ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第2章 氷の王子と消えた託宣

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     ◇
 ふぁ、とあくびを噛み殺しながら、ニコラウスは馬を走らせていた。目の前を行く馬車にはアデライーデが乗っている。その横を馬で並走しているのがエーミールだ。

(グレーデン家の貴公子は手綱さばきも様になってるなぁ)

 あそこまで完璧な男前だと、もはや敵愾心も抱かない。顔良し、身分良し、能力高しだ。

 エーミールの協力もあって、グレーデン家の調査も無事に終えることができた。これで調書もなんとか形になるだろう。
 思ったより調査が早く終わったため、これ幸いと明け方に仮眠を取ろうとしたニコラウスは、エーミールとの剣の手合わせに付き合わされた。結局は寝られずじまいで帰還となった。

(話には聞いてはいたが、エーミール様の剣裁き、ほんとやばかったな)

 あの細身から繰り出される鋭い剣先に、幾度も冷や冷やさせられた。寝不足もあったが、それはエーミールも同じ条件だ。初めは上位貴族を傷つけないよう手を抜いていたニコラウスは、気づくと本気モードで手合わせをしていた。そのくらいでないと、確実に怪我をしていたことだろう。

(エーミール様、騎士団に入ってくれないかなぁ)

 騎士としての腕も立ち、なによりもエーミールは力ある者だ。アデライーデの親戚でもあるし、自分の負担が相当軽くなるに違いない。

 そんなことを思いながら、再びあくびを噛み殺す。気を抜くと居眠りをして落馬してしまいそうだ。

(そんなことになったら、アデライーデに大笑いされるな)

 笑顔でいてくれるなら、それでもいいか。そんな馬鹿な考えがよぎるのも、きっと寝不足のせいに違いない。

 グレーデン家から、なぜだかニコラウスもフーゲンベルク家に向かうことになった。そのまま王城か砦の城塞へ直帰するのだろうと思っていたので、少しばかり驚いたのだが、公爵家で異形の調査に手間取っているのかもしれない。そう思うとニコラウスは手綱と共にその身を引き締めた。

 他にも気にかかることがある。最近のアデライーデの態度は、いつも以上におかしく感じられた。バルバナスに対してやたらと反抗的だ。

(公爵家で、面倒なことが起きないといいけどな)

 出そうになったため息は、結局は大きなあくびとなった。馬が切る風の寒さで、目じりの涙はあっという間に氷と化した。

     ◇
 馬車から降り立ち、堅牢な石造りの城を見上げる。

 高い石垣を囲むのは、深くえぐられた大きな堀だ。その堀には、底が見えるほどに透き通ったみどりの水がたたえられている。この水は、極寒の真冬でも凍ることはない。ただ静かに、水面みなもが風にゆらされるだけだ。

 その堀の上を、長い跳ね橋がゆっくりと下ろされていく。その様子を、イグナーツは黙って見守っていた。

(相変わらず牢獄のような城だ)

 ここは初めの印象と何も変わらない。だがイグナーツにとっては、どうでもいいことだ。マルグリットがいるそこだけが、いつでも自分のいるべき場所だった。
 だから、マルグリットがいた日々も、いなくなってしまった今この時も、ここはなんの意味も持ちはしない。それでもイグナーツは、その場所へ行かなくてはならなかった。マルグリットの横に立つ、唯一の男として。

 下り切った跳ね橋へと足を踏み出し、開かれていく城の鉄門を目指す。近づくほど変わっていく空気の流れを、イグナーツは全身で感じ取っていた。この城はいつでも清廉な気が漂っている。体に残った夕べの酒も、一瞬で吹き飛ばされる勢いだ。

 イグナーツが城の門の前までたどり着くと、見計らったかのように、跳ね橋が再び持ち上がっていく。碧の湖の真ん中に取り残されたようなこの城は、選ばれたもの以外は近づくことすら許されない。
 孤城の高い鉄門を過ぎると、その門も無人のまま、閉じていった。

 雪の積もる石畳を進む。
 マルグリットの姿を初めて見た場所。初めてあの体に触れた場所。逃がさないように捕まえて、その唇に深く口づけた場所。

 進みながら様々な思い出が蘇る。

 ここはリーゼロッテがはじめて立って歩いた場所だ。こっちの広場では、何もない所でリーゼロッテがよく転んでいた。泣きじゃくるリーゼロッテをやさしく抱きしめるマルグリット。
 それを満たされた気持ちで眺めていたのはこの自分だ。

 リーゼロッテをここにひとり残すわけにはいかなかった。石の牢獄の中、いつ帰るか知れない父親を待つだけの生活を、リーゼロッテに強いることはできなかった。
 リーゼロッテが受けた託宣を盾に、ディートリヒ王に願い出た。たったそれだけが、父としてリーゼロッテにしてやれたことだ。

(どのみち、オレにはマルグリットしか選べない)

 何を言っても言い訳だ。自分は娘を捨てた。いつかマルグリットを取り戻したとして、あの日々が戻ってくることはないだろう。

 城の奥へと進む。その寒々しい広いエントランスで待ち構えていたのは、ひとりの痩せた老女だった。背筋をぴしりと正し、イグナーツへと腰を折る。

「お帰りなさいませ、イグナーツ様」
「ご要望通り、きちんと、戻ってきましたよ」

 書状を広げ嫌味のように言うが、老女の表情が変わることはない。出会ってから二十年は立つものの、この老女が笑った姿などイグナーツは一度たりとて見たことがなかった。

「イグナーツ様には公爵代理としての務めを果たしていただかねばなりません。今年も書類がたまっておりますので、冬の間にすべてお目をお通しになってください」
「領地も持たないこの家で、どうしてそんなに、書類がたまると言うのでしょうか。まったく、理解に苦しみます」

 ラウエンシュタイン家のやりくりは、すべて家令である彼女に任せると、そう委任状にサインしてある。それなのに、なぜ毎年毎年同じような書類に目を通さねばならないというのか。

「国で決められたことでありますれば、公爵代理としての責をしっかりとご全うしていただきたく存じます」

 血の通わない鉄のような家令から、イグナーツはあきらめたように目をそらした。

「その前に、彼女に会いに行きます」
「本日は神官様の祈りの儀が行われております。どうぞご承知おきください」

 静かに腰を折る家令の言葉に、イグナーツはとてつもなく嫌そうな顔をした。

「今日は誰が来ていますか?」
「レミュリオ神官でございます」
「そうですか……」

 行く先を睨みつけると、イグナーツは家令を残して、その部屋へとひとり向かった。
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