ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
413 / 528
第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

しおりを挟む
     ◇
「ふん、それで、当のリーゼロッテは見舞いにもやってこないのね」

 見舞いは直接ウルリーケの寝室に通された。それだけ体調がよくないだろうことが伺える。実際にウルリーケは顔色も悪く、昨年訪問したとき以上にやせ細っていた。

 エラがそば仕えのメイドにリーゼロッテのハンカチと手紙を手渡すと、ウルリーケはすんなりそれを受け取った。

「お前はいいわ、下がりなさい」
 会話はおろか、その顔を見ることもなく、ウルリーケはエラに言った。

「仰せのままに」
 礼を取ってエラはその場を辞そうとした。その瞬間、エーミールに手首をつかまれる。

「久しぶりに顔を見せたと思ったら……エーミール、お前の相手はわたくしが用意するといつも言っているでしょう? そんな卑しい娘は捨て置きなさい」

 冷たく震える声で言う。病床に伏していても、その威圧感は衰えることはない。

「お言葉ですが、彼女はリーゼロッテ様の正式な使者としてここにいます」
「同じこと」

 馬鹿にしたように鼻で嗤うと、ウルリーケは気だるそうに枕へと背をうずめた。

「アデライーデが無理だというなら、レルナー家のツェツィーリアがいたわね。あの家もここ何代も龍から託宣をたまわっていない。お前との縁談に向こうも前向きよ」
「ツェツィーリアはまだ子供です!」
「あと数年もすれば子は産めるでしょう? どこに問題があると言うのです。貴族の婚姻に感情など必要ないわ。お前は今まで通り、黙ってわたくしに従っていればいい。貴族としての自覚をお持ちなさい」

 ぐっと言葉をつまらせて、エーミールはそのままウルリーケの寝室を足早に出ていってしまった。もう一度ウルリーケに対して礼を取ったエラは、慌ててその背を追った。

 廊下の途中で、エーミールはうつむきがちに立っていた。その下げられた拳は、やはりきつく結ばれている。こんな冷たい家で、エーミールは育ってきたのだ。誇り高い彼を形取るものが、ここで作られてきたのかと思うと、エラの胸は強く締め付けられた。

 貴族とは見栄みえかたまりだ。矜持きょうじと言えば聞こえはいいが、こういった貴族のしがらみに嫌気がさして、エデラー家は王より賜った爵位を返上しようと決めている。
 様々な手続きもあり、いまだそれは叶っていないが、近いうちにエラは男爵令嬢という立場から、一介の平民になるだろう。

「……エーミール様、帰りましょう」
 その背に静かに言った。今、エラにできることは、たったそれだけだ。

 黙ったまま歩き出したエーミールの背を、少し遅れてついていく。廊下の窓から外を見ると、薄曇りの空が広がっていた。

「エーミール?」

 小さめのサンルームを通り過ぎようとしたとき、声がかけられた。エーミールは足を止め、サンルームで車いすに座っていた男に礼を取った。

「エルヴィン兄上、ご無沙汰しております」

 エラも慌てて礼を取った。エルヴィンはエーミールの兄、グレーデン家の跡取りだ。エーミールに似た顔立ちをしているが、エルヴィンは色白で、線の細いはかなげな印象の青年だった。

「本当にしばらくぶりだ。今日はお婆様のお見舞いにでもきたのかな?」
「はい、今顔を出して帰る所です」
「よかったら少し話をしないか? 今日はなんだか体の調子がいいんだ」

 そちらのお嬢さんも、と付け加えてエルヴィンは車いすの向きを変えた。どこからともなく現れた使用人が、さっとティーセットを用意してすぐさま姿を消した。エーミールがソファに座った横に、エラも伏し目がちに静かに腰をかけた。

「エーミールが恋人を連れてくるなんて初めての事だね。わたしにも紹介してくれるかい?」
「恐れながら。わたしはエーミール様とはそういった関係ではございません」

 やさしげに微笑まれ、エラは思わず顔を上げた。

「彼女はエラ・エデラー男爵令嬢、リーゼロッテ様付きの侍女です」
「ああ、妖精姫のお使いかな? わたしも彼女に一度会ってみたいな」
「今はジークヴァルト様が、この家に近づくことを禁止していますので」
「この前はたいへんだったみたいだね。この屋敷に星を堕とす者が現れるなんて」

 はい、とそっけなく返事をしたエーミールに、儚げな笑みを向けたあと、エルヴィンは弟の顔をじっと見つめた。

「またお婆様に何か言われたのかい?」
「いえ、いつものことですので」

 エーミールは先ほどから言葉少なだ。口をはさむことができる訳もなく、エラは弾まない会話をただじっと見守っていた。

「こんな体のわたしではなく、エーミールにこの家を継がせてあげられたらよかったのに」
「いえ、それは! 長兄である兄上が、この家を継ぐのは当然のことです」
「お婆様も変なところにこだわりを持っているからね」

 肩を軽くすくめてエルヴィンは苦笑いをした。家は長男が継ぐもの。そうは言うものの、病弱なエルヴィンは基本、一日中横になって過ごしている。

「まあ、おかげで変な縁談は断りやすいけど。今のところ、お婆様の都合のいい相手はいないようだから助かってるよ」

 その時、エルヴィンが激しくせき込んだ。使用人がさっと現れ、何か薬を手渡し、エルヴィンはそれを水でのみくだした。

「失礼……調子に乗って少しはしゃぎすぎたようだ。すまないけど、わたしはこれで失礼するよ。ふたりはゆっくりお茶を楽しんで」

 ぐったりした様子でエルヴィンは、使用人に車椅子を押されてサンルームを出ていった。エーミールは紅茶に口もつけずに、黙ったままガラス戸の外を見やっている。

「戻ろう」
 それだけ言ってエーミールは立ち上がった。エラも黙ってその背を追っていく。

 寒々としたエントランスを出ると、春の雨が降り始めていた。

     ◇
 エーミールはエラを公爵家の馬車に乗せると、自らもそれに乗り込んだ。行きは馬を走らせたが、この雨では道中危険をともなう。厚い雲が日差しをさえぎり、遠くの空から雷鳴が聞こえてくる。辺りはもう夕刻が来たかのような薄暗さだ。

 対面に座ろうとするエラを制して、隣の席に座らせた。戸惑いながらも、エラはおとなしく横にいる。
 馬車が静かに走り出した。打ち付ける雨が、窓を滝のように流れていく。

 この家に戻ってきて、こうなることは初めから分かっていた。ただ、エラと一緒に来たのが間違いだっただけだ。

 ――癒されたい

 ふと、ニコラウスがいつも言っている言葉が脳裏に浮かんだ。他人に癒しを求めるなど、骨頂こっちょうだと思っていた。おのれの感情などは、自分自身でコントロールするものだ。

 少し距離を開けて隣に座る、エラの姿を見やった。降りしきる雨の中、ぼんやりと映し出される窓の景色を、彼女はじっと見つめている。

 膝の上で行儀よく重ねられた手を握り、エーミールは何も言わずにエラの体を引き寄せた。エラの口から息を飲むような声が漏れる。身をこわばらせたまま固まるその耳もとで、エーミールは小さくささやいた。

「今だけだ――今だけ、こうしていてくれ」

 はっと顔を上げようとしたエラのうなじを、拘束するように手で押さえた。今は顔を見られたくない。雨音だけが響く中、馬車は速度を落として進んでいく。

 力を抜いたエラの腕が、そっと背に回された。こたえるようにエーミールは、さらにきつくエラを抱きしめた。





【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ。カイ様と共にダーミッシュ家の書庫の調査を続けるわたし。そんな中、異形が視える様子の行儀見習いの少女がやってきて。カイ様がダーミッシュ領へと赴いた、本当の理由とは……?
 次回、3章第7話「もうひとつの託宣」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

【完結済】後悔していると言われても、ねぇ。私はもう……。

木嶋うめ香
恋愛
五歳で婚約したシオン殿下は、ある日先触れもなしに我が家にやってきました。 「君と婚約を解消したい、私はスィートピーを愛してるんだ」 シオン殿下は、私の妹スィートピーを隣に座らせ、馬鹿なことを言い始めたのです。 妹はとても愛らしいですから、殿下が思っても仕方がありません。 でも、それなら側妃でいいのではありませんか? どうしても私と婚約解消したいのですか、本当に後悔はございませんか?

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

処理中です...