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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
拳をきつく握りしめ、ハインリヒはそれきり黙ってしまった。リーゼロッテはその背に、かける言葉すらみつからない。
先ほど自分を弾き飛ばした王子の守護者は、かつて、アデライーデにも牙をむいたのだ。そう思うと、この自分が無傷だったのは、ただ幸運だったとしか言いようがない。
「王子殿下の守護者はなぜ……」
独り言のようにつぶやいたそれは、静かなこの場では必要以上に大きく響いた。
「守護者は、わたしの託宣の相手以外は認めないそうだ」
「え?」
「これも巫女の神託だ。龍が決めた相手以外と添い遂げないように。そういうことらしい」
(それで王子殿下は女性を寄せ付けないのだわ)
王子はいつだって、近衛の騎士を取り巻いて、決して令嬢たちを近づけようとしなかった。あれはただの女嫌いなどではなく、令嬢たちを危険にさらさないための措置だったのだ。
(だからアンネマリーも……)
王子がアンネマリーのその手を取れない理由もわかる。どんなに惹かれあっていようと、王子に守護者がいる以上、どんな令嬢とも触れあうことは叶わない。
リーゼロッテは再び言葉を失った。
龍によって隠された託宣の相手。だが、見つからないままのその相手以外は手を取ることも許されない。
「このままでは、王家の血もわたしの代で絶えるだろう」
姉姫のクリスティーナは病弱で、子をなすようなことはできない。もうひとりの姉テレーズは、すでに隣国へと嫁いだ。かといって、妹のピッパにすべてを背負わせるのも酷なことだろう。
託宣の存在を知らない貴族が、それを許すとも思えない。妃をめとらない自分に対して、謀反を考える者も出てくるかもしれない。
いずれにしても、国の平和が保たれることはなさそうだ。そんな未来しか、今のハインリヒには描けなかった。
「……そろそろお時間です」
今まで口を開かなかったカイが静かに告げた。その顔に驚きがないということは、カイは既にすべてを知っていたのだろう。
それ以上は会話もないまま、一行は来た道を足取りも重く戻っていった。
◇
「ええ!? わたしがグレーデン家担当ですか? ちょっとそれだけは勘弁してくださいよ!」
ニコラウスの情けない叫び声で、アデライーデははっと我に返った。久しぶりの王城だ。最近はちょこちょこ来ているとはいえ、ここは、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。
「いいんだよ。王族のオレが公爵家に行くしかねーんだから、お前がグレーデン家に行くのは当然だろうが」
「グレーデン家だって侯爵家じゃないですか! 伯爵家の人間であるわたしでは役不足ですよ! ここはアデライーデが担当するのが筋でしょう!」
アデライーデはフーゲンベルク家の人間だ。身内だから公爵家の捜査から外されるのは当然のことだが、グレーデン家は傍系とはいえアデライーデも私情を挟むことはないだろう。
「なんだあ? お前、騎士団の総司令にたてつこうってのか? アデライーデをあの婆さん会わせるわけにはいかねえんだよ」
「横暴には断固抗議します! 普段からそれを許しているのはバルバナス様でしょう!? だったら、わたしが頑張ってフーゲンベルク家を担当しますから、バルバナス様がグレーデン家に行ってください!」
「ああ? オレにあの鉄の婆さんに会いにいけってのか? 死んでもやなこった」
「めちゃくちゃ私情じゃないですか! ウルリーケ様はバルバナス様のご身内なんでしょう? なんでそんなに嫌がるんですか! それを言うならわたしだってご免ですよ! グレーデン家って言ったら、めちゃくちゃ厳格な家なんですよ! あああ、絶対に家にも迷惑がかかる! ブラル家はもうおしまいだっ」
ニコラウスは栗色の頭を抱えてうんうんとうなっている。目の前のやりとりを黙って見ていたアデライーデは、さえぎるように二人の間に割って入った。
「ああ、もう、うるさいわね。いいわよ、たれ目の代わりに、わたしがグレーデン家に行ってくればいいんでしょう?」
涙目になったニコラウスが、アデライーデのその手をぎゅっと握った。
「アデライーデ、お前、なんていいやつなんだ! だが、たれ目言うな」
「たれ目にたれ目って言って何が悪いのよ」
「痛いくらいに自覚はしてるから、余計に傷つくんだよっ」
鼻先をくっつけそうな勢いで言い合うふたりを前に、バルバナスの目がすっと細められた。ニコラウスの顔面を鷲づかんで、アデライーデからぐいと引きはがす。
「ダメだ。アデライーデ、お前には今から休暇を与える。とりあえず、オレと一緒に公爵家に移動するぞ」
「えええ? そんな横暴ですよ! わたしだって三連休を返上して任務に赴いているのに!」
ニコラウスが食い下がるように言う。ここで言っておかないと、もう、あとはやるしかなくなってしまう。悪あがきだとしても、今言っておかないとめちゃくちゃ後悔しそうだ。
「決定事項だ。ニコラウス・ブラル。お前は即刻グレーデン侯爵家に向かえ。命令だ」
バルバナスの有無を言わさぬ口調に、ニコラウスは口をぱくぱくしたあと、観念したように騎士の礼をとった。
「仰せのままにっ」
(ごめん、親父。ブラル家終わったわ)
心の中で、宰相である父にわびる。
せめて妹にはいい嫁ぎ先を見つけなくては。いざとなったらグレーデン家に押し付けよう。
ニコラウスは死んだような魚の目つきで部屋を出て行きながらも、そんな決意を固めていた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。引き続き王妃様の離宮で過ごす中、公爵家では泣き虫ジョンの調査が始まります。王子殿下とアデライーデ様の事件は、互いに大きな傷跡を残したまま、新たな波紋を広げていって……。
次回、2章第21話「選ばれし者」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
拳をきつく握りしめ、ハインリヒはそれきり黙ってしまった。リーゼロッテはその背に、かける言葉すらみつからない。
先ほど自分を弾き飛ばした王子の守護者は、かつて、アデライーデにも牙をむいたのだ。そう思うと、この自分が無傷だったのは、ただ幸運だったとしか言いようがない。
「王子殿下の守護者はなぜ……」
独り言のようにつぶやいたそれは、静かなこの場では必要以上に大きく響いた。
「守護者は、わたしの託宣の相手以外は認めないそうだ」
「え?」
「これも巫女の神託だ。龍が決めた相手以外と添い遂げないように。そういうことらしい」
(それで王子殿下は女性を寄せ付けないのだわ)
王子はいつだって、近衛の騎士を取り巻いて、決して令嬢たちを近づけようとしなかった。あれはただの女嫌いなどではなく、令嬢たちを危険にさらさないための措置だったのだ。
(だからアンネマリーも……)
王子がアンネマリーのその手を取れない理由もわかる。どんなに惹かれあっていようと、王子に守護者がいる以上、どんな令嬢とも触れあうことは叶わない。
リーゼロッテは再び言葉を失った。
龍によって隠された託宣の相手。だが、見つからないままのその相手以外は手を取ることも許されない。
「このままでは、王家の血もわたしの代で絶えるだろう」
姉姫のクリスティーナは病弱で、子をなすようなことはできない。もうひとりの姉テレーズは、すでに隣国へと嫁いだ。かといって、妹のピッパにすべてを背負わせるのも酷なことだろう。
託宣の存在を知らない貴族が、それを許すとも思えない。妃をめとらない自分に対して、謀反を考える者も出てくるかもしれない。
いずれにしても、国の平和が保たれることはなさそうだ。そんな未来しか、今のハインリヒには描けなかった。
「……そろそろお時間です」
今まで口を開かなかったカイが静かに告げた。その顔に驚きがないということは、カイは既にすべてを知っていたのだろう。
それ以上は会話もないまま、一行は来た道を足取りも重く戻っていった。
◇
「ええ!? わたしがグレーデン家担当ですか? ちょっとそれだけは勘弁してくださいよ!」
ニコラウスの情けない叫び声で、アデライーデははっと我に返った。久しぶりの王城だ。最近はちょこちょこ来ているとはいえ、ここは、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。
「いいんだよ。王族のオレが公爵家に行くしかねーんだから、お前がグレーデン家に行くのは当然だろうが」
「グレーデン家だって侯爵家じゃないですか! 伯爵家の人間であるわたしでは役不足ですよ! ここはアデライーデが担当するのが筋でしょう!」
アデライーデはフーゲンベルク家の人間だ。身内だから公爵家の捜査から外されるのは当然のことだが、グレーデン家は傍系とはいえアデライーデも私情を挟むことはないだろう。
「なんだあ? お前、騎士団の総司令にたてつこうってのか? アデライーデをあの婆さん会わせるわけにはいかねえんだよ」
「横暴には断固抗議します! 普段からそれを許しているのはバルバナス様でしょう!? だったら、わたしが頑張ってフーゲンベルク家を担当しますから、バルバナス様がグレーデン家に行ってください!」
「ああ? オレにあの鉄の婆さんに会いにいけってのか? 死んでもやなこった」
「めちゃくちゃ私情じゃないですか! ウルリーケ様はバルバナス様のご身内なんでしょう? なんでそんなに嫌がるんですか! それを言うならわたしだってご免ですよ! グレーデン家って言ったら、めちゃくちゃ厳格な家なんですよ! あああ、絶対に家にも迷惑がかかる! ブラル家はもうおしまいだっ」
ニコラウスは栗色の頭を抱えてうんうんとうなっている。目の前のやりとりを黙って見ていたアデライーデは、さえぎるように二人の間に割って入った。
「ああ、もう、うるさいわね。いいわよ、たれ目の代わりに、わたしがグレーデン家に行ってくればいいんでしょう?」
涙目になったニコラウスが、アデライーデのその手をぎゅっと握った。
「アデライーデ、お前、なんていいやつなんだ! だが、たれ目言うな」
「たれ目にたれ目って言って何が悪いのよ」
「痛いくらいに自覚はしてるから、余計に傷つくんだよっ」
鼻先をくっつけそうな勢いで言い合うふたりを前に、バルバナスの目がすっと細められた。ニコラウスの顔面を鷲づかんで、アデライーデからぐいと引きはがす。
「ダメだ。アデライーデ、お前には今から休暇を与える。とりあえず、オレと一緒に公爵家に移動するぞ」
「えええ? そんな横暴ですよ! わたしだって三連休を返上して任務に赴いているのに!」
ニコラウスが食い下がるように言う。ここで言っておかないと、もう、あとはやるしかなくなってしまう。悪あがきだとしても、今言っておかないとめちゃくちゃ後悔しそうだ。
「決定事項だ。ニコラウス・ブラル。お前は即刻グレーデン侯爵家に向かえ。命令だ」
バルバナスの有無を言わさぬ口調に、ニコラウスは口をぱくぱくしたあと、観念したように騎士の礼をとった。
「仰せのままにっ」
(ごめん、親父。ブラル家終わったわ)
心の中で、宰相である父にわびる。
せめて妹にはいい嫁ぎ先を見つけなくては。いざとなったらグレーデン家に押し付けよう。
ニコラウスは死んだような魚の目つきで部屋を出て行きながらも、そんな決意を固めていた。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。引き続き王妃様の離宮で過ごす中、公爵家では泣き虫ジョンの調査が始まります。王子殿下とアデライーデ様の事件は、互いに大きな傷跡を残したまま、新たな波紋を広げていって……。
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