ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
326 / 528
第2章 氷の王子と消えた託宣

しおりを挟む
     ◇
 応接室を後にして、来た道のりを戻っていく。

(エラに話をするのは、どのみち公爵家に戻ってからね。とりあえず手紙を書いて安心させなくちゃ)

 そんなことを考えているうちに、再び長い階段までやってきた。ドレスを着ていると下り階段は、昇り以上に難易度が高い。長い上ゆるく膨らんだスカートのせいで、足元がまるで見えないのだ。
 もの言いたげなジークヴァルトを前に、素知らぬふりでひとり階段を降りようとする。

「待て。オレが先に行く」

 ジークヴァルトは数歩降りると、リーゼロッテを振り返った。スカートをつまみ上げて、リーゼロッテもそれに続いた。昇るとき以上に慎重に足を進めるが、ロッテンマイヤーさん直伝の足さばきをもってすれば、階段くらいなんてことはない。
 しかし、ジークヴァルトは数段降りるたびに、いちいちこちらを振り返ってくる。降りては振り返り、降りては振り返り、ハラハラしてる感が伝わりまくりだ。

(かえってめっちゃ降りづらいんだけど……!)

「あの、ヴァルト様……わたくし、本当に転げ落ちたりいたしませんから」
 あきれたように言うが、ジークヴァルトの眉間のしわはほどけない。

「万が一ということもある」

 あきれつつも、何事もなく階段を降り切った。すかさずジークヴァルトがホールドしてくる。

(まあ、しばらくは仕方ないのかも……)

 あんなことがあった後では、心配性が落ち着くまでに時間がかかるだろう。自分が日常生活そつなくこなせることが分かれば、ジークヴァルトも今よりましになるに違いない。しかし、このやり取りは一生涯続くことになる。そんなこと、よもや予想もし得ないリーゼロッテだった。

「フーゲンベルク公爵」
 不意に廊下で貴族とおぼしき年配の男に呼び止められる。

「ブラル宰相」
「騎士服でないのはお珍しいですね。こちらのご令嬢はもしや……?」

 リーゼロッテを見やり、男は紹介を促すようにジークヴァルトに尋ねてきた。

「こちらは宰相を務めているブラル伯爵だ」

 ジークヴァルトにそう言われ、リーゼロッテは慌てて礼をとった。

「リーゼロッテ・ダーミッシュでございます。お初に目にかかります、ブラル伯爵様」
「やはり、あなたがダーミッシュの妖精姫でしたか。いや、わたしの娘も先日、白の夜会でデビューしたもので。当日、ご挨拶ができなくて失礼しました」

 失礼も何も、途中で帰ってしまったのはこちらの方だ。リーゼロッテは慌てて首を振った。

「いいえ、こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ございません」

 軽く礼をとった後、ブラル伯爵の顔を改めて見やった。たれ目だ。めっちゃたれ目だ。

(アンネマリーもたれ目気味だけど、この方はもう一度見たら忘れられないレベルだわ)

 吹き出しそうになるのを何とか堪えた。人様の顔の造作にケチをつけるなど、人としてどうかしている。

「おふたりは婚約関係にあるとお聞きしましたが、それは本当のようですね」

 ニコニコ顔で言われ、リーゼロッテの頬が朱に染まる。返答に困っていると、ジークヴァルトが口を開いた。

「ダーミッシュ嬢との婚約は王命だ」
「なるほど。マルグリット様にそっくりなご令嬢だと思ったら、王のご意向でしたか。わたしごときが詮索する話ではなさそうですね」

 うんうんと納得したようにブラル伯爵は頷いた。ジークヴァルトの対応を見ると、ブラル伯爵は龍の託宣の存在を知らないのだろう。

「いや、それにしてもよかった。フーゲンベルク公爵にこんなに愛らしい婚約者がいると知り、わたしは安心しましたよ」

 何度もうんうんと頷いているブラル伯爵は、本当に安堵している様子に見える。

「いえ、我が娘イザベラが、フーゲンベルク公爵の元へとつぎたいなどと我儘を申すもので、ほとほと困っていたのですよ。何せ年を取ってから授かった娘なもので、甘やかして育てすぎてしまったようです。いや、お恥ずかしい限り」

 たれ目をさらにたれさせている伯爵は、本当に娘のことが可愛くて仕方ないのだろう。

「ですが、公爵のお相手が妖精姫と知れば、イザベラも納得せざるを得ないでしょう。いや、本当によかったよかった」

 再びうんうんと頷いたあと、ブラル伯爵はジークヴァルトを仰ぎ見た。

「ああ、それと執務のことで、公爵に火急のご相談が……」
 そう言いながらリーゼロッテをちらりと見やる。仕事の話をしたいので、席を外してほしいということだろう。

「ジークヴァルト様、わたくし先にひとりで……」
「ダメだ、却下だ。絶対にオレのそばを離れるなと言っただろう」

 間髪入れないその返しに、ブラル伯爵が驚いた顔をした。

「あの、でしたら、少し離れたところで待っておりますわ」
 つかまれている手を離そうとすると、ジークヴァルトがぎゅっと握り返してくる。

「ダメだ。ダーミッシュ嬢はここにいろ」
「ですが……」

 ブラル伯爵も困った顔をしている。執務に関することを部外者に話したくないのだろう。一国の宰相が急ぎというなら、いらない手間をかけさせるのはどうかと思う。

「あの、ヴァルト様……責任をもってお仕事なさっている殿方を、わたくし、とても尊敬いたしますわ」

 そう言いながら小首をかしげる。あどけない子供のまなざしを意識して、きらきらと期待に満ちた視線を向けた。
 ジークヴァルトは一瞬眉間にしわを寄せてから、「そうか」と言って顔をそらした。

 その手が緩んだ隙に、リーゼロッテは廊下の端に移動した。ここなら異形もいないし、往来の邪魔にもならないだろう。ジークヴァルトの目の届く位置にいるし、ふたりの会話も聞こえない距離だ。

「絶対にそれ以上離れるなよ」
 くぎを刺すように言うジークヴァルトに、リーゼロッテは「もちろんですわ」と微笑み返した。

 しばらくふたりの会話を遠巻きに眺めていた。端々で聞きなれない単語が耳に入ってくるが、専門用語過ぎてリーゼロッテにはまるで理解できない。時折、ジークヴァルトが心配そうにこちらを振り返る。そのたびにリーゼロッテはにこりと笑みを返した。

(ジークヴァルト様って、案外表情豊かよね。それに、すごくわかりやすい性格だわ)

 はじめは無表情に見えたその顔も、今では何を考えているのか容易に想像がつく。子供だとあなどられているうちに、どうにか主導権を握ってしまいたい。

 そんなことを考えているうちに、話に熱中しだしたのかジークヴァルトがこちらを振り返ることがなくなった。それがわかるとリーゼロッテは、王城の廊下をきょろきょろと見回した。

 少し離れた柱の陰に、異形の影が垣間見える。その異形からはぼそぼそと何かを話すような波動が感じられた。しかし、それはリーゼロッテに訴えているというより、ひとり内にこもってぶつぶつとつぶやいているようだった。

(ジョンも初めはあんな感じだったっけ)

 めそめそと泣くジョンの声は、聞き取りづらいものだった。何度も通ううちに、少しずつこころがほどけていって、ジョンはリーゼロッテに意識を向けるようになった。少しずつ、少しずつ、ジョンが心を取り戻していく様を、リーゼロッテはそのそばでずっと見守ってきた。

(ジョン……)
 切ない気持ちに捕らわれたまま、リーゼロッテはしばらくの間、柱の陰の異形の者をぼんやりと眺めやっていた。

 ふいにぶつりと音がして、しゃらりと何かが首元をすり抜けた。驚いて足元を見やると、胸に下げていたはずの守り石が床を転がっている。

(いけない! 守り石が……!)
 あれがないと異形を追い払うこともままならない。かがみこんだリーゼロッテは、あわてて守り石へとその手を伸ばした。

 つかみかけた守り石がぴょんと跳ね、リーゼロッテの手を逃れていった。それをまた追いかけてつかみ取ろうとすると、磁石が反発するがごとく、守り石はどんどん先に転がっていく。

(え? 何? ちょっと待って!)

 つかんでもつかんでもこの手は空を切ってしまう。チェーンを引きずりながら転がっていくその先に階段を認めて、リーゼロッテはほっと息をついた。階段下まで跳ね出た守り石は、しかしカエルのごとくぴょんぴょん跳ねて、段差をそのまま昇っていく。

(え? 嘘? なんで!?)

 重力を無視した跳躍に、リーゼロッテは夢中になってその後ろを追いかけた。スカートをつまみ上げ、必死にその後をついていく。階段を昇り切ったすぐ先の床に、守り石がぽつんと落ちている。それを認めたリーゼロッテは、淑女のたしなみも忘れてそこへと駆け寄った。
 素早い動きですくい上げ、青い守り石を胸元でぎゅっと握りしめる。

(よかった……)

 ほっとしつつもどうしてこんなことになったのかと、今さらながらに疑問が湧いてくる。しかし、今はそれどころではないと、すぐに気づいた。随分とジークヴァルトから離れてしまっている。

(まずいわ! 早く戻らなきゃ)

 ジークヴァルトが話に夢中になったままでいればいいのだが。自分があの場にいないことが知れたら、ジークヴァルトの過保護加減がさらに悪化するのは目に見えている。
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結済】後悔していると言われても、ねぇ。私はもう……。

木嶋うめ香
恋愛
五歳で婚約したシオン殿下は、ある日先触れもなしに我が家にやってきました。 「君と婚約を解消したい、私はスィートピーを愛してるんだ」 シオン殿下は、私の妹スィートピーを隣に座らせ、馬鹿なことを言い始めたのです。 妹はとても愛らしいですから、殿下が思っても仕方がありません。 でも、それなら側妃でいいのではありませんか? どうしても私と婚約解消したいのですか、本当に後悔はございませんか?

【完結】愛してるなんて言うから

空原海
恋愛
「メアリー、俺はこの婚約を破棄したい」  婚約が決まって、三年が経とうかという頃に切り出された婚約破棄。  婚約の理由は、アラン様のお父様とわたしのお母様が、昔恋人同士だったから。 ――なんだそれ。ふざけてんのか。  わたし達は婚約解消を前提とした婚約を、互いに了承し合った。 第1部が恋物語。 第2部は裏事情の暴露大会。親世代の愛憎確執バトル、スタートッ! ※ 一話のみ挿絵があります。サブタイトルに(※挿絵あり)と表記しております。  苦手な方、ごめんなさい。挿絵の箇所は、するーっと流してくださると幸いです。

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...