ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
341 / 528
第2章 氷の王子と消えた託宣

しおりを挟む
     ◇
 風呂の縁にかけた腕に自分の顔を乗せたまま、リーゼロッテはぼんやりと考え事をしていた。

 夜には戻ると言ったジークヴァルトは、待てども一向に現れる様子はなく、ベッティに促されてようやく風呂に入ったところだ。ギリギリまでは待っていたかったが、あまり粘るのもベッティの時間を奪うことになる。

 王子の話が頭から離れない。アデライーデと次に会った時に、素知らぬふりで話すことはできるだろうか。

(守護者とは一体何なのかしら……)

 みながジークハルトのような存在ではないようだ。自分の守護者の存在も感じ取ることはできないし、他者に危害を加えるなど、禁忌の異形はむしろ守護者の方ではないかと思ってしまう。

 振り向いて、乳白色の湯船に目をやり、その先、広い浴槽の壁でじょぼじょぼと湯を注ぎ続ける龍の姿を認めた。壁に体を巻きつけるようにして湯を吐き出す龍は、まるでこちらを威嚇しているようだ。

 あの流れ出る湯は源泉で熱湯に近いため、そばには近づかない様ベッティに言われていた。だが、リーゼロッテは無性に腹が立って、ざぶりざぶりとその近くまで湯の中を歩いて行った。太もも半ばくらいの湯船の中、腕を組んで龍の顔を睨みつける。

「一体、あなたは何がしたいと言うの? 大概にしてちょうだい!」

 びしぃっと指を突き付けて、いつになく厳しく言い放ってみた。途端に指先に熱い飛沫を感じて、リーゼロッテは慌てて数歩後ずさった。

「あっつ!」

 危うく龍の鉄槌を受けるところだった。指先を確かめながら、方向転換しようとした瞬間、足元がつるりと滑る感覚がした。まずいと思った時には湯船にお尻が沈んでいく。どっぼーんと盛大な水柱を上げて、リーゼロッテは湯船の中ひっくり返った。

「ぷはぁっ!」

 慌てて湯から顔を出す。龍の鉄槌は地味に陰湿だ。そんなことを思った瞬間、浴室の入り口のドアが、すぱーんと開け放たれた。

「何事だ!」

 青い瞳と目が合った。湯煙の向こう、ジークヴァルトが青ざめた顔をして立っている。そのまま何の戸惑いもなくこちらへ入ってこようとするジークヴァルトを前に、リーゼロッテは湯船の中で、思考も体も固まった。

 ジークヴァルトがあわや浴室に足を踏み入れようとしたその瞬間、扉の向こうから一本の手がにゅっと伸びてきた。その手がジークヴァルトの襟首をはしっと掴んだかと思うと、そのままジークヴァルトをぐいと浴室の外へと引っ張り出し、すぱんと扉は閉められた。

 扉の向こうで何やら話し声がする。ほどなくして、再びそっと開いた扉から顔を出したのはベッティだった。

「リーゼロッテ様ぁ、何事ですかぁ?」
「湯の中で足を少し滑らせてしまって。大げさにしてごめんなさい。なんともないわ」
「承知いたしましたぁ。また後程、お伺いいたしますぅ」

 それだけ確かめると、ベッティは顔を引っ込め再び扉は閉められた。

 じょぼじょぼと湯が流れる音がする。時折天井からしずくが落ちて、ぴちょんとリーゼロッテのそばで小さく跳ねた。

(み、み、み、見られたの!?)

 今さらの事だが、慌ててざぶりと湯に潜り込む。確かに体は湯につかっていたはずだ。湯船は濁り湯でその中は見えはしない。

(でも肩まで浸かってた? 胸は? 出てた? 隠れてた?)
 てんぱりすぎて沈めた口元で空気がぶくぶく言いまくっている。

「いやぁ! まだバストアップはこれからなのにっ!!」

 ざばあと立ち上がって叫んだところで、ベッティが湯煙の中戻ってきた。

「さぁ、湯冷めする前に髪を乾かしましょうかぁ」
 のほほんとした口調でリーゼロッテを湯船から引き上げる。

「ヴァルト様は今どうしていらっしゃるの……?」
「公爵様なら王子殿下のお部屋に戻っていただきましたぁ。明日またいらっしゃるようにと、お願いいたしましたので、今宵はご安心してぐっすり眠りくださいましねぇ」

 夜這いになんぞに来たら叩き出してやる。そんなベッティの胸中など知る由もなく、リーゼロッテは呆然自失で湯から上がった。

 上機嫌で髪を乾かすベッティに、リーゼロッテは不安げな視線を送る。

「ねえ、ベッティ。先ほど湯殿でわたくしの、その、裸は見えてしまっていたかしら……?」

 頬を赤らめながら問うリーゼロッテに、ベッティは安心させるように頷いて見せる。

「ご安心くださいぃ。湯煙でぼんやりとしかお姿は見えませんでしたからぁ」
「そう、ならよかったわ」

 リーゼロッテがほっと息をつく。

 公爵は目を皿のようにして凝視していたが、何がどこまで見えたのかは正直ベッティにもわからなかった。だが、いたずらに動揺させるのは、公爵の思うつぼのような気がしておもしろくはない。一瞬の隙をつかれて、あっさり奥への侵入を許してしまったのが悔やまれる。

「公爵様をお止めできなくて申し訳ございませんでしたぁ。次は命に代えても死守して見せますぅ」
「ねえ、ベッティ。ジークヴァルト様相手に、その、あまり強く言うのはよくないんじゃないかしら……。ベッティの立場が悪くなったりしないか心配だわ」

 リーゼロッテは心配そうにベッティの顔を覗き込む。それを見やって、ベッティはふっと笑った。

「リーゼロッテ様はぁ、本当におやさしいですねぇ」

 替えのきく自分ごときを気に掛けるなど、正直貴族のやることではない。偽善ぶっていて、頭にお花畑が生えているようなリーゼロッテは、何から何までベッティの気に障る存在だ。

「わたしは王妃様の命で動いているカイ坊ちゃまの指示のもと、リーゼロッテ様をお守りしていますぅ。カイ坊ちゃまの言葉は王妃のお言葉。ひいてはわたしの言動はカイ坊ちゃまの指示であり、王妃様のめいも同然なんですぅ」

 極論のような気もするが、ベッティは自信満々に胸を反らした。

「そう、ならよいのだけれど。でも、もしもジークヴァルト様に何か言われて困ったことになったら、ちゃんとわたくしにも相談してね?」

 気づかわし気な表情に、ベッティは再び苦笑いを向けた。こんな大嫌いの塊であるリーゼロッテの笑顔を守ってやりたいと思うほど、結局のところ自分も浮かれポンチな満たされた境遇にあるということだ。


 たとえこれから迎える未来が、何ひとつとしてままならないものだとしても。

「リーゼロッテ様はぁ、ずうっとそのままでいてくださいましねぇ」

 今が満たされているというのなら、リーゼロッテを好きでいるこの自分もそんなに悪いものではない。そう思って、ベッティは満足そうに頷いた。




【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ。バルバナス様の命で公爵家に戻ったわたしは、ジークヴァルト様と共に泣き虫ジョンの元へ向かいます。そこで待っていたのは、ジョンの意外な反応で!? ジョンの記憶をたどるわたしが視たものは?
 次回、2章第22話「嘆きの唄」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

処理中です...