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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙
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◇
「本日のティータイムは、サロンに用意してございます」
マテアスに連れられて廊下を進む。
「時間が取れそうでしたら、旦那様も顔をお出しになるそうですので」
「ご無理なさらないでいただきたいわ……」
「では、そのように申し伝えておきます」
そんな会話をしているうちに、サロンの入口へとたどり着く。だいぶ春めいてきて、大きな一面のガラス戸からは、暖かな日差しが差し込んでいた。
「マテアス……あの方は一体どなた……?」
よろりとよろけたリーゼロッテが、マテアスの二の腕の袖をきゅっと掴んだ。慌ててそれを受け止めながら、マテアスはサロンへと視線を向けた。
「ああ、あの方はツェツィーリア様、レルナー公爵家のご令嬢でございます。ユリウス様の姪に当たる方ですよ」
サロンのソファには、まっすぐな黒髪に青い瞳をした少女が座っていた。外をじっと眺めながら、床に届かない小さな足をつまらなそうにぷらぷらと揺らしている。
「ツェツィーリア様は旦那様のはとこで、エーミール様とは従兄妹でいらっしゃいます」
「なんて、なんて可愛らしい方なの……!」
長く艶やかなストレートの黒髪。つり気味の瞳はジークヴァルトに似た深い青で、桜色の小さな唇は少し不機嫌そうにつんと尖っている。フランス人形と日本人形をいいとこ取りして、足して二で割ったような美少女だ。
はわはわとなりながら掴む袖をさらに強く握りしめたリーゼロッテに、「はぁ、そうでございますねぇ」とマテアスは気のない返事を返した。
「まるでおとぎの国から妖精が舞い降りたよう……」
「まあ、そう言われて見ればそうとも思えなくもないですが」
頬を上気させてツェツィーリアにくぎ付けとなっているリーゼロッテをみやって、マテアスは再び中度半端な同意を返した。
(リーゼロッテ様の方が、よほど可憐な妖精に見えますけれどもねぇ……)
ツェツィーリアは確かに美少女の部類に入るのかもしれない。しかし、黒髪に青目のジークヴァルトを見慣れているマテアスとしては、明るい色の金髪に緑の瞳を持つリーゼロッテの方が、よほど幻想的な印象を抱いてしまう。
フーゲンベルク家にいる人間は、使用人も含めて大半が黒や茶色の暗い色の髪に青系か茶色の瞳を持つ者ばかりだ。そんなこともあって、リーゼロッテの意見には心から同意はできないでいた。
(それにツェツィーリア様ですからねぇ)
彼女の本性を知る身としては、妖精というより小悪魔だろうなどと口には出せないことを思ってしまう。
「はぁ……女の子っていいわよね……いるだけで場が華やぐというか、なんか、こう、そこにいてくれてありがとうって、本当にそういう感じよね」
ため息交じりにそう漏らしたリーゼロッテは、いまだに自分の袖を握り締めながらその緑の瞳を潤ませている。
「いえ、そのお言葉、そのままそっくりリーゼロッテ様にお返しして差し上げたいのですが……」
本心からそう言ったマテアスを、リーゼロッテは悲しそうに見上げてきた。掴んでいた袖から手を離し、そっと居住まいを正す。
「……ありがとう、マテアス」
「あの、そこでなぜそのようなお顔をなさるのでしょう?」
「いいの……わたくし、自分の容姿のことは十分に分かっているから……」
悟ったような表情でリーゼロッテは静かに瞳を伏せた。
「え? あの、いえ、リーゼロッテ様は本当にお美しいと使用人一同……」
「そうね、本当にありがとう。……ごめんなさい、マテアスに余計な気を使わせてしまったわね」
分かっているから、もうそれ以上言わなくていい。そんな雰囲気を醸し出されて、マテアスはまるで理解できないといった表情をした。
「遅いわよ、マテアス。どれだけわたくしを待たせるつもりなの?」
ふいに高い声がした。振り向くと、先ほどの美少女がぴょんとソファから飛び降りる。足がつかない高さの分だけ一生懸命さが伝わってくる可愛い動作に、リーゼロッテの胸はきゅんと高鳴った。
「申し訳ございません。先ぶれもなく来ていただいたものですから、こちらとしても最大限の対応をさせていただいているところにございます」
「ヴァルトお兄様はどこ? 今日はお兄様のお誕生日を祝うために来たのよ。早く呼んできなさい」
慇懃無礼に腰を折るマテアスに、ツンと顔をそらしてツェツィーリアはかぶせ気味に言葉を返した。つんな態度がまた愛くるしい。義弟のルカよりも少し年下くらいだろうか。ふたりを並べてみたら、それはそれは可愛らしく、何時間でも愛でていられるに違いない。
そんなことを思っていたリーゼロッテへと、ツェツィーリアが視線を向けてきた。
「マテアス、この方はもしかして……」
「この方はリーゼロッテ・ダーミッシュ伯爵令嬢様、旦那様の婚約者でいらっしゃいます」
「まあ、この方が!」
ぱあと花開くような笑顔を向けられ、リーゼロッテの小さな胸は再びきゅううんとなった。美少女の笑顔は破壊力が半端ない。女の子はもはや、そこにいるだけで正義なのだ。
「レルナー公爵令嬢様、お初にお目にかかります。リーゼロッテ・ダーミッシュと申します」
「わたくし、ヴァルトお兄様のお相手と一度お話ししてみたかったの! ね、リーゼロッテお姉様とお呼びしてもいい? わたくしのことも名前で呼んでいただきたいわ」
愛らしい小さな手できゅっと手を掴まれて、リーゼロッテはサロンの中へと引っ張っていかれた。子供の体温はなぜこうも高いのだろう。リーゼロッテ自身も高揚のあまり、熱が上がってしまいそうだ。
「お兄様はどうせお忙しくて、すぐには来られないのでしょう? わたくし、リーゼロッテお姉様としばらくお庭を散歩してくるわ」
そう言って、ぐいぐいとリーゼロッテを窓の方へと引っぱっていく。
「いけません! ツェツィーリア様!」
それを止めようとするマテアスを無視して、ツェツィーリアはリーゼロッテを庭へと連れだそうとした。
「大丈夫よ、マテアス。護衛の方もいらっしゃるのでしょう? サロンからは離れないようにするから心配しないで」
「そうよ、行きましょう、リーゼロッテお姉様」
ツェツィーリアの可愛さにときめきが止まらない。リーゼロッテは笑顔のままその手に引かれ、庭へと出ていった。
マテアスが庭を見やると、サロンのガラス戸の付近をふたりはゆっくりと歩いている。見えないように護衛をしていたユリウスが、さりげなくふたりの後をついて行ったようだ。ユリウスがそばにいるのならば、そう大事になることはないだろう。
「はあ、まったく……あの我儘ぶりは相変わらずですねぇ」
リーゼロッテの謙虚な態度に慣れてきてしまっていたマテアスは、小さくため息をついた。ジークヴァルトに報告しないと、後で何を言われるか分からない。そう思って、足早にその場を後にした。
◇
しばらく上機嫌な様子で手を引いていたツェツィーリアは、植木の茂みまでやってくると、いきなり乱暴な手つきでリーゼロッテの手を払いのけた。
くるりと振り返ったその顔は、ものすごく不機嫌そうだ。
「わたくし、認めないわよ」
「え?」
自分を睨み上げてくる愛くるしいその顔を、リーゼロッテはお人形のようだとじっと眺めていた。
「あなたみたいな何もできないお飾りのような女がお兄様の婚約者だなんて、絶っ対に許せないわ!」
(美少女に罵倒されている……!)
あまりの衝撃度に口元に手を当て、よろりと一歩下がってしまった。ツェツィーリアはツンデレ美少女だったのか。よくわからないところに感動を覚えて、リーゼロッテははわはわとなって瞳を潤ませた。
「このくらいで動揺するだなんて。本当に無能なようね」
腕を組んでふんと鼻で笑われる。美少女は何をやっても絵になるものだ。
(再びツンデレいただきました! いえ、これはむしろデレツン? デレツンなの!?)
異世界に転生して、今日ほどテンションが上がった日はないのではないだろうか? そんなことを考えながら、リーゼロッテはツェツィーリアの人形のような顔にいまだ見とれていた。
「ねえ、ちょっと屈みなさい」
「こうでございますか?」
人差し指を下に向けられて、リーゼロッテは言われた通りにやや中腰となった。そのリーゼロッテの目の前に歩を進めると、ツェツィーリアはさらに不機嫌そうに小さな唇をへの字に曲げた。
陶器のようにきめ細やかな白い肌に、長すぎるまつ毛、青い瞳は春の日差しにきらめき、黒髪は濡れ羽色と表現するのがふさわしい。そんなツェツィーリアを間近で見やったリーゼロッテは、先ほどからずっと夢見心地のままだ。
「気に入らないわね」
リーゼロッテの胸元に下がっていた守り石を小さな手に取り、ツェツィーリアはぎゅっと握りしめた。
「これはあなたには相応しくないわ。わたくしが貰ってあげる」
守り石を乱暴に奪い取り、ツェツィーリアはいきなりチェーンを引きちぎった。勢いで手前にたたらを踏んだリーゼロッテは、ツェツィーリアに倒れ込まないようにと何とかその場で踏ん張った。
「ツェツィーリア様、わたくしそれがないと……!」
慌てて守り石を取り戻そうと手を伸ばすも、ツェツィーリアは距離を取るように素早く数歩飛びのいた。
「あなたには不相応と言ったでしょう? 身の程を知りなさい」
次の瞬間、青い守り石をぎゅっと握りしめたツェツィーリアの目の前で、リーゼロッテが真っ黒い塊に包まれた。
「ひっ」
一瞬の出来事に、ツェツィーリアは悲鳴を上げた。真っ黒い穢れの塊が、覆いつくすようにリーゼロッテが立っていた場所で蠢いている。耐え難いほどの禍々しさに、ツェツィーリアはその場で尻もちをついた。
何が起きているのか理解できない。恐怖だけが、ただツェツィーリアを支配した。
「リーゼロッテ!」
慌てたようなユリウスの声がする。その刹那、黒い塊の中から幾筋もの緑の光が放たれた。
まるで羽毛が舞い飛ぶかのように、黒い穢れがふわっと解けていく。その中心で浮いているのは、両手を小さく広げたリーゼロッテだった。瞳を閉じたままの顔を上向かせ、浄化の緑がその体を中心に放射状に広がった。
まるで祈りのようだ――幼いツェツィーリアはそんなことを思った。春の日差しの中、その浄化の緑は何の境目もなく広がって、そのままあるべき場所へと還っていく。
ふっと力が抜けたようにリーゼロッテの体が崩れ落ちていく。それを素早く受け止めたのは、いつの間にかこの場に来ていたジークヴァルトだった。
「ヴァルトお兄様……」
胸に奪った守り石を握り締め、ツェツィーリアは放心したようにジークヴァルトの顔を見上げた。逆光でよくは見えないが、リーゼロッテを腕に抱いたまま、ジークヴァルトは無表情で自分を見下ろしている。
「ツェツィー、少しおいたが過ぎたようだな」
そう言ってユリウスが、ツェツィーリアから守り石を取り上げた。
「自分が何をしたのか分かっているのか? 子供だからと言って許されない事もあるんだぞ」
いつになく厳しい口調のユリウスに、ツェツィーリアはその顔を青ざめさせた。
「ち、違うもの。わたくし、何もしてなんか……」
言い訳をしようにも言葉が出てこない。くやしくてじわりと涙がにじんできた。
「ユリウス様……ツェツィーリア様のおっしゃる通りですわ」
力ない声のままリーゼロッテは微笑んだ。
「ツェツィーリア様がジークヴァルト様の守り石を見てみたいとおっしゃるので、わたくしが自分ではずしてお渡ししました。そばにいれば問題ないと思ったわたくしが軽率でしたわ」
「このお転婆をかばったところで、ろくなことはないんだが……。まあ、そう言うことにしといてやるよ」
一部始終を見ていたユリウスは、仕方ないといったふうに肩をすくめて見せた。
「というわけで今回はお咎めなしだ。ただし、次はないと思えよ?」
へたり込むツェツィーリアを抱き上げると、ユリウスはサロンの入り口へと向かっていった。その後ろ姿を見送ってから、リーゼロッテはジークヴァルトの顔をおずおずと見上げた。
「ヴァルト様、わたくしまたご迷惑をおかけしてしまって」
もう自分で自分が嫌になる。この腕から降りなくてはと思うも、今はまるで力が入らない。
「お前に落ち度はない」
そっけなく言うと、リーゼロッテは部屋へと運ばれ、そのまま寝台の中へと押し込まれてしまった。
「今日はゆっくり休め」
それだけ言って、ジークヴァルトは部屋を後にした。
「わたくし、本当に無能だわ……」
「お嬢様……」
ぽつりと漏れ出た呟きに、そばにいたエラが悲しげな顔を向けた。ツェツィーリアの言うことは、何も間違ってなどいなかった。
その日リーゼロッテは、胸に抱いたアルフレートに慰められながら、涙ながらに一夜を明かした。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。ツンデレ美少女ツェツィーリア様に翻弄されながらも、フーゲンベルク家でお茶会の日を迎えたわたし。あのイザベラ様もやってきて、このお茶会、ただでは済まなそうな予感です!?
次回、3章第4話「哀れみの匙」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
「本日のティータイムは、サロンに用意してございます」
マテアスに連れられて廊下を進む。
「時間が取れそうでしたら、旦那様も顔をお出しになるそうですので」
「ご無理なさらないでいただきたいわ……」
「では、そのように申し伝えておきます」
そんな会話をしているうちに、サロンの入口へとたどり着く。だいぶ春めいてきて、大きな一面のガラス戸からは、暖かな日差しが差し込んでいた。
「マテアス……あの方は一体どなた……?」
よろりとよろけたリーゼロッテが、マテアスの二の腕の袖をきゅっと掴んだ。慌ててそれを受け止めながら、マテアスはサロンへと視線を向けた。
「ああ、あの方はツェツィーリア様、レルナー公爵家のご令嬢でございます。ユリウス様の姪に当たる方ですよ」
サロンのソファには、まっすぐな黒髪に青い瞳をした少女が座っていた。外をじっと眺めながら、床に届かない小さな足をつまらなそうにぷらぷらと揺らしている。
「ツェツィーリア様は旦那様のはとこで、エーミール様とは従兄妹でいらっしゃいます」
「なんて、なんて可愛らしい方なの……!」
長く艶やかなストレートの黒髪。つり気味の瞳はジークヴァルトに似た深い青で、桜色の小さな唇は少し不機嫌そうにつんと尖っている。フランス人形と日本人形をいいとこ取りして、足して二で割ったような美少女だ。
はわはわとなりながら掴む袖をさらに強く握りしめたリーゼロッテに、「はぁ、そうでございますねぇ」とマテアスは気のない返事を返した。
「まるでおとぎの国から妖精が舞い降りたよう……」
「まあ、そう言われて見ればそうとも思えなくもないですが」
頬を上気させてツェツィーリアにくぎ付けとなっているリーゼロッテをみやって、マテアスは再び中度半端な同意を返した。
(リーゼロッテ様の方が、よほど可憐な妖精に見えますけれどもねぇ……)
ツェツィーリアは確かに美少女の部類に入るのかもしれない。しかし、黒髪に青目のジークヴァルトを見慣れているマテアスとしては、明るい色の金髪に緑の瞳を持つリーゼロッテの方が、よほど幻想的な印象を抱いてしまう。
フーゲンベルク家にいる人間は、使用人も含めて大半が黒や茶色の暗い色の髪に青系か茶色の瞳を持つ者ばかりだ。そんなこともあって、リーゼロッテの意見には心から同意はできないでいた。
(それにツェツィーリア様ですからねぇ)
彼女の本性を知る身としては、妖精というより小悪魔だろうなどと口には出せないことを思ってしまう。
「はぁ……女の子っていいわよね……いるだけで場が華やぐというか、なんか、こう、そこにいてくれてありがとうって、本当にそういう感じよね」
ため息交じりにそう漏らしたリーゼロッテは、いまだに自分の袖を握り締めながらその緑の瞳を潤ませている。
「いえ、そのお言葉、そのままそっくりリーゼロッテ様にお返しして差し上げたいのですが……」
本心からそう言ったマテアスを、リーゼロッテは悲しそうに見上げてきた。掴んでいた袖から手を離し、そっと居住まいを正す。
「……ありがとう、マテアス」
「あの、そこでなぜそのようなお顔をなさるのでしょう?」
「いいの……わたくし、自分の容姿のことは十分に分かっているから……」
悟ったような表情でリーゼロッテは静かに瞳を伏せた。
「え? あの、いえ、リーゼロッテ様は本当にお美しいと使用人一同……」
「そうね、本当にありがとう。……ごめんなさい、マテアスに余計な気を使わせてしまったわね」
分かっているから、もうそれ以上言わなくていい。そんな雰囲気を醸し出されて、マテアスはまるで理解できないといった表情をした。
「遅いわよ、マテアス。どれだけわたくしを待たせるつもりなの?」
ふいに高い声がした。振り向くと、先ほどの美少女がぴょんとソファから飛び降りる。足がつかない高さの分だけ一生懸命さが伝わってくる可愛い動作に、リーゼロッテの胸はきゅんと高鳴った。
「申し訳ございません。先ぶれもなく来ていただいたものですから、こちらとしても最大限の対応をさせていただいているところにございます」
「ヴァルトお兄様はどこ? 今日はお兄様のお誕生日を祝うために来たのよ。早く呼んできなさい」
慇懃無礼に腰を折るマテアスに、ツンと顔をそらしてツェツィーリアはかぶせ気味に言葉を返した。つんな態度がまた愛くるしい。義弟のルカよりも少し年下くらいだろうか。ふたりを並べてみたら、それはそれは可愛らしく、何時間でも愛でていられるに違いない。
そんなことを思っていたリーゼロッテへと、ツェツィーリアが視線を向けてきた。
「マテアス、この方はもしかして……」
「この方はリーゼロッテ・ダーミッシュ伯爵令嬢様、旦那様の婚約者でいらっしゃいます」
「まあ、この方が!」
ぱあと花開くような笑顔を向けられ、リーゼロッテの小さな胸は再びきゅううんとなった。美少女の笑顔は破壊力が半端ない。女の子はもはや、そこにいるだけで正義なのだ。
「レルナー公爵令嬢様、お初にお目にかかります。リーゼロッテ・ダーミッシュと申します」
「わたくし、ヴァルトお兄様のお相手と一度お話ししてみたかったの! ね、リーゼロッテお姉様とお呼びしてもいい? わたくしのことも名前で呼んでいただきたいわ」
愛らしい小さな手できゅっと手を掴まれて、リーゼロッテはサロンの中へと引っ張っていかれた。子供の体温はなぜこうも高いのだろう。リーゼロッテ自身も高揚のあまり、熱が上がってしまいそうだ。
「お兄様はどうせお忙しくて、すぐには来られないのでしょう? わたくし、リーゼロッテお姉様としばらくお庭を散歩してくるわ」
そう言って、ぐいぐいとリーゼロッテを窓の方へと引っぱっていく。
「いけません! ツェツィーリア様!」
それを止めようとするマテアスを無視して、ツェツィーリアはリーゼロッテを庭へと連れだそうとした。
「大丈夫よ、マテアス。護衛の方もいらっしゃるのでしょう? サロンからは離れないようにするから心配しないで」
「そうよ、行きましょう、リーゼロッテお姉様」
ツェツィーリアの可愛さにときめきが止まらない。リーゼロッテは笑顔のままその手に引かれ、庭へと出ていった。
マテアスが庭を見やると、サロンのガラス戸の付近をふたりはゆっくりと歩いている。見えないように護衛をしていたユリウスが、さりげなくふたりの後をついて行ったようだ。ユリウスがそばにいるのならば、そう大事になることはないだろう。
「はあ、まったく……あの我儘ぶりは相変わらずですねぇ」
リーゼロッテの謙虚な態度に慣れてきてしまっていたマテアスは、小さくため息をついた。ジークヴァルトに報告しないと、後で何を言われるか分からない。そう思って、足早にその場を後にした。
◇
しばらく上機嫌な様子で手を引いていたツェツィーリアは、植木の茂みまでやってくると、いきなり乱暴な手つきでリーゼロッテの手を払いのけた。
くるりと振り返ったその顔は、ものすごく不機嫌そうだ。
「わたくし、認めないわよ」
「え?」
自分を睨み上げてくる愛くるしいその顔を、リーゼロッテはお人形のようだとじっと眺めていた。
「あなたみたいな何もできないお飾りのような女がお兄様の婚約者だなんて、絶っ対に許せないわ!」
(美少女に罵倒されている……!)
あまりの衝撃度に口元に手を当て、よろりと一歩下がってしまった。ツェツィーリアはツンデレ美少女だったのか。よくわからないところに感動を覚えて、リーゼロッテははわはわとなって瞳を潤ませた。
「このくらいで動揺するだなんて。本当に無能なようね」
腕を組んでふんと鼻で笑われる。美少女は何をやっても絵になるものだ。
(再びツンデレいただきました! いえ、これはむしろデレツン? デレツンなの!?)
異世界に転生して、今日ほどテンションが上がった日はないのではないだろうか? そんなことを考えながら、リーゼロッテはツェツィーリアの人形のような顔にいまだ見とれていた。
「ねえ、ちょっと屈みなさい」
「こうでございますか?」
人差し指を下に向けられて、リーゼロッテは言われた通りにやや中腰となった。そのリーゼロッテの目の前に歩を進めると、ツェツィーリアはさらに不機嫌そうに小さな唇をへの字に曲げた。
陶器のようにきめ細やかな白い肌に、長すぎるまつ毛、青い瞳は春の日差しにきらめき、黒髪は濡れ羽色と表現するのがふさわしい。そんなツェツィーリアを間近で見やったリーゼロッテは、先ほどからずっと夢見心地のままだ。
「気に入らないわね」
リーゼロッテの胸元に下がっていた守り石を小さな手に取り、ツェツィーリアはぎゅっと握りしめた。
「これはあなたには相応しくないわ。わたくしが貰ってあげる」
守り石を乱暴に奪い取り、ツェツィーリアはいきなりチェーンを引きちぎった。勢いで手前にたたらを踏んだリーゼロッテは、ツェツィーリアに倒れ込まないようにと何とかその場で踏ん張った。
「ツェツィーリア様、わたくしそれがないと……!」
慌てて守り石を取り戻そうと手を伸ばすも、ツェツィーリアは距離を取るように素早く数歩飛びのいた。
「あなたには不相応と言ったでしょう? 身の程を知りなさい」
次の瞬間、青い守り石をぎゅっと握りしめたツェツィーリアの目の前で、リーゼロッテが真っ黒い塊に包まれた。
「ひっ」
一瞬の出来事に、ツェツィーリアは悲鳴を上げた。真っ黒い穢れの塊が、覆いつくすようにリーゼロッテが立っていた場所で蠢いている。耐え難いほどの禍々しさに、ツェツィーリアはその場で尻もちをついた。
何が起きているのか理解できない。恐怖だけが、ただツェツィーリアを支配した。
「リーゼロッテ!」
慌てたようなユリウスの声がする。その刹那、黒い塊の中から幾筋もの緑の光が放たれた。
まるで羽毛が舞い飛ぶかのように、黒い穢れがふわっと解けていく。その中心で浮いているのは、両手を小さく広げたリーゼロッテだった。瞳を閉じたままの顔を上向かせ、浄化の緑がその体を中心に放射状に広がった。
まるで祈りのようだ――幼いツェツィーリアはそんなことを思った。春の日差しの中、その浄化の緑は何の境目もなく広がって、そのままあるべき場所へと還っていく。
ふっと力が抜けたようにリーゼロッテの体が崩れ落ちていく。それを素早く受け止めたのは、いつの間にかこの場に来ていたジークヴァルトだった。
「ヴァルトお兄様……」
胸に奪った守り石を握り締め、ツェツィーリアは放心したようにジークヴァルトの顔を見上げた。逆光でよくは見えないが、リーゼロッテを腕に抱いたまま、ジークヴァルトは無表情で自分を見下ろしている。
「ツェツィー、少しおいたが過ぎたようだな」
そう言ってユリウスが、ツェツィーリアから守り石を取り上げた。
「自分が何をしたのか分かっているのか? 子供だからと言って許されない事もあるんだぞ」
いつになく厳しい口調のユリウスに、ツェツィーリアはその顔を青ざめさせた。
「ち、違うもの。わたくし、何もしてなんか……」
言い訳をしようにも言葉が出てこない。くやしくてじわりと涙がにじんできた。
「ユリウス様……ツェツィーリア様のおっしゃる通りですわ」
力ない声のままリーゼロッテは微笑んだ。
「ツェツィーリア様がジークヴァルト様の守り石を見てみたいとおっしゃるので、わたくしが自分ではずしてお渡ししました。そばにいれば問題ないと思ったわたくしが軽率でしたわ」
「このお転婆をかばったところで、ろくなことはないんだが……。まあ、そう言うことにしといてやるよ」
一部始終を見ていたユリウスは、仕方ないといったふうに肩をすくめて見せた。
「というわけで今回はお咎めなしだ。ただし、次はないと思えよ?」
へたり込むツェツィーリアを抱き上げると、ユリウスはサロンの入り口へと向かっていった。その後ろ姿を見送ってから、リーゼロッテはジークヴァルトの顔をおずおずと見上げた。
「ヴァルト様、わたくしまたご迷惑をおかけしてしまって」
もう自分で自分が嫌になる。この腕から降りなくてはと思うも、今はまるで力が入らない。
「お前に落ち度はない」
そっけなく言うと、リーゼロッテは部屋へと運ばれ、そのまま寝台の中へと押し込まれてしまった。
「今日はゆっくり休め」
それだけ言って、ジークヴァルトは部屋を後にした。
「わたくし、本当に無能だわ……」
「お嬢様……」
ぽつりと漏れ出た呟きに、そばにいたエラが悲しげな顔を向けた。ツェツィーリアの言うことは、何も間違ってなどいなかった。
その日リーゼロッテは、胸に抱いたアルフレートに慰められながら、涙ながらに一夜を明かした。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。ツンデレ美少女ツェツィーリア様に翻弄されながらも、フーゲンベルク家でお茶会の日を迎えたわたし。あのイザベラ様もやってきて、このお茶会、ただでは済まなそうな予感です!?
次回、3章第4話「哀れみの匙」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。
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