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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙
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◇
会場入りをして、まずはデルプフェルト侯爵へと挨拶しに行った。小規模な夜会とは聞いていたが、ざっと四~五十人はいそうに思える。
侯爵はカイとは似ても似つかない印象の男だった。値踏みされるような視線は夜会ではいつものことなので、リーゼロッテはただ黙ってジークヴァルトに付き従った。
侯爵の前を辞して、お約束のようにダンスフロアへと向かう。会話もなくスムーズに進む様子がまるで倦怠期を迎えた夫婦を思わせて、リーゼロッテは少しばかり可笑しくなってしまった。
(本当に馬鹿みたい。ジークヴァルト様とは何も始まってすらいないのに)
自嘲気味にそんなことを思う。リーゼロッテは努めてダンスにのみ集中した。ジークヴァルトに「手当」を施すようになってから、力の扱いが格段にレベルアップしている。
異形に対しても冷静に対処する。ステップが乱れることもなく、二曲続けてのダンスはつつがなく終了した。
その後、来る人来る人、挨拶が続く。リーゼロッテはただ隣でほほ笑んでいるだけなので、難しいことは何もなかった。横にいるジークヴァルトだけが眉間にしわを寄せ、来た相手に短く返事を返している。
(そんなに怖がらなくても、ジークヴァルト様はとてもおやさしいのに……)
怯えたように声をかけてくる者たちが、あまりにも失礼に思えてならない。だが当のジークヴァルトは普段のまま動じる様子もまるでなかった。
(わたしが口を挿むことじゃないわ)
戒めるようにリーゼロッテは小さく俯く。託宣が果たされるまで、自分は息をひそめて隣にいるしかないのだから。
そこにルチアを連れた男が現れた。
「フーゲンベルク公爵様。先日は義娘がお世話になりました。さあ、ルチアも挨拶するがよい」
「公爵様……この間は快く、迎え入れてくださって、ありがとうございました」
「ああ、またいつでも来るといい」
ジークヴァルトに見下ろされ、ルチアは小さく礼を取った。
「ダーミッシュ嬢、ブルーメ子爵だ」
「ブルーメ子爵様、お初にお目にかかります。リーゼロッテ・ダーミッシュでございます。子爵様は実父の従兄でいらっしゃると伺っております。お会いできてうれしいですわ」
「こちらこそ、イグナーツ様の愛娘にお会いできるとは、誠に光栄ですな。これからも義娘のルチアともども懇意にしていただけるとうれしい限り」
「ええ、もちろんですわ。わたくしルチア様とすっかり仲良しですの。そうですわよね、ルチア様?」
リーゼロッテが淑女の笑みを向けると、ルチアの顔が真っ赤になった。
「は、はいっ。ほんと夢みたいです」
「妖精姫は噂通りおやさしい方であるな。ルチアも感謝を忘れるでないぞ?」
「はい、もちろんです!」
容姿は似ても似つかないが、ふたりはちゃんと父娘に見えた。そう感じてリーゼロッテは自然と笑みを刷く。ふと視線を感じて見上げると、ジークヴァルトがじっと見ていた。久しぶりに青い瞳を真っすぐに見つめてしまい、動揺したように目を逸らす。
(不意打ちはやめてほしいのに)
早まる鼓動をなんとか落ち着けながら、リーゼロッテはいつもの淑女の笑みに戻った。
「では我々はまだ挨拶回りがありますので、ひとまず失礼を」
ブルーメ子爵がルチアを連れてこの場を辞していく。
リーゼロッテたちも再び会場を歩きはじめるが、挨拶に来る者も途切れてきた。あとはカイに会えれば、もう帰ってもよくなるだろうか。
「フーゲンベルク公爵」
「ああ、ブラル伯爵か」
イザベラを連れたブラルに出会い、リーゼロッテは伏し目がちに礼を取った。イザベラの顔を伺うも、今まで通りに自信に満ちた顔つきをしている。
「先日の夜会では娘が失礼を働いたそうで……いや、目を離した隙とはいえ公爵には大変申し訳なく……」
「いい。気にしてない」
イザベラには目もくれず、ジークヴァルトはそっけなく言った。
「さあ、イザベラ、お前もきちんと謝罪をしなさい」
「……フーゲンベルク公爵様、先日は失礼な物言いをしてたいへん申し訳ございませんでした」
若干不満そうにしながらも素直に礼を取ったイザベラに向けて、ジークヴァルトは「ああ」とだけ返した。
「それで公爵、ここからは政務の話となるのですが……」
こむずかしい話が始まりそうな予感に、リーゼロッテは心を無にした。こういったときは横で黙って付き合うしかない。ジークヴァルトがそばを離れるのを嫌がるので、退屈で仕方ない時間もただ笑みを作って耐えるしかなかった。
「ねえ、お父様。わたくし、あちらでリーゼロッテ様とおしゃべりしてまいりますわ」
「え? あの、わたくし……」
いきなりイザベラに手を取られる。仲の良い友人にするように腕を絡め、休憩用のソファへと引っ張っていかれた。ジークヴァルトはすぐそこに立っているし、ジークハルトもリーゼロッテの近くであぐらをかいて浮いていた。難しい表情になりつつも、ジークヴァルトはそのままブラル伯爵と会話を続けている。
(この距離なら目が行き届くし、万が一誰かにダンスを申し込まれても、ジークヴァルト様が助けてくれるわね)
そう思ってイザベラの横のソファへと腰かけた。
「あなたは? お酒でも飲む?」
「いえ、わたくしは家に禁止されていて……」
「そう、わたくしもよ。酔って何かあったら危険だからって、お父様に止められているの」
「まあ、そうですの」
なんとなくほほ笑みあい、ふたりで果実水に口をつける。歩き回っていたせいで、座れたことにほっとしている自分がいた。
「ほんと、殿方同士の話ってつまらないわ。お父様はお話も長いから、わたくしいつも退屈してしまって」
「ブラル伯爵様は宰相でいらっしゃいますから」
「そうね。それも当然よね。ねえ、これ美味しそうよ。リーゼロッテ様もいかが?」
並べ置かれた菓子を勧められて、リーゼロッテはイザベラと共にそれを口に運んだ。
「ふふ、本当。とても美味しいですわ」
「デルプフェルト家もなかなかのものね」
イザベラとこんな友人同士のような会話をしていることが、何だかとても不思議に思えた。先日の彼女の涙が目に焼きついて、それを思い出すと今でも胸が痛くなる。それなのに平気そうに見えるイザベラは、もうジークヴァルトへの思いを断ち切ったということだろうか?
「リーゼロッテ様は、公爵様のお姉様と懇意にされているのよね?」
「はい、とてもよくしていただいておりますわ」
突然の問いかけに戸惑いながらも答えを返す。やはりイザベラはジークヴァルトに未練があるのかもしれない。受け答えは慎重にしなければと、リーゼロッテは再び身構えた。
「ねえ、だったらニコラウスお兄様をお姉様に勧めてもらえないかしら?」
「ニコラウス様を? アデライーデお姉様に勧める?」
「そうよ。わたくしもう、公爵夫人の座はあきらめたわ。こうなったらお兄様を公爵の地位に就けようと思って」
「公爵の地位にニコラウス様を?」
「ええ、お姉様と結婚すれば、お兄様が公爵になって当然でしょう?」
唖然となってリーゼロッテは一度口を閉じた。反芻するようにイザベラの言葉を組み立てる。
(アデライーデ様とニコラウス様が結婚して、ニコラウス様を公爵にするってこと……?)
イザベラは一体何を言っているのだろう。公爵の地位にはすでにジークヴァルトが就いている。その姉であるアデライーデの伴侶に、それを覆す権利はあるのだろうか?
いや、そんなことよりも、もっと大事なことがあるはずだ。そう思ってリーゼロッテは、恐る恐るイザベラへと問いかけた。
「……あの、イザベラ様は、ジークヴァルト様のことを、その、お慕いしていたのではないのですか?」
「よしてよ、あんな目つきの悪い陰気な男。公爵でなかったら、わたくしが相手になどするわけないじゃない」
即答したイザベラに目を見開く。確かに目つきは悪いかもしれないが、決して陰気ではないと訴えたい。
(いえ、そうではなくて)
「でしたら……イザベラ様はどうして公爵家にこだわっていらっしゃるのですか?」
努力家のイザベラを見ると、贅沢がしたくてその地位が欲しいようにも思えない。困惑したまま問うと、イザベラは拗ねた子供のような表情になった。
「だって、わたくしのお父様はこの国の宰相なのよ? それなのに伯爵の地位だからって、多くの貴族たちに軽んじられすぎているわ。わたくしかお兄様が公爵家の縁故になれば、そういう失礼な輩を黙らせられるじゃない」
「……イザベラ様はお父様がお好きでいらっしゃいますのね」
「当然でしょう? だってあんなに格好良い男の方は、探してもどこにもいらっしゃらないわ」
頬を染めながら唇を尖らせたイザベラは、まるで恋をする少女のようだった。リーゼロッテはその様子がどうしようもなく可愛らしく思えて、くすくすと笑ってしまった。
「何笑っていらっしゃるの。失礼な方ね」
「ごめんなさい、イザベラ様がとても可愛らしくて」
「だって仕方ないでしょう? 本当に格好良いんだもの。ニコラウスお兄様もお顔だけなら満点なのに。何よ、分かってるわよ。家族とは結婚できないことくらいちゃんと知ってるわ」
つんと顔を逸らすとイザベラの縦ロールがビヨンと揺れる。それを無意識で目で追っていると、イザベラがふいに真剣な目を向けてきた。
「ねえ、悪いことは言わないから、あなたも公爵様との婚約を早いとこ破棄なさいな。リーゼロッテ様のご実家は公爵家なのでしょう? 諦めなければどうとでもなるわ」
その言葉に苦笑いを向け、ゆるく首を振った。
「ジークヴァルト様との婚姻は、わたくしも望むところですわ」
「そう、悪趣味ね」
肩をすくめてイザベラはくすりと笑った。リーゼロッテの口元にもつられて笑みが漏れる。
「最後に忠告だけしとくわ。そんな痛々しい笑みを浮かべて我慢するくらいなら、ちゃんと自分の心に素直になった方がよくってよ?」
「……ええ、ありがとうございます、イザベラ様」
「あら、お兄様だわ。あんな女と踊ったりして。公爵になるんだから、変な虫がつかないようちゃんと見張っておかないと」
イザベラはすっくと立ちあがり、ちらりとブラル伯爵を見た。
「お父様に見つかると止められてしまうから、黙っていかせてもらいますわよ?」
「ええ、わたくし何も聞いておりませんし、何も見ておりません」
リーゼロッテがほほ笑むと、イザベラは満足そうに頷いて、兄のいるダンスフロアへと突撃していった。
ひとり残されたリーゼロッテは、手持ち無沙汰にグラスに残った果実水をくるくると回した。
先ほどのイザベラの言葉が胸に深く刺さった。痛々しいと言われ、いかに自分を押し殺しているのかを自覚する。
(自分の心に素直になる、か……)
あのジークヴァルト相手に、この気持ちを伝えてどうなるというのだろう。そんなことをしても結局は、ジークヴァルトが子供の我が儘に付き合わされる羽目になるだけだ。
見回すと、周囲の視線を痛いくらいに感じた。ぼんやり座っていてはジークヴァルトの恥になる。そう思ってリーゼロッテは居住まいを正し背筋を伸ばした。
ジークヴァルトはまだブラル伯爵と話を続けている。このままここにいて、知らない人間に声をかけられても気疲れをするだけだ。そろそろジークヴァルトのそばに戻ろうか。
気合を入れ直して立ち上がる。こんなことで弱音を吐いていては、この先が思いやられるというものだ。スカートにしわが寄っていないかを確認してから、リーゼロッテはゆっくりと夜会の喧騒に向かって歩き出した。
会場入りをして、まずはデルプフェルト侯爵へと挨拶しに行った。小規模な夜会とは聞いていたが、ざっと四~五十人はいそうに思える。
侯爵はカイとは似ても似つかない印象の男だった。値踏みされるような視線は夜会ではいつものことなので、リーゼロッテはただ黙ってジークヴァルトに付き従った。
侯爵の前を辞して、お約束のようにダンスフロアへと向かう。会話もなくスムーズに進む様子がまるで倦怠期を迎えた夫婦を思わせて、リーゼロッテは少しばかり可笑しくなってしまった。
(本当に馬鹿みたい。ジークヴァルト様とは何も始まってすらいないのに)
自嘲気味にそんなことを思う。リーゼロッテは努めてダンスにのみ集中した。ジークヴァルトに「手当」を施すようになってから、力の扱いが格段にレベルアップしている。
異形に対しても冷静に対処する。ステップが乱れることもなく、二曲続けてのダンスはつつがなく終了した。
その後、来る人来る人、挨拶が続く。リーゼロッテはただ隣でほほ笑んでいるだけなので、難しいことは何もなかった。横にいるジークヴァルトだけが眉間にしわを寄せ、来た相手に短く返事を返している。
(そんなに怖がらなくても、ジークヴァルト様はとてもおやさしいのに……)
怯えたように声をかけてくる者たちが、あまりにも失礼に思えてならない。だが当のジークヴァルトは普段のまま動じる様子もまるでなかった。
(わたしが口を挿むことじゃないわ)
戒めるようにリーゼロッテは小さく俯く。託宣が果たされるまで、自分は息をひそめて隣にいるしかないのだから。
そこにルチアを連れた男が現れた。
「フーゲンベルク公爵様。先日は義娘がお世話になりました。さあ、ルチアも挨拶するがよい」
「公爵様……この間は快く、迎え入れてくださって、ありがとうございました」
「ああ、またいつでも来るといい」
ジークヴァルトに見下ろされ、ルチアは小さく礼を取った。
「ダーミッシュ嬢、ブルーメ子爵だ」
「ブルーメ子爵様、お初にお目にかかります。リーゼロッテ・ダーミッシュでございます。子爵様は実父の従兄でいらっしゃると伺っております。お会いできてうれしいですわ」
「こちらこそ、イグナーツ様の愛娘にお会いできるとは、誠に光栄ですな。これからも義娘のルチアともども懇意にしていただけるとうれしい限り」
「ええ、もちろんですわ。わたくしルチア様とすっかり仲良しですの。そうですわよね、ルチア様?」
リーゼロッテが淑女の笑みを向けると、ルチアの顔が真っ赤になった。
「は、はいっ。ほんと夢みたいです」
「妖精姫は噂通りおやさしい方であるな。ルチアも感謝を忘れるでないぞ?」
「はい、もちろんです!」
容姿は似ても似つかないが、ふたりはちゃんと父娘に見えた。そう感じてリーゼロッテは自然と笑みを刷く。ふと視線を感じて見上げると、ジークヴァルトがじっと見ていた。久しぶりに青い瞳を真っすぐに見つめてしまい、動揺したように目を逸らす。
(不意打ちはやめてほしいのに)
早まる鼓動をなんとか落ち着けながら、リーゼロッテはいつもの淑女の笑みに戻った。
「では我々はまだ挨拶回りがありますので、ひとまず失礼を」
ブルーメ子爵がルチアを連れてこの場を辞していく。
リーゼロッテたちも再び会場を歩きはじめるが、挨拶に来る者も途切れてきた。あとはカイに会えれば、もう帰ってもよくなるだろうか。
「フーゲンベルク公爵」
「ああ、ブラル伯爵か」
イザベラを連れたブラルに出会い、リーゼロッテは伏し目がちに礼を取った。イザベラの顔を伺うも、今まで通りに自信に満ちた顔つきをしている。
「先日の夜会では娘が失礼を働いたそうで……いや、目を離した隙とはいえ公爵には大変申し訳なく……」
「いい。気にしてない」
イザベラには目もくれず、ジークヴァルトはそっけなく言った。
「さあ、イザベラ、お前もきちんと謝罪をしなさい」
「……フーゲンベルク公爵様、先日は失礼な物言いをしてたいへん申し訳ございませんでした」
若干不満そうにしながらも素直に礼を取ったイザベラに向けて、ジークヴァルトは「ああ」とだけ返した。
「それで公爵、ここからは政務の話となるのですが……」
こむずかしい話が始まりそうな予感に、リーゼロッテは心を無にした。こういったときは横で黙って付き合うしかない。ジークヴァルトがそばを離れるのを嫌がるので、退屈で仕方ない時間もただ笑みを作って耐えるしかなかった。
「ねえ、お父様。わたくし、あちらでリーゼロッテ様とおしゃべりしてまいりますわ」
「え? あの、わたくし……」
いきなりイザベラに手を取られる。仲の良い友人にするように腕を絡め、休憩用のソファへと引っ張っていかれた。ジークヴァルトはすぐそこに立っているし、ジークハルトもリーゼロッテの近くであぐらをかいて浮いていた。難しい表情になりつつも、ジークヴァルトはそのままブラル伯爵と会話を続けている。
(この距離なら目が行き届くし、万が一誰かにダンスを申し込まれても、ジークヴァルト様が助けてくれるわね)
そう思ってイザベラの横のソファへと腰かけた。
「あなたは? お酒でも飲む?」
「いえ、わたくしは家に禁止されていて……」
「そう、わたくしもよ。酔って何かあったら危険だからって、お父様に止められているの」
「まあ、そうですの」
なんとなくほほ笑みあい、ふたりで果実水に口をつける。歩き回っていたせいで、座れたことにほっとしている自分がいた。
「ほんと、殿方同士の話ってつまらないわ。お父様はお話も長いから、わたくしいつも退屈してしまって」
「ブラル伯爵様は宰相でいらっしゃいますから」
「そうね。それも当然よね。ねえ、これ美味しそうよ。リーゼロッテ様もいかが?」
並べ置かれた菓子を勧められて、リーゼロッテはイザベラと共にそれを口に運んだ。
「ふふ、本当。とても美味しいですわ」
「デルプフェルト家もなかなかのものね」
イザベラとこんな友人同士のような会話をしていることが、何だかとても不思議に思えた。先日の彼女の涙が目に焼きついて、それを思い出すと今でも胸が痛くなる。それなのに平気そうに見えるイザベラは、もうジークヴァルトへの思いを断ち切ったということだろうか?
「リーゼロッテ様は、公爵様のお姉様と懇意にされているのよね?」
「はい、とてもよくしていただいておりますわ」
突然の問いかけに戸惑いながらも答えを返す。やはりイザベラはジークヴァルトに未練があるのかもしれない。受け答えは慎重にしなければと、リーゼロッテは再び身構えた。
「ねえ、だったらニコラウスお兄様をお姉様に勧めてもらえないかしら?」
「ニコラウス様を? アデライーデお姉様に勧める?」
「そうよ。わたくしもう、公爵夫人の座はあきらめたわ。こうなったらお兄様を公爵の地位に就けようと思って」
「公爵の地位にニコラウス様を?」
「ええ、お姉様と結婚すれば、お兄様が公爵になって当然でしょう?」
唖然となってリーゼロッテは一度口を閉じた。反芻するようにイザベラの言葉を組み立てる。
(アデライーデ様とニコラウス様が結婚して、ニコラウス様を公爵にするってこと……?)
イザベラは一体何を言っているのだろう。公爵の地位にはすでにジークヴァルトが就いている。その姉であるアデライーデの伴侶に、それを覆す権利はあるのだろうか?
いや、そんなことよりも、もっと大事なことがあるはずだ。そう思ってリーゼロッテは、恐る恐るイザベラへと問いかけた。
「……あの、イザベラ様は、ジークヴァルト様のことを、その、お慕いしていたのではないのですか?」
「よしてよ、あんな目つきの悪い陰気な男。公爵でなかったら、わたくしが相手になどするわけないじゃない」
即答したイザベラに目を見開く。確かに目つきは悪いかもしれないが、決して陰気ではないと訴えたい。
(いえ、そうではなくて)
「でしたら……イザベラ様はどうして公爵家にこだわっていらっしゃるのですか?」
努力家のイザベラを見ると、贅沢がしたくてその地位が欲しいようにも思えない。困惑したまま問うと、イザベラは拗ねた子供のような表情になった。
「だって、わたくしのお父様はこの国の宰相なのよ? それなのに伯爵の地位だからって、多くの貴族たちに軽んじられすぎているわ。わたくしかお兄様が公爵家の縁故になれば、そういう失礼な輩を黙らせられるじゃない」
「……イザベラ様はお父様がお好きでいらっしゃいますのね」
「当然でしょう? だってあんなに格好良い男の方は、探してもどこにもいらっしゃらないわ」
頬を染めながら唇を尖らせたイザベラは、まるで恋をする少女のようだった。リーゼロッテはその様子がどうしようもなく可愛らしく思えて、くすくすと笑ってしまった。
「何笑っていらっしゃるの。失礼な方ね」
「ごめんなさい、イザベラ様がとても可愛らしくて」
「だって仕方ないでしょう? 本当に格好良いんだもの。ニコラウスお兄様もお顔だけなら満点なのに。何よ、分かってるわよ。家族とは結婚できないことくらいちゃんと知ってるわ」
つんと顔を逸らすとイザベラの縦ロールがビヨンと揺れる。それを無意識で目で追っていると、イザベラがふいに真剣な目を向けてきた。
「ねえ、悪いことは言わないから、あなたも公爵様との婚約を早いとこ破棄なさいな。リーゼロッテ様のご実家は公爵家なのでしょう? 諦めなければどうとでもなるわ」
その言葉に苦笑いを向け、ゆるく首を振った。
「ジークヴァルト様との婚姻は、わたくしも望むところですわ」
「そう、悪趣味ね」
肩をすくめてイザベラはくすりと笑った。リーゼロッテの口元にもつられて笑みが漏れる。
「最後に忠告だけしとくわ。そんな痛々しい笑みを浮かべて我慢するくらいなら、ちゃんと自分の心に素直になった方がよくってよ?」
「……ええ、ありがとうございます、イザベラ様」
「あら、お兄様だわ。あんな女と踊ったりして。公爵になるんだから、変な虫がつかないようちゃんと見張っておかないと」
イザベラはすっくと立ちあがり、ちらりとブラル伯爵を見た。
「お父様に見つかると止められてしまうから、黙っていかせてもらいますわよ?」
「ええ、わたくし何も聞いておりませんし、何も見ておりません」
リーゼロッテがほほ笑むと、イザベラは満足そうに頷いて、兄のいるダンスフロアへと突撃していった。
ひとり残されたリーゼロッテは、手持ち無沙汰にグラスに残った果実水をくるくると回した。
先ほどのイザベラの言葉が胸に深く刺さった。痛々しいと言われ、いかに自分を押し殺しているのかを自覚する。
(自分の心に素直になる、か……)
あのジークヴァルト相手に、この気持ちを伝えてどうなるというのだろう。そんなことをしても結局は、ジークヴァルトが子供の我が儘に付き合わされる羽目になるだけだ。
見回すと、周囲の視線を痛いくらいに感じた。ぼんやり座っていてはジークヴァルトの恥になる。そう思ってリーゼロッテは居住まいを正し背筋を伸ばした。
ジークヴァルトはまだブラル伯爵と話を続けている。このままここにいて、知らない人間に声をかけられても気疲れをするだけだ。そろそろジークヴァルトのそばに戻ろうか。
気合を入れ直して立ち上がる。こんなことで弱音を吐いていては、この先が思いやられるというものだ。スカートにしわが寄っていないかを確認してから、リーゼロッテはゆっくりと夜会の喧騒に向かって歩き出した。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
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