ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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     ◇
 書類に目を通していると、ふいに助けを求めるようなカークの思念が飛んできた。はっとなり、隣に座るリーゼロッテに視線を向けた。何も書かれていない白紙のページを見つめ、呆然とした様子で彼女は瞳から涙を溢れさせていた。

「ダーミッシュ嬢!」

 何かに飲まれている意識を、引き戻すように強く言う。びくっと体を震わせて、彼女はその顔をこちらに向けた。

「――これは、オクタヴィアの日記なんだわ」

 色を無くした唇が、小さく震えている。咄嗟に頬に落ちる涙を親指で拭い、その顔を胸に引き寄せた。背中に回された彼女の小さな手が、ぎゅっとシャツを掴んでくる。ざわつく感情を抑え込みながら、ジークヴァルトはリーゼロッテの髪をそっとやさしく梳いた。

「大丈夫だ、ここは安全だ」
「……はい、ヴァルト様」

 平静を取り戻すように、リーゼロッテは小さく息をついた。次いでジークヴァルトを見上げてくる。

「それに何が書かれていたんだ?」

 奥書庫にしまわれた書物が危険であるはずはない。そんな思い込みをしていた自分に、ジークヴァルトは苛立ちを覚えた。

「こちらの日記は、オクタヴィアが書いたもののようですわ」
「オクタヴィア? ジョンが仕えていたという令嬢か?」
「はい」

 昨年の冬にあった泣き虫ジョンに関する出来事は、その後保留となり、春の雪解けまでは封印状態になっていた。調査を続行しようにも、ジョンのいる枯れ木は今、雪にうずもれている。

「リーゼロッテ様が視たというジョンの記憶を踏まえまして、わたしもあの後少々調べてみたのですが、オクタヴィアという方は、確かにフーゲンベルク家の家系図に存在されています。ちょうど今から九代ほど前の公爵夫人となられた方です」
「公爵夫人?」
「はい、龍の託宣により当時の王弟殿下をフーゲンベルク家の婿養子に迎え、おふたりは男児をひとりもうけたとの記録が残っております」
「え? ではオクタヴィアはあの時に亡くなったわけではないの?」

 言われて見ればそうかもしれない。オクタヴィアは龍から託宣を受けた身だ。ジョンが龍の鉄槌を受け星に堕ちたというのなら、オクタヴィアの命はそれにより助かったのだ。

『龍から託宣を受けた者は、それを果たすまで死ぬことすら許されない。例え、死んだほうがましって目にあおうともね』

 ふいにジークハルトの言葉が蘇る。オクタヴィアは託宣を果たすべく、カークを追って死ぬことはできなかったのだ。

(じゃあ、ジョンやカークの死は無駄だったってこと……?)

 ぎゅっと胸が締め付けられた。先ほど流れ込んできたオクタヴィアの思いが蘇る。この事実を、オクタヴィアはどんな気持ちで受け止めたのだろうか。

「わたしが調べたところでは、男児が誕生した後、婿入りした王弟殿下はまもなく病死されています。その後オクタヴィア様は、当時のカーク子爵と再婚されたようですね」
「ええっ!?」

 らしからぬ大きな声を上げて、リーゼロッテは椅子から立ちあがった。テーブルに両手をつき、前のめりにマテアスに問うてくる。

「オクタヴィアはカーク家へお嫁に行ったの!?」
「はい、記録ではそのように。カーク子爵家がフーゲンベルク家の傍系貴族になったのも、それがきっかけのようですし……」

 マテアスの言葉にリーゼロッテは呆然とした様子だった。

「どういうことなの……? カークは冷たい雨に降られた後、亡くなったって……」
「カーク子爵家へ行けば、もっと子細な記録が残っているかもしれませんが」

 困惑気味に答えるマテアスに、リーゼロッテは決意したように頷いた。次いでジークヴァルトの顔を仰ぎ見る。

「ヴァルト様、お願いでございます。わたくしを、カーク子爵家へ行かせてくださいませ」

 必死の懇願に、ジークヴァルトの眉間のしわが一層深まった。

     ◇
「なんだか大所帯になってしまったわ……」
「リーゼロッテ嬢の立場を思えば、当然ともいえる処遇じゃない? まあ、グレーデン家の一件があるから、オレも信用されてないんだろうけど」

 迎えられたカーク子爵家で、カイと共にソファに座った。その後ろにはユリウスとエマニュエルにエラ、そして不動のカークが並んで立っている。

「カイ様までお呼び立てして、本当に申し訳ありません」
「はは、大丈夫だよ。龍の託宣に関する事と星を堕とす者にまつわる事は、王城騎士としてのオレの管轄だから。そう言えば、フーゲンベルク家で託宣を受けた者の日記が見つかったんだって? 今度オレにも読ませてよ」
「日記はジークヴァルト様が管理なさっていますわ。……カイ様はまだ託宣の調査をされているのですか?」

 王子の消えた託宣の相手はアンネマリーだった。それが見つかった今、調べることなどあるのだろうか。

「実は見つかってない託宣が他にもあるんだ。ハインリヒ様の件は一件落着になったけど、オレの仕事はまだまだ残ってるってわけ」
「そうだったのですね」
「だから、こうしてカーク子爵家の書庫を確認できるのは、オレ的にも願ったり叶ったりだよ」

 そんな会話をしていると、慌てたようなヨハンがやってきた。

「お待たせして申し訳ありません。ただいま当主である父が不在でして、わたしがご挨拶に」
「いきなり押しかけて申し訳ありませんわ、ヨハン様」
「とんでもございません!! 我がカーク家にリーゼロッテ様に来ていただくなど、光栄の極みっ」
「お兄様、少しは落ち着いて」

 手をわちゃわちゃさせながら言うヨハンの後ろから、使用人に手を引かれた少々ふくよかな令嬢が現れた。

「ブランシュ!」
「わたし、ブランシュって言います。いつも兄がお世話になってます」

 ブランシュはぺこりと頭を下げた。そのしぐさは貴族令嬢というよりも、慣れない使用人といった感じだ。

「ブランシュは視力を失っていて……その、多少の粗相は見逃していただけたらと……」

 すまなそうに言うヨハンに、リーゼロッテは微笑み返した。

「きちんとご挨拶いただけましたわ。こちらこそ、ヨハン様にはよくしていただいております」

 リーゼロッテが淑女の礼を返すと、ブランシュは見えないはずの目を「きゃっ」とふくよかな両手で覆った。

「もしかしてあなたがリーゼロッテ様ですか? すごく綺麗な緑! 眩しすぎてよく見えないっ」
「こら、ブランシュ、リーゼロッテ様に失礼だぞ」
「だってお兄ちゃん」
「お兄ちゃんではないだろう? お兄様と呼びなさい」
「あは、またやっちゃった」

 もちもちのほっぺたに手をやって、ブランシュはペロッと舌を出した。

「ブランシュ様は力を感じ取ることができるのですか?」
「はい! お兄様は青くって、リーゼロッテ様は輝く緑色! 隣の人は琥珀色だし、後ろにいるのは青、青、透明!」
「透明?」
「はい、だってその人は透き通ってて何も見えないから」

 エラを指さして言うブランシュに、リーゼロッテは感心したように頷いた。

「無知なる者のエラは、透明に視えるのね」
「こら、人様を指さすのはやめなさい! エラ嬢、妹が失礼を働いて申し訳ない」
「問題ございません」

 頭を下げるヨハンにエラは笑顔で首を振った。

「ヨハン殿、悪いけどオレあまり時間ないんだ。早いとこ書庫をのぞかせてもらえると助かるんだけど」
「あああっ、デルプフェルト様、申し訳ございませんっ! 今すぐご案内いたします!! エマ、悪いがブランシュの相手をしていてもらってもいいだろうか?」
「承知いたしました。さあ、ブランシュ様、参りましょう」
「やった! 今日は特別なお客様が来るからってお菓子も特別なの!」
「それは楽しみですわね」

 エマニュエルに連れられて、ブランシュはうれしそうに去っていった。手探りをしながら歩く姿は、やはり目が見えていないのだと見て取れる。

「では、書庫へご案内します」

 残りの一行はカーク子爵家の書庫へと移動した。

     ◇
「こちらの部屋です。あまり所蔵する書物は多くはないのですが、古い物はここで確認が取れるはずです」

 フーゲンベルク家よりも手狭な小部屋だった。壁際に並ぶガラス戸付きの本棚に、小さめのテーブルがある。窓のそばに飾りのチェストが置かれ、その窓は厚いカーテンで閉め切られていた。部屋の中はほこりっぽく、籠った空気が支配している。

「急なことで掃除が行き届かず申し訳ありません。ここへは滅多に足を踏み入れないもので」
「とりあえず、家系図を見てみたいかな」

 カイの言葉にヨハンは一枚の大判な羊皮紙を取り出した。それをテーブルの上で広げてみせる。

「これが我が家の家系図です」

 カイがのぞき込みながら、その上に指を彷徨さまよわせていく。

「あった、これだ。オクタヴィア・カーク。これがリーゼロッテ嬢が言ってた『ジョンのお嬢様』ってことかな?」
「はい、恐らく……」

 リーゼロッテも家系図を同様に覗き込んだ。オクタヴィアの伴侶は第五代目のカーク子爵レオンとなっており、オクタヴィアはレオンとの間に五人の子供をもうけたようだ。その下にさらに家系図が広がっている。

(オクタヴィアは本当に、恋人のレオン・カークと結ばれたのね)

 壁際にいるカークを見やる。不動のカークはレオン・カークが残した思念の残像のような物だ。本人がしあわせな人生を歩んでその生涯を閉じたとしても、その思いだけがあの場に焼き付いて残ったということだ。

「うーん、これだけじゃ、何も判断できないなぁ。他のも見させてもらおうかな?」
「はい、どうぞご自由に。ここでご覧いただく分には、どれでも見ていただければと思います」
「そうさせてもらうよ。リーゼロッテ嬢も手伝ってくれる?」
「はい、もちろんですわ」

 本棚に向かうふたりを黙って見つめていたエラに、ヨハンが遠慮がちに声をかけた。

「エラ嬢、もしよかったら君に見せたいものがあるんだが……」
「わたしにですか?」

 もじもじと大きな手指を付き合わせるヨハンに、エラは不思議そうに首を傾けた。

「ああ、別の部屋に置いてあるものをぜひ見せたくて」
「ですが……」

 エラは困ったようにリーゼロッテの背に視線をやった。リーゼロッテのそばを離れるのはためらわれる。

「ここにはオレもいる。エラ嬢は少し息抜きしてきたらどうだ?」
 隣に立っていたユリウスがにかっと笑った。

「エラ、わたくしなら大丈夫よ。何かあったらすぐに呼ぶから」
「ではお言葉に甘えまして、少しヨハン様と行ってまいります」
「おう、ふたりでゆっくりな」

 今度はヨハンに向けてユリウスはにかっと笑った。次いで親指を立ててサムズアップする。

「オレはお前に賭けてるんだ。頑張れよ!」
「はぁ」

 何のことを言われたのかわからなかったヨハンは、中途半端な返事をしてからエラを連れて書庫を出ていった。

「ユリウス様はヨハン殿に賭けているんですか? 無謀だなー。オレだったらグレーデン殿辺りにしますけど」
「大穴狙いの方が人生楽しいだろう?」
「はは、ユリウス様らしいですね」
「一体何のお話ですか?」

 リーゼロッテが不思議そうに問うと、カイは朗らかな笑顔を向けてきた。

「リーゼロッテ嬢は知らないんだ? 今、フーゲンベルク家でおお流行はやりの賭け事だよ」
「賭け事?」
「うん、エラ嬢を落とすのは一体誰かってね。あ、これ本人に言ったらダメだよ? おもしろくなくなるからね」

 人差し指を立てて神妙に言うカイに、リーゼロッテはあんぐりと口を開けた。

「ちなみにベッティはジークヴァルト様の従者君に、かなりの額をぶち込んだみたい。お金にうるさいベッティにしてはめずらしいよね」

 破産しないといいけど、とカイは楽しそうに付け加えた。リーゼロッテは何も言えないまま、しばらくカイの顔を呆れたように見つめていた。
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
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