ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

文字の大きさ
上 下
312 / 528
第2章 氷の王子と消えた託宣

しおりを挟む
     ◇
 冷んやりとしたエントランスで出迎えたのは、グレーデン家の年老いた家令ひとりだった。

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 表情のない顔でうやうやしく腰を折られ、屋敷の奥へと促される。リーゼロッテを先頭に、エラとカイがそのあとに続いた。

 静かな廊下を進んでいく。床には毛足の長い絨毯じゅうたんが敷かれ、足音もほぼ聞こえない。小さなきぬれの音が響くばかりだ。

(なんだか静かなお屋敷ね)

 人の気配というものがまるでしない。ダーミッシュの屋敷でも、フーゲンベルク家でも、使用人たちの楽しそうな笑い声が遠くに聞こえてくるのが日常だった。だが、ここグレーデン家では、使用人の影すら見当たらない。

 その時、廊下の先の部屋から一人の男が現れた。ちょうど出かけるようないで立ちで、悠然とこちらへと向かってくる。

「グレーデン家当主でございます」

 足を止めた家令がリーゼロッテを振り返った。向かってきた男はリーゼロッテの前で立ち止まり、静かに見下ろしてくる。

「エメリヒ・グレーデン侯爵様、お初にお目にかかります。ダーミッシュ伯爵の娘、リーゼロッテ・ダーミッシュでございます。本日はウルリーケ様にお招き預かりまして、ご訪問させていただきました」
 緊張しながらも淑女の礼をとる。

「ああ、あなたが母上の新たな生贄いけにえか」

 その言葉にわずかに身を震わせる。グレーデン侯爵は何事もなかったように「ゆるりと過ごされるといい」と平然と続けた。

「ありがとうございます、侯爵様」

 その返事を待たずに、グレーデン侯爵はすでに歩き出していた。後ろで控えるエラとカイには目もくれずに去っていく。

 その後ろ姿を黙って見送っていると、家令に先に進むよう促される。その後は誰にもすれ違うことなく、一行は控えの部屋へと案内された。

     ◇
「ねえ、エラ。このお屋敷は随分と静かなのね」

 部屋に通されてすぐに、グレーデン家のメイドが紅茶と茶菓子を運んできたが、無言で頭を下げた後すぐに出て行ってしまった。目の前に置かれた紅茶はリーゼロッテの分だけだ。
 エラはリーゼロッテの座るソファの背後に控え、「そうでございますね」と言葉少なに頷いて見せた。

 カイは部屋の外で待機している。いつ聞き込みに行くのかはわからないが、自分は客人として自然にしていなくては。

 ちらりと壁際を見ると、いつものようについてきたカークが背筋を伸ばして立っている。グレーデン家にはあまり力ある者はいないようだった。カークを視ていきなり叫ばれても困るので、願ったり叶ったりといったところだ。

「大奥様がお待ちです。どうぞこちらへ」

 ノックと共に入ってきたメイドが部屋を出るようにといざなっていく。リーゼロッテはそれに従い、長い廊下をメイドについて行った。その後ろをエラが続き、カイも無言で後を追ってくる。

「こちらでございます」

 静かに頭を下げられ、温室のような場所へと通される。リーゼロッテとエラは歩を進めたが、カイは入り口で立ち止まったまま、中に入ってこようとはしなかった。リーゼロッテは一度振り返り、カイに向かって小さく頷いた。再び奥へと向き直ってから、ぐっと姿勢を正す。

(いよいよ決戦の時ね!)
 おとり役を見事に成し遂げようと、リーゼロッテは気合を入れてその足を踏み出した。

 外は雪が降り積もっているというのに、温室の中は暖かく、色とりどりの花が咲き乱れている。見たこともないような花がいくつも目に入り、むせかえるような香りが少しだけつらく感じる。それをこらえてリーゼロッテは慎重な足取りで奥へと進んだ。

 植物の陰から、白い丸テーブルと椅子に座る年配の夫人の姿が目に入る。それがグレーデン家の女帝なのだとわかると、リーゼロッテはきゅっと唇と引き結んだ。

(いいこと、リーゼロッテ・ダーミッシュ! あなたは伯爵令嬢……ガラスの仮面をかぶるのよ……!)

 女帝と目が合うと、リーゼロッテは完ぺきともいえる淑女の笑みをその顔にのせた。腰を折り、王族にするのと同じ礼をとる。

「ウルリーケ・グレーデン様、お初にお目にかかります。ダーミッシュ伯爵の娘、リーゼロッテにございます。本日はこのような素敵なお茶会にお招きいただき、誠に光栄です」
「よく来ました。リーゼロッテ・ラウエンシュタイン」

 冷たく震えた声だった。顔をあげなくとも、上から見下ろされているような感覚を覚える。

「恐れながら、グレーデン様。わたくしの家名はダーミッシュにございます」
 静かに、だが引くことなく、リーゼロッテはそう返した。

「お前はラウエンシュタイン家に生まれた人間。そのことを誇りに思いなさい」
「グレーデン様のおっしゃる通り、わたくしの生家はラウエンシュタインでございます。ですが、さきの白の夜会で、わたくしはダーミッシュ家の人間として、ディートリヒ王に認めていただきました」

 いきなり立てつくような発言になってしまい、リーゼロッテは冷や汗をかいていた。だが、このことだけは誰が相手だろうと引くことはできない。義父ちちのフーゴとも約束したのだ。ダーミッシュ家の一員であることに、いつでも胸を張っているようにと。

「頑固なところはあのむすめにそっくりだこと」

 だが、女帝は声音を変えることなく平たんにつぶやいた。目線で案内役のメイドに指示を出す。リーゼロッテは促されて、用意された席へと誘われた。

「お前はいいわ。下がりなさい」

 後ろに続いたエラに冷たく言うと、すぐに視線をリーゼロッテに戻す。エラは無言でこうべを垂れて、温室の入り口付近まで戻っていった。

 不安げに振り返ると、エラはウルリーケの視界には入らず、だが、リーゼロッテからは姿が見える絶妙な場所で控えていた。

 そのことに安堵すると、リーゼロッテは前に向き直り、引かれた椅子に腰かけた。背後に視線を感じてちらりと見やると、カークが距離を置いてそこに立っている。ドキドキしながら女帝を伺うが、その表情は動いていなかった。

(よかった。ウルリーケ様にカークが視えないみたい)
 王族出身ならば、力ある者でもおかしくない。カークを視て卒倒されてはと、ちょっと心配していたのだ。

「あれはジークヴァルトが寄越したのね」

 そう言われてはっと顔を上げる。ウルリーケの視線は、確実にカークの姿を捉えていた。

「ここでは何も起きないというものを。しょうのない子だこと」

 とげとげしく聞こえるが、とがめているようには思えなかった。リーゼロッテは思い切って完全無欠の淑女の笑みを作り、ウルリーケへと向けてみた。

「ジークヴァルト様は過保護でいらっしゃいますから」
「睦まじくやっているのならそれでいいわ」

 ウルリーケが興味なさげに言うと、メイドが静かに紅茶を差し出してきた。そのまま無言で頭を下げ、すぐに奥へと下がっていく。

「おあがりなさい」

 つんとあごを反らされ、リーゼロッテは慎重な手つきでティーカップを手に取った。ふわりと上質な香りがする。一口含んで、リーゼロッテの口元は自然と笑みを作った。

「こちらは王家で愛飲されている紅茶ですわね。香りが高くてとてもおいしいですわ」
 カイに特別に同じものをれてもらったことを思い出して、リーゼロッテはウルリーケに向けてふわりと笑った。
「お前は、小憎こにくらしいくらいマルグリットにそっくりね」

 不意にそう言われ、出だしから対応を間違えてしまったのだと、リーゼロッテは滅茶苦茶焦っていた。掛け違えたボタンをはめなおすことは難しい。だが、なんとか挽回しなくては、ジークヴァルトの顔をつぶすことになる。

 焦りを顔には出さず、リーゼロッテは曖昧あいまいに笑顔を返した。
しおりを挟む
※小説家になろうグループムーンライトノベルズにて【R18】ふたつ名の令嬢と龍の託宣 不定期投稿中☆
 第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣 スタートました♡
※アルファポリス版は第1部令嬢編として一度完結としましたが、ムーンでは第6章を継続投稿中です。
 こちらはR18ですので、18歳以上(高校生不可)の方のみ閲覧できます。
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます

鳴宮野々花@書籍2冊発売中
恋愛
 一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────  私、この子と生きていきますっ!!  シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。  幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。  時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。  やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。  それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。  けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────  生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。 ※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。

辺野夏子
恋愛
セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。

夫が「愛していると言ってくれ」とうるさいのですが、残念ながら結婚した記憶がございません

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
【完結しました】 王立騎士団団長を務めるランスロットと事務官であるシャーリーの結婚式。 しかしその結婚式で、ランスロットに恨みを持つ賊が襲い掛かり、彼を庇ったシャーリーは階段から落ちて気を失ってしまった。 「君は俺と結婚したんだ」 「『愛している』と、言ってくれないだろうか……」 目を覚ましたシャーリーには、目の前の男と結婚した記憶が無かった。 どうやら、今から二年前までの記憶を失ってしまったらしい――。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。

完菜
恋愛
 王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。 そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。  ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。  その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。  しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)

処理中です...