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第2章 氷の王子と消えた託宣

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     ◇
 朝を迎えて、リーゼロッテは鏡台の前に腰かけ、ベッティに後ろから髪をとかれていた。

「さぁ、今日はどんな髪型にいたしましょうねぇ」

 歌いだしそうな勢いのベッティに、リーゼロッテは苦笑いを向ける。

「どこへ出かけるでもないのだから、そんなに凝らなくても大丈夫よ?」
「なあにおっしゃっているんですかぁ。そんなことしたらベッティが暇なんですよぅ。リーゼロッテ様はおとなしくお世話されていてくださいぃ」

 ベッティがきっぱりと言うと、リーゼロッテはふふっと笑った。ほかの令嬢相手には言えないようなことも、リーゼロッテは怒りもしない。ただ微笑ましそうにしているだけだ。

「そういえばリーゼロッテ様ぁ、昨日こちらに来た時にしていた髪型はグレーデン家で結ってもらったのですかぁ? お出かけの際と違っておられたのでぇ」

 グレーデン家へと出かけるときはエラが髪を整えていた。しかし王城に着いた時にリーゼロッテがしていた髪型は、ベッティが今までに見たことがないものだった。エラが結ったとは思えない。

「あれはジークヴァルト様が馬車の中で……」

 返答に困った様子のリーゼロッテに、ベッティが一瞬その手を止めた。

「うぬぅ、思わないところから伏兵がぁ……ですが相手に不足なしですぅ」
 そう言ってくしを手に取ったかと思うと、せっせとリーゼロッテの髪を結い始めた。

「確かここはこうなっていてぇ……」

 ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら、髪を編み込んではほどき編み込んではほどきを繰り返す。どうやら昨日ジークヴァルトが施した髪型を再現しようとしているらしい。

(ベッティって結構、凝り性で負けず嫌いなのね……)

 そんなことを思いながら、リーゼロッテはされるがままおとなしく髪をいじられていた。ベッティはリーゼロッテのために、急遽きゅうきょ、王城に呼ばれたのだろう。異形の存在を知り、はらう力も持っている。その上、王城勤めも経験済みとあらば、適任者として選ばれるのも当然だ。

(エラ……きっと心配しているわよね)

 グレーデン家を出るときのエラの悲しそうな顔が脳裏をよぎる。今日にでも手紙を書こう。だが、この状況をどう説明するべきか悩んでしまう。

「ねえ、ベッティ。わたくしね、最近、エラに嘘ばかりついているの……」

 髪をいじられながらぽつりと漏らす。ベッティは一瞬だけ手を止めてから、やさし気な口調で言った。

「ありのままをお話になってはいかかですかぁ? エラ様ならちゃんと信じてくださいますよぅ」
「そうね……でも」

 異形の者の存在を話せば、エラには視えなくともきっと自分の話を信じてくれるだろう。だが、王城で王子に他言は無用だとくぎを刺されている。その時のことを説明すると、ベッティは不思議そうな顔をした。

「貴族、平民問わず異形が視える人間はおりますしぃ、異形の者のことなら話しても問題ないと思いますけどねぇ。託宣に関わることは言おうとしても、そもそも龍に目隠しされますしぃ」
「龍に目隠し?」
「あれぇ? リーゼロッテ様は龍の目隠しをご存じないのですかぁ? 目隠しに合うとぉ、話そうと思っても、言葉にできないんですよぅ。言いたくても言えないって感じですねぇ」
「そういえば、以前ヨハン様に何かを言おうとして、うまく言えなかったことがあったわね……」

 あれはヨハンに無知なる者の話をしようとした時だった。急に口をふさがれた感じがして、その不可解な感覚に戸惑ったことを思い出す。

「ああ、きっとそれは龍の目隠しですねぇ。考えてもみてくださいよぅ。この国ができて八百年以上、龍の託宣は何度も降りてきたんですよぅ。目隠しがなかったら、今頃は、貴族全員が龍の託宣のことを知ってるはずですぅ」

 自分に託宣が降りずとも、親兄弟や知り合いに託宣者がいれば、それを知る機会はあるに決まっている。人の口に戸は立てられぬというが、確かにこんな狭い貴族社会では、その存在が知れ渡るのはあっという間のことだろう。

「でも、口をふさぐのに目隠しなのね……」
「言われてみればそうですねぇ。でもまぁ、昔からの言い回しのようですからぁ」

 むしろ、龍の口封じでは? と思ったが、それでは確かに物騒ぶっそうすぎる。

「それにしても、ベッティは龍の託宣のこと、すごく詳しいのね」
「ある方に教えてもらったのですがぁ、わたしは知ってもいいと龍に判断されたんでしょうねぇ。知る必要がない人間には、その存在すら話すことはできませんのでぇ」

 その言葉にリーゼロッテの顔が曇る。

「エラに話せなかったら、わたくし一生嘘をつき続けなくてはならないのね……」
「そんなにお気になるなら、公爵様にご相談なさってはどうですかぁ?」
「それもそうね」

 ひとりで思い悩んでいても仕方ない。せめて異形の事なら話してもいいか、ジークヴァルトから王子に聞いてもらうのがいいかもしれない。

「ううむぅ。やはりどこかが違いますぅ」

 うなりながらベッティが、結いかけていた髪をばらばらとほどいた。納得がいかない様子で、リーゼロッテの髪に再び櫛を通していく。サイドの髪を分けて編み込んでは、またその手を止めるを繰り返す。

「違う、そこはそうではない」
「あぁ、なるほどぉ。ではここはこうして、こうですかぁ?」
「そうだ。次はここからこっちに……いや違う、貸してみろ」
「ヴァルト様!?」

 急に割り込んできたジークヴァルトの声に、驚きながら振り向いた。

「動くな。いいから前を向いていろ」
「そうですよぅ。リーゼロッテ様はおとなしく座っていてくださいぃ」

 ぐいと顔を前に向けられて、リーゼロッテは正面の鏡に向き直った。

(何なの、この状況は……)

 ジークヴァルトが自分の髪をいじる様が鏡に映る。その横でベッティが、その手つきを熱心に覗き込んでいた。

「なるほどぉ、そこはそうなっていたのですねぇ。さすが公爵様ぁ、リーゼロッテ様の髪質を熟知なさっておいでですぅ。それにしても櫛も使わず、長い指を駆使した見事な指使い! うぅむぅ、悔しいですぅ。わたしの指があと五センチ長かったらよかったのにぃっ」

(いや、そんなに長かったら、もうシザーハ〇ズだから……!)

 もはや脳内突っ込みをするくらいしかやることがない。リーゼロッテは髪が結いあがるまで、手持ち無沙汰に、鏡の向こうをみつめ続けた。
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