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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

第5話 愛の賛歌

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【前回のあらすじ】
 公爵家に居座るツェツィーリアに困惑しつつ、お茶会の日を迎えたリーゼロッテ。その場で自身の容姿の自信のなさを決定づけた使用人と再会します。その誤解に気づかないまま、異形に憑かれるクラーラに新しい守り石を魔よけのお守りとして手渡せ一安心。
 しかし、お茶会の席でイザベラが繰り出す猛攻に、リーゼロッテ以上にダメージを受けるツェツィーリア。思わず飛び出した先で、ルカに出会ったツェツィーリアは、その場でルカに求婚されるのでした。





「飽きたわ」

 公爵家の書庫の大きなテーブルを囲み各々が読書に励んでいた横で、ツェツィーリアが唇を尖らせながらぽつりと言った。目の前に広げていた絵本を遠くへと押しやり、退屈そうに床に届かない足をぷらぷらしはじめる。

「エッカルト、気分転換にツェツィー様をお茶にお誘いしても構いませんか? 教示を受ける立場にありながら、申し訳ないのですが」
「もちろんでございます。ルカ様、わたしに敬語は必要ございません。遠慮なく何なりとお申し付けください」
「いえ、わたしは教えを乞う身。師と仰いだからには、尊敬の念をもって接するのは当たり前の事です。そこに地位も身分も年齢も関係ありません」

 きりっとした顔で答えたルカに、エッカルトは感心したように頷いた。

「ダーミッシュ伯爵家は素晴らしいお世継ぎをお持ちでございますな。ツェツィーリア様も誠に良き方に巡り会えました」
「どうしてそこでわたくしの名が出てくるのよ?」

 やさし気に目を細めるエッカルトに、ツェツィーリアはつんと顔をそらした。

「リーゼロッテ様、少しばかりここを離れますが、間もなく旦那様がいらっしゃると思います。それまではエラ様とこちらにいていただいてよろしいですかな?」
「ええ、もちろんよ。ルカ、ツェツィーリア様のことよろしくね」
「はい、義姉上、おまかせください!」
「だからなんでわたくしがルカによろしくされなくてはならないの!?」

 文句を言いつつもエッカルトに連れられて、ツェツィーリアはルカと共に書庫を後にした。ルカはツェツィーリアの手を取って、大事そうにエスコートしている。その後ろ姿を、リーゼロッテをはじめ、その場にいたエラとエマニュエルは微笑ましそうに見送った。

「ルカ様は本当に姫君を守る騎士のようですね」
「ふふ、なんだか焼けてしまうわ」
「ダーミッシュのお屋敷では、いつもルカ様がお嬢様の手をお引きでしたからね」

 ルカは次期領主として領地経営の知識を深めるために、フーゲンベルク家に滞在している。短期留学といったところだ。長年公爵家の家令を務めてきたエッカルトに教えを乞い、日々勉強に励んでいた。
 なんだかんだ言ってもツェツィーリアは、いつでもそんなルカのそばにいる。先ほどの様にしびれをきらしては休憩を入れるのが、ここ最近の日常となっていた。

 その横でリーゼロッテもエマニュエルを師に、フーゲンベルク領について学んでいる。ジークヴァルトには別にそんなことをする必要はないと言われたが、リーゼロッテにも思うところがたくさんあった。

(わたしもイザベラ様をみならわなくちゃ……)

 イザベラは先日のお茶会の日に、エーミールの案内の元、厩舎きゅうしゃだけでなく公爵家の一大産業である家具職人の作業まで見学しに行ったらしい。彼女は本気でフーゲンベルク家の女主人になるべく、これまで努力を重ねてきたのだ。
 それは無駄な行いだと笑うこともできるだろう。ジークヴァルトの相手は、龍によって選ばれてしまっている。しかしリーゼロッテは、そのイザベラの行動力を否定する気にはなれなかった。

『そんな状態で婚約者だとふんぞり返られても、まったく話にならないわね』

 イザベラの言葉が胸に刺さった。あんなふうに言われてひどいと責めたくもなったが、そう思うのは図星を指されたからだ。

(今までわたしは何をしてきたかしら……)

 守られるばかりでは嫌だと言って、それなりに力の制御の訓練はしてきた。だが、所詮はそれなりだ。

(結果が伴わなければ意味がないわ。もっとヴァルト様のためになることを考えなくちゃ)

 そこで思いついたのがこの勉強会だ。託宣や異形に関する知識をきちんと身につけた方がいいと、ジークハルトに言われたことを思い出す。フーゲンベルク家の書庫に、その手の書物があると王子も言っていた。
 託宣にまつわる書物は奥書庫にしまわれているので、ジークヴァルトが来てからそこを開けてもらうことになっている。今はエマニュエルと共に公爵家の歴史を勉強中だ。

「では、わたしたちはもうしばらく続けましょうか」
「はい、お願いしますわ、エマ様」

 エマニュエルの言葉に姿勢を正した。その後方で、カークがじっとその様子を見守っている。
 地形や気候、主な産業、領民の生活。フーゲンベルク家の歴史は長い。それは王家と並び、建国以来から続いているため、学ぶことも膨大だった。
 力の制御の訓練の時も思ったが、エマニュエルは教えるのがとてもうまい。説明が分かりやすいし、何より飽きさせないでいてくれる。

「エマ様は本当に何でも知っていらっしゃいますのね」

 公爵家の歴史についても知識が深い。元使用人とは言え、どうしてそこまで知っているのかと感心してしまう。

「わたしはマテアスと共に、子供の頃から旦那様とアデライーデ様のおそばにおりましたから。嫌でも頭に入るというものですわ」

 苦笑いしながら言う。本来知識を蓄えなければならないアデライーデよりも、自分の方が造詣深くなってしまった。だが、こうしてリーゼロッテの役に立っているのなら、それも無駄ではなかったと、エマニュエルの口元は無意識にほころんだ。

「でもわたくしが学んだところで、ジークヴァルト様のご負担が軽くなる訳ではないのよね」
「何かをして差し上げたいというリーゼロッテ様のお心に、旦那様は何よりもおよろこびになられますわ」

 めずらしくため息をつくリーゼロッテに、エマニュエルはやさしく微笑んだ。

「だといいのですが……」

 自信なさげに答えるリーゼロッテに、浮かんだ笑みは苦笑いに変わる。

「ずっと旦那様を見てきたわたしが言うのですから、間違いはございませんわ」
「まったくもってその通り」

 いきなり会話に入ってきたマテアスに、リーゼロッテは驚きで振り返った。

「すぐ旦那様もいらっしゃいますので、先に奥書庫を開けてまいります」

 鍵の束を手に、マテアスは本棚へと向かった。ごそごそと奥に手をやると、その本棚が横に移動していく。裏から現れた鉄の扉に鍵を差し込んだタイミングで、ジークヴァルトがやってきた。

「お忙しい中お時間をいただきありがとうございます」

 淑女の礼でそれを迎えると、「いい、問題ない」とするりとリーゼロッテの髪をなでてくる。

「では、エラ様、エマニュエル様。リーゼロッテ様はこちらでお預かりいたします」

 マテアスに見送られて、ふたりは書庫を後にした。ここからは託宣にまつわる勉強のスタートだ。

「旦那様、奥書庫で公爵家の呪いを発動させないでくださいね。本棚が崩れると厄介ですので」
「わかっている」

 リーゼロッテの手を引いて奥書庫へと入ろうとしていたジークヴァルトに、マテアスが釘を刺すように言った。

「ねえ、マテアス。公爵家の呪いが起こるのには、何か特別な条件があるの?」

 ジークヴァルトの腕の中で、リーゼロッテはこてんと首を傾けた。自分とジークヴァルトが近づくと、異形が焦って騒ぎ出す。そうジークハルトから言われた覚えはある。四六時中ジークヴァルトのそばにはいるが、だが、常に呪いが起きるというわけではなかった。

「はぁ、何と申しますか、その……」
「マテアス」

 制するようにジークヴァルトがマテアスを睨みつける。

「ヴァルト様、わたくしにもできることがありましたら、呪いが発動しないよう努力いたしますわ」
「……ダーミッシュ嬢がどうという話ではない」
「ですが……」
「いい。これはオレの問題だ。お前に落ち度はない」

 拒絶するように言われて、それ以上は何も言えなくなってしまった。リーゼロッテは俯いて、「出過ぎたことを申し上げました」とぽつりと返した。

 ジークヴァルトはいつもそうだ。何かを聞いても、大概の事は問題ないで済まされてしまう。

(いいえ、お忙しいヴァルト様をこれ以上煩わせてはいけないわ)

 そう自分に言い聞かせ、リーゼロッテはジークヴァルトと共に奥書庫へと足を踏み入れた。

 奥書庫はそれほど広くはなかった。並ぶ本棚と本棚の間は狭く、人ひとりが通れる程度の幅だ。ジークヴァルトに手を引かれるまま、薄暗い中リーゼロッテは歩を進めた。

「託宣に関する書物はこっちにある」

 一番奥まった本棚の隙間を通り、さらに奥へと進んでいく。小柄なリーゼロッテは難なく通れるが、ジークヴァルトはほぼカニ歩き状態だ。ジークヴァルトが手をかざすと、ところどころに飾られていた守り石に青く光が灯った。幾分かは周りが見渡しやすくなる。

「ここだ」

 立ち止まった本棚で指を滑らせる。背表紙を確認しながら、ジークヴァルトは一冊の本を引き抜いた。

「オレがいくつか簡単そうな書物を選ぶ。お前も気になった物を探すといい」

 頷いて目の前に並ぶ本に目を向ける。そのほとんどが古びていて、文字も難解で読むことができない。それでも何とか判読できそうな一冊を手に取って、ぺらぺらとページをめくってみた。ミミズがのたうつような文字列に、リーゼロッテはそれをぱたりと閉じて、そのままそっと本棚に戻した。

(これ、どれも無理ゲーなやつだわ)

 書かれた文字はおそらく古語というものだろう。辞典があったとしても理解できるかどうか、そんな感じの難解度だ。

(ここまで手間かけさせて、やっぱり読めませんなんて言えないわ)

 何とか一冊でも読めそうなものをと、リーゼロッテは上段の左端から順に視線を移動させた。しかしどれもが判読不能で、ただいたずらに目が滑っていく。

 そんな中、ジークヴァルトの立つさらに向こうにあった、一冊の本がふと目に入った。不思議と目が惹きつけられる。薄暗い本棚の中で、まるでその本が自分を呼んでいるようだ。

「ヴァルト様、あちらの本が……」
「どれだ?」
「上の方にある、あの光って見える本ですわ」
「光って?」

 指さす方へとジークヴァルトが手を伸ばした。

「これか?」
「いえ、もっと上の、その右、いえ、もう少し左ですわ」

 誘導してもなかなかその本にたどり着かない。焦れたようにリーゼロッテはジークヴァルトの袖をつかんだ。

「そちらに行って自分で取りますわ」
「おい」

 ジークヴァルトと本棚の隙間を通ろうと、その間に無理やり体を滑り込ませた。体をなかばまで押し込むと、ジークヴァルトと向かい合ったまま、そこで身動きが取れなくなってしまった。
 焦って体を動かすも、行くも帰るもできなくなる。スカートがジークヴァルトの足に巻き付いて、さらににっちもさっちもいかなくなった。

 ジークヴァルトの眉間が苦し気に寄せられた。リーゼロッテのお腹のあたりに、何か硬いものが当たっている。ポケットに何かを入れているのだろうか? ごりごりと当たっているので、それが痛いかもしれない。

「ヴァルト様、痛いのですか? 申し訳ございません、今すぐどきますわ!」

 何とか通ろうともぞもぞ体をねじっていると、ジークヴァルトが慌てたように頭を抱え込んできた。

「待て、いや、駄目だ、今は動くな、いいからそこでじっとしていろ」

 珍しく切羽詰まったような声に、リーゼロッテは動きを止めた。その瞬間、ざわりと空気が揺れる。

(公爵家の呪い? よりにもよって今……!?)

 このざわつきは異形が騒ぎ出す前兆だ。こんな状態で本格的に暴れられたら、最悪、本に埋もれてたいへんなことになる。身をこわばらせると、ジークヴァルトはさらにきつく頭を抱えこんできた。

「いいから動くな、大丈夫だ、すぐに落ち着く、とにかく動くな、いいから黙ってそのまま動かず何でもいいからじっとしていろ」

 矢継やつばやにまくしたてられ、リーゼロッテは言われた通りに動きを止めた。ジークヴァルトにしがみついたまま、身じろぎひとつしないよう息をひそめる。

 頭の上でジークヴァルトが深呼吸をしている。すーはーと繰り返される息が、リーゼロッテの頭頂部をくすぐった。それでも瞬きひとつしないよう、リーゼロッテはじっと身を縮こまらせた。

 ジークヴァルトは最後に長く息を吐き、その体から力を抜いた。気配を探ると、異形たちもすっかり落ち着いたようだ。

「慌てなくていい。ゆっくり通れ」

 そう言ってジークヴァルトは、手を突っ張って隙間を開けた。言われた通りにリーゼロッテは、慎重にスカートを引きながら、そろりそろりと奥へと移動した。ようやく通り抜けられて、ふたりして安堵の息を漏らす。

「わたくし、考えなしなことをして、本当に申し訳ございません」

 まさかハマったまま動けなくなるとは計算外だ。ジークヴァルトは無表情のまま、「問題ない」とついと顔をそらした。
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