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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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     ◇
 ハイデはクラーラの侍女だ。クラーラがフーゲンベルク家で開かれるお茶会に招待されたというので、今日はしぶしぶ付き添ってきた。

 公爵家へのお呼ばれなど、同僚たちから散々うらやましがられたが、招く本人はあのダーミッシュ伯爵令嬢なのだ。ハイデは以前、ダーミッシュ家に仕えていたことがある。その時に見た、あの令嬢の姿がいまだに忘れられないでいる。

 へリング子爵家は片田舎の領地を持つ貴族だが、金払いだけは特別いい。給金に見合った働きをしなければなるまいと、ハイデは気合を入れるようにふんと息を鼻から吐いた。

「クラーラお嬢様、少しは落ち着いてください」
「だだだって、もうじきここにリーゼロッテ様がやってくるんでしょう? わたし、じゃなかった、わたくし、緊張で言葉を噛んでしまいそうで、一体どどどうしたら」

 クラーラは先ほどから挙動不審な動作で、そわそわと立ったり座ったりをくり返している。その様はまるでおびえる小動物のようだ。

「いいから令嬢らしくおとなしくそこに座っていてください。クラーラ様が動くとろくなことになりませんから」
「で、でも、最近はこの魔よけのお守りのおかげで、何事もおきないじゃない」

 クラーラが手に握りしめたかんざしをハイデに掲げて見せる。美しい青い石が飾られた、見事な意匠の簪だ。

「お嬢様、本当にそちらをお返しになるのですか?」
「だって、お借りするだけって約束だったもの。あっ、駄目よ! 売ったりなんかしないわよ。こんな高価なもの、売り払ったところですぐに足がついてしまうもの」
「誰も売り飛ばせとは言っておりませんよ。でも、それがないとお嬢様、また大変な目にあいますけどよろしいのですか?」
「そうなのよね……この魔よけのお守りを手にしてから、転んだりぶつかったりしなくなって、誰にも迷惑をかけないで済んでいるのよね」
「本当に代わりの魔よけがもらえるとよろしいんですけど」

 ハイデはそう言いながら、通された日当たりのいいサロンの中を見回した。すぐ目の前を、目がきゅるんきゅるんしたぶさ可愛い異形の者が数匹、ご機嫌そうにはしゃぎながら駆け抜けていった。それ以外にもサロンのあちこちで、似たような異形がるんるんと飛び回っている。

 ハイデは子供の頃から人ならざる者の姿が視えた。それは親兄弟にすら理解してもらえなかったが、ソレらは確かにどこにでも存在していた。

 周囲にいた異形たちが、興味深げにクラーラに近寄ってくる。しかし、手にする簪の影響か一定の距離を保ったまま、それ以上は進んでこない。この様子はここ最近、子爵家でも見られるようになった光景だ。

 クラーラは異形の者に取り憑かれやすい体質だった。本人にソレが視えていないのは、幸か不幸か。ハイデ自身、視えはしても何ができる訳でもなく、心の中で「クラーラ様~肩に異形が乗っておりますよ~」などと言うのがせいぜいだ。

 そのことを考えると、ここはやはり何も教えないのが得策だろうと、ハイデはクラーラに異形の者の存在も、その簪の力が確かに異形を寄せ付けないでいることも、何もかも黙って見守っていた。
 その簪を返さなくてはならないとなると、クラーラは『近寄ると不幸が移る令嬢』に逆戻りだ。

「クラーラ様、お待たせして申し訳ございません」

 茶会の主催者と思わしき令嬢の声がした。心が洗われるような、透き通った耳に心地よい声の持ち主だ。しかし、ハイデは思い切り身構えた。あの日の恐怖をまた目の当たりにするのだと、覚悟に覚悟を決めてから、ようやくの思いで声のぬしを振り返った。

「ようこそいらっしゃいました。またお会いできてうれしいですわ」
「りりりリーゼロッテさまっ、ほ、本日はおまおまお招きありがとうございますっ」

 淑女の礼も何もない動作で、がばりと頭を下げたクラーラの横で、ハイデはぽかんとリーゼロッテの顔を見つめていた。その様子に焦ったように、クラーラが肘で脇をつついて来る。我に返ったハイデは、慌てて頭を下げてリーゼロッテに礼を取った。

「クラーラ様、今日は個人的なお茶会ですから、そう緊張なさらないで。……あら? あなた、どこかで会ったことがあるわね」

 こてんと可愛らしく首を傾けて、リーゼロッテがハイデの顔を見やった。

「その、わたくしの侍女のハイデは昔、ダーミッシュ伯爵様のお宅で働いていたそうなので……」
「そうよ! あなた、あの時の!」

 リーゼロッテがぽんと両手を重ねるのを見て、余計なことを言うなとハイデは思わずクラーラの顔を睨みつけた。

 それはハイデがダーミッシュ家の使用人として働きだして、間もなくのことだった。廊下を曲がったところで偶然出くわした伯爵令嬢の姿に、ハイデは大きな衝撃を受けた。
 妖精の様に愛らしい令嬢だと聞いていた。しかし、リーゼロッテはその小さな体に数多あまたの異形をまとわせた、悪魔のような令嬢だったのだ。

 その姿を思い出すだけでも身の毛がよだつ。どす黒い異形の影は、まるでうそうそとうごめく大群の虫の様に視え、あの時ハイデは恐怖のあまり叫んでしまった。

『なんて、なんておぞましい姿なの……まるで汚らわしい悪魔だわ……!』

 ハイデがそう叫ぶと、幼いリーゼロッテは驚いた顔をして、そのまま転びながらも走り去ってしまった。はっと我に返った時にはもう遅かった。しばらくして、ハイデはダーミッシュ伯爵から暇を出され、あちこちの家を渡り歩いた末に、へリング子爵家に拾われ、ようやく安住の地を手に入れた。

 へリング家にいた令嬢クラーラも、異形の者をその身にくっつけてはいたが、あの悪魔の令嬢に比べれば肩に小さなちりがついたようなものだった。

 そんな記憶が走馬灯のように頭をよぎっていく。リーゼロッテの様子を見ると、彼女もあの日の自分の暴言を覚えているのだろう。不敬罪でこの身は終わりだ。そう覚悟して、ハイデは顔を青ざめさせた。

「あなた、ハイデと言うのね……。ハイデ、あの時はありがとう」

 そう言ってリーゼロッテはそっとハイデの手を取った。青ざめたまま、ハイデはリーゼロッテの顔を見やった。あの日の悪魔のような面影はない。清楚で、精霊のごとくに美しい令嬢だった。

「わたくしね、あの日あなたにああ言われなかったら、ずっと勘違いして生きていくところだったわ。気づかせてくれて本当にありがとう」

 包み込んだハイデの手をきゅっと握りしめると、リーゼロッテはお手本のような淑女の笑みをハイデに向けた。青かったハイデの顔がみるみるうちに赤くなっていく。

「そそそのような、わたしあの日、とんだ失礼なことをっ」
「いいえ、そんなことはないわ。あなたが勇気をもって真実を口にしてくれたから、わたくし自分を正しく見つめ直すことができたのよ。感謝することはあっても、失礼だったなんて思っていないわ」
「え? 真実と言いますか、今はもう……」

 リーゼロッテの周りには、もはや異形のいの字も見いだせない。胸に下げられたひと粒の青い石が目に入り、クラーラのかんざしと同じなのだとハイデはすぐに理解した。

「いいのよ、わたくし、自分の容姿のことは十分に分かっているから。だから、もういいの。ありがとう……」

 悟ったように瞳を伏せ、リーゼロッテはさみしそうな笑顔を作った。この令嬢は何かを勘違いしている。咄嗟にそう思うも、リーゼロッテは次にクラーラに向けて微笑んだ。

「ほかの方はまだいらしてないけれど、お茶会を始めましょうか」

 それ以上は何も言えないまま、茶会の様子を見守るしかなかった。ハイデは呆然とその口を閉じた。

     ◇
「クラーラ様、こちらがお約束の魔よけのお守りですわ」

 預けていた簪の代わりにリーゼロッテは青いブローチを差し出した。これはマテアスが力を込めてくれた守り石だ。

「でも、本当に頂いてもよろしいのですか?」
「ええ、もちろんですわ。お友達になってくださった記念に受け取ってくださるとうれしいですわ」
「そそそんな、お友達だなんて恐れ多いっ。あのっ、これ、うちの領地で採れたビョウなんですけど、よかったらお納めください」
「まあ! この時期にビョウが! わたくしビョウが大好きなの。とてもうれしいですわ」

 ビョウとはリンゴそっくりの秋に実る果実の事だ。今は早春の時期なので、時季外れもいいところである。

「その、へリング領はビョウの産地でして……ですが今の時期のビョウは酸味が強くて、タルトやパイなど焼き菓子にして食べたほうがおいしくいただけるかと思います」
「そうなのですね。クラーラ様、ありがとうございます。料理長にお願いしてみますわ」

 リーゼロッテは上機嫌で微笑んだ。何しろ公爵家で出てくるアップルパイは、外サクサクで中身とろ~りの絶品パイだ。

(いちビョウあれば怪我知らず、三ビョウあれば風邪知らず、十ビョウあれば寿命が延びる……まるで魔法のリンゴね)
 そんなわらべ歌を思い浮かべながら、リーゼロッテはふふと笑った。

「リーゼロッテ様、本日はお招きありがとうございます」
「ヤスミン様」

 リーゼロッテが出迎えようと立ち上がると、ヤスミンの後ろからツェツィーリアがひょっこり顔をのぞかせた。

「ツェツィーリア様……」
「さみしそうにこちらを覗いてらしたから、一緒にお連れしましたのよ」
「別にさみしそうになんてしていないわ」

 つんと顔をそらすと、ツェツィーリアは当たり前のようにリーゼロッテが座っていた席に陣取った。すぐさま並べられた焼き菓子に手を伸ばす。その隣に腰かけて、リーゼロッテは近くにいた使用人に声をかけた。

「ツェツィーリア様にも紅茶を用意してもらえるかしら?」

 ツェツィーリアの前に紅茶が運ばれる頃、エマニュエルがサロンへと入ってきた。

「リーゼロッテ様、本日はお招きありがとうございます」

 妖艶にほほ笑んで、エマニュエルはクラーラの隣に座った。子爵家令嬢のクラーラが緊張しないようにと、その両脇は子爵夫人のエマニュエルと男爵令嬢であるエラの席とした。

 ヤスミンはリーゼロッテの一番近くに座し、残るひと席にはイザベラが座る予定だ。イザベラとエラの席はできるだけ遠くした。イザベラが何を言っても反応しないようエラにはお願いしてはあるが、この前のアンネマリーの茶会以来、エラはイザベラを毛嫌いしている。

 まだ到着していないイザベラを除いた六人で、しばらくはたのしく談笑していた。はじめは緊張した面持ちだったクラーラも、エマニュエルの話術もあって次第に緊張がほぐれた様子だ。

 お菓子を食べこぼすツェツィーリアを微笑ましく見やりながらも、他愛もない話に花が咲く。ツェツィーリアだけは黙々と菓子に手を伸ばし、置かれた紅茶に山盛りの砂糖を入れては、銀の匙でくるくると懸命にそれを溶かしていた。

 お代わりの紅茶が注がれる頃、イザベラが兄のニコラウスを従えてやってきた。相変わらずのたれ目の兄妹だ。

「みなさん、ご機嫌よう」
「ようこそおいでくださいました」

 リーゼロッテが立ち上がって微笑むと、びよんと縦ロールを弾ませながらイザベラはふんと大きく鼻でわらった。

「自分の家でもないくせに随分と大きな出迎えをするのね」
「おい、イザベラ! お前なんてことを……! 妹が失礼なことを言って申し訳ない」

 ニコラウスが慌てて頭を下げた。ニコラウスはアデライーデの指令でこのお茶会に付き添うことになった。自分がいたからと言って、この妹の暴走を止められる気はしないのだが、しかし、無責任にイザベラを単身公爵家へと放り込むこともできなかった。

「何を謝っているのよ、お兄様。今日お兄様はグレーデン様に呼ばれてこちらにお伺いしたのでしょう? ここはわたくしに任せてさっさと行ってきてくださいな」
「だからそれが心配なんだろうがっ」

 心なしかエラの視線が冷たいような気がする。ニコラウスはこの場に来たことを既に後悔し始めていた。

「エーミール様は到着までにまだしばらくかかるとのことですわ」
「でしたらニコラウス様も、こちらでお茶をご一緒なさいませんか?」

 エマニュエルの言葉を受けてリーゼロッテが周囲に目配せを送ると、あっという間にイザベラの隣にニコラウスの席が用意されてしまった。それを断ることもできずに、キリキリと胃が痛む中、ニコラウスはイザベラと共に席についた。
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