ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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     ◇
 エラの示した方向へとひた走る。赤黒い瘴気の先に、アデライーデはリーゼロッテの緑を感じた。

「ちょっと! わたしの可愛いリーゼロッテに何してくれてるのよ!!」

 渾身こんしんの力を手のひらに溜め、前方へと打ち放つ。一筋の青い光とともに、周囲の瘴気が吹き飛ばされる。つかに晴れた霧の合間から、壁際に追いつめられるリーゼロッテの姿が見えた。
 白い影が、そのひたいへと穢れた指先を突き付けている。爪に灯る禍々しいくれないを前に、リーゼロッテは恐怖に打ち震えていた。

「わたしのリーゼロッテに汚い手で触るんじゃないわよ!」

 俊足で駆け寄り、力を込めた拳を繰り出した。白い影は揺らめきながら、その攻撃をすり抜けていった。逃がすまいと、続けざまに力を放つ。スカートがめくれることもいとわずに、アデライーデは見惚れるほどの美しい軌道で、蹴りをひとつ披露した。

「ちっ、逃げられたわね」

 影が掻き消えた瞬間に、周囲の瘴気が流れを変える。

「きゃあっ」
「リーゼロッテ!」

 渦巻くように瘴気がリーゼロッテを取り巻いた。アデライーデは無理やりその瘴気をかき分けて、リーゼロッテの手を強く握りしめた。

「怪我はない?」
「はい……アデライーデ様」

 涙目で震えながらもリーゼロッテは強く頷いた。背後に人の気配を感じて、後ろ手にリーゼロッテを庇い、アデライーデは振り向いた。

「これはまた大人数ね」

 虚ろな目をした劇団員が、老若男女問わず廊下にずらりと並んでいた。ふたりを囲い込むように、ゆらりゆらりと距離を縮めてくる。

「リーゼロッテ……すぐそこに執務室の扉があるわ。そこまで走ることはできそう?」

 先を見やり、リーゼロッテは小さく頷いた。合図と共に一心不乱に駆け出した。憑かれた者たちの合間を縫って、脇目もふらずに扉を目指す。

 援護するように、アデライーデがその後を続く。迫りくる攻撃をかわし、自身も執務室へと飛び込んだ。素早く扉を閉めて鍵をかける。すぐさま扉が多くの人間によって連打され始めた。きしむように扉が震え、こじ開けられるのも時間の問題だ。

「リーゼロッテ、こっちよ」

 手を引いて部屋の奥へといざなった。いつもマテアスが座る執務机の後ろの本棚が、不自然にその場所を変えている。

「ここから屋上に出られるわ」

 本棚の裏側を見やると、そこには昇り階段が続いていた。中は暗く、どこまで続いているかは見渡せない。

「上にジークヴァルトがいるはずだから」
「ヴァルト様が?」
「ええ。あなたはヴァルトの元へ行った方がいい。ここはわたしが食い止めるから」
「……わかりました」

 自分がそばにいると、周囲の者まで巻き込んでしまう。リーゼロッテは頷いて、薄暗い階段へと足を踏み出した。

「中は真っ暗だけど、まっすぐ昇れば屋上にたどり着くから」

 吸い込まれるように暗闇へと消えていくリーゼロッテを、アデライーデはその言葉で見送った。

「さあ、まとめてかかってらっしゃい」

 両の拳をぼきりと鳴らす。壊されるように開け放たれた扉に向かって、アデライーデは不遜な笑みを向けた。

     ◇
「ちぃっ、フーゲンベルクの小娘め、いらぬ邪魔をしおって」

 忌々し気に舌打ちをすると、ミヒャエルは一転うすくわらった。

「まあ、いい。今回の目的は青きたて、貴様だけだ」

 前回は力を拡散させ過ぎた。だが、女神の力を最大限濃縮し、今まさにヤツを追い込んでいる。他の力ある者と分断できれば、なぶり殺しもたやすいことだ。龍の盾の命を皮切りに、くれないの女神に龍の血脈の魂を捧げ尽くそう。

「イジドーラ王妃――あと少し……あと少しで貴女はわたしのものだ」

 果てなく広がる妄執もうしゅうが、枯れることなくこの奥を刺す。のどをくつくつと震わせて、ミヒャエルは愉快そうにひとり嗤った。

     ◇
 吹きすさぶ強風の中、ジークヴァルトは苦戦を強いられていた。何もへだてるものがない屋上は、身を隠す場所さえ見当たらない。

 幾人目かの男を、力を込めた拳で吹き飛ばす。ある程度の怪我を負わせても、操り人形のように何度でも立ち上がってくる。そこかしこで転がっているのは、手加減を加えられずに倒れた者たちだ。早く手当てをしないと、命にかかわる者もいるかもしれなかった。

 丸腰の男がふたりと、短剣を手にした女がひとり。肩で息をしながら、残りの人数を確かめる。
 早いところ片を付けて、瀕死の者の手当てをする必要がある。急を要する事態を前に、ジークヴァルトは努めて冷静に相手の動向を見守った。

 男がひとりつかみかかってくる。城壁ぎりぎりまで押しやられて、ジークヴァルトの背が打ち付けられる。それを力技で跳ねのけて、男の腕をねじり上げた。
 そのまま組み伏せ、腕を限界まであらぬ方向へと移動させる。男の絶叫と共に異形が咆哮ほうこうをあげ、ジークヴァルトは容赦ようしゃなくそれを青の力ではらっていった。別の男の気配を感じて、すぐさまその場を飛びのいた。

「ジークヴァルト様っ!」

 悲鳴のようなリーゼロッテの声が響いて、ジークヴァルトに一瞬のすきが生まれた。つかみかかってきた男ともつれあいながら、ジークヴァルトは床の上を転がっていく。なんとか男を振り払い、リーゼロッテをこの腕の中へと収めた。

「どうしてここに来た」
「アデライーデ様に言われてわたくし……」

 足手まといになることを悟ったのか、リーゼロッテは青ざめた顔を向けてくる。彼女の長い髪が、強い風にさらわれるように舞い上がった。

「いい、お前はここを離れるな」

 石畳いしだたみの床に手をつくと、リーゼロッテを中心に青の円が描かれた。

「絶対にそこを動くなよ!」

 迫りくる男に体当たりをして、リーゼロッテから遠ざけていく。もみ合いながら急所を狙おうとしたとき、女がリーゼロッテへと短剣を突き立てるのが目に入った。

「ダーミッシュ嬢!」

 咄嗟に男を吹き飛ばし、女へ向けて力を放つ。一度は吹き飛ばされた異形の者が、さらに大きなかたまりとなって女の体にまとわりついた。

 女との間に体を滑り込ませ、リーゼロッテを背にかばう。先ほどの男が再び殴りかかってきて、狭い場所での混戦が始まった。

     ◇
 強い風が吹く頭上には、晴れ渡った青空が広がっている。
 ジークヴァルトの円から出られず、リーゼロッテはただその戦いを見守った。相手に大怪我を与えないよう、苦戦している様が見て取れる。

(ヴァルト様はまわりを巻き込まないために、ここにひとりで来たんだわ)

 言われるがままに来てしまったが、自分はまた負担にしかなっていない。今はここを動かないようにするしかできない。リーゼロッテはなすすべなく、ジークヴァルトの動きをただ目で追った。

 ふいに女がこちらに向けて短剣を振りかざしてくる。突然のことにリーゼロッテは自身の顔をかばうしかなかった。

「ダーミッシュ嬢!」

 ジークヴァルトが立ちはだかり、その女の手首を取った。短剣を取り落とした女は、そのままジークヴァルトにつかみかかってくる。さらに男が拳を振るわせながらなだれ込む。すぐそこで繰り広げられる乱闘を、リーゼロッテは震えながら見守るしかなかった。

(こんな時、力がふるえたら……!)

 母マルグリットが導いた自身の力を思い出す。湧き上がるように溢れ出た力は、今も確かにここにあるはずだ。
 手のひらを重ね合わせるが、指が震えるばかりで力など微塵みじんも集められない。焦れば焦るほど、この手から力は零れ落ちていった。

 目の前でジークヴァルトが、つかみかかってきた女ともつれあう。その後ろで男が短剣を拾い上げ、陽光がそのやいばに反射した。

「ジークヴァルト様!」

 大きく振りかぶられた短剣が、ジークヴァルトの背中に突き下ろされる。リーゼロッテは悲鳴を上げて、青の円から飛び出した。

 最後の涙を闇雲に振りまいた。途端に、男から異形の影が浮きあがり、咆哮を上げて空へと消える。男は意識を失ったまま、その場に崩れるように倒れていった。

「ヴァルト様っ」
「ああ……助かった」

 飛び込むように駆け込むと、その腕に抱き留められた。涙ながらに見上げると、そのままぎゅっと抱きしめられる。耳に胸の鼓動を聞いて、ジークヴァルトの無事に安堵する。確かめるようにリーゼロッテは、大きな背中に手をまわした。

 ザンっと音がして、ジークヴァルトの腕に力が入った。呼吸がさまたげられるほどにきつく抱きしめられて、リーゼロッテは背中のシャツを強く握った。

 次の瞬間、ジークヴァルトが片膝をついた。その体を支えようとするも、リーゼロッテも一緒に床へと崩れ落ちていく。

 ジークヴァルトの肩口に、短剣が突き刺さっている。銀色の刃がめり込むその下から、赤い液がみるみるうちに広がった。

 受け入れられないその恐怖に、悲鳴すら出てこない。愕然がくぜんと固まるリーゼロッテをかばいながら、ジークヴァルトは剣を突き立てた女に向かって渾身の力を放った。

 女が倒れたことを確認すると、ジークヴァルトは自ら短剣を引き抜いた。途端に血がき出してくる。リーゼロッテの目の前で、赤い血はとめどなく流れ続けた。

「毒が塗ってあったようだ。少しくらい流れた方がいい」

 短剣を投げ捨て、うめくようにジークヴァルトは小声で言った。

「ジーク……ヴァルトさま……」
「ああ……問題ない」

 安心させるようにリーゼロッテの髪を力なくくと、ジークヴァルトは肩口の傷を押さえた。指の間から血がしたたり落ちる。尋常じんじょうではないその量に、リーゼロッテは知らず首を小さく振った。

 蒼白な顔でジークヴァルトは目を閉じた。どくどくと流れ出る血液に、意識が朦朧もうろうとしている様子だった。

「ヴァルト様、ヴァルト様……」

 泣きじゃくりながら、リーゼロッテは自身の手で傷口をふさいだ。生温かい血が、指の間を流れていく。

(どうして止まらないの……!)

 涙をあふれさせながら、震える指でスカートをたくし上げた。止血の包帯のために、布を手で引き裂こうと試みる。だがドレスの生地はびくともしない。リーゼロッテはそのままスカートを傷口へと押しあてた。

 淡い水色のドレスは、みるみるうちにジークヴァルトの血を吸い上げていく。赤く染まっていくスカートに、リーゼロッテは叫びだしそうになった。

(落ち着いて! 落ち着くのよ、リーゼロッテ……!)

 言い聞かせるように心で叫ぶ。ジークヴァルトの血の気のない唇に、一刻の猶予ゆうよもないことが見て取れる。

 リーゼロッテは咄嗟のようにジークヴァルトの背後に回った。体でその背を支えながら、傷のある側の鎖骨の付け根に、親指の腹をぐっと押し入れる。

「ヴァルト様、お首を少し曲げさせていただきます」

 耳元で言うと、そのまぶたが応えるように僅かに動いた。手を添えて、傷の方へと頭を傾ける。あれほどあふれ出ていた血が、嘘のように途端に止まった。

「今、血の流れを止めております。腕がしびれるように感じますが、血がとどこおっている証拠です」

 ジークヴァルトは小さく頷いた。これは日本での記憶にあった、止血点を圧迫して血を止める方法だ。

(抑えるのはどれくらいが限界だったかしら……)

 あまり圧迫時間が長すぎると血行が遮断され、その先の腕が壊死えししてしまう。一定の時間が経ったら、一度圧迫を緩める必要があった。だが、その知識が曖昧あいまいで、どうするのが正解なのかが分からない。

 リーゼロッテは恐る恐る、抑える指の力をゆるめた。途端に肩口から滝のように血が流れだす。

(駄目っ!)

 リーゼロッテは再び指に力を入れた。指の腹が白くなるまで抑え込み、力の限界が近づいてきて、指がぶるぶると震えてくる。

 ジークヴァルトは完全に気を失ってしまったようだ。風に髪が舞い上げられ、流れる涙をぬぐうこともできない。脱力した体は重く、支えるのがつらくなってくる。
 泣きじゃくりながら、これ以上どうすればいいのか、リーゼロッテはもうわからなくなってしまった。

「旦那様……!」

 リーゼロッテが通ってきた階段を、マテアスがかけ上がってきた。屋上の惨状には目もくれず、一目散にこちらへ駆け寄ってくる。

「マテアス……ジークヴァルト様が……」

 しゃくりあげる中、うまく言葉が発せられない。血まみれのふたりを見やって、すぐさまマテアスはジークヴァルトの目の前に片膝をついた。

「すぐ処置をいたします。もう少しだけ頑張っていただけますか?」

 言いながらマテアスは、ふところから手早く様々な物を出しては下に並べていく。万年筆や替えの眼鏡、何かのメモ書き、黒い小箱と、関係ない物の後に、ようやく白い包帯が現れる。それを手早くジークヴァルトの肩口にクロスするように巻き付けていった。

 マテアスの合図と共に、リーゼロッテは抑える手をゆるめた。じわりと包帯が赤く染まったが、先ほどに比べると、些細ささいと思える量だった。

「よく頑張られましたね。あとはわたしたちにお任せください。ヨハン様、旦那様を運ぶのを手伝ってください」

 ジークヴァルトがかつがれるように運ばれていく。それを目で追っていると、青い顔をしたアデライーデが駆け寄ってきた。血まみれのドレスを見て、アデライーデは小さく悲鳴を上げる。

「リーゼロッテ、あなたも怪我をしたの!?」
「いいえ、こちらはすべてジークヴァルト様の……」

 緊張の糸が切れて、虫食いのように視界が黒く塗りつぶされていく。自分を呼ぶ声が遠くに聞こえて、リーゼロッテはその意識を手放した。





【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ。大怪我負ったジークヴァルト様は、意識不明の重体が続いて。寝ずの看病を続けるわたしは、その存在の大きさを知ることになって……?
 次回3章第11話「龍の盾」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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