ふたつ名の令嬢と龍の託宣【第二部公爵夫人編開始】

古堂 素央

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第2章 氷の王子と消えた託宣

第16話 消えた託宣

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【前回のあらすじ】
 白の夜会を終えた後、相変わらずの毎日に、ジークヴァルトとの仲は進展したようなしてないような。そんなある日に、異形の者を浄化する自分なりの方法を見つけられたリーゼロッテ。
 そんな時、突然やってきたカイと共に公爵家の書庫で調べものをすることに。ルチアの母アニサの手がかりを見つけたカイは、急ぎ王城へと戻るのでした。





 公務を終えたハインリヒの後ろ姿を追いながら、長い王城の廊下をジークヴァルトは足早に進んでいた。王太子の執務室まで警護をしたら、あとは引き継ぎの近衛このえの騎士にまかせて公爵領に帰る予定だ。

 目の前を歩くハインリヒは、白の夜会以降ますます機嫌が悪い。当たり散らすようなことはないのだが、その張り詰めた空気を前にした、周囲の者の気の使いようは、はたで見ていて気の毒になってくるほどだ。

「王子殿下」

 目的地である執務室を素通りしようとしたハインリヒの前に回り、行く手をはばむように声をかける。ハインリヒは立ち止まって振り返り、行き過ぎた扉を認めると、仏頂面ぶっちょうづらのまま黙って執務室に入っていった。

 本来ならこのまま帰るところなのだが、ジークヴァルトは扉の前の近衛騎士に目配せして、ハインリヒの後に続いて執務室へと足を踏み入れた。

 ハインリヒは椅子に座るでもなく、自身の執務机の前に立っている。手にした小さなかぎを指でもてあそびながら、引き出しの一点をただ見つめていた。

「おい」
「……なんだ、まだいたのか。さっさと帰ればいいだろう」

 そう冷たく言ったハインリヒは、ようやく執務机の椅子にどさりと腰かけた。
 ハインリヒが何を思い悩んでいるのか、ジークヴァルトも分かってはいる。だがそれは、ジークヴァルトにも、ハインリヒ自身にも、どうにもすることはできないものだ。

 世の中の事象には二種類ある。
 そのひとつは、自分の行動次第でどうにかできる事。もうひとつは、己の力ではどうにもならない事だ。

 後者をうれいて思い悩んでも時間の無駄だ。どれだけ時間を費やそうとも、それを解消するなどできはしないのだから。

(以前のオレならば、そう切り捨てていたのだろうな)

 不機嫌に沈むハインリヒを目の前にして、ふとそんなことを思う。だが、自分は変わったのだろう。他でもない、彼女の存在によって。

「おい」

 もう一度呼び掛けて、怪訝けげんそうに顔を上げたハインリヒの口にめがけて、乱暴に小さな焼き菓子を突っ込んだ。つね日頃ひごろから動揺を表に出さぬようにしているハインリヒも、さすがに面食らった顔になる。

「ヴァルト、お前な。こういう事はリーゼロッテ嬢にだけやってくれ。不敬罪で投獄するぞ」

 菓子を飲み下したハインリヒは、呆れを交えつつもにらみつけてくる。

「その立場を振りかざすのなら、それ相応の振る舞いをしろ。周りの者がみな困惑している。最近のお前の態度は目に余る。実に迷惑だ」

 その言葉にハインリヒはぐっと言葉を詰まらせる。しばしの沈黙の後、長く息を吐いてから、真っ直ぐにジークヴァルトの顔を見上げた。

「ああ、そうだな……お前の言う通りだ。……すまない」
「オレに謝っても仕方ないだろう」

 そっけなく言って、ポケットに忍ばせておいた残りの菓子を、執務机の上に並べて置いた。

「オレに言われるようでは、お前もまだまだだな」
「まったくだ」

 そう言って、ハインリヒは菓子をひとつ取り、自らの口へ放り込んだ。

「……甘いな」

 裏腹に、苦虫をかみつぶしたような表情でそう漏らす。手にした鍵を一度強く握りしめてから、ハインリヒはそれをふところにしまった。

「もう大丈夫だ。フーゲンベルク副隊長、大儀だった。今日はもう下がっていい」

 書類に手を伸ばしながらハインリヒが言うと、ジークヴァルトはうやうやしく腰を折った。

「では、王子殿下。御前失礼いたします」

 互いに目だけで笑い合って、ジークヴァルトは王太子の執務室を後にした。人目のない場所では、子供の頃から気安い仲だ。お互いの考えが分かる程度には、つきあいが長いふたりだった。

 完璧な王子に見えるハインリヒが、その陰でたゆまぬ努力を続けていることをジークヴァルトは知っている。彼にのしかかる重圧は、自分のになうそれとは比べ物にもならないだろう。

 いずれこの国の王として立つハインリヒの力になれるのならば、協力を惜しむことはない。だが、明日あすの天気を願うように、人知を超えた領域とあっては、そんな思いもただの戯言ざれごとに過ぎなくなる。

 龍の託宣は絶対だ。それを違えることは、この国の破滅を意味する。そう幾度もさとされて、自分たちは今日までの日々をやり過ごしてきた。

(こんな時に気の利いた言葉のひとつも思いつかないとはな……)

 やはり自分は、根底では何も変わっていないのだと、そんなふうにも思う。アデライーデに対してもそうだった。あのときも、自分は何もできずに、ただそのそばにいることしかできなかった。

「ジークヴァルト様!」
 歩く廊下で不意に背後から声をかけられる。

「リーゼロッテ嬢を貸してください!」

 振り向きしなにそう言われ、ジークヴァルトは眉間にしわを寄せた。目の前には息を切らしたカイが立っている。普段のカイらしからぬ様子で、少し興奮気味のようだ。

「ダーミッシュ嬢は物ではない」
「今はそういう御託ごたくは結構です」

 にらみつけるように言うも、カイは真剣なまなざしを返してきた。その空気感に、騎士たちが礼をとりつつも、いぶかし気な視線をよこして通り過ぎていく。それを察してか、カイはジークヴァルトの耳元に顔を寄せてきた。

「時間がないんです。ジークヴァルト様だって、ハインリヒ様がもうギリギリなの、いちばんよく分かっておられるでしょう?」

 その言葉にさらに眉間にしわが寄る。カイがハインリヒの託宣の相手を探しているのは、ジークヴァルトも承知はしている。そのために彼女が必要だと、カイは訴えているのだ。

 カイは優秀だ。意味のないことを要求することはない。それを分かっていてなお、今言われたことを承服しょうふくできない自分がいる。

「……無条件に、というわけにはいかない」
「もちろんです。こちらが提示するものを、検討してくださって構いません。リーゼロッテ嬢を危険な目に合わせることは絶対にしませんし、オレとしては、ただ、その場に行く機会を作ってほしいだけですから」

 追ってすぐご連絡をします、そう早口に言って、カイはすぐさま廊下の向こうに消える。その背中を目で追って、ジークヴァルトはしばらく考え込むように、その場にじっと立ちつくしていた。
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