうにこてんと首を傾けた。はわはわと唇をふるわせて、ようやくの思いで二の句を告げる。
「なんてことするのよーーーーーーっ!!」
よーよーよー……と木霊した絶叫に、周囲の木々から小鳥たちが一斉に羽ばたいた。
◇
フーゲンベルク家のサロンで、リーゼロッテはルカとツェツィーリアを迎え入れた。正式に婚約者となったふたりが並び立つのを見て、思わず胸の奥が熱くなる。
「ツェツィーリア様……この度はご婚約おめでとうございます」
「別におめでたくなんてないわ。この婚約は、お義父様が勝手に決めたことだもの」
「ええ、そうですわね。でもわたくし、ツェツィーリア様と姉妹になれるかと思うと本当にうれしくて……」
リーゼロッテが瞳を潤ませると、うれしそうな顔を誤魔化すように、ツェツィーリアはつんと大きく顔を逸らした。
「そういうことなら、おとなしく妹になってあげてもいいわ。そのかわりリーゼロッテお姉様も、ずっと本当のお姉様よ? 絶対よ?」
「はい、もちろんです。ずっとツェツィーリア様の家族でいさせてくださいませ」
小さな体を抱きしめる。むっとした顔をしながらも、その頬はすでに真っ赤っかだ。ツェツィーリアも恐る恐ると言った感じで、リーゼロッテをきゅっと小さく抱きしめ返してきた。
「義姉上、もういいでしょう? さあ、ツェツィー様、こちらでわたしとお話しいたしましょう」
「まあ、ルカったらやきもちね?」
「当然です。義姉上たちと違って、わたしはツェツィー様といられる時間は限られているんですから」
ツェツィーリアの手を引いて、少し離れたソファへと連れていく。そんなふたりを微笑ましくエラと共にみやっていた。
「お嬢様もこちらでお茶を」
促されふたりの邪魔にならないようにと遠くへ座る。エラにも座るように言って、ともに紅茶の香りを楽しんだ。仲睦まじげに会話するふたりと、周囲をご機嫌ではしゃぎまわる小鬼たちを見やって、リーゼロッテもとても満たされた気持ちになった。
(わたしも負けていられないわね)
驚くことにジークヴァルトとは両思いだった。ずっと決められた婚約者だとばかり思っていたのに、自分の心の変化についていくのもやっとな毎日だ。
(でもヴァルト様っていつも唐突なのよね……)
抱き上げるときも、膝に乗せるときも、あーんをするときも、そして、口づけてくるときも。
先日の執務室での濃厚なキスを思い出し、思わず頬が赤らんだ。あの日我に返ると、執務室がとんでもない惨状と化していた。大修復が必要とのことで、おかげで特訓もずっとお預けとなっている。
ふとしたときに、あの唇の感触を思い出してしまうから厄介だ。にやける口元をむにむにさせて、リーゼロッテは懸命に表情を整えた。淑女たるもの、簡単に動揺を表に出してはならない。それは子供の頃のマナー教師である、ロッテンマイヤーさんの教えだった。
自分が力を使い果たしてしまうため、最近ではジークヴァルトが過剰に触れてくることもない。そのことがちょっとさみしいと思っている自分に、また頬を赤らめた。
(今でも信じられないわ……ヴァルト様の初恋がわたしだったなんて)
初めからちゃんと口にしてくれたら、こんな遠回りをしないで済んだかもしれない。もっとも、ジークヴァルトへの恋心を自覚したのも、本当につい最近のことだ。
(人のことは言えないわね。でもこれからはルカたちのお手本にならないと)
仲睦まじげに語らうふたりはきっとこれからだ。たくさん思い出を作っていって、一緒に大人になるのだろう。
結婚したふたりが、ダーミッシュの屋敷で仲良く暮らす様子を頭に描く。その未来はきっとちゃんとやってくる。そう思うと自然と口元がほころんだ。
ぷいと顔を逸らすツェツィーリアに、ルカがなにやら話しかけている。愛おしそうにその手を握り、懸命にご機嫌を取っているようだ。
「ツェツィー様はもう、わたしの物です。絶対に誰にも渡しません」
「わたくしは物ではないわ」
「もちろんです、わたしの美しい人。……もしかしてツェツィーリア様は、あの時のことをまだ怒っていらっしゃるのですか?」
「当たり前よ。いきなりあんなことするなんて」
「ですが、きちんと許可はいただきました」
なにやら痴話げんかをしている様子のふたりが、なんとも微笑ましく目に映る。盗み聞きするつもりはないが、この距離では嫌でも耳に入ってしまう。エラと目が合い、同じ思いでお互い目を細めた。
それでもそしらぬふりをして、紅茶の香りを楽しみながら、リーゼロッテはカップにそっと口をつけた。
「だってあの態勢じゃ、普通は手にするって思うでしょう!? それをいきなり口にするなんて!」
「わたしは何も手にするとは言いませんでした。それに口づけと言ったら、本来口にするものです」
ぶほっと咳込みそうになったリーゼロッテは、淑女の矜持でなんとかそれを乗り切った。やっとの思いで口に含んだ紅茶を、静かにこくりと飲み下す。見るとカップを持った姿勢のまま、エラも固まって動かないでいた。
「わたしとの口づけはそんなにお嫌でしたか? それとも、ツェツィー様を怖がらせてしまいましたか?」
「こ、怖がってなどいないわ。わたくしを馬鹿にしないで!」
「でしたらもう一度、あなたに口づけてもかまいませんか?」
「なっ、駄目よ!」
「でも怖くはないのでしょう?」
「こ、怖くはないけれど、だって、そんな改めて言われたら……」
「そうですか……ツェツィー様はお恥ずかしいのですね」
ぐいぐい迫っていたルカは、残念そうにツェツィーリアから身を離した。と見せかけて、ほっとしたところのツェツィーリアを強引に腕に引き寄せる。
そのまま軽くキスをして、ちゅっちゅっとふたつ追加した。もう一度しようとしたところで、真っ赤になったツェツィーリアがその口を両手で塞ぎにかかる。
「だっ、だからなんてことするのよっ!!」
「前置きをされると恥ずかしいのでしょう? ですからこれからは、何も言わずにすることにします」
満面の笑みでそう返され、赤い顔のまま口をぱくぱくさせる。
「る、る、る、ルカの馬鹿ぁ!!!」
ルカの手を振り切って、ツェツィーリアは泣きながらサロンを飛び出した。
「義姉上、また後程。ツェツィー様、逃げないで!」
きりりとした顔でそう言い残すと、嬉々としてツェツィーリアを追っていく。
ふたりの背を唖然として見送った。きゅるるん小鬼がはしゃぎまわる中、リーゼロッテは涙目のままエラの顔を見る。
(い、今どきの若い子って……!)
果たして、ルカたちが早いのか、自分たちが遅すぎるのか。
そんなことがあったのは、ちょっと汗ばむくらいの、とある夏の午後のこと。この平和なティータイムも、やがては思い出になっていく。
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