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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
どれくらいの時間が経っただろうか。ハインリヒはふたりきりのその部屋で、静かにアンネマリーの水色の瞳を見つめていた。零れ落ちる涙をそのままに、アンネマリーもじっと自分を見返してくる。
あの庭に戻ったような錯覚に陥った。手を伸ばせば届きそうな距離に、アンネマリーが座っている。
だが、陽だまりのような彼女の瞳は、今、怯えで曇っていた。震える肩を抱き寄せて、その涙をこの手で拭ってやりたい。そんな衝動が込み上げてくる。
(このまま時が止まってしまえばいい)
そうすれば、アンネマリーをもう誰の手にも触れさせることはない。国も立場もすべて忘れて、永遠にふたりで凍ってしまいたかった。
不意に気配を感じた。カリカリカリ……と何かが外から扉をひっかくような音がする。
アンネマリーに視線を戻すと、縋るようにこちらを見ていた。可哀そうなくらい震える姿を見やり、ハインリヒはぎゅっと眉間をよせた。
「君はそこにいて」
静かに立ち上がり、扉の前で外の気配をうかがう。人がいるような気配はしないが、そこにある違和感はぬぐえなかった。
「もう少し奥に下がって」
アンネマリーを安全そうな位置へと誘導する。アンネマリーが部屋の中央辺りに移動すると、ハインリヒは再び扉の外へと注意を向けた。
カリカリ言っていた音は聞こえなくなっている。気のせいだったのかと思った時に、扉の外から小さな声で「ぶな」と聞こえた。
「……殿下?」
アンネマリーがつぶやいた。思わず振り返ると、アンネマリーが懇願するように見上げてくる。
「先ほど猫の殿下を廊下で見かけました。もしかしたら王子殿下をここまで追ってきたのかもしれません」
猫の殿下が危険な廊下にいるのが心配なのだろう。そうは思うが、殿下はとても臆病な性格だ。こんな騒ぎの時にわざわざ姿をあらわすとは思えない。
(わたしの姿を見て追ってきた可能性もあるかもしれない……)
アンネマリーの手前もあり、罠を前提に一度確認することを決める。ハインリヒは剣の柄に手をかけた状態で、慎重に扉を開けた。
「殿下? そこにいるのか?」
隙間から覗くも、猫の殿下は姿をあらわさない。仕方なくそのまま閉めようとすると、前触れなく扉の縁をガっと掴まれた。そのまま乱暴に開け放たれる。剣を振りかざした邪気を纏う貴族が、ハインリヒに襲い掛かった。
アンネマリーが声なき悲鳴を上げる中、ハインリヒは冷静に鞘に収めたままの剣を、込めた力と共にその騎士へと突き上げた。騎士は打たれた以上の力で跳ね返され、床にもんどりうって動かなくなる。
再び扉をきつく閉め、ハインリヒは鍵を素早くかけた。
「やはり罠だったか」
そうひとりごち、小さく息をつく。明らかに仕組まれた混乱だ。どこかにこの騒ぎの元凶がいるはずだ。
「王子殿下……」
消え入りそうな声に振り返る。気の弱い令嬢ならば、今頃は気絶していてもおかしくないだろう。気丈にもそこに立つアンネマリーを、ハインリヒは眩しそうに見た。
開けた扉から、不穏な波動が掻き消えていく気配が感じられた。それと共にざわついていた異形たちも静まっていったようだ。おそらくバルバナスたち騎士団が城塞から到着したのだろう。そう結論付けて、ハインリヒは安心させるようにアンネマリーに静かに言った。
「問題ない。殿下は気まぐれだ。今頃わたしの部屋にいるだろう。それに、伯父上が到着したようだ。直に騒ぎも平定される。だからもう少しだけ辛抱してほしい」
泣き笑いのような表情になって、アンネマリーは小さくうなずいた。
どれくらいの時間が経っただろうか。ハインリヒはふたりきりのその部屋で、静かにアンネマリーの水色の瞳を見つめていた。零れ落ちる涙をそのままに、アンネマリーもじっと自分を見返してくる。
あの庭に戻ったような錯覚に陥った。手を伸ばせば届きそうな距離に、アンネマリーが座っている。
だが、陽だまりのような彼女の瞳は、今、怯えで曇っていた。震える肩を抱き寄せて、その涙をこの手で拭ってやりたい。そんな衝動が込み上げてくる。
(このまま時が止まってしまえばいい)
そうすれば、アンネマリーをもう誰の手にも触れさせることはない。国も立場もすべて忘れて、永遠にふたりで凍ってしまいたかった。
不意に気配を感じた。カリカリカリ……と何かが外から扉をひっかくような音がする。
アンネマリーに視線を戻すと、縋るようにこちらを見ていた。可哀そうなくらい震える姿を見やり、ハインリヒはぎゅっと眉間をよせた。
「君はそこにいて」
静かに立ち上がり、扉の前で外の気配をうかがう。人がいるような気配はしないが、そこにある違和感はぬぐえなかった。
「もう少し奥に下がって」
アンネマリーを安全そうな位置へと誘導する。アンネマリーが部屋の中央辺りに移動すると、ハインリヒは再び扉の外へと注意を向けた。
カリカリ言っていた音は聞こえなくなっている。気のせいだったのかと思った時に、扉の外から小さな声で「ぶな」と聞こえた。
「……殿下?」
アンネマリーがつぶやいた。思わず振り返ると、アンネマリーが懇願するように見上げてくる。
「先ほど猫の殿下を廊下で見かけました。もしかしたら王子殿下をここまで追ってきたのかもしれません」
猫の殿下が危険な廊下にいるのが心配なのだろう。そうは思うが、殿下はとても臆病な性格だ。こんな騒ぎの時にわざわざ姿をあらわすとは思えない。
(わたしの姿を見て追ってきた可能性もあるかもしれない……)
アンネマリーの手前もあり、罠を前提に一度確認することを決める。ハインリヒは剣の柄に手をかけた状態で、慎重に扉を開けた。
「殿下? そこにいるのか?」
隙間から覗くも、猫の殿下は姿をあらわさない。仕方なくそのまま閉めようとすると、前触れなく扉の縁をガっと掴まれた。そのまま乱暴に開け放たれる。剣を振りかざした邪気を纏う貴族が、ハインリヒに襲い掛かった。
アンネマリーが声なき悲鳴を上げる中、ハインリヒは冷静に鞘に収めたままの剣を、込めた力と共にその騎士へと突き上げた。騎士は打たれた以上の力で跳ね返され、床にもんどりうって動かなくなる。
再び扉をきつく閉め、ハインリヒは鍵を素早くかけた。
「やはり罠だったか」
そうひとりごち、小さく息をつく。明らかに仕組まれた混乱だ。どこかにこの騒ぎの元凶がいるはずだ。
「王子殿下……」
消え入りそうな声に振り返る。気の弱い令嬢ならば、今頃は気絶していてもおかしくないだろう。気丈にもそこに立つアンネマリーを、ハインリヒは眩しそうに見た。
開けた扉から、不穏な波動が掻き消えていく気配が感じられた。それと共にざわついていた異形たちも静まっていったようだ。おそらくバルバナスたち騎士団が城塞から到着したのだろう。そう結論付けて、ハインリヒは安心させるようにアンネマリーに静かに言った。
「問題ない。殿下は気まぐれだ。今頃わたしの部屋にいるだろう。それに、伯父上が到着したようだ。直に騒ぎも平定される。だからもう少しだけ辛抱してほしい」
泣き笑いのような表情になって、アンネマリーは小さくうなずいた。
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