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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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「あの、ヴァルト様、今日はルカもエラもおりますので、送っていただくのはここまででも……」
 ここ数日、ジークヴァルトはめちゃくちゃ忙しそうにしていた。それこそ顔を見ない日もあったくらいで、そんな中、馬車留めまでとはいえ、わざわざ送らせるのも申し訳なく感じてしまう。
「問題ない。そこまで送る」

 エントランスを出て、馬車留めへと向かう。ダーミッシュ家の馬車が見えて、リーゼロッテはそこで止まろうとした。

「お前はこちらだ」
「え? ですが」

 そのまま手を引かれてさらに進み、いつもの公爵家の馬車に乗せられた。ルカとエラはダーミッシュ家の馬車へと乗ったようだ。

 リーゼロッテが乗り込むと、ジークヴァルトも当たり前のように隣に座った。扉が閉められ、御者が出発の準備を始める気配が伝わってくる。

「え? ジークヴァルト様?」
「言っただろう。そこまで送る」
「そこまで……?」
「ダーミッシュ領までだ」
「えぇっ!?」

 リーゼロッテが頓狂とんきょうな声を上げたタイミングで、ジークヴァルトの膝に乗せられた。ほどなくして、馬車が静かに進みだす。

「旦那様ぁ、大概の執務は片付けたとは言え、やることがなくなったわけではございませんからねぇ! 夕刻までにはきちんとお戻りくださいよぉ」

 外からマテアスの声が聞こえたが、それもあっという間に遠ざかっていく。ここ数日、ジークヴァルトが忙しそうだったのも、リーゼロッテを送る時間を取るためだったのだ。

(過保護にもほどがあるっ)

「あの、ヴァルト様、わたくしのためにご無理はなさらないでください」
「無理などしていない」

 そう言ってジークヴァルトはついと顔をそらした。

「ルカの事も、申し訳ございませんでした。お預かりしている大事なツェツィーリア様にあんな……」
「それも問題ないと言っただろう」
「ですが、レルナー家がどう思われるか……ジークヴァルト様にご迷惑がかかったりしたらと思うとわたくし……」

 不安げに見上げると、ジークヴァルトはゆっくりと髪をきだした。

「問題ない。グロースクロイツは信頼できる男だ。先代の時からツェツィーリアの従者をしている」
「なら、よかった……」

 ジークヴァルトの言葉に、リーゼロッテはふわりと笑った。

「そんな人がツェツィーリア様のおそばにいるなら、わたくしも安心ですわ」
「ふっ、お前はいつも人の心配ばかりだな」

 一瞬だけ魔王の笑みを口元に乗せると、ジークヴァルトは書類に目を通し始めた。向かいの席には、大きな箱が置かれている。そこに入っているのは、すべてジークヴァルトが片付けなければならない書類の束だ。

 これで無理していないと言われたら、こちらはどうすればいいのだろうか。今は婚約者という関係で、ふたりは公爵と伯爵令嬢という立場だ。黙って従っていればいいのかもしれない。だが――

『家族ってなに?』
 昨夜のツェツィーリアの言葉が胸に残った。

 気づけば伯爵家の令嬢として、当たり前のように日々を過ごしていた。義父のフーゴがいて、義母のクリスタがいて、ルカがいて。血のつながりはなくとも、自分たちは家族だ。公爵家での生活にも慣れはしたが、やはり住み慣れた家に帰るとなると、心底ほっとしている自分がいる。

(でも思えば、お義父様もお義母様も、結婚する前は他人だったのよね……)

 今まで考えてもみなかったが、夫婦とは元を正せば赤の他人だ。子供にしてみれば親は生まれた時から家族だが、夫婦となればそうとはいかない。

(わたし、ちゃんとヴァルト様と家族になれるのかしら……)

 この対等とは言えない関係のまま夫婦となって、ただ付き従っていればうまくいくのだろうか? 血のつながりはあっても、心が通わない家族は少なくない。使用人を多く従え、それでなくとも貴族は家族同士の交流が希薄になりがちだ。

 ダーミッシュ家に養子に入り、自分はただ運がよかっただけなのかもしれない。義父と義母は両家が親戚筋ということもあるが、ふたりは貴族では珍しい恋愛結婚だ。

 貴族に生まれたからには、それぞれが背負うものがある。
(ノブレス・オブリージュ……)

 そんな言葉が頭に浮かんだ。贅沢な暮らしができる代わりに、領民の生活を守る義務がある。政略の駒として他家に嫁ぐことは、貴族女性として当然とされる世界だ。
 それは家のため、ましてや国の安泰のためと言われたら――

(オクタヴィアも、そしてわたくしたちも……龍の託宣を果たすのは、義務なんだわ)

 今さらながらにそのことを実感した。

(異世界転生なんて、もっときゃっきゃうふふしてるイメージだったのに)
 現実はシンデレラのように、王子様と結婚してハッピーエンドとはいかないようだ。

 オクタヴィアのように逃げだしたいのかと言うと、別にそう言うことでもない。うまくは言えないが、ただ、ジークヴァルトに頼りきりになるのが嫌なのだ。

(どうやったら、この気持ちをわかってもらえるかしら……)

 ジークヴァルトの腕の中、そっとその顔を見上げる。眉間にしわを寄せて書類の文字を目で追う姿を、しばらくの間じっと見つめた。

「どうした? 眠かったら寝てもいいぞ」
「いえ……お仕事の邪魔をして申し訳ございません」

 手を止めたジークヴァルトに微笑んで、リーゼロッテはその瞳を静かに伏せた。

     ◇
「ルカ様、リーゼロッテお嬢様、お帰りなさいませ」
 ダーミッシュ家の家令であるダニエルが、一行を迎えた。

「あら? お義父様とお義母様は?」
「おふたりはご旅行からまだ帰っておられません。昨日お戻りになる予定でしたが、道の整備が入ったとかで、少々回り道を余儀なくされたと連絡がございました。公爵様に直接ご挨拶申し上げられないこと、あるじにかわり謝罪申し上げます」

 ダニエルが深々と頭を下げると、ジークヴァルトはその顔をすぐ上げさせた。

「いい、オレも連絡は受けている。長居するつもりはない。気を使わなくていい」
 そう言うと、ジークヴァルトはリーゼロッテに視線を戻した。

「ダーミッシュ嬢、お前の部屋はどこだ?」
「わたくしの部屋でございますか?」
「ああ、中を確かめたい」

 その台詞にダニエルとエラが目を見合わせた。だが、公爵の命令にいなを言える者はこの場にいない。言われるがまま、ジークヴァルトをリーゼロッテの自室へと案内することになった。

「ジークヴァルト様、こちらですわ」

 長いこと使っていなかった自室に入る。部屋はいつも使用人が掃除をしてくれるので、汚れたところはないはずだ。だが、自分の部屋に家族以外を入れるとなると、やはり緊張してしまう。
 エラも一緒に着いてきてくれている。心強く感じてほっと息をつくと、次いでリーゼロッテは部屋をぐるりと見まわした。

(変なものは置いてないわよね)
 読みかけの本とか、ちょっとした落書きとか、もしかしたらそんなものはあるかもしれない。

「ああ、久しぶりのお部屋は落ち着きますわ~」

 見られたくないものがあったら速攻で隠そうと、リーゼロッテは何気ないふりを装って、部屋の中をうろうろと歩き回った。

 そんなリーゼロッテをしり目に、ジークヴァルトは確かめるように部屋の中をゆっくりと歩いていく。この部屋にはジークヴァルトが贈ってくれた、調度品が一式置かれている。今思えばこれらはすべて、フーゲンベルク家のブランド家具だったのだ。

 ジークヴァルトはその調度品をひとつひとつ確認しながら、部屋の中を一周した。時折手をかざし、青い力を注いでいる。

(あ……この家具にもみんな、守り石が埋め込まれているんだわ)

 今さらながらそんなことに気づく。一回りする頃には、部屋中がジークヴァルトの力であふれていた。
 衣裳部屋や書斎にも足を踏み入れると、ジークヴァルトは同じように力を注いでいった。

「寝室はどこだ?」

 最後にそう言われ、ぐっと言葉を詰まらせる。だがこの流れで、「それはちょっと」と拒否することは難しかった。
 難色を示す表情のエラに微笑んで、リーゼロッテはジークヴァルトを寝室へと通した。いずれは夫婦となる身、ここでびびっていても仕方がない。

(まあ、ヴァルト様にしてみれば、子供部屋に入るのも同然だもの)

「こちらですわ」
 綺麗に整えられたリネンに、なんだかほっとする。貴族はベッドメイキングも日々三ツ星ホテル並みなのだ。

 ジークヴァルトは迷いなく寝台へと歩を進めた。ヘッドボードに片手をつき、しばし考え込むように動きを止める。

「ほぼ無くなっているな」

 そうひとりごちながら、今まで以上の勢いでその青い力を注いでいく。みるみるうちに寝台がジークヴァルトの力で覆われていった。

 あの寝台は物心がついたころから使っている。ほかの調度品は、去年になってようやく使いだしたものばかりなので、力の消費はそれほど多くなかったのかもしれない。逆に小さいころから使っていた寝台は、守り石の力がすっからかんだったということだろう。

(それにしても、めっちゃジークヴァルト様だわ……)

 そこここからジークヴァルトの力の気配がする。なんだかここが自分の部屋とは思えず、奇妙な気分になってきた。

「これで当分は大丈夫だ」
 そう言ってジークヴァルトは振り返った。

「お手数をおかけして申し訳ございません。あの、サロンにお茶を用意いたしますので、どうぞご休憩なさってください」
「いや、必要ない。これが終わったらすぐに帰る」
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