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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙
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◇
目の前で礼をとる赤毛の令嬢は、緊張感をみなぎらせたままじっと動かないでいる。公爵家のサロンで、リーゼロッテはできるだけやさしく声をかけた。
「そんなに緊張なさらないで。お顔を上げてくださいませ」
おずおずと礼を解いた令嬢は、それでも頑なに俯いたままだ。目を合わせるのが不敬だとでも思っているのかもしれない。
「わたくしはリーゼロッテ・ダーミッシュ。お聞になっていると思いますけれど、伯爵家の人間ですわ。あなたのお名前を教えていただけるかしら?」
「ダーミッシュ伯爵令嬢様、お初にお目にかかります。わたくしは……ルチア・ブルーメと申します」
消え入りそうなその声に、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。
「ルチア様……? もしかしてあなた、先日ダーミッシュ家で会った方ね? 髪のお色が違うようだけれど……」
「も、申し訳ございませんっ」
再び深々と礼を取った令嬢の手を取り、リーゼロッテはその顔を上げさせた。金色の瞳が不安げに揺れている。目の前にいるのは、先日ダーミッシュ領へ里帰りしたときに、小さな異形の者に引っ張られながらサロンに飛び込んできた少女だった。よく見るとあの時と同じきゅるるん小鬼が、令嬢のドレスの裾を掴んでいる。
「ふふ、ルチア様はこの子に気に入られたみたいですわね」
「え? あ、はい。なんかついてきちゃって……。じゃなかった、なんだかついてきてしまいまして! あ、あの、本当にすみませんっ」
どうしたらいいのかわからないといったふうに、ルチアは赤い顔をして涙目になった。
「お聞きしたいことはいろいろとあるけれど、まずは座って落ち着きましょう? エラ、お願いね」
「はい、お嬢様」
頷くとエラは手際よく紅茶を用意し、自らもソファのひとつに腰かけた。
「彼女はエラ・エデラー。わたくしの侍女をしてもらっているの」
「る、ルチア・ブルーメでございます。あの、ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いしますっ」
「ルチア様。わたしは男爵家の人間ですのでお気を遣う必要はありません。それにわたしも幼少の折まで市井で育ちました。ルチア様のお力になれると思いますので、どうぞ遠慮なく頼ってください」
エラが男爵令嬢となったのは六歳の時だ。それまでは商家の娘として過ごしてきたので、今のルチアの立場に一番近い。そう思ってリーゼロッテはエラにも同じ席についてもらったのだ。
急に貴族となった少女への配慮だが、エラにしてみればリーゼロッテの手を煩わせるのが嫌なだけだ。自分が矢面に立てばそれで済むだろうという思惑の方が強かった。
「ルチア様はブルーメ家の遠縁の方とおっしゃっていたものね。それで養子に迎えられたのかしら?」
「はい、知らない間にそういうことに……あ、いえ! そうです、その通りです!」
「戸惑うことも多いでしょうから、エラだけでなくわたくしのことも頼ってくださいませね?」
「は、はい、ありがとうございます」
リーゼロッテの淑女の笑みを間近で見たからだろう。ルチアが狼狽したように真っ赤になった。
「今日はビョウのタルトを用意してもらったの。ルチア様はビョウはお好きかしら?」
「あっはい、好きです」
「よかった、公爵家のお菓子は絶品なの。さあ、遠慮せずにお召し上がりになって」
勧められるままルチアはフォークでタルトをすくいとった。皿を鳴らすこともなく、底の硬いタルトを一口大に切り分ける。これは作法がなってないと、容易にできることではなかった。
決していじわるではなかったが、タルトを用意したのはどの程度淑女教育がなされているかを見極めるためだ。初日からそこまですることもないとリーゼロッテは思ったが、これを提案したのはエラの方だ。
「どうかしら?」
「とてもおいしいです」
「よかったですわ」
ほほ笑むと、再びルチアは顔を赤くした。
「ルチア様は所作がお綺麗ね。わたくしが教えることなど何もなさそうだわ。ね、エラ?」
「はい、お言葉遣いはもう少しお気をつけになった方がいいかと思いますが、お作法は文句のつけどころがございませんね」
エラはそのことに驚いていた。どんなガサツな令嬢が来るかと身構えていたので、正直拍子抜けしてしまった。言葉遣いは最悪黙っていればいい。だが所作だけはどうあっても誤魔化しようがない。ルチアの立ち居振る舞いは、見苦しいところなどひとつも見うけられなかった。
「あの、わたし……子供のころから母に教えられていて……」
「そうでしたの」
リーゼロッテはこの少女の母親がすでに亡くなっていると聞いていた。きっと話したくない事情もあるに違いない。そう思ってリーゼロッテは話題を変えた。
「ルチア様の社交界デビューまでは一年以上ありますから、きっと心配いらないですわ。お言葉遣いは少しずつ覚えていけばよろしいですし」
「でも今度、侯爵家で開かれる夜会に出るようにブルーメ家から言われていて。わたし、いえ、わたくしそれが不安で……」
「まあ、夜会に?」
「ひと月後にデルプフェルト家で小規模な夜会が行われるとのことです。その……お嬢様と公爵様も、ご出席予定と聞いております」
「え? そうなの?」
エラの言葉に驚いたリーゼロッテは、気を取り直してルチアに微笑みかけた。
「わたくしも招待されているようですから、何も心配はございませんわ」
「はい、心強いです……」
言葉とは裏腹にルチアは不安げなままだ。
「ルチア様は、エスコートは誰にしていただくの?」
「ブルーメ子爵……いえ、あの、義父が……」
養子になったばかりで呼び慣れていないのだろう。リーゼロッテはその不自然さにあえて触れなかった。
「ブルーメ子爵様は父の従兄と聞いておりますから、わたくしもきちんとご挨拶しなくてはいけないですわね」
「え? ダーミッシュ伯爵様と従兄弟なんですか?」
「いえ、わたくしもルチア様と同じで実は養子なの。ですので、ダーミッシュの義父ではなく実父の従兄ですわ」
「あ、わたし伯爵令嬢様に失礼なことを……」
「お気になさらないで大丈夫ですわ。特に隠していることではありませんから。それにルチア様、これからはリーゼロッテと呼んでくださいませね? わたくしたち、もうお友達でしょう?」
手を取ると、ルチアは動揺したように首を振った。
「そんな、友達だなんて恐れ多い」
「そんなふうにおっしゃらないで。ここでは侍女ではなく、わたくしのお話し相手として過ごしてくださいませんか? ジークヴァルト様にもそうお願いしておきますから。エラもそのつもりでいてちょうだい」
「承知いたしました、お嬢様」
無理やりに納得させて、リーゼロッテは名で呼んでほしいともう一度ルチアに声をかけた。
「わかりました……リーゼロッテ様」
消え入りそうな声にリーゼロッテは笑顔を向ける。それを見たルチアが、また顔を赤くした。
「ブルーメ領から馬車で来られてお疲れになったでしょう? 今日はまずゆっくりお休みになってくださいませね。ねえ、エラ。ルチア様のお世話もお願いできるかしら」
「あ、いえ、あの、ブルーメ家が侍女をひとりつけてくれたので」
「そう? でもその侍女も勝手がわからないと困るだろうから、何かあったらエラかわたくしに遠慮なくおっしゃってね?」
「それには及びませんよぅ」
突然割り込んだ声に、リーゼロッテとエラは同時に声を上げた。
「「ベッティ!?」」
「ご無沙汰しておりますぅ。今回はルチア様付きの侍女としてお世話になりにまいりましたぁ」
いつの間にいたのか、壁際でベッティはぺこりと頭を下げた。彼女はカイの腹違いの妹だ。だが貴族社会になじめずに、侍女としてあちこちの家に行っては懸命に働いている。
リーゼロッテはそう思っているのだが、その実ベッティはカイの子飼いの諜報員だった。他家に潜入しては、あれこれと情報を集めるのがベッティの真の役割だ。
「え? あなたここにいたことがあるの?」
「はいぃ、ブルーメ家で雇われるまではこちらにお勤めしておりましたのでぇ。そんなわけでルチア様はご安心してお過ごしくださいませねぇ」
驚き顔のルチアは、ベッティの事をただの侍女と思っていたのだろう。ベッティは本来なら侯爵令嬢の立場であるが、口調と所作を見る限りルチアの方がよほど令嬢らしく見えた。
「それにリーゼロッテ様は妖精姫と呼ばれるほど可憐でおやさしい方ですのでぇ、なぁあんの心配もございませんよぅ」
「ベッティ、その名は恥ずかしいからやめてちょうだい」
困ったように頬を染めたリーゼロッテを前に、「ほぅら、超絶可憐でしょうぅ?」とベッティはルチアに笑いかけた。
「本当に……」
感嘆交じりに返事をしたルチアを見て、リーゼロッテの頬はますます赤く染まった。
「と、とにかくルチア様もお疲れでしょうから、今日はここまでにいたしましょう。ベッティも何かあったらすぐに言ってちょうだい」
「はいぃ。お気遣い痛みいりますぅ」
ベッティに連れられルチアがサロンから出ていくと、エラが大きく息をついた。
「なんだか拍子抜けしました」
「そうね、思った以上にきちんとされていたわね」
やさしく微笑んだ後、リーゼロッテはふと顔を曇らせた。
「お嬢様?」
「これは聞き流してほしいのだけれど……」
周囲を気にかけるように、リーゼロッテは声のトーンをぐっと落とした。そんな珍しい様子に、エラも聞き逃さないようにと耳をそばだてる。
「ルチア様のご容姿は、とてもピッパ様に似ておいでだわ……」
「ピッパ様……第三王女殿下にですか?」
「ええ……ピッパ様には一度だけ王妃様の離宮でお会いしたことがあるのだけれど」
ピッパ王女はまだ社交界に出る年齢ではないため、その姿を知る者はほとんどいない。ただ噂ではディートリヒ王によく似た赤毛の王女だとエラの耳にも届いていた。
「確かにルチア様はとてもお美しい赤毛でいらっしゃいましたね。瞳の色も王に似ているかと……」
そこまで言って、エラははっとした。
「もしやルチア様は王族の血を……」
「それ以上は口にしないで。憶測でものを言ってはいけないわ」
リーゼロッテに制されて、エラははっと表情を改めた。
「申し訳ございません」
「いいえ、わたくしが先に言い出したことだから……ごめんなさい」
王族の落とし胤を貴族の養子にすることはあり得ることだ。だがそれに気づいても、表立って口にすることは貴族としてできるはずもない。
「ブルーメ家も、フーゲンベルク家も、きっと承知のことでしょうから」
「はい、しかと肝に銘じます」
でなければいくらリーゼロッテと縁続きだとしても、公爵家でルチアを迎え入れることはなかっただろう。事情に納得できて、エラは却って安心していた。とはいえルチアが王族の血筋であろうとなかろうと、エラにとって大事なのはリーゼロッテただひとりだ。
「お嬢様、何かお困りのことが起きましたら、必ずこのエラにご相談なさってくださいね」
「ありがとう、本当にエラだけが頼りよ。こんなこと言っては負担ばかりかけてしまうけれど……」
「とんでもございません。そのためにわたしはお嬢様のおそばにいるのですから」
頼もしく返事を返すエラを見やって、リーゼロッテはうれしそうな申し訳なさそうな、そんな複雑な笑みを返した。
目の前で礼をとる赤毛の令嬢は、緊張感をみなぎらせたままじっと動かないでいる。公爵家のサロンで、リーゼロッテはできるだけやさしく声をかけた。
「そんなに緊張なさらないで。お顔を上げてくださいませ」
おずおずと礼を解いた令嬢は、それでも頑なに俯いたままだ。目を合わせるのが不敬だとでも思っているのかもしれない。
「わたくしはリーゼロッテ・ダーミッシュ。お聞になっていると思いますけれど、伯爵家の人間ですわ。あなたのお名前を教えていただけるかしら?」
「ダーミッシュ伯爵令嬢様、お初にお目にかかります。わたくしは……ルチア・ブルーメと申します」
消え入りそうなその声に、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。
「ルチア様……? もしかしてあなた、先日ダーミッシュ家で会った方ね? 髪のお色が違うようだけれど……」
「も、申し訳ございませんっ」
再び深々と礼を取った令嬢の手を取り、リーゼロッテはその顔を上げさせた。金色の瞳が不安げに揺れている。目の前にいるのは、先日ダーミッシュ領へ里帰りしたときに、小さな異形の者に引っ張られながらサロンに飛び込んできた少女だった。よく見るとあの時と同じきゅるるん小鬼が、令嬢のドレスの裾を掴んでいる。
「ふふ、ルチア様はこの子に気に入られたみたいですわね」
「え? あ、はい。なんかついてきちゃって……。じゃなかった、なんだかついてきてしまいまして! あ、あの、本当にすみませんっ」
どうしたらいいのかわからないといったふうに、ルチアは赤い顔をして涙目になった。
「お聞きしたいことはいろいろとあるけれど、まずは座って落ち着きましょう? エラ、お願いね」
「はい、お嬢様」
頷くとエラは手際よく紅茶を用意し、自らもソファのひとつに腰かけた。
「彼女はエラ・エデラー。わたくしの侍女をしてもらっているの」
「る、ルチア・ブルーメでございます。あの、ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いしますっ」
「ルチア様。わたしは男爵家の人間ですのでお気を遣う必要はありません。それにわたしも幼少の折まで市井で育ちました。ルチア様のお力になれると思いますので、どうぞ遠慮なく頼ってください」
エラが男爵令嬢となったのは六歳の時だ。それまでは商家の娘として過ごしてきたので、今のルチアの立場に一番近い。そう思ってリーゼロッテはエラにも同じ席についてもらったのだ。
急に貴族となった少女への配慮だが、エラにしてみればリーゼロッテの手を煩わせるのが嫌なだけだ。自分が矢面に立てばそれで済むだろうという思惑の方が強かった。
「ルチア様はブルーメ家の遠縁の方とおっしゃっていたものね。それで養子に迎えられたのかしら?」
「はい、知らない間にそういうことに……あ、いえ! そうです、その通りです!」
「戸惑うことも多いでしょうから、エラだけでなくわたくしのことも頼ってくださいませね?」
「は、はい、ありがとうございます」
リーゼロッテの淑女の笑みを間近で見たからだろう。ルチアが狼狽したように真っ赤になった。
「今日はビョウのタルトを用意してもらったの。ルチア様はビョウはお好きかしら?」
「あっはい、好きです」
「よかった、公爵家のお菓子は絶品なの。さあ、遠慮せずにお召し上がりになって」
勧められるままルチアはフォークでタルトをすくいとった。皿を鳴らすこともなく、底の硬いタルトを一口大に切り分ける。これは作法がなってないと、容易にできることではなかった。
決していじわるではなかったが、タルトを用意したのはどの程度淑女教育がなされているかを見極めるためだ。初日からそこまですることもないとリーゼロッテは思ったが、これを提案したのはエラの方だ。
「どうかしら?」
「とてもおいしいです」
「よかったですわ」
ほほ笑むと、再びルチアは顔を赤くした。
「ルチア様は所作がお綺麗ね。わたくしが教えることなど何もなさそうだわ。ね、エラ?」
「はい、お言葉遣いはもう少しお気をつけになった方がいいかと思いますが、お作法は文句のつけどころがございませんね」
エラはそのことに驚いていた。どんなガサツな令嬢が来るかと身構えていたので、正直拍子抜けしてしまった。言葉遣いは最悪黙っていればいい。だが所作だけはどうあっても誤魔化しようがない。ルチアの立ち居振る舞いは、見苦しいところなどひとつも見うけられなかった。
「あの、わたし……子供のころから母に教えられていて……」
「そうでしたの」
リーゼロッテはこの少女の母親がすでに亡くなっていると聞いていた。きっと話したくない事情もあるに違いない。そう思ってリーゼロッテは話題を変えた。
「ルチア様の社交界デビューまでは一年以上ありますから、きっと心配いらないですわ。お言葉遣いは少しずつ覚えていけばよろしいですし」
「でも今度、侯爵家で開かれる夜会に出るようにブルーメ家から言われていて。わたし、いえ、わたくしそれが不安で……」
「まあ、夜会に?」
「ひと月後にデルプフェルト家で小規模な夜会が行われるとのことです。その……お嬢様と公爵様も、ご出席予定と聞いております」
「え? そうなの?」
エラの言葉に驚いたリーゼロッテは、気を取り直してルチアに微笑みかけた。
「わたくしも招待されているようですから、何も心配はございませんわ」
「はい、心強いです……」
言葉とは裏腹にルチアは不安げなままだ。
「ルチア様は、エスコートは誰にしていただくの?」
「ブルーメ子爵……いえ、あの、義父が……」
養子になったばかりで呼び慣れていないのだろう。リーゼロッテはその不自然さにあえて触れなかった。
「ブルーメ子爵様は父の従兄と聞いておりますから、わたくしもきちんとご挨拶しなくてはいけないですわね」
「え? ダーミッシュ伯爵様と従兄弟なんですか?」
「いえ、わたくしもルチア様と同じで実は養子なの。ですので、ダーミッシュの義父ではなく実父の従兄ですわ」
「あ、わたし伯爵令嬢様に失礼なことを……」
「お気になさらないで大丈夫ですわ。特に隠していることではありませんから。それにルチア様、これからはリーゼロッテと呼んでくださいませね? わたくしたち、もうお友達でしょう?」
手を取ると、ルチアは動揺したように首を振った。
「そんな、友達だなんて恐れ多い」
「そんなふうにおっしゃらないで。ここでは侍女ではなく、わたくしのお話し相手として過ごしてくださいませんか? ジークヴァルト様にもそうお願いしておきますから。エラもそのつもりでいてちょうだい」
「承知いたしました、お嬢様」
無理やりに納得させて、リーゼロッテは名で呼んでほしいともう一度ルチアに声をかけた。
「わかりました……リーゼロッテ様」
消え入りそうな声にリーゼロッテは笑顔を向ける。それを見たルチアが、また顔を赤くした。
「ブルーメ領から馬車で来られてお疲れになったでしょう? 今日はまずゆっくりお休みになってくださいませね。ねえ、エラ。ルチア様のお世話もお願いできるかしら」
「あ、いえ、あの、ブルーメ家が侍女をひとりつけてくれたので」
「そう? でもその侍女も勝手がわからないと困るだろうから、何かあったらエラかわたくしに遠慮なくおっしゃってね?」
「それには及びませんよぅ」
突然割り込んだ声に、リーゼロッテとエラは同時に声を上げた。
「「ベッティ!?」」
「ご無沙汰しておりますぅ。今回はルチア様付きの侍女としてお世話になりにまいりましたぁ」
いつの間にいたのか、壁際でベッティはぺこりと頭を下げた。彼女はカイの腹違いの妹だ。だが貴族社会になじめずに、侍女としてあちこちの家に行っては懸命に働いている。
リーゼロッテはそう思っているのだが、その実ベッティはカイの子飼いの諜報員だった。他家に潜入しては、あれこれと情報を集めるのがベッティの真の役割だ。
「え? あなたここにいたことがあるの?」
「はいぃ、ブルーメ家で雇われるまではこちらにお勤めしておりましたのでぇ。そんなわけでルチア様はご安心してお過ごしくださいませねぇ」
驚き顔のルチアは、ベッティの事をただの侍女と思っていたのだろう。ベッティは本来なら侯爵令嬢の立場であるが、口調と所作を見る限りルチアの方がよほど令嬢らしく見えた。
「それにリーゼロッテ様は妖精姫と呼ばれるほど可憐でおやさしい方ですのでぇ、なぁあんの心配もございませんよぅ」
「ベッティ、その名は恥ずかしいからやめてちょうだい」
困ったように頬を染めたリーゼロッテを前に、「ほぅら、超絶可憐でしょうぅ?」とベッティはルチアに笑いかけた。
「本当に……」
感嘆交じりに返事をしたルチアを見て、リーゼロッテの頬はますます赤く染まった。
「と、とにかくルチア様もお疲れでしょうから、今日はここまでにいたしましょう。ベッティも何かあったらすぐに言ってちょうだい」
「はいぃ。お気遣い痛みいりますぅ」
ベッティに連れられルチアがサロンから出ていくと、エラが大きく息をついた。
「なんだか拍子抜けしました」
「そうね、思った以上にきちんとされていたわね」
やさしく微笑んだ後、リーゼロッテはふと顔を曇らせた。
「お嬢様?」
「これは聞き流してほしいのだけれど……」
周囲を気にかけるように、リーゼロッテは声のトーンをぐっと落とした。そんな珍しい様子に、エラも聞き逃さないようにと耳をそばだてる。
「ルチア様のご容姿は、とてもピッパ様に似ておいでだわ……」
「ピッパ様……第三王女殿下にですか?」
「ええ……ピッパ様には一度だけ王妃様の離宮でお会いしたことがあるのだけれど」
ピッパ王女はまだ社交界に出る年齢ではないため、その姿を知る者はほとんどいない。ただ噂ではディートリヒ王によく似た赤毛の王女だとエラの耳にも届いていた。
「確かにルチア様はとてもお美しい赤毛でいらっしゃいましたね。瞳の色も王に似ているかと……」
そこまで言って、エラははっとした。
「もしやルチア様は王族の血を……」
「それ以上は口にしないで。憶測でものを言ってはいけないわ」
リーゼロッテに制されて、エラははっと表情を改めた。
「申し訳ございません」
「いいえ、わたくしが先に言い出したことだから……ごめんなさい」
王族の落とし胤を貴族の養子にすることはあり得ることだ。だがそれに気づいても、表立って口にすることは貴族としてできるはずもない。
「ブルーメ家も、フーゲンベルク家も、きっと承知のことでしょうから」
「はい、しかと肝に銘じます」
でなければいくらリーゼロッテと縁続きだとしても、公爵家でルチアを迎え入れることはなかっただろう。事情に納得できて、エラは却って安心していた。とはいえルチアが王族の血筋であろうとなかろうと、エラにとって大事なのはリーゼロッテただひとりだ。
「お嬢様、何かお困りのことが起きましたら、必ずこのエラにご相談なさってくださいね」
「ありがとう、本当にエラだけが頼りよ。こんなこと言っては負担ばかりかけてしまうけれど……」
「とんでもございません。そのためにわたしはお嬢様のおそばにいるのですから」
頼もしく返事を返すエラを見やって、リーゼロッテはうれしそうな申し訳なさそうな、そんな複雑な笑みを返した。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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