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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
風呂の縁にかけた腕に自分の顔を乗せたまま、リーゼロッテはぼんやりと考え事をしていた。
夜には戻ると言ったジークヴァルトは、待てども一向に現れる様子はなく、ベッティに促されてようやく風呂に入ったところだ。ギリギリまでは待っていたかったが、あまり粘るのもベッティの時間を奪うことになる。
王子の話が頭から離れない。アデライーデと次に会った時に、素知らぬふりで話すことはできるだろうか。
(守護者とは一体何なのかしら……)
みながジークハルトのような存在ではないようだ。自分の守護者の存在も感じ取ることはできないし、他者に危害を加えるなど、禁忌の異形はむしろ守護者の方ではないかと思ってしまう。
振り向いて、乳白色の湯船に目をやり、その先、広い浴槽の壁でじょぼじょぼと湯を注ぎ続ける龍の姿を認めた。壁に体を巻きつけるようにして湯を吐き出す龍は、まるでこちらを威嚇しているようだ。
あの流れ出る湯は源泉で熱湯に近いため、そばには近づかない様ベッティに言われていた。だが、リーゼロッテは無性に腹が立って、ざぶりざぶりとその近くまで湯の中を歩いて行った。太もも半ばくらいの湯船の中、腕を組んで龍の顔を睨みつける。
「一体、あなたは何がしたいと言うの? 大概にしてちょうだい!」
びしぃっと指を突き付けて、いつになく厳しく言い放ってみた。途端に指先に熱い飛沫を感じて、リーゼロッテは慌てて数歩後ずさった。
「あっつ!」
危うく龍の鉄槌を受けるところだった。指先を確かめながら、方向転換しようとした瞬間、足元がつるりと滑る感覚がした。まずいと思った時には湯船にお尻が沈んでいく。どっぼーんと盛大な水柱を上げて、リーゼロッテは湯船の中ひっくり返った。
「ぷはぁっ!」
慌てて湯から顔を出す。龍の鉄槌は地味に陰湿だ。そんなことを思った瞬間、浴室の入り口のドアが、すぱーんと開け放たれた。
「何事だ!」
青い瞳と目が合った。湯煙の向こう、ジークヴァルトが青ざめた顔をして立っている。そのまま何の戸惑いもなくこちらへ入ってこようとするジークヴァルトを前に、リーゼロッテは湯船の中で、思考も体も固まった。
ジークヴァルトがあわや浴室に足を踏み入れようとしたその瞬間、扉の向こうから一本の手がにゅっと伸びてきた。その手がジークヴァルトの襟首をはしっと掴んだかと思うと、そのままジークヴァルトをぐいと浴室の外へと引っ張り出し、すぱんと扉は閉められた。
扉の向こうで何やら話し声がする。ほどなくして、再びそっと開いた扉から顔を出したのはベッティだった。
「リーゼロッテ様ぁ、何事ですかぁ?」
「湯の中で足を少し滑らせてしまって。大げさにしてごめんなさい。なんともないわ」
「承知いたしましたぁ。また後程、お伺いいたしますぅ」
それだけ確かめると、ベッティは顔を引っ込め再び扉は閉められた。
じょぼじょぼと湯が流れる音がする。時折天井からしずくが落ちて、ぴちょんとリーゼロッテのそばで小さく跳ねた。
(み、み、み、見られたの!?)
今さらの事だが、慌ててざぶりと湯に潜り込む。確かに体は湯につかっていたはずだ。湯船は濁り湯でその中は見えはしない。
(でも肩まで浸かってた? 胸は? 出てた? 隠れてた?)
てんぱりすぎて沈めた口元で空気がぶくぶく言いまくっている。
「いやぁ! まだバストアップはこれからなのにっ!!」
ざばあと立ち上がって叫んだところで、ベッティが湯煙の中戻ってきた。
「さぁ、湯冷めする前に髪を乾かしましょうかぁ」
のほほんとした口調でリーゼロッテを湯船から引き上げる。
「ヴァルト様は今どうしていらっしゃるの……?」
「公爵様なら王子殿下のお部屋に戻っていただきましたぁ。明日またいらっしゃるようにと、お願いいたしましたので、今宵はご安心してぐっすり眠りくださいましねぇ」
夜這いになんぞに来たら叩き出してやる。そんなベッティの胸中など知る由もなく、リーゼロッテは呆然自失で湯から上がった。
上機嫌で髪を乾かすベッティに、リーゼロッテは不安げな視線を送る。
「ねえ、ベッティ。先ほど湯殿でわたくしの、その、裸は見えてしまっていたかしら……?」
頬を赤らめながら問うリーゼロッテに、ベッティは安心させるように頷いて見せる。
「ご安心くださいぃ。湯煙でぼんやりとしかお姿は見えませんでしたからぁ」
「そう、ならよかったわ」
リーゼロッテがほっと息をつく。
公爵は目を皿のようにして凝視していたが、何がどこまで見えたのかは正直ベッティにもわからなかった。だが、いたずらに動揺させるのは、公爵の思うつぼのような気がしておもしろくはない。一瞬の隙をつかれて、あっさり奥への侵入を許してしまったのが悔やまれる。
「公爵様をお止めできなくて申し訳ございませんでしたぁ。次は命に代えても死守して見せますぅ」
「ねえ、ベッティ。ジークヴァルト様相手に、その、あまり強く言うのはよくないんじゃないかしら……。ベッティの立場が悪くなったりしないか心配だわ」
リーゼロッテは心配そうにベッティの顔を覗き込む。それを見やって、ベッティはふっと笑った。
「リーゼロッテ様はぁ、本当におやさしいですねぇ」
替えのきく自分ごときを気に掛けるなど、正直貴族のやることではない。偽善ぶっていて、頭にお花畑が生えているようなリーゼロッテは、何から何までベッティの気に障る存在だ。
「わたしは王妃様の命で動いているカイ坊ちゃまの指示のもと、リーゼロッテ様をお守りしていますぅ。カイ坊ちゃまの言葉は王妃のお言葉。ひいてはわたしの言動はカイ坊ちゃまの指示であり、王妃様の命も同然なんですぅ」
極論のような気もするが、ベッティは自信満々に胸を反らした。
「そう、ならよいのだけれど。でも、もしもジークヴァルト様に何か言われて困ったことになったら、ちゃんとわたくしにも相談してね?」
気づかわし気な表情に、ベッティは再び苦笑いを向けた。こんな大嫌いの塊であるリーゼロッテの笑顔を守ってやりたいと思うほど、結局のところ自分も浮かれポンチな満たされた境遇にあるということだ。
たとえこれから迎える未来が、何ひとつとしてままならないものだとしても。
「リーゼロッテ様はぁ、ずうっとそのままでいてくださいましねぇ」
今が満たされているというのなら、リーゼロッテを好きでいるこの自分もそんなに悪いものではない。そう思って、ベッティは満足そうに頷いた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。バルバナス様の命で公爵家に戻ったわたしは、ジークヴァルト様と共に泣き虫ジョンの元へ向かいます。そこで待っていたのは、ジョンの意外な反応で!? ジョンの記憶をたどるわたしが視たものは?
次回、2章第22話「嘆きの唄」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
風呂の縁にかけた腕に自分の顔を乗せたまま、リーゼロッテはぼんやりと考え事をしていた。
夜には戻ると言ったジークヴァルトは、待てども一向に現れる様子はなく、ベッティに促されてようやく風呂に入ったところだ。ギリギリまでは待っていたかったが、あまり粘るのもベッティの時間を奪うことになる。
王子の話が頭から離れない。アデライーデと次に会った時に、素知らぬふりで話すことはできるだろうか。
(守護者とは一体何なのかしら……)
みながジークハルトのような存在ではないようだ。自分の守護者の存在も感じ取ることはできないし、他者に危害を加えるなど、禁忌の異形はむしろ守護者の方ではないかと思ってしまう。
振り向いて、乳白色の湯船に目をやり、その先、広い浴槽の壁でじょぼじょぼと湯を注ぎ続ける龍の姿を認めた。壁に体を巻きつけるようにして湯を吐き出す龍は、まるでこちらを威嚇しているようだ。
あの流れ出る湯は源泉で熱湯に近いため、そばには近づかない様ベッティに言われていた。だが、リーゼロッテは無性に腹が立って、ざぶりざぶりとその近くまで湯の中を歩いて行った。太もも半ばくらいの湯船の中、腕を組んで龍の顔を睨みつける。
「一体、あなたは何がしたいと言うの? 大概にしてちょうだい!」
びしぃっと指を突き付けて、いつになく厳しく言い放ってみた。途端に指先に熱い飛沫を感じて、リーゼロッテは慌てて数歩後ずさった。
「あっつ!」
危うく龍の鉄槌を受けるところだった。指先を確かめながら、方向転換しようとした瞬間、足元がつるりと滑る感覚がした。まずいと思った時には湯船にお尻が沈んでいく。どっぼーんと盛大な水柱を上げて、リーゼロッテは湯船の中ひっくり返った。
「ぷはぁっ!」
慌てて湯から顔を出す。龍の鉄槌は地味に陰湿だ。そんなことを思った瞬間、浴室の入り口のドアが、すぱーんと開け放たれた。
「何事だ!」
青い瞳と目が合った。湯煙の向こう、ジークヴァルトが青ざめた顔をして立っている。そのまま何の戸惑いもなくこちらへ入ってこようとするジークヴァルトを前に、リーゼロッテは湯船の中で、思考も体も固まった。
ジークヴァルトがあわや浴室に足を踏み入れようとしたその瞬間、扉の向こうから一本の手がにゅっと伸びてきた。その手がジークヴァルトの襟首をはしっと掴んだかと思うと、そのままジークヴァルトをぐいと浴室の外へと引っ張り出し、すぱんと扉は閉められた。
扉の向こうで何やら話し声がする。ほどなくして、再びそっと開いた扉から顔を出したのはベッティだった。
「リーゼロッテ様ぁ、何事ですかぁ?」
「湯の中で足を少し滑らせてしまって。大げさにしてごめんなさい。なんともないわ」
「承知いたしましたぁ。また後程、お伺いいたしますぅ」
それだけ確かめると、ベッティは顔を引っ込め再び扉は閉められた。
じょぼじょぼと湯が流れる音がする。時折天井からしずくが落ちて、ぴちょんとリーゼロッテのそばで小さく跳ねた。
(み、み、み、見られたの!?)
今さらの事だが、慌ててざぶりと湯に潜り込む。確かに体は湯につかっていたはずだ。湯船は濁り湯でその中は見えはしない。
(でも肩まで浸かってた? 胸は? 出てた? 隠れてた?)
てんぱりすぎて沈めた口元で空気がぶくぶく言いまくっている。
「いやぁ! まだバストアップはこれからなのにっ!!」
ざばあと立ち上がって叫んだところで、ベッティが湯煙の中戻ってきた。
「さぁ、湯冷めする前に髪を乾かしましょうかぁ」
のほほんとした口調でリーゼロッテを湯船から引き上げる。
「ヴァルト様は今どうしていらっしゃるの……?」
「公爵様なら王子殿下のお部屋に戻っていただきましたぁ。明日またいらっしゃるようにと、お願いいたしましたので、今宵はご安心してぐっすり眠りくださいましねぇ」
夜這いになんぞに来たら叩き出してやる。そんなベッティの胸中など知る由もなく、リーゼロッテは呆然自失で湯から上がった。
上機嫌で髪を乾かすベッティに、リーゼロッテは不安げな視線を送る。
「ねえ、ベッティ。先ほど湯殿でわたくしの、その、裸は見えてしまっていたかしら……?」
頬を赤らめながら問うリーゼロッテに、ベッティは安心させるように頷いて見せる。
「ご安心くださいぃ。湯煙でぼんやりとしかお姿は見えませんでしたからぁ」
「そう、ならよかったわ」
リーゼロッテがほっと息をつく。
公爵は目を皿のようにして凝視していたが、何がどこまで見えたのかは正直ベッティにもわからなかった。だが、いたずらに動揺させるのは、公爵の思うつぼのような気がしておもしろくはない。一瞬の隙をつかれて、あっさり奥への侵入を許してしまったのが悔やまれる。
「公爵様をお止めできなくて申し訳ございませんでしたぁ。次は命に代えても死守して見せますぅ」
「ねえ、ベッティ。ジークヴァルト様相手に、その、あまり強く言うのはよくないんじゃないかしら……。ベッティの立場が悪くなったりしないか心配だわ」
リーゼロッテは心配そうにベッティの顔を覗き込む。それを見やって、ベッティはふっと笑った。
「リーゼロッテ様はぁ、本当におやさしいですねぇ」
替えのきく自分ごときを気に掛けるなど、正直貴族のやることではない。偽善ぶっていて、頭にお花畑が生えているようなリーゼロッテは、何から何までベッティの気に障る存在だ。
「わたしは王妃様の命で動いているカイ坊ちゃまの指示のもと、リーゼロッテ様をお守りしていますぅ。カイ坊ちゃまの言葉は王妃のお言葉。ひいてはわたしの言動はカイ坊ちゃまの指示であり、王妃様の命も同然なんですぅ」
極論のような気もするが、ベッティは自信満々に胸を反らした。
「そう、ならよいのだけれど。でも、もしもジークヴァルト様に何か言われて困ったことになったら、ちゃんとわたくしにも相談してね?」
気づかわし気な表情に、ベッティは再び苦笑いを向けた。こんな大嫌いの塊であるリーゼロッテの笑顔を守ってやりたいと思うほど、結局のところ自分も浮かれポンチな満たされた境遇にあるということだ。
たとえこれから迎える未来が、何ひとつとしてままならないものだとしても。
「リーゼロッテ様はぁ、ずうっとそのままでいてくださいましねぇ」
今が満たされているというのなら、リーゼロッテを好きでいるこの自分もそんなに悪いものではない。そう思って、ベッティは満足そうに頷いた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。バルバナス様の命で公爵家に戻ったわたしは、ジークヴァルト様と共に泣き虫ジョンの元へ向かいます。そこで待っていたのは、ジョンの意外な反応で!? ジョンの記憶をたどるわたしが視たものは?
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※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
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