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第2章 氷の王子と消えた託宣

番外編 《モノローグ》転生王女の回顧録(後)

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 ゲームの設定にはなかったことももちろんあった。
 いちばん大きな事象は、龍の存在だ。

 ブラオエルシュタインは建国以来、龍の加護を受けてきた。その力により長年平和が保たれてきたのだ。これは禁断のKRGでは出てこない話だった。

 そして、龍の託宣……この託宣を受けた者は、それに必ず従わなくてはならない。それに逆らおうとすると、恐ろしい龍の制裁が加わるのだ。

 うん、ラノベだね。これぞラノベ的展開だよね。

 託宣を受けた者には、龍のあざなるものが体に刻まれる。生まれたばかりのハインリヒの小さな手にも龍のあざがあった。
 母セレスティーヌの顔にもそれは刻まれていた。なぜだかハインリヒが生まれたときに消えてなくなったのだが。

 そして第一王女であるクリスティーナ姉様の手の甲にも、龍のあざは刻まれていた。
 王家の者として、託宣を賜らなかったのは、わたしと伯父のバルバナスくらいだ。こんなエピソードはゲームでは全く出てこなかった。

 何より、姉様が龍の託宣を受けたと知って、わたしの取るべき道はひとつしかないと思い当たった。

 禁断のKRGの隠しルート。
 それは、攻略対象の誰とも結ばれないエンドを迎えたときにのみ解放される、アランシーヌ国の第三王子と恋に落ちるストーリーだ。


 隠しルートの内容はこうだ。
 国同士の友好の一環として第一王女のクリスティーナが、アランシーヌの第一王子に嫁いでいく。そこでアランシーヌ国内で内紛が起こり、第二王子の手の者によってクリスティーナが暗殺されてしまうのだ。

 アランシーヌ国内の派閥争いからブラオエルシュタイン国との戦争にまで発展していく中、出会ったヒロインと第三王子のラブストーリーが展開していく。

 内容的には敵同士の禁断の恋で、カイルートとたいして変わりはないが、意外にもこのルートで死ぬのはクリスティーナ王女だけである。
 そして、アンネマリーがデッドエンドを迎えることのない、唯一のルートでもあった。

 このルートでは、クリスティーナ姉様が死ぬことになる。しかし、現実で姉様は龍の託宣を受けた身だ。
 龍から賜った託宣は、この国では絶対に無視することはできない。幸いにも姉様の受けた託宣は、隣国へと嫁ぐことはできないような内容らしかった。

 とするならば、託宣を受けなかった第二王女たる自分が、アランシーヌ国に嫁げばいいのではなかろうか。


 幸いわたしはこの隠しルートを一番やりこんでいた。第三王子のCVが、自分の大好きな声優だったのだ。

 第三王子アベルは禁断のKRGにおいて、わたしの一番の推しキャラだ。アベル王子は考えなしの猪突猛進型なオレ様王子だったが、その分まっすぐで裏表のないさっぱりとした性格だった。
 何より声がいい。その声で愛をささやかれるのはたまらなかった。

 ゲームではこのルートを開放する条件が厳しすぎて、脱落したユーザーがほとんどだった。それくらい攻略対象とのフラグを折るのがたいへんだったのだ。

 しかし、今実際に王女として過ごしている身としては、攻略対象たちとフラグを立てようとするほうがよほど困難に思えた。
 これはアランシーヌルートへ行くしかない。

 例え嫁ぐ先が推しの第三王子ではなく、ぼんくら第一王子なのだとしても。第一王子妃として命を狙われることになるだとしても。

 幸いアランシーヌ国でのパワーバランスも陰謀のからくりも、ゲームで知り尽くしている。むざむざ殺されに行くつもりはない。
 転生王女としてゲームとは違う結末を目指し、ハッピーエンドを迎えようではないか。

 当時二歳になったばかりのわたしは、そう決意を固めたのだった。


 アンネマリーが生まれた翌年、ラウエンシュタイン公爵家でリーゼロッテが誕生した。
 ゲーム通りになるのならば、母様の命はあと二年もない。信じたくはなかったが、ハインリヒを生んでからというもの母様の体調は悪くなる一方だった。

 わたしはできる限り母様と時間を共にした。
 アランシーヌ国の話をせがみ、アランシーヌの情報をたくさん聞きだした。

 ブラオエルシュタインとアランシーヌでは話す言葉も文化も違う。ゲームでは言葉の壁など存在しなかったが、現実はそう簡単にはいかないようだ。

 母様と話すときは、ほぼアランシーヌの言葉で会話した。わたしの異常にも思えるあまりの必死な態度に、母様も戸惑っていたようだ。

 そんなある日、母様に言われた。何か事情があるのだろうと。
 自分はもう長くない。協力は惜しまないから、そこまで必死になる理由を話してくれないかと。

 わたしは泣いた。
 必死すぎて自分でも気づいていなかったのだろう。どうなるかわからない未来のためにがむしゃらにあがく日々は、孤独で空恐ろしいものだった。

 泣きながらわたしはすべてを話した。前世の事。ゲームのこと。これから起こるかもしれないこと。

 セレスティーヌ母様は、何一つ否定することなく、わたしの話す事すべてを受け入れてくれた。ただ、バルバナスルートのBL話あたりでは、肩を始終震わせていた。

 最愛の夫への侮辱に耐えかねたのかと不安になったが、よく見るとどうやら必死に笑いをこらえているようだった。しばらくの間、母様はこの国の王である父の顔を見るたびに、同じようにその細い肩を震わせていた。


 母様はそれ以来、アランシーヌ国の内情を事細かに教えてくれた。貴族間の微妙なバランス。アキレス腱となり得るウィークポイント。
 それはゲームと共通することもあったし、はじめて聞くような内容も多くあった。それは味方として取り込むための情報だったり、政敵を脅す切り札となるような危うい情報まで、事細かに伝授してくれた。

 いずれなる王子妃として侮られない振舞い方、嫌味な相手のあしらい方、相手を手中に収める手腕手管、心理戦に負けない心がまえなど、ありとあらゆることをわたしは死に物狂いで母から学んだ。


 しかしその時間は長くは続かなかった。母様はゲームと同じく、ハインリヒが三歳を迎える前に急逝してしまったからだ。

 隣国の言葉に関しては、母様が輿入れしたときにアランシーヌから連れてきた侍女が引きついで徹底的に仕込んでくれた。
 母様が亡くなったその時点で、彼女は祖国に帰ることもできたはずだが、母様の意をくんでそのままブラオエルシュタインに残ってくれた。

 彼女は厳しかったが、おかげでわたしの語学力ははめきめきと上達していった。
 母国語といってはばからないほど流暢に会話できるようになるまで、さほど時間はかからなかった。ここは素直に感謝しよう。ヒロインチート、万歳であると。


 それから先はゲームと同じこと、違うこと、いろいろあった。

 ジークヴァルトとリーゼロッテはやはり婚約関係となっていた。しかし、それは龍の託宣によるものだと聞き、それではゲームのようにヒロインとのルートが発生するはずもない。

 しかもリーゼロッテは伯爵家に養子に出されたらしい。なぜそうなったのか、母親のマルグリットがどうなったのか、放った子飼いの諜報員にも調べることはできなかった。

 イジドーラ公爵令嬢は、父様の後添えとして迎え入れられ王妃となった。
 ゲームではイジドーラ自身が王妃の地位を狙って画策していたが、実際は母がイジドーラを王の後添えとして迎えるようにと遺言を残し、父がそれに従った結果だ。

 実際のイジドーラ義母様は、頼もしいの一言だった。貴族社会の荒波を乗り越えてきた彼女は、わたしの良き師匠となった。

 妹のピッパの誕生も大きかった。イジドーラ義母様が父と子を成す設定などゲームにはなかったので、順調にゲームから話が逸れていっている証だった。
 父の色彩にそっくりな妹は快活な性格で、わたしは彼女の存在におおいに救われた。


 そして、とうとうアランシーヌの王子との縁談話がや隣国からやってきた。わたしが十五歳、ブラオエルシュタインで成人を迎えた年だ。

 しかしその縁談の相手は第一王子ではなく、かつての推し、第三王子だった。第一王子はすでに他国の姫と婚姻を果たしていたのだ。

 わたしは混乱した。
 攻略対象たちとフラグが立たないよう細心の注意を払い、ようやく上がった縁談話に、いよいよこれからが本番だと意気込んでいたのに、いきなり出鼻をくじかれた形となった。

 もっとも、第一王女であるクリスティーナ姉様がアランシーヌに嫁がない時点で、ゲームとは完全に違う道をたどっているのかもしれない。

 しかしゲームと展開がずれてきたからと言って、まだまだ油断することはできなかった。
 アランシーヌルートではアンネマリーの死亡エンドはないものの、彼女に全く危険がないというわけではないのだ。

 アンネマリーは今、父親の侯爵と共にアランシーヌで暮らしている。それだけでも気が気ではないのだが、アンネマリーがらみのイベントが起きるのは、アランシーヌで王子との婚儀が済んだ後のことだ。

 ゲームでは異国に嫁いだ王女のサポートとしてアンネマリーがついていく展開なのだが、実際にもわたしが第三王子妃となったら、アランシーヌの文化に詳しいアンネマリーが話し相手として選ばれることだろう。

 起こるイベントとしては、アランシーヌの王宮内でアンネマリーが何者かに襲われそうなる。対応を間違えなければ、イベントは未遂として回避できるのだ。アンネマリーに怖い思いをさせることは避けられないが、ゲームではそれがアンネマリーにとっての最良かつ最善のストーリーだった。


 この時点でわたしはまだ、アンネマリーに実際には出会えていなかった。
 現実の彼女がどんな令嬢だったとしても、必ず守ると誓った。そのために今までたゆまぬ努力を続けてきたのだから。

 最後に母様がくれた言葉を胸に、十六歳になったわたしはアランシーヌの第三王子のもとへ嫁いでいった。


 アランシーヌでわたしの目の前に現れた本物のアンネマリーは、亜麻色の髪の天使だった。
 ふわふわのやわらかい髪、たれ気味の瞳はやさしい水色で、その瞳で微笑まれると思わずぎゅっと抱きしめてしまう。

 ふたりで過ごしたのは二年に満たない短い時間だった。それは今までの苦労をすべてチャラにして尚余りある、多大な幸福をわたしに与えてくれた。

 アンネマリー救出イベントもそつなくこなし、わたしが知り得る彼女の危険はすべて回避することができた。
 アンネマリーが帰国した今、会えないことは寂しいけれど、彼女がしあわせになることこそ、転生したわたしの究極の最終目標だ。

 それに夫となった第三王子の生ボイスを毎日聞く生活も悪くない。
 アベル王子はゲーム通り少しばかり短絡的なオレ様王子だったが、素直な性格もまたゲーム通りで……。
 母様直伝の心理操作術をもってすれば、その彼を可愛くしつけることなどこのわたしにはたやすいことだった。


 ここ三年近く、アランシーヌで順調に味方を増やしてきた。アベル王子の子供をこの身に宿し、王子妃の立場も盤石となってきている。

 今の自分の課題は、お腹に宿る小さな命を守り切ること。
 これからはゲームのシナリオにはないことばかりだが、どんな事態に遭遇しようとドンとこいだ。今まで重ねた努力の成果をいかんなく発揮できるというものだ。

 そして今日、アンネマリーから便りが届いた。
 アンネマリーと弟のハインリヒとの婚約が正式に成立したのだ。諜報員から情報は届いていたが、本人からの報告がなによりうれしい。

 ああ、アンネマリーはこれからめいっぱいしあわせになるのだ。
 これから彼女の肩には、否応なしに王太子妃としての重圧がのしかかってくることだろう。わたしはそばにいてあげることはできないけれど、イジドーラ義母様がついていればきっと大丈夫だ。

 ハインリヒには、公務中はアンネマリーの胸ばかりを注視しないよう手紙を書いて送っておいた。
 祖国に出す手紙は漏れなく内容を検分されるため、わざわざブラオエルシュタイン王家のみに伝わる暗号を用いて書いた。姉として弟へのせめてもの気遣いだ。

 ゲームのスチルでハインリヒの視線は、やたらとヒロインの胸に向かっていたし、ハインリヒがオッパイ星人なのは、現実のこの世界でも折り紙付きだ。ずっと成長を見守ってきた姉が言うのだから、これは絶対に間違いない。

 大好きよ、アンネマリー。
 あなたはわたしの生きる道しるべ。
 ハインリヒに泣かされたら、わたしにすぐ言うのよ。
 その時はハインリヒの恥ずかしい秘密を教えてあげる。

 ただ、ハインリヒのオッパイ愛だけは見逃してほしいわ。
 それだけはもう逃れられない宿命なの。あなたの豊かな胸で受け止めてあげて。

 でもこれからあなたを守るのはずっとハインリヒなのね。
 それがちょっと悔しい。
 ああ、でも、そうね。
 あなたがしあわせなら、わたしはなんだっていいわ。
 遠い異国で、いつだってあなたのしあわせを願ってる。

 そんなポエムを胸のうちで展開していた時、夫たる第三王子がノックもせずにわたしの部屋に入ってきた。椅子に座ったまま目線だけをそちらに向ける。

「あら、アベル様、ごきげんよう」
「なんだ? その他人行儀は」

 普段は呼び捨てにする名をわざわざ様付けで呼んだわたしに、アベル王子は形のいい眉を片方だけ上げた。
 わたしはアベル王子とケンカをするたびに、慇懃無礼な態度をとることにしている。

「まだつわりがひどいのか?」

 わたしが怒る理由が思いあたらなかったのだろう。わたしの大きくなったお腹を見やりながら、王子はそんな的外れなことを言ってきた。

「……アンネマリーのデビューを邪魔しに行ったそうね? 身重のわたくしを置き去りにして。しかも無理矢理アンネマリーと踊ったそうではない? このわたくしを差し置いて。イジドーラ王妃に事を収めさせて、ディートリヒ王の不興を買って、のこのこと逃げ帰ってきた上に、そのことをわたくしに黙っていたなんて」

 わたしもその場にかけつけたかったのに。社交界デビューは一生に一度のことなのに。
 白のドレスを身に纏ったアンネマリーをこの目で見たかった。なんなら一緒に踊りたかった。

 わたしの発した言葉にびくりと体を震わせたアベルには、王子としての威厳や風格はかけらも見いだせない。

「そそそんな昔のことを蒸し返されてもだな……」

 なにが昔なものか。母国で行われたデビュタントのための夜会は、ほんの二カ月前のことだ。

「そこでアベル様は、アンネマリーに側妃になるよう強要したそうね?」

 底冷えするような声音で言ってやった。アベル王子はガタガタと震えている。

「あああああれはだな、お祝い代わりの戯れというか、緊張をほぐすための可愛い冗談というか……それに、そうすればお前もずっとアンネマリーをそばにおいておけるだろう。そうだ! お前のことを思ってそれでオレは……」

 なおも言いつのろうとするアベル王子に、わたしはにっこりと微笑んで見せた。

「それで? オレは? なんですの?」
「そそそそそれでオレは、オレはだな…………すっすみませんでしたぁっ」

 見事なスライディング土下座をアベル王子は披露してくれた。これも教育の賜物だ。

「あら? 何がすみませんなのかしら?」

 すんとした表情で言い放つと、アベル王子は床に頭を擦り付けんばかりに平伏してくる。
 ひれ伏す夫に気づかれない程度の笑みが、この口元から思わず漏れた。こんな毎日も愛おしく感じる。


 乙女ゲームに翻弄され今日まで必死に生きてきたけれど。

 アンネマリー、あなたがしあわせでいてくれるから、わたしはゲームの世界と現実を、切り離すことができた。

 わたしを取り巻くこの環境は陰謀渦巻く危険を孕んだものだけれど、イケボの愛する夫もいる。守るべき新たな命もここに宿っている。
 今度は何を目標に生きていこう。でもそのためにはまずわたしがしあわせにならなくちゃ。


 わたしの名はテレーズ・ド・アランシーヌ。

 歩んできたこの数奇な人生も悪いものじゃなかった。そう言って旅立つ日まで、わたしはあがき続けるのだ。
 母様のいるところに、胸を張って行けるように。

 でもそれはまだまだ先の話。
 それまでは思うように生きていこう。決して後悔などしないように。母様が残してくれた、あの言葉をこの胸に抱いて。
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