ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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「まあ、悪くないわね」

 もてなしのスイーツと紅茶を何口か味わうと、イザベラは不遜な態度で言った。

「おまっ、なんて物言いをするんあだだだだだだ」
「お兄様は黙ってて。いちいち煩いですわ」

 イザベラに太ももをつねられて、ニコラウスは涙目で悶絶している。

「いいのよ、わたくしはいずれこの家に嫁ぐ身ですもの。使用人の技量を量るのも公爵夫人の役目だわ」

 そのイザベラの言葉に、使用人も含めたその場にいた者すべてが真顔になった。

「あら、公爵様のご婚約者はリーゼロッテ様でいらっしゃいますわ」
 そんな空気の中、ひとりのほほんとした様子でヤスミンが紅茶を一口飲んだ。

「そんなもの王がお決めになったことでしょう? 公爵様が納得されているはずはないわ。リーゼロッテ様とわたくしは同じ伯爵家の令嬢ですもの。リーゼロッテ様は所詮、田舎貴族。公爵夫人に相応ふさわしいのは、どう考えても宰相の娘であるこのわたくしですわ。あなた、身をわきまえて一刻も早く婚約を辞退なさいな」

「お、おまっなんてこあだだだだだだっ」
「だからお兄様は黙ってて」

 どこをつねられたのか、ニコラウスは椅子から崩れ落ちて先ほど以上に悶絶している。

「失礼ながら、イザベラ様。リーゼロッテ様のご生家は、由緒あるラウエンシュタイン公爵家でございますわ」

 エマニュエルが慇懃無礼に微笑んだ。しかし、その目はまったくもって笑っていない。

「本当に失礼ね、元使用人の分際で。そのくらい知っているわ。けれどそれはリーゼロッテ様が親に捨てられた身というだけのこと。あなた、この家の家令の娘なんでしょう? いいわ、家令共々わたくしが再教育してあげる。それにしてもこの家の調度品はどれも古臭いのね。わたくしが女主人となった暁には、すべてセンスのいいもので揃えてあげるわ」
「イザベラ!」

 いまだ涙目のニコラウスも、さすがにそれ以上の暴言を吐かせることはできなかった。だが、実際にそれを止めたのは、握りつぶした焼き菓子をイザベラへと投げつけたツェツィーリアだった。

「イザベラとか言ったわね。あなたこそ身の程を知りなさい」
「……そうおっしゃるあなたはレルナー家のツェツィーリア様ね。いいわ、親戚のよしみで今日は許して差し上げるわ」

 縦ロールにかかった焼き菓子が、びよんと跳ねた反動で掃われていく。

「なっ」

 かっとなったツェツィーリアは、今度は熱い紅茶の入ったカップを手に取ろうとした。そこら辺にある物を手当たり次第に投げつけそうな勢いのツェツィーリアを、リーゼロッテは慌てて腕に抱き込んだ。

「お姉様、離して! あの女に思い知らせてやるんだから!」
「いけませんわ、ツェツィーリア様!」

「いやだわ、公爵家の令嬢のくせにしつけもなってないのね。そんなだから家を追い出されるのよ」

 イザベラの冷たい口調にツェツィーリアは身をこわばらせた。その様子を鼻で嗤ったイザベラの鋭い言葉は、畳みかけるようにツェツィーリアをさらに追い詰めていく。

「わたくし知っているのよ。レルナー公爵様は、ツェツィーリア様に年の離れた婚約者をあてがって、さっさと厄介払いをなさりたいと思っているのでしょう? 候補は幾人かいらっしゃるようだけど、どの方もレルナー家に有利な縁談ですものね。いいわ。下位の家に嫁いでも、公爵夫人としてわたくしがあなたのこと特別に引き立てて差し上げてよ?」

「イザベラ様!」

 腕の中のツェツィーリアの唇がぶるぶると震えている。可哀そうなくらいきつく噛み締められたそれは、青ざめて血の気を失っていた。

「何よ、本当のことを言って何が悪いのよ。ふん、あなたなんて公爵様に名前ですら呼んで貰えてないじゃない。そんな状態で婚約者だとふんぞり返られても、わたくしも可笑おかしくて笑ってしまうわ。まったく話にならないわね」

 言葉のとげは容赦なくリーゼロッテへも向けられた。あのエマニュエルですら平静をかいている様子だ。周囲が気色ばむ中、リーゼロッテはイザベラの言葉に動揺しながらも、このままではまずいと焦りを感じていた。

「随分と話が弾んでいる様子だな」

 ふいに割り込んできたのは、いつの間にかそこに立っていたエーミールだった。この殺気立った雰囲気の中、よく声をかけてこられたものだ。

「ブラル嬢、よかったら公爵家を案内するが?」
「え?」
「あなたも屋敷の中を見てみたいと思うだろう? 

 エーミールは後半の言葉をわざと強調して言った。

「もちろんですわ!」
 イザベラが嬉々として立ち上がる。

「それでしたら、わたくし厩舎から見て回りたいですわ。フーゲンベルク家は馬の産地で有名ですし、実際にその実力のほどをこの目で確かめてみたいですわ!」
「ああ、ではまずは厩舎へと案内しよう。ニコラウス、先にブラル嬢を連れて厩舎へ向かってくれ」

 ニコラウスは自身の胃のあたりを押さえながら、「い、癒しが欲しい……」とつぶやきながらイザベラと共にサロンから出ていった。

 ブラル兄妹をサロンから追い出すと、エーミールはエラに笑みを向けた。

「エラ、今日のあなたはすごい顔をしているな。あの程度の令嬢なら、いくらでもいるだろう? 彼女は託宣どころか龍の存在すら知らないんだ。夢見がちな世間知らずの令嬢だと思えば、あんなことを言いだすのも無理はない。今日の所はわたしが彼女を引き受けましょう。リーゼロッテ様はどうぞ引き続き茶会をお楽しみください」

 そう言ってリーゼロッテに腰を折る。エーミールは最後にツェツィーリアを冷たく見やった。

「ツェツィーリア、もっと言動に気をつけることだな。さもないと、ブラル嬢が言ったことが早急に実現することになるぞ。ジークヴァルト様とて、かばうにも限度がある」

 それだけ言い残すと、エーミールはサロンを出ていった。

「あのイザベラ様が夢見がちな令嬢だなんて。さすがはグレーデン様ね」

 くすくすと笑い出したヤスミンに、場の雰囲気が幾分かほぐれてくる。リーゼロッテも今日ばかりはエーミールに感謝しかなかった。エラとエマニュエルも同様に感じているようで、安堵の表情を浮かべている。

「気に入らないわ」

 ツェツィーリアだけが面白くなさそうに言って、まだ口をつけていないリーゼロッテの紅茶へとドバドバと砂糖を入れだした。その底に、こんもりと砂糖の山が築かれる。

「気に入らない、気に入らないわ!」

 唇を噛み締めて、乱暴に紅茶をさじで回した。紅い液体の中、沈んでいた砂糖がぐるぐると回って、怒り狂った竜巻の様に立ち昇っていく。

「気に入らない、気に入らない、気に入らない!」

 そう繰り返しながら、溶けることのない竜巻が一心不乱にかき混ぜられる。

「ツェツィーリア様、例え相手に非があったとしても、物を投げつけるのは淑女の振る舞いではありませんわ」

 リーゼロッテが静かに言った。叱るでもなく、責めるでもない。その言葉にツェツィーリアの手がぴたりと止まる。

「お姉様は悔しくないというの? あんな女に好き放題に言われて」
「……わたくしとジークヴァルト様は、龍が決めた相手というだけですもの。イザベラ様のおっしゃることはあながち間違っておりませんでしょう?」
「どうして……どうしてそんなにお姉様は自信がないの!? お姉様は何でも持ってるじゃない! 青龍に選ばれて、家族だっている! みなに好かれて、お兄様のことだって……!」

 震える手で匙を強く握ったまま、ツェツィーリアは大きく腕を振り上げた。リーゼロッテに向かって投げつけられようとしたそれは、一瞬だけ躊躇ちゅうちょされたあと、乱暴にテーブルの上に叩きつけられた。

「ツェツィーリア様!」

 ツェツィーリアはそのままサロンを飛び出した。リーゼロッテが後を追おうとするも、エマニュエルにそれを制される。

「ここはわたしにお任せを。ヤスミン様、クラーラ様、お騒がせいたしました。どうぞごゆっくりなさってくださいませ」

 ふたりに礼を取るとエマニュエルは、ツェツィーリアを探しにサロンを後にした。

「リーゼロッテお嬢様……」

 エラの声掛けに我に返る。居住まいを正して、ふたたび腰を掛けた。

「あの、ヤスミン様……」
「ふふ、ご心配なさらなくても大丈夫ですわ。わたくし今日の事を誰かに話したりいたしませんから。わたくしを誰だと思っておいでですの? あのキュプカー隊長の娘ですのよ?」

 ヤスミンがイザベラの声真似をしながら言うと、エラがぷっとふき出した。そんなエラを困ったようにみやりながらも、リーゼロッテも口元に小さく笑みを浮かべた。

「ヤスミン様は龍の託宣の存在をご存じなのですか?」
「ええ、もちろん。こう見えてわたくし、王太子妃殿下の信頼が厚いんですのよ。今日もアンネマリー様に何かあった時に、リーゼロッテ様をお助けするよう申し付かってきましたから」
「そうだったのですね」
「あら、もちろん、わたくし個人としても、リーゼロッテ様をお助けするのは当然と思っておりますのよ? ふふ、わたくしとリーゼロッテ様の仲じゃない」

 再びイザベラの口調で言われ、リーゼロッテも今度こそ本格的に笑ってしまった。

「やっぱり妖精姫は笑顔がいちばんお似合いになりますわ」
「ありがとうございます、ヤスミン様」

 ヤスミンはやさし気に微笑むと、そのはしばみ色の瞳をきらりと光らせた。

「時にリーゼロッテ様。先ほどからクラーラ様が、目を開けたまま気絶なさっているようですけれど」
「えっ!?」

 驚いて見やると、マテアスの守り石を両手に握りしめたまま、クラーラは白目をむいて気絶をしている。

「ふふふ、イザベラ様に驚いてしまわれたのかしら?」

 やはりのほほんとした調子で、ヤスミンはおいしそうに残りの紅茶を飲みほした。


 そんなこんなでリーゼロッテ主催のお茶会は、とてもよそで話せないような顛末てんまつを迎えたのであった。
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