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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙
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「ちょっと! 邪魔しないでったら」
ルチアが小鬼を遠くへ押しのけるように掃く。小鬼は瞳をきゅるんとさせて、楽しそうに埃の山を周囲へとまき散らした。
「ああっせっかく集めたのに!」
ルチアは対抗するように箒を動かすが、ふわふわと舞い飛ぶ綿埃は、どんどん明後日の方向へ逃げていってしまう。
「もう、いじわるしないでってばっ!!」
ルチアが語気を荒げると、小鬼は驚いたようにぴょんとその場で跳ねた。しゅんとうなだれると、今度は懸命に埃を追いかけだす。ルチアに怒られて、散らかしたものを集めようと思ったらしい。
小鬼は埃を集めると、その山の前でえへんと胸を張るしぐさをした。それを見たルチアがぷっと笑って、さっと塵取りの中に埃を掃いた。
「そんな得意げになっても駄目よ。もともとあなたがいたずらしなければ、それで済んだんだから」
その言葉に小鬼が再びしゅんとうなだれた。悲しそうに瞳が潤んでみえる。ルチアは屈みこみ、「でもありがとう」と笑顔を向けた。小鬼の瞳がきゅるんと輝いて、すぐにぴょんぴょん跳ね始める。
「あなた、ほんと、変な異形の者ね」
そう言って立ち上がったルチアが、開け放たれた窓の外に視線を向けた。下を覗き込むようにしてから、ルチアはさっと窓の下に身を隠す。カイも外に視線を向けると、裏庭には少女が数人いた。ここは二階の廊下なので、上から見下ろす形だ。
何やらもめている様子で、ひとりを壁際に追い込んで、残りが囲むようにその少女に立ちはだかっている。何を言っているかは聞こえないが、罵倒のような声が耳に入った。
窓の下から目だけを出して、ルチアはしばらくその様子を伺っていた。少女が肩を突き飛ばされる。壁に背を打ち付けた少女は、すでに泣きじゃくっていた。
意を決したように、ルチアは握っていた箒を持ち上げた。そうっとした動作で、もめている少女たちに向けて、その箒を投げて落とそうとした。すると、床にいた小鬼がぴょんと跳ね、窓枠へと乗り上げる。小鬼はルチアからひょいと箒を取り上げると、その柄を大きく振りかぶった。
「え? 人に当てては駄目よ!」
咄嗟に小声で言うと、小鬼はルチアに向けてぐっと親指を立ててみせた。次の瞬間、目にもとまらぬ速さで、箒は一直線に投げ飛ばされる。
ざくっと音がしたかと思うと、ちょうど少女たちの真ん中辺りで、箒は地面に突き刺さっていた。反動でそのお尻がびよんびよんと揺れている。
突然、空から降ってきた箒の槍に、言い争っていた少女たちが悲鳴を上げた。蜘蛛の子を散らすようにその場を逃げ出していく。追い詰められていた少女だけが、呆けたように取り残された。きょろきょろと辺りを見回して、その少女も慌ててその場を走り去った。
その様子を、窓下から盗み見ていたルチアがほっと息をつく。
「なんだかおもしろいことしているね」
背後から、覗き込むように言う。ついでに窓枠に両手をかけて、ルチアを囲うように閉じ込めた。
「カイ!?」
至近距離で見下ろす瞳は確かに金色だ。あの日、くすんだ凍えそうな陽の元では、確証が持てなかったその色を確かめる。
「ルチア、久しぶり。運命の女の子に逃げられて、オレちょっと傷ついたんだけど」
「はぁ、何よそれ。だいたいあなた、あれからわたしに一度も会いになんて来なかったじゃ、ない、ですか……」
尻つぼみにトーンを落としたルチアが、気まずげに身を縮こまらせた。面白そうに見やって、カイはぐっとさらに顔を近づける。
「どうしたの? 急にしおらしくなったりして」
「だって……あなた、お貴族様なんでしょう? わたしなんか話もできないじゃない」
「はは、やっぱりあの時気づいてたんだ」
伯爵の屋敷の廊下ですれ違った時、ルチアの動揺はまるわかりだった。あの気配がなかったら、カイは何も知らずに通り過ぎていたかもしれない。
「え? カイもわたしに気づいていたの? だったらなんで……」
「いや、あそこで声かけられても、ルチアも困るでしょ? だからこうやって改めて会いに来たんだ」
カイの触れそうで触れない距離の近さに、ルチアは窓際に張り付いた。
「別に会いに来る必要なんてないでしょ? あ、いえ、ないのでございましょう?」
「つれないなー。ルチアはオレの運命なんだって」
「だから、そういう冗談はやめて! くださいませ……」
ぷっとふき出すと、カイはルチアの手を取り、その指先に口づけを落とした。
「手荒れもだいぶよくなったね」
「ちょっと、何するのよっ」
「ルチア姫に、親愛のしるしと忠誠の誓いを」
そう言って、カイは再びルチアの手に口づける。慌てて手を引こうとするその手を掴みとり、長い前髪からのぞく瞳をじっと見つめた。
「母さんのことは残念だったね」
途端にルチアは真顔になった。泣くのをこらえるように、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。カイはそんなルチアを抱き寄せた。
「つらかったよね。ひとりでよく、頑張ったね」
息を飲んだルチアの口から、次いで嗚咽が漏れた。カイの肩口に涙が落ちる。顔を見ないように、カイは小さな背中をぽんぽんとやさしくたたいた。
しゃくりあげるルチアの首筋に、そっと手を添える。瞬間、カイの腕に体を預けて、ルチアはかくんと倒れ込んだ。そのままカイは、ルチアを廊下の壁際に座らせた。倒れないようにと肩を支える。
涙が残ったまま、ルチアはすうすうと寝息を立てている。すぐ近くで、先ほどの小鬼が抗議するようにカイを威嚇した。毛を逆立てているような弱い小鬼に向かって、指をぱちりと鳴らし、カイは軽く力を放った。
「消されたくなかったら邪魔すんな」
火花のように琥珀の光が弾け、小鬼はあわてて逃げ去った。塵取りの後ろに隠れて、瞳を潤ませたままぴるぴると震えている。
カイは向き直ると、迷いなくルチアのかつらをとった。その下から、鮮やかな赤毛が現れる。きつく三つ編みにされた髪は、いつかのように染められてはいなかった。
「似てるな……」
呟きながら、長い前髪で隠されていた顔をまじまじと見やる。貴族名鑑に載っていたアニータ・スタン伯爵令嬢の面影を残しつつ、その顔立ちはどことなくピッパ王女にも似ていた。
(いや、どちらかと言うと、ディートリヒ王やバルバナス様似なのかもな……)
ルチアが本当に、アニータとの間にできた、ウルリヒ・ブラオエルシュタインの娘なら、顔立ちが似ているのも当然のことだ。
(ウルリヒ様は、前王フリードリヒ様の叔父……)
少し考え込んで、カイは呆れたように首を振った。
「要するにルチアは、フリードリヒ様の従妹ってことか?」
ハインリヒにとっては、祖父の従妹だ。それも自分より、ずっと年下の。
頬に残る涙を拭う。こうしてみると、ルチアは年相応の年頃の娘だ。
「それはさておき……あとはルチアに龍の託宣が降りているかどうかだな」
人の気配が近くにないのを確認し、カイはどうしたものかと思案した。託宣の有無は、体のどこかに龍のあざがあるかどうかですぐわかる。だが、服を脱がせて調べるというのは、さすがにここではまずいだろう。
眠り薬の効果もそれほど長いものではない。刺激によってはすぐに目を覚ます者もいる。
とりあえずルチアの右手を取って、カイはそっと袖をまくり上げた。細く白い肌が見えるだけだ。それを手早く戻すと、反対の腕にも手をかける。同様に慎重に袖をまくり上げ、肘上あたりでカイははっと息を飲んだ。
二の腕まで残りを、思わず性急にまくり上げる。あらわになったルチアの腕には、確かに龍のあざが刻まれていた。
「このあざの形は……」
さっとカイの顔から血の気が引く。僅かに震えたその唇に、カイ自身も気づいていなかった。そのとき、ルチアが小さく身じろいだ。急いで袖を戻し、カイは元通りにかつらをかぶせて整えた。
「……カイ?」
ぼんやりと見上げるルチアを覗き込みながら、カイはその頬に指を滑らせる。
「大丈夫? 少し気が遠くなってたみたいだよ?」
「え? わたし……」
はっとすると、ルチアはカイの手を咄嗟のように払いのけた。座り込んだまま、壁伝いに距離を取る。急な動きにかつらがずれそうになったのか、ルチアは慌てて頭を押さえつけた。
「立てる?」
手を引いて立ち上がらせる。
「オレ、急用を思い出したから、もう行くね」
「え、ええ……」
手を掴んだまま、戸惑った様子のルチアの顔を、カイは再び覗き込んだ。
「また会いに来るから待っていて。いなくなったとしても、オレは必ずルチアを見つけるから。逃げたって無駄だよ?」
真剣な声音で言うと、カイは踵を返した。ルチアを残し、足早に校舎を去る。
(あの龍のあざは、消えた託宣のうちのひとつ……)
カイは預けてあった馬の背に乗り、急ぎ王都へと舞い戻った。街はずれの庭付きの家にたどり着くと、カイは半ば転がり込むようにその家に入っていった。
ここはカイが保有する、いわば隠れ家のような物だ。普段は老夫婦に管理を任せているが、それ以外、人が足を踏み入れることはない。
カイが階段を昇ろうとすると、長く大きなたれ耳をした短足な犬が、勢いよく飛びついてきた。激しくしっぽを振りながら、だるだるの皮膚の顔を寄せて、カイの顔をべろべろと舐めてくる。
「わ! リープリング、今、忙しいんだって」
激しいラブコールに、仕方なくカイはキッチンへ向かった。戸棚から出した大きな缶を開け、その中のものをひとつ取り出した。
「ほら、これやるから。今日は勘弁して」
犬用の皿に、噛み応えのある大きめのおやつを放り込む。リープリングはそれを即座にくわえると、自分用のベッドに戻ってうれしそうにかじり出した。
カイは急いで階段を駆け上がった。奥の扉を開けるとそこは、いろんなものが散らばった、雑然とした部屋だった。棚の中には古びた書物が並び、その床にも数多くのものが積み上げられている。テーブルの上には開かれたままの本が何冊も並べられ、メモ書きが山のように散乱していた。
この部屋だけは掃除をしないよう言ってあるので、歩くだけで積もった埃が舞い上げられる。積み上げられた書物やメモ書きの山をかき分けて、カイはひとつのノートを引っ張り出した。それを性急にめくっていき、とある個所で手を止める。
「やっぱり、これだ……」
ノートに記した龍のあざの形を確認する。そこに書かれているのは、神殿の書庫へと入った時に見つかった、行方知れずとなっている龍の託宣の情報だった。
龍が目隠ししたのか、王に報告する際には、その情報を調書に書き記すことはできなかった。だが、カイの個人的なメモ書きには、あの日の記憶のまま、その内容を記すことができている。
(リシルの名を受けしこの者、異形の者に命奪われし定め……)
その託宣と共に記されていたのは、正にルチアの腕に刻まれていた龍のあざと同じものだった。
「この運命から逃れるために、アニータは王城から逃げだしたのか?」
だが、異形の者など街中にも当たり前のようにいる。アニータに異形の者の知識がなかったとしても、逃げる手助けをした元王妃のイルムヒルデが、それを知らないはずはない。
「――ルチアは、異形に殺される」
穴が開くほどメモ書きを見つめ、カイは小さくつぶやいた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。王城へと戻ったカイ様は、ディートリヒ王に託宣を受けたルチアの存在を告げ、王族の血を引く彼女の処遇の判断を求めます。
そんな中、再びミヒャエル司祭枢機卿の陰謀の影がちらついて……。
次回、3章第8話「風吹くとき」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
ルチアが小鬼を遠くへ押しのけるように掃く。小鬼は瞳をきゅるんとさせて、楽しそうに埃の山を周囲へとまき散らした。
「ああっせっかく集めたのに!」
ルチアは対抗するように箒を動かすが、ふわふわと舞い飛ぶ綿埃は、どんどん明後日の方向へ逃げていってしまう。
「もう、いじわるしないでってばっ!!」
ルチアが語気を荒げると、小鬼は驚いたようにぴょんとその場で跳ねた。しゅんとうなだれると、今度は懸命に埃を追いかけだす。ルチアに怒られて、散らかしたものを集めようと思ったらしい。
小鬼は埃を集めると、その山の前でえへんと胸を張るしぐさをした。それを見たルチアがぷっと笑って、さっと塵取りの中に埃を掃いた。
「そんな得意げになっても駄目よ。もともとあなたがいたずらしなければ、それで済んだんだから」
その言葉に小鬼が再びしゅんとうなだれた。悲しそうに瞳が潤んでみえる。ルチアは屈みこみ、「でもありがとう」と笑顔を向けた。小鬼の瞳がきゅるんと輝いて、すぐにぴょんぴょん跳ね始める。
「あなた、ほんと、変な異形の者ね」
そう言って立ち上がったルチアが、開け放たれた窓の外に視線を向けた。下を覗き込むようにしてから、ルチアはさっと窓の下に身を隠す。カイも外に視線を向けると、裏庭には少女が数人いた。ここは二階の廊下なので、上から見下ろす形だ。
何やらもめている様子で、ひとりを壁際に追い込んで、残りが囲むようにその少女に立ちはだかっている。何を言っているかは聞こえないが、罵倒のような声が耳に入った。
窓の下から目だけを出して、ルチアはしばらくその様子を伺っていた。少女が肩を突き飛ばされる。壁に背を打ち付けた少女は、すでに泣きじゃくっていた。
意を決したように、ルチアは握っていた箒を持ち上げた。そうっとした動作で、もめている少女たちに向けて、その箒を投げて落とそうとした。すると、床にいた小鬼がぴょんと跳ね、窓枠へと乗り上げる。小鬼はルチアからひょいと箒を取り上げると、その柄を大きく振りかぶった。
「え? 人に当てては駄目よ!」
咄嗟に小声で言うと、小鬼はルチアに向けてぐっと親指を立ててみせた。次の瞬間、目にもとまらぬ速さで、箒は一直線に投げ飛ばされる。
ざくっと音がしたかと思うと、ちょうど少女たちの真ん中辺りで、箒は地面に突き刺さっていた。反動でそのお尻がびよんびよんと揺れている。
突然、空から降ってきた箒の槍に、言い争っていた少女たちが悲鳴を上げた。蜘蛛の子を散らすようにその場を逃げ出していく。追い詰められていた少女だけが、呆けたように取り残された。きょろきょろと辺りを見回して、その少女も慌ててその場を走り去った。
その様子を、窓下から盗み見ていたルチアがほっと息をつく。
「なんだかおもしろいことしているね」
背後から、覗き込むように言う。ついでに窓枠に両手をかけて、ルチアを囲うように閉じ込めた。
「カイ!?」
至近距離で見下ろす瞳は確かに金色だ。あの日、くすんだ凍えそうな陽の元では、確証が持てなかったその色を確かめる。
「ルチア、久しぶり。運命の女の子に逃げられて、オレちょっと傷ついたんだけど」
「はぁ、何よそれ。だいたいあなた、あれからわたしに一度も会いになんて来なかったじゃ、ない、ですか……」
尻つぼみにトーンを落としたルチアが、気まずげに身を縮こまらせた。面白そうに見やって、カイはぐっとさらに顔を近づける。
「どうしたの? 急にしおらしくなったりして」
「だって……あなた、お貴族様なんでしょう? わたしなんか話もできないじゃない」
「はは、やっぱりあの時気づいてたんだ」
伯爵の屋敷の廊下ですれ違った時、ルチアの動揺はまるわかりだった。あの気配がなかったら、カイは何も知らずに通り過ぎていたかもしれない。
「え? カイもわたしに気づいていたの? だったらなんで……」
「いや、あそこで声かけられても、ルチアも困るでしょ? だからこうやって改めて会いに来たんだ」
カイの触れそうで触れない距離の近さに、ルチアは窓際に張り付いた。
「別に会いに来る必要なんてないでしょ? あ、いえ、ないのでございましょう?」
「つれないなー。ルチアはオレの運命なんだって」
「だから、そういう冗談はやめて! くださいませ……」
ぷっとふき出すと、カイはルチアの手を取り、その指先に口づけを落とした。
「手荒れもだいぶよくなったね」
「ちょっと、何するのよっ」
「ルチア姫に、親愛のしるしと忠誠の誓いを」
そう言って、カイは再びルチアの手に口づける。慌てて手を引こうとするその手を掴みとり、長い前髪からのぞく瞳をじっと見つめた。
「母さんのことは残念だったね」
途端にルチアは真顔になった。泣くのをこらえるように、ぎゅっと奥歯を噛みしめる。カイはそんなルチアを抱き寄せた。
「つらかったよね。ひとりでよく、頑張ったね」
息を飲んだルチアの口から、次いで嗚咽が漏れた。カイの肩口に涙が落ちる。顔を見ないように、カイは小さな背中をぽんぽんとやさしくたたいた。
しゃくりあげるルチアの首筋に、そっと手を添える。瞬間、カイの腕に体を預けて、ルチアはかくんと倒れ込んだ。そのままカイは、ルチアを廊下の壁際に座らせた。倒れないようにと肩を支える。
涙が残ったまま、ルチアはすうすうと寝息を立てている。すぐ近くで、先ほどの小鬼が抗議するようにカイを威嚇した。毛を逆立てているような弱い小鬼に向かって、指をぱちりと鳴らし、カイは軽く力を放った。
「消されたくなかったら邪魔すんな」
火花のように琥珀の光が弾け、小鬼はあわてて逃げ去った。塵取りの後ろに隠れて、瞳を潤ませたままぴるぴると震えている。
カイは向き直ると、迷いなくルチアのかつらをとった。その下から、鮮やかな赤毛が現れる。きつく三つ編みにされた髪は、いつかのように染められてはいなかった。
「似てるな……」
呟きながら、長い前髪で隠されていた顔をまじまじと見やる。貴族名鑑に載っていたアニータ・スタン伯爵令嬢の面影を残しつつ、その顔立ちはどことなくピッパ王女にも似ていた。
(いや、どちらかと言うと、ディートリヒ王やバルバナス様似なのかもな……)
ルチアが本当に、アニータとの間にできた、ウルリヒ・ブラオエルシュタインの娘なら、顔立ちが似ているのも当然のことだ。
(ウルリヒ様は、前王フリードリヒ様の叔父……)
少し考え込んで、カイは呆れたように首を振った。
「要するにルチアは、フリードリヒ様の従妹ってことか?」
ハインリヒにとっては、祖父の従妹だ。それも自分より、ずっと年下の。
頬に残る涙を拭う。こうしてみると、ルチアは年相応の年頃の娘だ。
「それはさておき……あとはルチアに龍の託宣が降りているかどうかだな」
人の気配が近くにないのを確認し、カイはどうしたものかと思案した。託宣の有無は、体のどこかに龍のあざがあるかどうかですぐわかる。だが、服を脱がせて調べるというのは、さすがにここではまずいだろう。
眠り薬の効果もそれほど長いものではない。刺激によってはすぐに目を覚ます者もいる。
とりあえずルチアの右手を取って、カイはそっと袖をまくり上げた。細く白い肌が見えるだけだ。それを手早く戻すと、反対の腕にも手をかける。同様に慎重に袖をまくり上げ、肘上あたりでカイははっと息を飲んだ。
二の腕まで残りを、思わず性急にまくり上げる。あらわになったルチアの腕には、確かに龍のあざが刻まれていた。
「このあざの形は……」
さっとカイの顔から血の気が引く。僅かに震えたその唇に、カイ自身も気づいていなかった。そのとき、ルチアが小さく身じろいだ。急いで袖を戻し、カイは元通りにかつらをかぶせて整えた。
「……カイ?」
ぼんやりと見上げるルチアを覗き込みながら、カイはその頬に指を滑らせる。
「大丈夫? 少し気が遠くなってたみたいだよ?」
「え? わたし……」
はっとすると、ルチアはカイの手を咄嗟のように払いのけた。座り込んだまま、壁伝いに距離を取る。急な動きにかつらがずれそうになったのか、ルチアは慌てて頭を押さえつけた。
「立てる?」
手を引いて立ち上がらせる。
「オレ、急用を思い出したから、もう行くね」
「え、ええ……」
手を掴んだまま、戸惑った様子のルチアの顔を、カイは再び覗き込んだ。
「また会いに来るから待っていて。いなくなったとしても、オレは必ずルチアを見つけるから。逃げたって無駄だよ?」
真剣な声音で言うと、カイは踵を返した。ルチアを残し、足早に校舎を去る。
(あの龍のあざは、消えた託宣のうちのひとつ……)
カイは預けてあった馬の背に乗り、急ぎ王都へと舞い戻った。街はずれの庭付きの家にたどり着くと、カイは半ば転がり込むようにその家に入っていった。
ここはカイが保有する、いわば隠れ家のような物だ。普段は老夫婦に管理を任せているが、それ以外、人が足を踏み入れることはない。
カイが階段を昇ろうとすると、長く大きなたれ耳をした短足な犬が、勢いよく飛びついてきた。激しくしっぽを振りながら、だるだるの皮膚の顔を寄せて、カイの顔をべろべろと舐めてくる。
「わ! リープリング、今、忙しいんだって」
激しいラブコールに、仕方なくカイはキッチンへ向かった。戸棚から出した大きな缶を開け、その中のものをひとつ取り出した。
「ほら、これやるから。今日は勘弁して」
犬用の皿に、噛み応えのある大きめのおやつを放り込む。リープリングはそれを即座にくわえると、自分用のベッドに戻ってうれしそうにかじり出した。
カイは急いで階段を駆け上がった。奥の扉を開けるとそこは、いろんなものが散らばった、雑然とした部屋だった。棚の中には古びた書物が並び、その床にも数多くのものが積み上げられている。テーブルの上には開かれたままの本が何冊も並べられ、メモ書きが山のように散乱していた。
この部屋だけは掃除をしないよう言ってあるので、歩くだけで積もった埃が舞い上げられる。積み上げられた書物やメモ書きの山をかき分けて、カイはひとつのノートを引っ張り出した。それを性急にめくっていき、とある個所で手を止める。
「やっぱり、これだ……」
ノートに記した龍のあざの形を確認する。そこに書かれているのは、神殿の書庫へと入った時に見つかった、行方知れずとなっている龍の託宣の情報だった。
龍が目隠ししたのか、王に報告する際には、その情報を調書に書き記すことはできなかった。だが、カイの個人的なメモ書きには、あの日の記憶のまま、その内容を記すことができている。
(リシルの名を受けしこの者、異形の者に命奪われし定め……)
その託宣と共に記されていたのは、正にルチアの腕に刻まれていた龍のあざと同じものだった。
「この運命から逃れるために、アニータは王城から逃げだしたのか?」
だが、異形の者など街中にも当たり前のようにいる。アニータに異形の者の知識がなかったとしても、逃げる手助けをした元王妃のイルムヒルデが、それを知らないはずはない。
「――ルチアは、異形に殺される」
穴が開くほどメモ書きを見つめ、カイは小さくつぶやいた。
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第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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