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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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     ◇
「義姉上!」
「ルカ! お義父様も、会えてうれしいですわ」

 久しぶりに会うルカとフーゴを、リーゼロッテは満面の笑みで迎えた。

「昨日、正式にレルナー家と婚約の手続きをしてきてね。せっかく王都に来たのだから、リーゼロッテの顔を見たくなってお邪魔させていただいたよ」
「ルカ、ツェツィーリア様との婚約おめでとう。本当によかったわね」
「はい! レルナー公爵様に認めていただけて、わたしも感激しています」

 天使の顔をきりりとさせて、ルカは誇らしげに頷いた。

「それにしてもよくお義父様を説得できたわね」
「はい、わたしも頑張りました!」
「さすがのわたしもルカの熱意に根負けしてね。レルナー家に申し出て、断られたらきっぱり諦めるように言ったんだ。だが、やるからには全力でレルナー公爵と交渉したよ。ルカもいい勉強になっただろう?」
「わたしなどまだまだ未熟だと思い知らされました。父上には感謝しかありません。これからもツェツィー様の隣に立つにふさわしい男になるべく、努力を続けていきます!」

 その一環だとして、ルカはエッカルトを探しに行ってしまった。いろいろと聞きたいことができたらしい。

「ルカって本当に努力家ね……」

 その背を見送りながら感心したようにつぶやくと、フーゴは苦い笑みを漏らした。

「そう育ててきたというのはあるんだけれどね……。ルカはもう少し我慢というものを覚える必要があると思ったよ」
「ふふ、ルカは欲しいものは何としても手に入れる子ですものね」
「本当のことを言うと、この婚約にわたしはずっと反対だったんだ。ツェツィーリア様のお噂を聞くと、どうしてもね」
「お義父様……」
「でもね、リーゼロッテの言葉を聞いて、わたしはそれを信じようと思ったんだ。お前が見込んだ方なら、大丈夫だろうってね」

 リーゼロッテは目を見開いた。自分はフーゴに何を言っただろうか。

「ツェツィーリア様にお会いして、わたしも納得したよ。可愛い娘がもうひとり増えるのかと思うと、今から楽しみで仕方がないよ」

 目を細めて言うフーゴに、リーゼロッテは涙目になった。

「フーゴお義父様……本当に、ありがとうございます」
「おや? なんでお前が礼を言うんだい?」
「だって、わたくしにも可愛い義妹ができますもの」

 ツェツィーリアにも新しい家族ができる。そのひとりに自分もなれるのだ。そう思うと胸が熱くなった。

「そうか……お前は本当にいい子に育ったね。こんなにも誇りに思える娘の父になれたんだ。わたしこそ礼を言うよ」

 フーゴに頭をなでられて、リーゼロッテははにかむような笑顔を向けた。

「お前の方は、ジークヴァルト様とうまくやれているようだね?」

 フーゴは確認するように言った。前回に会ったときよりも格段に明るい表情のリーゼロッテに、その答えは聞かずともわかっていたが。

「は、はい、その、ヴァルト様とはちゃんと仲良くしておりますわ……」

 途端に真っ赤になってうつむいてしまったリーゼロッテを前に、フーゴの眉がぴくりと動いた。いまだ笑顔を保ってはいるが、その瞳の奥に剣呑けんのんな光をひそませている。

「うん、そうかそうか。それはなによりだ。それでリーゼロッテ。ジークヴァルト様とはどんなふうに仲良くしているんだい?」

 そう問うとさらにリーゼロッテは頬を赤くした。頭から湯気でもでそうなその様子に、フーゴの笑みが顔に張り付けたようなものとなる。

「リーゼロッテ。恥ずかしがらずに言ってごらん? わたしもお前をジークヴァルト様に預けている身だ。失礼なことをしていないか、ちゃんと知っておかないといけないからね?」

 あくまで声音はやさしいものだ。しかしその目は全く笑っていない。だが頬をしゅに染めもじもじしているリーゼロッテが、それに気づく様子は一向になかった。

「あ、あの、お義父様……実は先日ジークヴァルト様と……」
「うん。ジークヴァルト様と?」
「その、は、は、はじめてのくちづけを……」

 消え入りそうな声で言った後、リーゼロッテは耐えられないといったふうに、自身の顔を両手でおおった。父親にこんな報告をするのは恥ずかしい。だがフーゴの伯爵という立場を考えると、知っておきたいという思いも無下むげにはできなかった。

「そうか、そうか。初めてのくちづけを。いや、そうか。お前がしあわせそうでわたしもうれしいよ」

 相変わらず笑っていない瞳で答えると、フーゴはすっと立ち上がった。

「……お義父様、どちらへ?」
「ジークヴァルト様にもう一度くぎを刺しに……いや、ご挨拶を申し上げてこようと思ってね。お前は何も心配しなくていいからね? すべてわたしに任せるんだよ?」
「は、はい、お義父様」

 いつにない強い圧をフーゴから感じて、リーゼロッテはただ頷いた。成人した身で娘をよろしくと頭を下げさせるのも気が引けたが、これも義父に愛されてのことだろう。

 そう思うとリーゼロッテは、とてもこころがあたたかくなった。

     ◇
 ジークヴァルトはリーゼロッテの淑女の笑みが嫌いだ。いや、気に入らないと言った方が正しいのかもしれない。

 貴族令嬢として文句のつけどころもない笑みだと、ジークヴァルトも分かってはいる。だがあの笑みが誰にでも向けられることが、どうしようもなくおもしろくなく感じられた。

 目の前の壁にかかる肖像画を見上げた。そこにいる幼い彼女は、ずっと変わらずこちらに笑みを向けている。光り輝くようなこの笑顔をはじめて見た時こそが、本当は恋に落ちた瞬間だったのかもしれない。

「マテアス、オレは本当に阿呆だな」
「そうお思いになるならもっと努力をなさっては」
「マテアスが用意した本はすべて目を通した」
「いかがでしたか?」
「……よく分からん」

 ジークヴァルトは小さく眉間にしわを寄せた。マテアスが持ってきたのは、恋愛指南書と恋愛小説と言われるものだ。指南書はこういう場合はこうしろということが書かれているのでまだいいのだが、小説に至ってはまったくもって理解ができなかった。

「すべてを鵜吞うのみにしろとは申しませんよ。ああいったものは、に落ちた部分だけを取り入れて、自分の中に落とし込むものです」

 それならば分からないでもない。形にならないこの感情に、名前がついていることだけは知ることができたのだから。

「なんにせよ、リーゼロッテ様もヴァルト様に思いを寄せているご様子。わたしも安堵いたしました」
「オレはまだ彼女に何も聞いていない」
「聞かずとも、見ていれば分かると言うものです。ですがあのご様子では、リーゼロッテ様に愛をささやくのは今はまだ待った方がよさそうですねぇ。とにかく力の制御を覚えていただかないと」

 触れると彼女は恥ずかしそうにこちらを見てくれる。それがうれしくて、ついこの指を伸ばしてしまう自分がいた。

(うれしい、か……)

 おのれの中で、ずっと忘れ去られていた感情のように思う。胸の奥が熱くなって、いてもたってもいられなくなった。

(顔が見たい)

 触れて、彼女を自分で満たしたい。こんな感情を、人は恋と呼ぶらしい。

 そして、彼女の目に映るものは自分ひとりだけでいい。彼女のすべてを、誰の目にもさらしたくない。この仄暗ほのぐらい感情は、嫉妬と呼ばれるものなのだと、ジークヴァルトはようやくそう理解した。

「当面はリーゼロッテ様の制御の訓練を最優先いたしましょうか。ダーミッシュ伯爵にもくぎを刺されましたし、リーゼロッテ様に手を出すのはまだ待ってくださいよ」
「婚姻の託宣が降りるまで、オレは彼女をどうこうする気はない」
「婚姻は前倒しも可能です。その件ならわたしがどうにでもいたします」
「いや、駄目だ」

 眉間にしわを寄せてジークヴァルトは口をへの字に曲げた。そのかたくなな様子に、マテアスは息をつく。

「本当に婚姻までは何もされないおつもりなんですね?」
「ああ」
「わかりました。そういうことでしたら、こちらもその心づもりでいさせていただきます。今後リーゼロッテ様を自室に引き込むような真似はなさいませんよう」
「そんなことはしない」

 リーゼロッテの肖像画を見上げながら言うジークヴァルトは、いまいち信用ができないとマテアスは苦笑いした。

「そうおっしゃるからには、絶対に公爵家の呪いも発動させないでくださいね。万が一、屋敷を破壊するようなことが起きたら、その分、リーゼロッテ様とのお時間を削らせていただきます」
 
 ジークヴァルトが不承不承ふしょうぶしょうていで頷くのを確認してから、マテアスはゆっくりと腰を折った。

「では、また明朝の手合わせで。おやすみなさいませ、旦那様」

 マテアスが去った部屋の中、ジークヴァルトは飽きもせず、目の前の壁に飾られた絵を見上げていた。幼い彼女が光輝く笑顔を向けてくる。
 ジークヴァルトはこの笑顔を、いまだ実際に見たことがない。彼女が見せるのは、困ったような苦笑いと、お手本のような淑女の笑みばかりだ。

 やはりジークヴァルトは思ってしまう。彼女の淑女の笑みが誰にでも向けられることが気に入らないと。

 そして何よりも、誰にでも向けられるその笑みが、同じように自分にもまた向けられるということが。

 ――それがたまらなく気に食わなかった。

     ◇
 閉じていた瞳を開いて、そっと手のひらの石を確かめる。そこにあるのは緑が輝く守り石だ。

(でもちょっと気泡が入ってしまったわ)

 胸に下がるジークヴァルトの守り石をすくい上げる。自分のものと見比べると、その差はやはり歴然だった。
 ペンダントを左右に振ると中の青が揺らめいた。たゆとうように流れるそのさまに、リーゼロッテはほうとため息をつく。

(ヴァルト様の守り石って本当に綺麗……)

 自分の緑もそこそこ綺麗だとは思うが、やはりこの青がいちばん好きだ。何度も石を揺すっては、リーゼロッテはふふと笑った。

(ジークヴァルト様の守り石って、なんだかラ〇ュタの飛行石みたい)

 これがあれば本当に空でも飛べそうだ。実際にリーゼロッテのこころは、これを目にするたびにふわふわと高く飛んでいく。

『ご機嫌だね』

 ニコニコと笑いながら、隣で浮いていたジークハルトが声をかけてくる。我に返ったリーゼロッテは思わず顔を赤らめた。

『石に力をめるのも、随分と上手になったんじゃない?』
「はい、おかげさまであとひと息ですわ」
『オレは別に何もしてないけど? まぁ最近は、リーゼロッテと聖女がぴったり重なって視えるからね』
「重なって?」
『うん』

 聖女とはリーゼロッテの守護者のことだ。リーゼロッテはこてんと首を傾けた。ジークハルトはいつもジークヴァルトと離れた場所に浮いている。それなのに自分の聖女はくっついているということだろうか?

「それはわたくしと守護者が、同調できているということですか?」
『うん、まぁ、そういうこと』

 リーゼロッテはぱぁっと表情を明るくした。同調できているということは、きちんと力が制御できているというあかしだ。王子の守護者も彼の体に溶けるように消えていったし、きっとジークハルトの方がイレギュラーな存在なのだろう。

 そう思って、もう一度ふたつの守り石を見比べる。美しく光を返す青に比べて、リーゼロッテの緑はより硬質な色味に思えた。揺らしてもひと粒の気泡がゆっくりと中を移動していくだけだ。

(力を注ぎこみすぎているのかも。もう少し中で対流させるようにすれば……)

 今までは石が割れないぎりぎりのところに意識を集中していた。そうではなく、余分な力は外に流せばいいのではないだろうか。そんなふうに考えた時、ふと、ジークヴァルトに手当をほどこすときの感覚を思い出した。

(今ならうまくできそうな気がするわ)

 リーゼロッテは箱に入れられた最後の守り石を取り出した。練習用にと差し出された中で、いちばん大ぶりな石だった。

 すうと息を吸って瞳を閉じる。腕をくだり、手のひらから流れ出る力に意識を傾けた。石を包み込む手が熱を帯びていく。そうだ。もっと明るく、あたたかい光を。

 一心いっしんに願いながら、力の流れに集中した。緑の力は螺旋らせんえがき、石の中を満たしていく。流れるように、巡るように。その循環がもっとも穏やかになったところで、リーゼロッテはそっと瞳を開いた。
 ゆっくりとこの手のひらをほどいていく。

「――……っ!」

 そこに輝くは、それはそれは美しい守り石だった。幻想的にたゆといながら、緑の光が揺らめいていく。

「ヴァルト様っ!」

 立ち上がり、思わず執務机へと駆け寄った。ジークヴァルトが仕事中だということも忘れて、机越しに緑の石をかかげ持つ。

「見てくださいませ! わたくし、こんなに上手に……!」

 背伸びをするように手を伸ばし、リーゼロッテは緑が揺れる守り石を目の前に突き付けた。

 執務机の向こうに、頬を紅潮させたリーゼロッテがいる。あの絵のように光輝く笑顔を向け、ジークヴァルトだけをまっすぐに見つめていた。

 書類に滑らせていたペン先が止まる。がたっと椅子を揺らし立ち上がると、ジークヴァルトはリーゼロッテの頭を引き寄せた。
 机越しに唇を重ねる。

「んんんっ!?」

 反射的に身を離そうとしたリーゼロッテの手を石ごと掴み、逃がさないようにと引き寄せる。ドカンと揺れた執務室に、緑の力が広がった。

「ふぉおぉおっ! 昨日の今日で一体何やらかしてるんですかぁっ!!」

 マテアスの絶叫が響き渡る。

 掴まれた手のひらの中、守り石がぶるぶると激しく踊り狂った。重ねられた指の間を縫うように、線状の光がまき散らされる。
 ガッタンガッタンと楽し気に揺れる執務室の中、壁に、天井に、ミラーボールのような光がとめどなく放たれる。

「もう、いいです……お好きなだけやっててください」

 がっくりとうなだれて、マテアスは荒れ狂う執務室を残して出ていった。

 ぱたんと閉められた扉の音を聞きながら、口づけはさらに熱く深まっていく。
 強く引き寄せられたリーゼロッテの足は、もはや完全に浮いてしまっていた。終わりの見えない口づけに、手のひらの中、光の筋を放ち続ける石が、どうしようもないくらいに熱を持つ。


(ばるす、ばるす、ばるすぅぅぅうっ)

 脳内で木魂こだました滅びの言葉は、もちろん発動するわけもなく、リーゼロッテは気を失うまで、ジークヴァルトに唇をむさぼりつくされたのであった。






 はーい、わたしリーゼロッテ。ここで第3章は終了です。
 では、第4章「宿命の王女と身代わりの託宣」でお会いできること、楽しみにしておりますわ!
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