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第2章 氷の王子と消えた託宣

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     ◇
 リーゼロッテとエラが温室に入るのを見届けると、カイは素早く行動に出た。

 グレーデン家は基本、大きな異形が入り込めないように結界が張られている。所々で垣間見えた黒い影は、人の暗い思念といったところだ。
 それらはさして問題にならないし、今のリーゼロッテは笑ってしまうほど、ジークヴァルトに守られている。少しの間、そのそばを離れたところで支障は何もないだろう。

(この時間帯、グレーデン侯爵夫人はサロンにいるはずだ……)

 事前に潜り込ませた間諜かんちょうから情報を受け取っている。屋敷の間取りを思い浮かべて、カイは気配を殺して慎重に廊下を進んだ。

 グレーデン家は使用人が目に付くことを嫌うタイプの貴族だ。この家に仕える者たちはみな、息をひそめるように仕事をこなしている。だからと言って、見慣れぬ者がうろうろしている事態を見逃されるわけもなく、カイは進む先の人の気配を探りながら進んでいった。

「カイ様、こちらです」

 柱の物陰から使用人の男が小さな声で話しかけてきた。カイは無言でうなずくと、間諜として入り込ませた男のあとをついて行った。

「この先は使用人はまず近づきません。まっすぐ進んだ突き当りに、サロンがあります。幸い今日もいつも通りに、夫人はひとりで過ごされているようです」
「さすが、できる男は違うね。助かるよ」

 カイが気安く言うと、男は困った顔をして来た道を足早に戻っていった。おそらく他の者がやってきた時に、足止めをするなり知らせるなりしてくれるのだろう。

「さてと」

 カイは小さくつぶやいて、音なくサロンの入口へと移動した。たどり着いたサロンは一面のガラス張りになっている。晴れた日には心地よいサンルームとなるのだろう。だが、雪が降り積もる今日は、ただ白い世界が広がっているばかりだ。

 奥に、既婚者が着るような落ち着いた色合いのドレスをまとった女性の姿が見える。立ったままこちらに背を向け、外の景色を眺めているようだ。

 カイは静かに、だが僅かに足音をたてながら、その女性へと近づいて行った。

「いやだわ。まさか本当に来るだなんて」

 そう言いながらたたずんでいた女性が肩越しに振り返る。その表情は言葉通りに、カイを歓迎しているようには見えなかった。

「珍しい方から文が届いたと思ったら、思いもよらない者の名が出るんですもの。本当に驚いたわ。それでお前は、こんなところまで何をしに来たというの? デルプフェルトの

 ルイーズが事前に手紙を送ってくれたのだろう。イジドーラとグレーデン家はあまりいい仲ではないが、ルイーズは前王妃セレスティーヌと共に隣国からやってきた女官だ。セレスティーヌの死後もこの国にとどまり、今ではディートリヒ王によってそれなりの地位と力を与えられている。

「カミラ・グレーデン侯爵夫人、おくつろぎのところ失礼します。カミラ様は相変わらずのお美しさですね。まぶしい限りです」
「そんな浮ついた言葉を言うために、わざわざ来たわけではないのでしょう? さっさと要件を済ませてちょうだい。こんなふうにお前と会っているとエメリヒに知れたら、お前もわたくしもだだでは済まされないわ」

 忌々しそうに言って、カミラは視線を外の雪景色へと戻した。その背にカイは静かに告げる。

「カミラ様はアニータ・スタン伯爵令嬢をご存じですよね? 彼女について、あなたが知り得るすべてのことを教えていただきたい」

「アニータ・スタン?」

 不思議そうに小首をかしげたカミラは、そのあとゆっくりとカイに向き直った。不思議顔から一転、次第に喜色を含んだ表情となる。

「ふ……ふふ、そう、そういうこと」

 忍び笑いをこらえるように口元に手を当てる。どうにか笑いを収めてカミラはカイに再び視線を向けた。

「王子殿下の託宣の相手が、いまだに見つからないのですものね。それで、ここにきてようやくアニータにたどり着いたというわけね」

 愚者を見下すかのように、カミラはころころと笑った。次いで、思わせぶりな視線をカイに向けてくる。

「龍の託宣の存在をご存じなのなら、話は早いです。あなたに拒否権はありません。すべてをお話しいただきたい」
「ふふ、いいわ。話せることは全部話してあげる。それで、何から話せばいいのかしら?」
「アニータ嬢が王城で行方不明になる直前のことを」
「ふうん? そこまでは調べがついているのね……。で、アニータはまだ生きているの?」
「それを知ってどうするんです?」

 カイが低い声で返すと、カミラは肩を大仰にすくませた。

「旧知の令嬢の安否を気遣って何が悪いというの? まあ、いいわ。よく聞きなさい、デルプフェルトの忌み子。あのの秘密を全部教えてあげる」

 含みを持たせた笑みを乗せながら、カミラは自分の口元に指をあてた。

「アニータはね、いなくなる直前に子供をごもっていたわ。身籠ってはいけない相手の子供をね」
「身籠ってはいけない相手……?」

 後宮に出入りできる男は王族と一部の使用人だけだ。だが、ルチアの見事な赤毛は、王族の姿を彷彿ほうふつとさせる。
 貴族名鑑に乗っていたアニータは、どこにでもいるような茶色の髪だった。その子供が赤毛ならば、父親は赤毛の誰かという可能性が高い。無論、ルチアの母アニサの正体が、本当にアニータであった場合の話だが。

 今現在いる赤毛の王族は、ディートリヒ王と王兄バルバナスだ。十四年前ということを考えると、前王フリードリヒもその中に入るだろう。

(病気でせっていた前王が父親である可能性は低いだろうな。それに当時ディートリヒ王は、イジドーラ様を手に入れるために躍起やっきになっていた時期だ。そんなときに他の女に手を出すとは思えない……)

 だとすると、バルバナスだろうか? だが、バルバナスはこの国の在り方に大きな疑問を抱いている。王城にはめったに近寄らないし、自らの血を残すことをいとい、いまだ結婚せずに逃げ回っているのだ。そんな男がわざわざ後宮で、子をなすような行為に至るとは考えにくい。

「ふふふ、お前が考えている相手はみな見当違いよ」
 見透かすようにカミラが意地の悪い笑みを向ける。

「子供の父親を知りたいのでしょう? 心配しなくてもちゃんと教えてあげるわ」

 そこで一度言葉を切って、カミラは指折り数え始めた。

「イルムヒルデ様にフリードリヒ様。ディートリヒ王にバルバナス様。そして、ハインリヒ王子。当時後宮では、この方たちが過ごしていらっしゃったわ。……だけれど、あそこにはもうひとり王族がいたの。お前は子供だったから知らないだろうけれど」

 それを聞いてカイが記憶を巡らせる。ルチアが生まれたのは十三年前。それ以降に亡くなった王族の存在を思い出す。フリードリヒが逝去せいきょした後、イルムヒルデが後を追うように亡くなった。確かその数年後に、この世を去った王族がいたはずだ。

「まさか、ウルリヒ・ブラオエルシュタイン……?」

 ウルリヒは前王フリードリヒの叔父だ。しかしウルリヒは亡くなったとき、すでに八十を半ばは超えていた。アニータが身籠った時、ウルリヒはどう考えても七十代だろう。

「ふふ、ふふふ、お前は賢い子ね。忌み子でさえなかったら、デルプフェルト家は唯一ゆいいつ正妻の子であるお前が跡目あとめを継いだでしょうに。本当にもったいないこと」

 カミラの言葉を無視して、カイは話を戻すように問うた。
「お年を考えて、ウルリヒ様が父親だとは信じがたい話ですね」

「あら、お前は知らないの? あの方の奔放ほんぽうさには王家は苦労なさっていたもの。いくつになっても無節操に子種を振りまくものだから、最終的には後宮の奥深くに幽閉されたのよ。おかしいでしょう?」

 カミラは本当に愉快そうにころころと笑った。

「通いで後宮に来ていたわたくしと違って、アニータはずっとあそこにいたんだもの。きっと隙をつかれて襲われでもしたんじゃないかしら」
「そのことをイルムヒルデ様はご存じだったのですか?」

 当時、アニータといちばん時間を共にしていたのは彼女だったろう。後宮のような閉ざされた場所で、身籠ったアニータをイルムヒルデが気付かないとは思えない。

「ええ、ご存じだったわ。だって、アニータを逃がしたのは、イルムヒルデ様ご本人ですもの」
「イルムヒルデ様が……!?」

 そこまで言い終わると、カミラは急に悔しそうな顔をした。

「いやだ、本当に知っていることをすべて話してしまったわ。わたくしも龍に目隠しとやらをしてもらいたかったのに」

 そう言った後、カミラは再びカイに向き直った。

「わたくしが知っているのはこれだけよ。その後アニータがどうなったのかなんて知らないし、なぜイルムヒルデ様がアニータを逃がしたのか、その理由も知らないわ」

 カイは探るようにカミラの顔を見たが、そこに嘘の影は見いだせなかった。

「わかったらさっさと帰ってちょうだい」
 冷たく言うと、再びカミラはカイに背を向けた。

「ご協力、感謝します」
 その言葉だけを残して、来たときと同じくカイは、気配なくサロンを後にした。


「アニータ・スタン……本当に、愚かな子」

 残されたカミラはひとり静かに、降り積もる雪を眺め続けた。
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