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第2章 氷の王子と消えた託宣
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◇
「へえ、これが泣き虫な異形?」
ベッティに連れられて、泣き虫ジョンのいる裏庭へ移動したカイは、木の根元にいる異形の者を遠巻きに見つめた。ジョンは木の腹に片手をついて、じっと上を見上げたまま立ちつくしている。
「これってずっとうずくまって泣いているんじゃなかったっけ?」
そう言いながらカイは、ジョンが見上げる木の上部に視線をやった。元は枯れ木だと思われる枝に、緑の力が纏わりついている。まるで生い茂る葉のようだ。
「はいぃ、リーゼロッテ様のお力が木に宿ってからというもの、ジョンは泣くのをやめてずっと上を見て立っているようですぅ」
「ふうん? なんでまたそんなことに?」
「使用人たちの噂話ですとぉ、雨に降られたジョンが可哀そうだとお思いになられたリーゼロッテ様がぁ、あのようにお力を施されたということですぅ」
「異形が可哀そうか。はは、リーゼロッテ嬢らしいね」
言葉とは裏腹にたいした感慨もみせずに、カイは後ろに控えるベッティを振り返った。
「で、首尾はどうなの? ベッティ」
ベッティは周囲に人の気配がないことを慎重に確認してから、ようやくその口を開いた。
「あらかた使用人たちは調べましたけどぉ、やはり王家の血筋が入ったのはアーベントロート家だけのようですねぇ。公爵家の方でもそこのところは、抜かりなくやっているようですしぃ」
「そっか。じゃあ、対象はやっぱりブシュケッター子爵夫人くらいだね。弟の従者君はまだ結婚してないし、ブシュケッター子爵には子供が五人いるけど、エマニュエル様との子供は末っ子の長男だけだからね」
「はいぃ。子爵家の上のお嬢様方はすべて先妻様のお子とのことですねぇ。しかもいずれも父親は子爵ではないともっぱらの噂ですしぃ」
「子爵もよく見捨てず面倒見てるよね。で、エマニュエル様にもあざはなかったんだよね?」
「はいぃ、エマニュエル様にも龍のあざはみつかりませんでしたぁ。ですので公爵家ではもう望みは薄いかとぉ」
「うんそうだね。灯台下暗しってこともあるかと思ったけど、まあ仕方ないか。……ねぇ、ベッティ」
不意にカイの表情が硬くなる。
「もう一度だけ確認するけど、アンネマリー嬢には龍のあざはなかったんだよね?」
「はいぃ、王妃様の元でアンネマリー様のお世話をさせていただきましたがぁ、アンネマリー様のお体にはどこにもあざはみつかりませんでしたぁ」
「そう……」
ベッティは王妃の離宮でアンネマリー付きの侍女をしていた。湯あみ世話や体のマッサージなどを施す侍女ならば、労せず龍のあざの有無を確認することができるのだ。
カイは王妃の指示の元、ハインリヒの託宣の相手を探している。ベッティはそのカイの下で働く子飼いの部下のようなものだ。ベッティは王家の血筋が入った貴族の屋敷に潜入しては、龍のあざをもつ者がいないかをくまなく調べていた。
「じゃあそろそろベッティには、こっちに戻ってきてもらおうかな? これからはまた夜会の潜入がメインになりそうだし、やっぱりベッティがいないといろいろ面倒だしね」
「……火遊びもほどほどにしてくださいよぅ」
「ご夫人たちとの逢瀬は、情報収集の手段なだけだよ」
肩をすくませて笑うカイに、ベッティはジト目を返した。ベッティの早業メイクは、カイの後始末のために否応なしに身についたスキルなのだ。
「いつか誰かに刺されたりしても、ベッティは知りませんからねぇ」
「はは、そんなへまはしないよ」
カイがこんな遊び人になってしまったのは、ひとえにあの男のせいだ。冬なるとふらりと帰ってくる貴族らしからぬ男を思い浮かべて、ベッティはその頬をぷっと膨らませた。
「ときにベッティ。オレの出した課題は進んでる?」
「……候補ならおひとりだけみつけましたよぅ」
カイの言葉にベッティの表情がさらに曇った。カイはひどい男だと思う。自分にそんな約束をさせるのだから。
「ふうん。ちなみに誰か聞いてもいい?」
「……リーゼロッテ様ですぅ」
その答えにカイは目を大きく見開いた。
「へえ、意外だな。ベッティ、彼女みたいな娘、大っ嫌いでしょ?」
「嫌いですよぅ。虫唾が走るくらい大嫌いですぅ。……だけど、それとこれとは別問題でしょうぅ? わたしの自尊心なんか、あの方の前では羽虫も同然ですよぅ」
「そこまで卑下することもないと思うけど」
「……人にはそれぞれ役割というものが存在しますぅ。あの方は全てにおいて選ばれた側の人間……替えのきくわたしなんかと同列に扱う方がどうかしてますよぅ」
「まあ、確かにね」
カイは静かにジョンを見やった。泣かなくなった泣き虫ジョンは、何を思ってその緑を見上げているのか。
「ねえ、ベッティ。何気にここ、気に入ってたでしょ? 近いうちに連れ出すことになるけどごめんね?」
「公爵家はぬるま湯につかっているみたいで、居心地は最悪ですよぉう。むしろ早くお迎えに来てほしかったくらいですぅ」
ベッティは気づいてないのだろうか。公爵家でのベッティの振る舞いは、普段カイに見せる気負いないものと変わりはないようだった。素を見せるなどベッティらしくないと思っていたが、無意識の事だったらしい。
この先、ベッティはジークヴァルトに任せることになるかもしれない。リーゼロッテのそばなら、ベッティもきっと憂いなく生きていけるだろう。いずれいなくなる自分のことなどすべて忘れて。
「ねえ、ベッティ。もう一度だけ聞くけど、アンネマリー嬢の裸ってどんなだった?」
「はいぃ、アンネマリー様のお体はぁ、それは白磁のようにすべらかでぇ、お胸はたわわに実った果実のように……って、なんてこと聞いてくるんですかぁっ!?」
「はは、さすがに騙されなかったか」
「当たり前ですぅ! このベッティ、カイ坊ちゃまをそんなふうにお育てした覚えはありませんよぅ!」
「うん、オレもベッティに育ててもらった覚えはないかな」
ぷりぷり怒るベッティに目を細めながらその頭にポンと手を置くと、カイはベッティの頭をいい子いい子と何度もなでた。
「へえ、これが泣き虫な異形?」
ベッティに連れられて、泣き虫ジョンのいる裏庭へ移動したカイは、木の根元にいる異形の者を遠巻きに見つめた。ジョンは木の腹に片手をついて、じっと上を見上げたまま立ちつくしている。
「これってずっとうずくまって泣いているんじゃなかったっけ?」
そう言いながらカイは、ジョンが見上げる木の上部に視線をやった。元は枯れ木だと思われる枝に、緑の力が纏わりついている。まるで生い茂る葉のようだ。
「はいぃ、リーゼロッテ様のお力が木に宿ってからというもの、ジョンは泣くのをやめてずっと上を見て立っているようですぅ」
「ふうん? なんでまたそんなことに?」
「使用人たちの噂話ですとぉ、雨に降られたジョンが可哀そうだとお思いになられたリーゼロッテ様がぁ、あのようにお力を施されたということですぅ」
「異形が可哀そうか。はは、リーゼロッテ嬢らしいね」
言葉とは裏腹にたいした感慨もみせずに、カイは後ろに控えるベッティを振り返った。
「で、首尾はどうなの? ベッティ」
ベッティは周囲に人の気配がないことを慎重に確認してから、ようやくその口を開いた。
「あらかた使用人たちは調べましたけどぉ、やはり王家の血筋が入ったのはアーベントロート家だけのようですねぇ。公爵家の方でもそこのところは、抜かりなくやっているようですしぃ」
「そっか。じゃあ、対象はやっぱりブシュケッター子爵夫人くらいだね。弟の従者君はまだ結婚してないし、ブシュケッター子爵には子供が五人いるけど、エマニュエル様との子供は末っ子の長男だけだからね」
「はいぃ。子爵家の上のお嬢様方はすべて先妻様のお子とのことですねぇ。しかもいずれも父親は子爵ではないともっぱらの噂ですしぃ」
「子爵もよく見捨てず面倒見てるよね。で、エマニュエル様にもあざはなかったんだよね?」
「はいぃ、エマニュエル様にも龍のあざはみつかりませんでしたぁ。ですので公爵家ではもう望みは薄いかとぉ」
「うんそうだね。灯台下暗しってこともあるかと思ったけど、まあ仕方ないか。……ねぇ、ベッティ」
不意にカイの表情が硬くなる。
「もう一度だけ確認するけど、アンネマリー嬢には龍のあざはなかったんだよね?」
「はいぃ、王妃様の元でアンネマリー様のお世話をさせていただきましたがぁ、アンネマリー様のお体にはどこにもあざはみつかりませんでしたぁ」
「そう……」
ベッティは王妃の離宮でアンネマリー付きの侍女をしていた。湯あみ世話や体のマッサージなどを施す侍女ならば、労せず龍のあざの有無を確認することができるのだ。
カイは王妃の指示の元、ハインリヒの託宣の相手を探している。ベッティはそのカイの下で働く子飼いの部下のようなものだ。ベッティは王家の血筋が入った貴族の屋敷に潜入しては、龍のあざをもつ者がいないかをくまなく調べていた。
「じゃあそろそろベッティには、こっちに戻ってきてもらおうかな? これからはまた夜会の潜入がメインになりそうだし、やっぱりベッティがいないといろいろ面倒だしね」
「……火遊びもほどほどにしてくださいよぅ」
「ご夫人たちとの逢瀬は、情報収集の手段なだけだよ」
肩をすくませて笑うカイに、ベッティはジト目を返した。ベッティの早業メイクは、カイの後始末のために否応なしに身についたスキルなのだ。
「いつか誰かに刺されたりしても、ベッティは知りませんからねぇ」
「はは、そんなへまはしないよ」
カイがこんな遊び人になってしまったのは、ひとえにあの男のせいだ。冬なるとふらりと帰ってくる貴族らしからぬ男を思い浮かべて、ベッティはその頬をぷっと膨らませた。
「ときにベッティ。オレの出した課題は進んでる?」
「……候補ならおひとりだけみつけましたよぅ」
カイの言葉にベッティの表情がさらに曇った。カイはひどい男だと思う。自分にそんな約束をさせるのだから。
「ふうん。ちなみに誰か聞いてもいい?」
「……リーゼロッテ様ですぅ」
その答えにカイは目を大きく見開いた。
「へえ、意外だな。ベッティ、彼女みたいな娘、大っ嫌いでしょ?」
「嫌いですよぅ。虫唾が走るくらい大嫌いですぅ。……だけど、それとこれとは別問題でしょうぅ? わたしの自尊心なんか、あの方の前では羽虫も同然ですよぅ」
「そこまで卑下することもないと思うけど」
「……人にはそれぞれ役割というものが存在しますぅ。あの方は全てにおいて選ばれた側の人間……替えのきくわたしなんかと同列に扱う方がどうかしてますよぅ」
「まあ、確かにね」
カイは静かにジョンを見やった。泣かなくなった泣き虫ジョンは、何を思ってその緑を見上げているのか。
「ねえ、ベッティ。何気にここ、気に入ってたでしょ? 近いうちに連れ出すことになるけどごめんね?」
「公爵家はぬるま湯につかっているみたいで、居心地は最悪ですよぉう。むしろ早くお迎えに来てほしかったくらいですぅ」
ベッティは気づいてないのだろうか。公爵家でのベッティの振る舞いは、普段カイに見せる気負いないものと変わりはないようだった。素を見せるなどベッティらしくないと思っていたが、無意識の事だったらしい。
この先、ベッティはジークヴァルトに任せることになるかもしれない。リーゼロッテのそばなら、ベッティもきっと憂いなく生きていけるだろう。いずれいなくなる自分のことなどすべて忘れて。
「ねえ、ベッティ。もう一度だけ聞くけど、アンネマリー嬢の裸ってどんなだった?」
「はいぃ、アンネマリー様のお体はぁ、それは白磁のようにすべらかでぇ、お胸はたわわに実った果実のように……って、なんてこと聞いてくるんですかぁっ!?」
「はは、さすがに騙されなかったか」
「当たり前ですぅ! このベッティ、カイ坊ちゃまをそんなふうにお育てした覚えはありませんよぅ!」
「うん、オレもベッティに育ててもらった覚えはないかな」
ぷりぷり怒るベッティに目を細めながらその頭にポンと手を置くと、カイはベッティの頭をいい子いい子と何度もなでた。
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