347 / 528
第2章 氷の王子と消えた託宣
6
しおりを挟む
ジョンを振り返る。そこにはリーゼロッテを守るように、カークが両手を広げて立っていた。
『レオン・カーク……! お前さえいなければぁっ』
追憶の続きのまま、ジョンの憎しみが増幅していく。燃え上がる紅の炎が、カークへと一直線に向けられた。何もかもを焼き尽くすそれは、何も生み出すことのない虚無の炎だ。
目の前でその灼熱にカークが飲まれた。同時にカークの思いが掻き消えていく。
「駄目よ、駄目! カーク、戻ってきて! やめてジョン! ジョン! ジョバンニ――っ!」
ジークヴァルトの腕の中、リーゼロッテは悲鳴のようにただ叫んだ。その瞬間、リーゼロッテの体から、緑の光がほとばしる。その光はカークの体を追い越して、灼熱を押し戻すようにジョンひとりを目ざした。
その場にいた誰もが動けなかった。ある者は意識を飛ばし、ある者は膝をつく。いまだにそこに立っていたのは、バルバナスと、リーゼロッテを抱えあげているジークヴァルトだけだ。
苛むようなジョンの憎悪が、一瞬で清廉な気に置き換わる。急激なその変化に、一同はさらに苦悶のうめき声を上げた。
リーゼロッテの力が、枯れ木ごとジョンをすべて包んでいく。その緑はまるで繭玉のような大きな塊を作り、全てを覆い隠していった。
「一体、何が起きたってんだ――?」
乾いたバルバナスの呻き声が響く。
「ダーミッシュ嬢!」
ジークヴァルトの腕の中で、リーゼロッテが力なく崩れ落ちる。片膝の上にその背を乗せ、ジークヴァルトは震える手つきで、色を失った唇に小さな菓子を差し入れた。
咀嚼されることなく、その菓子は雪の上にこぼれ落ちた。リーゼロッテの顔色は、もはや蝋人形のように白い。
懐から取り出した小瓶の蓋を親指の腹で乱暴に開けると、ジークヴァルトはその中身を一気にあおった。
ためらいなくジークヴァルトはリーゼロッテに口づけた。冷たい唇を自らの舌でこじ開け、含んだ糖蜜をその口内へと注いでいく。
こくりとのどが鳴る音がした。少しずつ少しずつ、リーゼロッテの嚥下に合わせるように、残りの蜜をその中へと落としていった。
含んだ蜜がなくなると、ジークヴァルトは一度唇を離した。微かな呼吸がゆっくりと繰り返される。後ろ手に手のひらを向けると、すかさずマテアスが同じ小瓶をその手に乗せた。
その中身を一気にあおる。再びリーゼロッテの唇を塞ぎ、確かめるようにゆっくりと蜜を注ぐ。
こくりとのどを鳴らしながら、リーゼロッテの舌がもっととそれを求めてくる。応えるように舌を絡ませ、ジークヴァルトは慎重にすべての蜜を流し込んだ。
最後のひとくちを飲み込むと、リーゼロッテは小さく息をついた。頬に赤みがさしている。ほっとするのも束の間、晴れた空が急激に曇りだし、一気に雪が吹きすさび始めた。
「ちっ! 撤退だ! 動ける奴は意識のない者を順に運べ! ひとりも忘れず回収しろよ!」
そう叫んだバルバナス自身も、近くで倒れ伏していた騎士をひとりその肩へと担ぎ上げた。
去り際に振り返る。泣き虫ジョンを包んだ繭玉は、瞬く間に吹雪に覆い隠されていく。
雪に埋もれて誰ひとり近寄れなくなった異形の調査は、春の雪解けを迎えるまで、一時、打ち切られることとなった。
◇
辻馬車から降り立ったその男は、凝った背中を伸ばすためにぐっと両腕を上げた。肩口まで伸びた銀髪を揺らし、こきこきと首を何度か鳴らす。
「ったく、今年はひどい目にあったぜ」
そうひとりごち、足元に置いてあった荷物を拾い上げる。
龍の目前まであと僅かまで来て、気づくと麓の村の入り口に飛ばされていた。まさに一瞬の出来事だった。何か月もかけて分け入った山頂の間際、あと一歩というところで振り出しに逆戻りだ。
龍のいやらしさに、もはや覚えるのは殺意ばかりだ。
だが、確かに手ごたえはあった。いまだかつてなく、彼女の気配を近くに感じたのだから。
(マルグリット……次こそはお前を取り戻す)
その男――イグナーツはゆっくりと振り返る。遠く煙る山脈を、睨むようにじっと見据えた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。ウルリーケ様に会うために、グレーデン家へと向かったアデライーデ様。それに気づいたバルバナス様は、連れ戻すべく雪の中馬を走らせます。そんな最中、王都へと戻ったイグナーツ父様に、カイ様は会いに行って……?
次回、2章第23話「求めゆく者」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
『レオン・カーク……! お前さえいなければぁっ』
追憶の続きのまま、ジョンの憎しみが増幅していく。燃え上がる紅の炎が、カークへと一直線に向けられた。何もかもを焼き尽くすそれは、何も生み出すことのない虚無の炎だ。
目の前でその灼熱にカークが飲まれた。同時にカークの思いが掻き消えていく。
「駄目よ、駄目! カーク、戻ってきて! やめてジョン! ジョン! ジョバンニ――っ!」
ジークヴァルトの腕の中、リーゼロッテは悲鳴のようにただ叫んだ。その瞬間、リーゼロッテの体から、緑の光がほとばしる。その光はカークの体を追い越して、灼熱を押し戻すようにジョンひとりを目ざした。
その場にいた誰もが動けなかった。ある者は意識を飛ばし、ある者は膝をつく。いまだにそこに立っていたのは、バルバナスと、リーゼロッテを抱えあげているジークヴァルトだけだ。
苛むようなジョンの憎悪が、一瞬で清廉な気に置き換わる。急激なその変化に、一同はさらに苦悶のうめき声を上げた。
リーゼロッテの力が、枯れ木ごとジョンをすべて包んでいく。その緑はまるで繭玉のような大きな塊を作り、全てを覆い隠していった。
「一体、何が起きたってんだ――?」
乾いたバルバナスの呻き声が響く。
「ダーミッシュ嬢!」
ジークヴァルトの腕の中で、リーゼロッテが力なく崩れ落ちる。片膝の上にその背を乗せ、ジークヴァルトは震える手つきで、色を失った唇に小さな菓子を差し入れた。
咀嚼されることなく、その菓子は雪の上にこぼれ落ちた。リーゼロッテの顔色は、もはや蝋人形のように白い。
懐から取り出した小瓶の蓋を親指の腹で乱暴に開けると、ジークヴァルトはその中身を一気にあおった。
ためらいなくジークヴァルトはリーゼロッテに口づけた。冷たい唇を自らの舌でこじ開け、含んだ糖蜜をその口内へと注いでいく。
こくりとのどが鳴る音がした。少しずつ少しずつ、リーゼロッテの嚥下に合わせるように、残りの蜜をその中へと落としていった。
含んだ蜜がなくなると、ジークヴァルトは一度唇を離した。微かな呼吸がゆっくりと繰り返される。後ろ手に手のひらを向けると、すかさずマテアスが同じ小瓶をその手に乗せた。
その中身を一気にあおる。再びリーゼロッテの唇を塞ぎ、確かめるようにゆっくりと蜜を注ぐ。
こくりとのどを鳴らしながら、リーゼロッテの舌がもっととそれを求めてくる。応えるように舌を絡ませ、ジークヴァルトは慎重にすべての蜜を流し込んだ。
最後のひとくちを飲み込むと、リーゼロッテは小さく息をついた。頬に赤みがさしている。ほっとするのも束の間、晴れた空が急激に曇りだし、一気に雪が吹きすさび始めた。
「ちっ! 撤退だ! 動ける奴は意識のない者を順に運べ! ひとりも忘れず回収しろよ!」
そう叫んだバルバナス自身も、近くで倒れ伏していた騎士をひとりその肩へと担ぎ上げた。
去り際に振り返る。泣き虫ジョンを包んだ繭玉は、瞬く間に吹雪に覆い隠されていく。
雪に埋もれて誰ひとり近寄れなくなった異形の調査は、春の雪解けを迎えるまで、一時、打ち切られることとなった。
◇
辻馬車から降り立ったその男は、凝った背中を伸ばすためにぐっと両腕を上げた。肩口まで伸びた銀髪を揺らし、こきこきと首を何度か鳴らす。
「ったく、今年はひどい目にあったぜ」
そうひとりごち、足元に置いてあった荷物を拾い上げる。
龍の目前まであと僅かまで来て、気づくと麓の村の入り口に飛ばされていた。まさに一瞬の出来事だった。何か月もかけて分け入った山頂の間際、あと一歩というところで振り出しに逆戻りだ。
龍のいやらしさに、もはや覚えるのは殺意ばかりだ。
だが、確かに手ごたえはあった。いまだかつてなく、彼女の気配を近くに感じたのだから。
(マルグリット……次こそはお前を取り戻す)
その男――イグナーツはゆっくりと振り返る。遠く煙る山脈を、睨むようにじっと見据えた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。ウルリーケ様に会うために、グレーデン家へと向かったアデライーデ様。それに気づいたバルバナス様は、連れ戻すべく雪の中馬を走らせます。そんな最中、王都へと戻ったイグナーツ父様に、カイ様は会いに行って……?
次回、2章第23話「求めゆく者」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
0
お気に入りに追加
272
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。
112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。
エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。
庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

王命での結婚がうまくいかなかったので公妾になりました。
しゃーりん
恋愛
婚約解消したばかりのルクレツィアに王命での結婚が舞い込んだ。
相手は10歳年上の公爵ユーグンド。
昔の恋人を探し求める公爵は有名で、国王陛下が公爵家の跡継ぎを危惧して王命を出したのだ。
しかし、公爵はルクレツィアと結婚しても興味の欠片も示さなかった。
それどころか、子供は養子をとる。邪魔をしなければ自由だと言う。
実家の跡継ぎも必要なルクレツィアは子供を産みたかった。
国王陛下に王命の取り消しをお願いすると三年後になると言われた。
無駄な三年を過ごしたくないルクレツィアは国王陛下に提案された公妾になって子供を産み、三年後に離婚するという計画に乗ったお話です。

【完結】愛してるなんて言うから
空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」
婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。
婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。
――なんだそれ。ふざけてんのか。
わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。
第1部が恋物語。
第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ!
※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。
苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます
鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────
私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

美形揃いの王族の中で珍しく不細工なわたしを、王子がその顔で本当に王族なのかと皮肉ってきたと思っていましたが、実は違ったようです。
ふまさ
恋愛
「──お前はその顔で、本当に王族なのか?」
そう問いかけてきたのは、この国の第一王子──サイラスだった。
真剣な顔で問いかけられたセシリーは、固まった。からかいや嫌味などではない、心からの疑問。いくら慣れたこととはいえ、流石のセシリーも、カチンときた。
「…………ぷっ」
姉のカミラが口元を押さえながら、吹き出す。それにつられて、広間にいる者たちは一斉に笑い出した。
当然、サイラスがセシリーを皮肉っていると思ったからだ。
だが、真実は違っていて──。
夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】
王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。
しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。
「君は俺と結婚したんだ」
「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」
目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。
どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる