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第2章 氷の王子と消えた託宣

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 厨房の向こうにある階段の奥から、あくび交じりの声がした。艶めいた声の主が、トントンと音を立てて階段を下りてくる。赤いペディキュアに膝上ひざうえたけのネグリジェの足が見えたと思ったら、そこに登場したのは、角刈りのゴリマッチョのいかつい男だった。真っ赤なルージュに紫のアイシャドウ、着ているネグリジェはスケスケのフリフリだ。

「あらんやだ、カイ坊ちゃんじゃない」
 ネグリジェのすそをふりふりさせて、角刈りマッチョは内またで駆け寄ってきた。

「随分といい男になったじゃなぁい。いつの間にかこんなにおいしそうになってぇ」
「はは、フィンは相変わらずみたいだね」

 カイの頬を太いぶっとい指でつつきながらしなをつくるフィンに、カイは動揺するでもなく笑いかけた。その後ろに隠れるように、ルチアが一歩後退あとずさった姿勢で固まっている。

「フィン、またそんな格好で降りてきて……。あっし以外の男に目をつけられたらどうするんでさぁ」
「あらぁ、ダンったら、焼・き・も・ち・焼・き、ね。あたしにはダンしかいないって、いつも言ってるのにぃ~」

 くるりと片足で向き直って、フィンはその厳つい体でダイブした。ダンがうれしそうにそれを受け止めている。殺し屋とマッチョがきゃっきゃうふふしている様は、なかなか表現しづらいものがある。子供のルチアには衝撃度が高すぎたようだ。

「ルチア、大丈夫、あれは怖い物じゃないよ。まあ、あれは、あれで、ひとつの愛のカタチ」
 そう言ってカイは固まっているルチアの肩にポンと手を置いた。

「なぁに、その子。また、イグナーツ様を頼ってきた子?」
「そんなところでさぁ。ちょいと訳ありで、旦那が戻るまで、ここにいてもらいたいと思ってるでやすよ」

 ダンはかいつまんでルチアの事情をフィンに話した。

「ん、まぁぁぁ! ルチア! あなたここにきて正解よん! 教会なんかクソよ、クソ! 好きなだけここにいてちょうだいな!!」

 ダンとフィンはゲイカップルで長年夫婦のように暮らしている。だが、教会はふたりの仲を決して認めようとはしない。汚らわしいとまで罵倒されては、こちらも黙っていられるはずもなかった。

「それじゃあ、ルチアの母さんのことも心配ねぇ……。とにかく母さんにそのお金、届けましょ。治療は早い方がいいもの。ねぇ、ダン、あなた荷馬車を出してあげたら? 辻馬車で行くより早いし、ねぇ、そうしましょうよん」
「ああ、そうでやすな。ルチア殿だけだと、その金を見てあらぬ嫌疑けんぎをかけられても困りやすし、あっしも一緒についていきやしょう」
「え? でも、そこまで迷惑はかけられないわ」
「迷惑だなんて、そんなことないわよぅ。女は素直に甘えるものよん」

「その前に、ルチア、お風呂かしてもらったら?」
 カイの言葉にフィンがルチアにクンクンと鼻を近づける。

「確かに、ルチア、あなたちょっと臭いわね。いいわん、あたしが隅々までぴかぴかに磨いてあげる。とっておきの服も貸したげるから、それで母さんに会いに行きましょ」
「えっいやよ! 絶対にだめ!」

 ルチアが怯えたようにカイの背に隠れた。手をワキワキとしながら迫ってくるフィンにつかまらないように、カイの背中をぎゅっと掴んだ。

「はは、ダメだよフィン。フィンは心は女でも、体は立派な男でしょ。ルチアが怖がってるから、お風呂はひとりで入らせてあげて」
「そうでやす。フィンが子供と言えど、他の人間の肌に触れるなんて……あっしは想像しただけで気が狂いそうでやすよ」
「ま! ダンがそう言うなら、あたしあきらめちゃう! ごめんなさい、ルチア、そういう訳だから……」
 申し訳なさそうに言うフィンに、ルチアは「いいのよ別に、気にしないで!」と必死に叫んだ。

 よくわからない流れで風呂を借りることになったルチアは、首をかしげながらフィンに連れられて行った。しばらくするとフィンだけが戻ってくる。

「驚いたわん。あの子、お風呂の使い方、全く知らないの。今までは、真冬でも水で行水していたそうよん」
 そこまで言うと、フィンは不意に涙ぐんだ。

「ずっと、病気の母親を支えて、あんなに小さいのに、ほんと不安だったでしょうにぃ……」
「ねえ、フィンも一緒に行ってあげなよ。がいた方がルチアも安心するんじゃない?」
「ん、まあ! それもそうねん!」
「ここはオレが留守番しとくからさ……あれ? ルチア、もう出てきたの?」

 からす行水ぎょうずいよりも短いのではないだろうか。いつの間にかルチアがそこに立っていた。フィンに渡された服を着て、ルチアはほかほかと湯気を立てている。フィンの膝丈ひざたけのワンピースは、ルチアにはぶかぶかすぎてすそを少し引きずっていた。

「だって、母さんが心配で……」

 うつむくルチアの前でひざをつくと、フィンはルチアの腰を赤いリボンできゅっと絞った。即席のベルトになって、長いすそもちょうどいいくらいに収まった。長いそでははみ出した分を幾度か折り長さを調節する。

「あらん、なかなかお似合いじゃない? あとでサイズのあったお洋服もいっぱい用意しましょ。でも、まずは母さんねん! さあ、すぐに出発するわよん!!」

 毛皮のコートを羽織ったフィンがルチアの手を引いて、こんがり亭を出ていく。その後をダンがタンクトップ姿のまま追っていった。

(ルチアの母さん、驚いて心臓止まらないといいけど)
 そんなことを思いながら、カイはひらひらと手を振って三人を見送った。

「さてと」

 ひとりきりになったこんがり亭で、カイはおもむろに動き出す。迷いのない足取りで、先ほどまでルチアが使っていた浴室へと足を踏み入れた。

 この国は温泉が豊富で、よほどの僻地へきちでない限り、平民でも年間を通して風呂に入る習慣があった。蛇口をひねれば簡単に温泉水が出て来る仕様だ。

(ちゃんと使った形跡はあるな)

 カイは風呂場を見渡しながら、隅々まで注意深く観察した。カイはかつらの下のルチアの本当の髪の色を、確かめられればと思っていた。髪の毛一本でも落ちていればと思ったのだが、あの短時間だったので、髪までは洗わなかったようだ。

「ん?」

 カイはあることに気がついて、その場にしゃがみこんだ。

「これ……染料せんりょうか何かかな……?」

 流された温泉水に混ざって、茶色の粉が筋を作っている。カイはそれを指にとって、色やにおいを確かめた。

 それは平民がよく使うような粗悪な染髪剤せんぱつざいのようだった。染めると言うより、振りかけて色味をつけるようなそんなタイプの物だ。ルチアがかぶっていたかつらはつややかで、その染料を使っているとは思えない。

(かつらの下の地毛を、染めているのか?)

 見つかりたくない相手に対する用心にしても、やりすぎのような気もする。

(よほど珍しい髪色なのか……?)

 カイはもう一度注意深く濡れた床を見やった。排水溝のあたりにからまる髪を一本掴み取る。
 スキンヘッドのダンや角刈りのフィンにはあり得ない、細く長い髪の毛だった。明かりに透かすように眺めやる。

(――見事な赤毛だ)

 ルチアに関する情報を、整理するように頭の中で再び思い起こす。ルチアが生まれた年の前後で、貴族界で起こったことと照らし合わせてみるが、大きな事件や思い当たることは何もない。あるとすれば、前王妃であるセレスティーヌが亡くなった直後くらいの時期だろうか。

(駄目だ……やっぱり戻って調べなおさないと)

 ルチアの母親とイグナーツの関係も知りたいところだが、イグナーツが戻らないことにはどうにもならない。聞いて素直に話すような男ではないが、戻ってきたら何が何でも口を割らせなくては。だが、今それは後回しだ。

 カイは一筋の髪をハンカチに包んでポケットにしまい込むと、突き動かされるようにこんがり亭を後にした。





【次回予告】
 はーい、わたしリーゼロッテ。無事に社交界デビューを果たしたわたしは、特にかわりばえもしない毎日で。ジークヴァルト様のもとで小鬼をきゅるんとさせたり、浄化のコツをつかんだりとちょこっと前進の兆しです!  そんなときカイ様がアポなしで公爵家にやってきて!?
 次回、2章第15話「星を堕とす者」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!
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